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少年の言う嫌な予感とは。
少年の記憶の中の言葉、ぴったりだねという意味は。
ルシオラの体を持ち、ゼノのような名前を持つ得体のしれない少年。
ピーピーと耳元で泣き声がずっと聞こえている。この右肩はずっしりと重く、右耳につけた耳飾りはゆらゆら揺れているのだ。
「誰か、この鳥を何とかしろ!」
なぜかソラヤとキュフの赤い鳥が部屋に残されて、俺の耳飾りを俺の肩の上に乗っかって、嘴でつついて遊んでいる。鳥は光物が好きなようだった。
「お前にはやらない。諦めろ」
追い払っても追い払っても、肩に無断で止まり、銀の飾りを欲しそうにつつくのだ。
「いい加減にしてくれ」
耳飾りを外して、胸のポケットにしまうと今度はポケットをキツツキのようにつつき始める。どこに隠そうが飾りを追いかけてくるのだ。本当に面倒くさい。
「フォンさん、ごめんなさい」
部屋に飛び込んできたのはソラヤで、赤い鳥の名を呼びながら無理矢理に羽交い絞めにして鳥を確保する。
「その鳥を俺に近づけるな。そのうち、飾りを食われる」
「ロアは光っているものは何でも口に入れたがるんです。習性っていうやつでしょうか」
「かもな」
鳥のことは詳しくは知らない。鳶と鷹の違いも分からないのだから、赤い鳥の習性など見当もつかない。
「フォンさん、もう少しで夕飯ですが、ここで一緒に食べてもいいですか?」
「飯くらい一人で食わせろ」
「そんなこと言わないでくださいよ」
どうして会って間もない人間に懐いてくるのか。女性ならばもっと見ず知らずの男には警戒心を持った方がいいと思う。
「サラたちと食べればいいだろう?」
「それが、お医者さんとその家族はよそ者の私たちと一緒に食事は出来ないそうなんです」
「どういう意味だ?」
もしや人種差別とかそういう類の考えを持った家なのか?
「先生は流行り病に罹らないための対策だって言っていました。なので握手とか触ったりすることもだめで、キュフが歌を歌うのも扉越しなんです」
「流行り病か……」
二三年ほど前からこの病は全国各地で猛威を振るっていると噂に聞いていた。
一つの村がものの数か月で全滅したとか、国すら失なわれたと言われる程だ。
山の中にある田舎の俺の村にすらも病に倒れた者が大勢出たのだから、この病はとても深刻なものなのだろう。
「そうか、俺がのこのこと簡単に訪ねてはいけなかったのか」
「それってどういう意味ですか?」
「俺は行こうとしていた場所に病気を持っていくところだったんだなと思っただけだ」
ソラヤは目を大きく見開いて俺の顔を覗き込んできた。
「フォンさん、流行り病に罹っているんですか?」
「今のところは足以外どこも悪くないが、俺が病気を持っているかもしれないってことだ。だから顔を近付けてくるな」
彼女は未だ腑に落ちないような顔で顔を遠ざけると、寝台の側に置かれた椅子に座って口を尖らせながら何かを考え始めた。
「病気ってうつったらすぐに熱が出たり、咳が出たりするんじゃないんですか?」
「そんなにすぐにしんどくなるなら、みんな道端で倒れてるぞ」
「そっか。そうですよね」
「詳しくは俺じゃなく医者に聞け」
「そうします。なので、ここでご飯を食べてもいいですか?」
なのでという接続詞がよく理解できないが、どうにも彼女は頑固なところがあるようなので、ここは大人として折れてやることにする。
「好きにしろ」
ソラヤは飛び跳ねて喜び、その場でくるんと一回転する。すると、肩から斜めに下げていた黒い布袋が裂けてごろんと中身が転がり落ちたのだった。
「それは……」
眩しい光が部屋中を満たし、日が沈み暗くなった部屋を一気に昼に戻した。
「ああ、袋が破けた」
「早く、その光を収めろ」
彼女は光る物体を何故か、俺の布団の中に押し込む。
「どうして布団に入れるんだ!」
「だって、袋を繕わなくちゃいけないじゃないですか。フォンさん隠しておいてください」
変な少年の次は、厄介な光を持つ少女。この二人はどうなっているんだ?
「これは、ランテルナの配るランタンだろう?」
「はい。そうですよ」
人に幸福や幸運といったおめでたい何かを授けてくれると言う、祝福の灯。大昔は全ての人間が持っていたらしいが、今となっては持っている人が殆どいないらしく、とても高値で売買されていると聞く。
俺は布団の中を覗いて、そのランタンを始めて見た。眩しく輝いているが、目が痛くなるような刺激の強い光ではなく、温かみを感じる光で、ランタンの細部を確認することが出来た。
「ソラヤ、これ壊れてないか?」
「え?この袋の事ですか?」
「いいや、ランタンの方だ。金具が割れているぞ」
ソラヤが血相を変えて布団をはぐるので、俺は咄嗟に足を動かそうとするのだが、己の足が今動かすことが出来ないことを思い出した。激痛が体を走り回る。
「痛っ!」
愚かだ。小娘に素足を覗かれることを恥ずかしいと思うなど。
「今落としたから壊れたんですかね?」
「この割れ方は強い力で何かを叩いたような感じだな。かなり凹んでいる。落としたくらいではここまではならないだろう」
中央の硝子と底の金属の接着箇所が取れ、今にも硝子が抜け落ちそうになっている。その上、金属の装飾部分がかなり凹み、飾りが割れ落ちて無くなっている。
光が強いせいで傷に気づかなかったのだろう。
「ああ、思い出した。椿獅子を殴ったからだ」
あの獰猛で有名な雪山の獅子を小型のランタンで殴った?何を言っているんだ、この小娘は。
「もしかして、カナスタの怪我も猛獣と戦ったせいか?」
「はい。正解です」
ランタンを持ち歩いていると言うだけで稀有なのに、その上椿獅子と戦う旅をする少女とは、キュフよりも謎が多いのかもしれない。
「つかぬことを聞くが、ソラヤ。キュフはルシオラか?それともゼノか?」
「キュフの魂がゼノなのかは分かりません。ですが、今までに出会った人はみんな、名前の響きからしてゼノみたいだと言っていました」
ソラヤは赤い鳥を脇に抱えながら、布団を元に戻して、落胆するように俯いた。ランタンが壊れていたことがよほど悲しいらしい。
「キュフをゼノだという事にしてもらえるならお使いを頼めるんだが」
おそらくキュフの名はキユフで、ゼノ的な愛称で縮めて呼ばれているはずだ。俺の名もフオンが正式で、愛称がフォンになる。
「キュフの無理なお願いを聞いてくれるんですか?」
「この耳飾りを持っていけば先方は信じてくれるだろう」
俺は胸ポケットに入れていた銀の耳飾りをソラヤに差し出す。赤い鳥が今にも啄みそうになったので、ソラヤはすぐに鳥の嘴を手で掴んで抑えた。
「それは、キュフに渡してください。私はこの通りロアの口を塞ぐのに忙しいので」
花のように笑うとはこういう風なのだろうか、と思わせるような優しい笑顔だった。時折幼げに見えるのに、ふとした瞬間に大人っぽく見えることがある。この年代の女性は不思議だ。
「代わりと言っては何だが、このランタンは預かる」
「それは困ります!」
「お前たちが帰ってくるまでに直しておいてやるから心配するな」
「直せるんですか?」
「これでも銀細工師だ」
彼女は鳥から手を離して、喜びのあまり俺の手を握りながら感謝の言葉を何度も述べた。
「フォンさん、この恩は一生忘れません」
「大袈裟だな。こっちもお使いを頼んでるんだから恩なんて感じるな。それに、じっと寝ているのも性に合わない。手を動かしていないとどうにもしっくりこないんだ」
この怪我では数日この寝台から動けないだろう。それならば、その間にランタンを修理するのも悪くない。
「キュフを連れてきますね」
上機嫌な彼女は破れた布袋を椅子に置いて、急いでキュフの許に走って行ってしまった。そう、またこの赤い鳥を置いて。
「だから、肩に乗るな!」
鳥は俺の手の中にある銀の耳飾りから目を離さず、人間の肩の上でじっと掌が開かれる時を待っているようだった。
「つまり、アルス国の西のはずれにあるルパと呼ばれる地域に行って、ゼノの首長ドゥリさんを連れてくればいいんですね」
キュフが復唱している横でソラヤが小さな帳面に文字を書き込んでいく。
「ルパまでなら一日あればつくと思います」
サラがアルス国西部の地図を俺の布団の上に広げて、ルパ地区を指さした。
「サラ、子ども二人で大丈夫な道か?」
「最近は物騒だと聞いています。西部は山が多く、他国から不法入国する人が多いんですよ」
説明するサラの横で、冷汗をかきながら挙動不審になっている子どもが二人。おそらくこの二人は関所を通って入国していないのだ。
「大丈夫です。マキナ国まで連れて行ってくれると約束してくれた用心棒がいます。その方にお願いしてみます」
ソラヤの言うマキナ国とはアルス国の北にある大きな国で、山に囲まれた寒い国だ。彼らの次の目的地はマキナらしい。
「その用心棒はどこに居るんだ?」
「明日、近くの野外劇場で待ち合わせる予定です」
ソラヤが地図で指さした場所は、俺が足を怪我したあの場所だ。
「そいつはアルスの傭兵か何かか?」
「自称旅人で、シレントを連れていて、とても腕が立つ人なんだ」
キュフは赤い鳥を頭の上に乗せながらそう言ったが、彼の細い首が鳥の重みで折れてしまわないか心配になる。
「シレントを連れた旅人か。まあ、信用できそうなら別に構わないが、あまり信じ過ぎるなよ」
シレントとは大型の猫に似た動物で、古くから人々と共生してきた人懐っこい動物だ。確か、死肉を主食にしていたはず。
「とってもいい人です。ここまでキュフを背負ってくれました」
話を聞けば、亡国カペルの焼け野原で出会い、手負いの一行をこのアルスまで連れて来てくれたらしい。
「話を戻すが、ルパはアルス国に認められていないが、ゼノの国だ。入国の際にゼノ以外は止められる可能性がある」
「ゼノにも国があるんですね」
「いいや、ソラヤ。もともとはこのクジラ山脈に囲まれた地方はすべてゼノの土地だったんだ。そして二十四の国に分けていた。ルパはその国の一つ」
俺達が住むこの土地は、北に大きなクジラ山脈と呼ばれる山に区切られ、その険しい山が西の沿岸部まで伸びている。我々ゼノはその山脈に囲われたこの土地をクジラ地方と呼んでいる。
「俺の住むウルラも小さい集落だがゼノの国だ」
大昔はウルラもルパもその他のゼノの国ももっと大きく豊かだった。しかし、北の山脈を越えてレピュス人がやってきた。南の海からアピス人がやって来た。人間が入ってきたことによってゼノは国を小さくせざるをえなくなってしまった。
「それで、僕にゼノのふりをしてほしいってことだね」
「名前を名乗れば勝手に向こうがゼノの子だと判断するだろう。急に歌ってしまっても、親の片方がルシオラだと答えればいい」
ルシオラは本能的に歌いだしてしまうと聞いたことがある。人が死んだときは特にその血が歌を歌わせるのだとか。
「分かった。それでおじさんのこの飾りを見せれば上手くいくんだね」
「必ず首長に来てもらうようにしてくれ。首長の親族とかもダメだ」
少年が力強い瞳で頷く。
「必ず連れてくるよ。だから、ソラヤのランタン修理をよろしく頼むね」
「ああ、二日もあれば十分だ」
地図をたたみ、少年に渡すと彼は初めて白い歯を見せて微笑んだのだった。