ストローの先に見える、かつて
「ワープアウト完了。座標位置確認。
……X、Y、Z、全軸に対して誤差0.0000000001%。予定通りの座標に復元」
「了解。所定方向に対して観測装置起動、受信、分析開始」
閉ざされた空間を無機質なLEDの光が照らす中、感情のこもらない女性二人の声が響いた。
その声に促されるように電子機器特有のハム音すら聞こえない静寂に包まれて、二人の指と視線が動く。
ホログラフで表示されたパネルを指がなぞり、センサで捉えられたその動きがシステムへと指令を伝え、彼女らが望む処理を順次、あるいは同時に実行していく様に淀みは無い。
今日、この日の為に訓練を重ねた二人の動作は迷い無く、正確で、機械的。
その甲斐あってか、ホロ・ディスプレイには彼女らが望んだ結果が描き出されていく。
「ノイズ除去完了。観測誤差、32光日と推定。……BC100年前後と思われる地球の画像を確認」
一人の女性がそう告げた後、しばらく完全な沈黙が降りて。
ほとんど同時に、二人が二人とも、大きなため息を吐き出した。
「は~……大分神経使ったけど、これでとりあえず、最初にして最大のハードルはクリアかしら」
「うん、今のところは、ね。後は相対座標がずれないようにと、ノイズが入らないように気をつけながら観測、か」
「って言っても、座標はオートで調整してくれるわけだし……それのチェックをしながら、静かに慎ましやかに暮らしていくだけ、よね?」
「まあ、そうなんだけどさぁ」
身体を固定していたベルトを外して寛ぎながら、二人はそんな会話を交わす。
音声は今回の観測に大した影響を与えないはずだが、それでも念のため、声は抑え気味だ。
彼女達は今、地球から三千光年ほど離れた外宇宙に来ている。
ワープ航法が発明されて後、人類は一気にその生活圏を宇宙へと広げていく時代。
様々な恒星系で地球に似た惑星を見つけ、そこに移住してはさらに版図を広げていった過程にて、偶然の、あるいは奇跡の産物としか言えないものが見つかった。
地球の反射光が、数多の恒星から光学的影響をほとんど受けない一筋の道。
銀河系の比較的辺境にあるからこそ存在し得た、糸よりも細いその道を、ある天文学者は『ストロー・パス』と名付けた。
程なくしてそのロマンチストな天文学者はその有効活用に思い至る。
このストローの先には、数千年前、あるいはもっと昔の地球の記録が残っているはずだ、と。
ワープ航法を手にした人類は、数千光年、あるいは数万光年の先まで旅することができるようになった。
もしも数千光年離れた場所から光を受け取ることができれば、当然その光は、数千年前のもの。
であれば、太陽の光を受けた地球の反射光を、数千光年先で受け取ることができれば、当然その中には、数千年前の地球が映っているはずだ。
「いや、理屈はわかるんだけどね? ほんとに実行するって、何考えてんのかな、とは思うよねぇ。
それでお給料もらってんだから、文句言っちゃいけないんだろうけどさ」
「あら、私は面白いなと思って参加しているのだけど、ユンはそうでもないの?」
ユンと呼ばれた二十代後半頃の彼女は、椅子の背もたれに身体を預けながら、その瞳と同じく茶色のショートヘアをガシガシとかきながら、相方である黒髪黒目の彼女へと物言いたげな視線を向ける。
「だってさぁ、ヒトミ、面白くないとは言わないけど、ここまでのリソース使ってやる程のことかなぁ?
人間二人を、半年も滞在させるってそれだけで水だ食料だが必要になるわけだし」
「今回は最初だから、トラブル対応が限定的になる無人機でやるわけにはいかなかったもの。
私は、それでもやる意義はあると思うけどね」
「そう? だってさぁ、昼下がりから夕方くらいしか撮れないわけじゃん?」
すまし顔にうっすらと笑みを乗せたヒトミへと、ユンが唇を尖らせて見せる。
見つかった『ストロー・パス』は、こぐま座α星のポラリスと、何より太陽からずれた方向に伸びている。
だから、観測できるのは地球における午後から夕方の範囲まで。
その日の陰った世界を自転で通過していく地表を観測することがなんとかできるばかり。
おまけに、それが観測できるのは太陽の影に隠れない半年足らずの期間だけ。
さらに期間の終わり頃にはほんの僅かな範囲しか観測できない、という状況。
そんな限定的な、解像度的にギリギリな地表の様子を観測する意義が、ユンにはあまり強く感じられなかった。
「それでも、確かにその時何が起こっていたのか見ることができるのよ。それはきっと、意味のあることだわ」
自分と反するユンの意見に、しかし反発することもなくヒトミは、むしろどこか楽しげに応じる。
そんなヒトミの反応に、ユンは面食らったようなような顔になってしまう。
「いやさ、例えば過去に介入できるとかだったら、あたしも意味があると思うよ?
だけどさ、とっくに過ぎ去った時代の映像を見るだけなわけじゃない。それはちょっとどうかなって」
「その意見もわかるけどね。でもねユン、あなた、アルバムを見返すって、無意味だと思う?」
どこかからかうようでもあり、何より返答を確信しているような朗らかな声に、ユンは言葉に詰まった。
ヒトミが求めている答えはわかっている。
そして、残念なことにユンの答えは彼女の望むそれと同じだ。
ふぅ、とため息を吐きながらユンは両手を挙げて降参のポーズを取る。
「確かに、それはわからなくもない。……でも、見も知らぬ相手のそれは、どうなんだろう」
「見も知らぬ、わけじゃないわよ? 偉大なる歴史上の人物を直接見ることができるんだから。
あなただって、ユリウス・カエサル、あるいはジュリアス・シーザーのご尊顔を拝めるかも知れないと思えば興奮しない?」
「くっ……否定はできないなぁ」
ユンとて、こんなプロジェクトのスタッフに選ばれるくらいなのだから、それ相応の教養はもちろんある。
当然世界の歴史にもある程度は通じており、そんな彼女から見ても確かにユリウス・カエサルは魅力的であった。
となれば、自他共に認める文系歴女なヒトミからすれば、このプロジェクトは垂涎ものだろう。
「でしょ? ……まあ、お偉いさん達からすれば、色々思惑もあるみたいだけれど、私はとりあえずそんなのは無視したいな、今だけは」
「今だけは、かぁ……これが成功したら、多分色々生臭い使われ方も考えられるだろうしねぇ」
今は、こうして漠然と紀元前の地表を、その日常を漠然と撮影しているだけだ。
しかしその有用性が確認されて、歴史が、国家だとか王家だとかの様々なものに正当性が強く与えられるようになったとしたら。
それこそ『アルバム』の価値は膨れ上がり、誰もがこぞって求めるようになるだろうことは想像に難くない。
まして、そこに優秀な『写真屋』を介在させられるような勢力からすれば。
「だからこそ、今だけはこうしてありのままを見ていたいし……見ていられる立場になれたことが嬉しいわ」
「ヒトミらしいロマンティックな言い分だけど、今だけはわかるわ、うん」
そう言いながらユンは、様々な画像処理が終わってきちんと見られるものになった地表の様子を眺める。
拡大して表示されたのは、それこそイタリア、ローマ付近だろうか。
今の彼女からすれば粗末な服を着た人々が、それでも活発に動き、何やら話しているのが見える。
残念ながら、流石に音声までは拾えないが。
そんな地表の様子を眺めていたユンは、不意に顔を上げてヒトミの方を見る。
「ねえヒトミ。もしも好きな時代を見に行っていいって言われたら、どの時代の何を見たい?」
唐突な問いかけに、ヒトミはパチクリを大きな瞳を瞬かせる。
不意を打たれたのだろうか、僅かに落ちる沈黙は、しかし数秒程度の物。
「そうねぇ、もし数億光年先でもノイズが少ないなら、そこで恐竜の実際の姿を見てみたいわ」
どこか夢見る乙女のような顔になりながら、彼女は問いに答える。
プライベートでユンに見せる顔とはまた違うその顔に、チクリ、ユンは嫉妬のようなものを感じながら、恐竜はヒトミに触れられない、と自分に言い聞かせて何とか堪えていた。
こうやって自分には見えないものを語ることが出来るヒトミの言葉やその瞳に惹かれてしまったのだから、それはもう、自業自得と言っていいものだろう。
「ああ、ほんとはカラフルだったんじゃないか、羽毛が生えていたんじゃないかって言われてるもんね」
「ええ、だから本当はどうだったのか、確かめられたら楽しいと思うわ。
あ、でもそれ以上に見てみたいのが……」
そこまで言って、ヒトミは一度言葉を切った。
はにかみ、ためらうようなその仕草は何とも愛らしいものだが、同時に焦れったくもある。
思わず続く言葉を急かしそうになったところで、ヒトミが再び口を開いた。
「誰かがね、歌っているところを見てみたいなって」
「歌ってるところ? でも、音声は聞こえないじゃん」
「うん、そうなんだけどね。それでも、画像解析したらどんなリズムで何を発声しているかはわかるじゃない。音程はわからないけれど……それでも、失われた歌を追いかけるには、大きな材料になるわ」
「失われた歌? え、大体の歌って楽譜が残ってない?」
ヒトミの言葉に、ユンは怪訝な顔で首を傾げる。
彼女の認識している歌、とはそういうものだ。それこそ1900年代の歌だって、それなりに楽譜が残っているというのに。
だが、ヒトミは微笑みながら首を振る。
「残っていないような昔に、民間で歌われていた歌を知りたいのよ。
『遊びをせんとや生まれけむ』……なんて、『梁塵秘抄』っていう日本の古い本に残っている歌があるのだけど、節回しだとかは全然伝わってないのよ。民間で歌われていた、なんてことのない歌だったから。
でも、だからこそ、当時の人がどんな気持ちで、どんなメロディで歌っていたのか、知りたいなって」
愛しげに画像を見つめるヒトミの横顔を見て、ユンは小さくため息を吐く。
こうしてスイッチの入ったヒトミは、もうまっしぐらだ。
そして、そんなヒトミが好きだからこそ止められないし、こうして傍にいたりする。
自分も大概だな、と思いながらも、コンソールへと正対し、背筋を伸ばす。
「やれやれ、仕方ない相方だなぁ。だったらあたしも、できるだけ調整してはっきりと口元が見えるようにするしかないじゃん」
「ふふ、さすがね、ありがとう、ユン。
きっとユンならそうしてくれるだろうと思って、口元さえわかれば、何を話しているか自動的に音声変換するソフトも作ったのよ」
「いつのまにそんなの作ったの!? っていうか割ととんでもないよね、それ!?」
「ただね、流石に音階までは完全じゃないのよ。大体こんな感じ、ってAIが補正してくれるようにはしてるのだけど」
「どんだけ情熱かけてんの、ほんとにさ」
呆れたように言いながら、ユンは調整作業中の画面へと目をやる。
その先では、名も知らぬ人が、確かに話していた。
とっくの昔に亡くなった人の、そんなことを考えることも無く当たり前にそこに居る、在りし日の姿。
この人達は、しゃべっていた。笑っていた。歌っていた。
今、現在進行形で目の当たりにしているそれらは、全て過去形だ。
不意に、それらが切なくも愛しくなってしまった。
「まあ、ちょっと、あたしもわかんなくはない、かな」
そう言いながら、ユンは作業を続ける。
この、人類の黎明期をほんの僅かに垣間見える、黄昏の一幕を、少しでも鮮明に残すために。
先日、とある先生のツイートを拝見して思いついたものです。
私達が見ている光景は、実は過去のものかも知れない。
そんなところから着想を得ました。