狂戦士は血の涙を流す
「お芋~お芋だよ~。美味しい芋を今日も持ってきましたよ~」
農夫バルザークは、村へ自分の作った農作物を売りにきていた。
下手くそなメロディを刻んで、売り文句を唄う。その背後には、溢れんばかりに積まれた芋を荷車で運んでいた。
「音痴がきたぞー!」
「カラスの鳴き声みたいだー!」
バルザークの姿を見ると、道の脇で遊んでいた子供たちが集まってきた。
「バルザーク。今日も大きいね」
「メルちゃんもこの前より大きくなったね」
「遊んでー」
「売るのが終わったらね」
「今日もまずい芋売りにきたの?」
「失礼だな!」
子供たちは、バルザークをからかって楽しむ。
縦にも横に大きな彼が、腰の高さにも満たない子たちにそうされているのは、ある種、奇妙な光景だった。
バルザークも足を止めて子供たちに付き合っていると、
「……」
青い衣装を纏っている男が、前に現れた。
立派な唾広の帽子を被っている。よく見ればジャケットもシャツもズボンも靴も、着ているもの全てが精巧な造りをしていた。
じっと立っている男の存在に、バルザークは気づいた。
「あの? お客さんですか?」
「えー!? バルザークの芋買う人はじめて見たー!」
「……」
「余計なこと言うな」
子供たちを静かにさせようとするバルザーク。だが彼の慌てぶりを見ると、子供たちは面白がって逆に騒ぎはじめた。
「バルザークが怒った怒った」
「全然怖くないよーだ」
「お願いだから静かにしてくれ。お客さんだって困ってるだろうに」
「そうだね。困っている」
「ほら?」
「往来のどまんなかに無駄にでかい貧民が突っ立っているのがね」
その一言で、場は沈黙した。
それまでの空気が死んだところで、男はバルザークへ続けて言った。
「戦場に立つ騎士でもない農奴が、どうしてそんなに体が大きい必要がある。無駄飯食らいでしかない」
「あはは……騎士様でしたか?」
「ボルダミア戦争の英雄――百人切りのガルシア・スチュワード様を知らんとは。とんだ田舎者だな。いや実際にここは田舎だから、それでも仕方あるまいか」
「村を馬鹿にすんな。このへっぽこ――」
子供がなにかを言おうとしたところで、途中まで苦笑いを浮かべていたバルザークが口を塞いだ。
バルザーク自身は、小柄なガルシアに見下されるくらい頭を深く下げる。
「ガルシア様。これはとんだご無礼を。すぐにどくんで、先へお通りください」
「待て。その前に、まずおまえの売っているものを買いたい」
「えっ?」
「長旅で腹がへっていてな。この後に食事の予定があるが、それまでに腹を鳴らないくらいのものがほしい」
「わ、分かりました」
注文されたバルザークは、懐から袋を取り出した。
「なんだね? これは」
「ふかした芋です。ぼくの弁当として持ってきたんですけど、お客さんはすぐに召し上がりたいようなんでそれを差し上げます」
「ふむ……」
受け取ったガルシアは、その場で齧りついた。
ムシャムシャ
「ど、どうですか?」
緊張した状態でガルシアの感想を待つバルザークと子供たち。
ガルシアは、芋を口に含めたまま答えた。
「たしかに――まずいな」
そして地面に吐き捨てた。残っていた芋も袋ごと落とすと、踏み潰す。
呆然とするバルザークの脇を、ガルシアはそのまま通っていく。
「作物さえまともに作れん農奴とは……生きる価値無しだな」
「おまえ!」
子供のひとりが、叫びながら回り込んだ。
「ラディスやめなさい!」
「子供風情が、なんの用だ?」
「バルザークに謝れ! 芋を捨てたこと謝れよ!」
「……きみたちも、私と同意見だったではないか?」
「そうだけど……でも、ご飯を捨てるのは駄目なことだってお母さんも言っていたぞ!」
「なるほど。たしかに倫理観としては問題ある行為だ」
「わ、分かってくれたのか? ならバルザークに」
「だが私は、その価値観を作る側だ。そしてその立場に逆らうことは、決して許されない」
ガルシアは、腰元のサーベルに手を添えた。
斬られる。
世間を知らない子供で、これからどんなことをされるか予測がついた。威勢がよかったはずが、刃の光を目に映した途端、怖気づいてしまう。
ガチガチと歯が震えだしたところで、ガルシアは柄を握った。
「許してやってください」
サーベルが抜かれる前に、ガルシアの腕が大きな手に掴まれた。
手の持ち主は、バルザークだった。
「貴様、なんのつもりだ?」
「どうか、この子を傷つけないでください」
「ほう。どうやらこの私に歯向かうつも――」
バルザークは両肘と両手を同時に地面へつけた。
額も土で汚しながら、口を開く。
「悪いのは、全てぼくです。ぼくがあなたを邪魔して、ぼくが作ったものの出来が悪くてあなたに不愉快な思いをさせてしまった」
「……」
「申し訳ありませんでした。ぼくがいくら傷つけられても仕方ありません」
「……腑抜けが。誇りはないのか?」
バルザークはなにも答えることなく、ガルシアへ跪き続けた。
やがてガルシアは、足を動かす。
「どうやら奴隷というのは、人の心にまで首輪を嵌められてしまうようだな」
最後にそう言い捨てて、バルザークの前から立ち去っていた。
姿が消えたのを確認すると、バルザークは立ち上がった。
「さて。また芋売るか」
「……なんだよそれ」
「ん? どうした?」
ガルシアの前に立ちはだかった子供だ。
彼はさっきまで恐怖で浮かべていた涙をぬぐうと、バルザークへ言った。
「なんでひとつも悔しそうじゃないんだよ!」
「……」
「なんであそこまでされて拳を出さないんだよ! あいつが偉いから尻尾を振ったのか!?」
「……」
「そんな情けないやつだと思わなかったよ。いつもいつも駄目だしされてるのに、それでも諦めずにまずい芋作って持ってくるあんたが好きだったのに」
「それとこれとは関係ないだろ?」
「もういい! バルザークのことなんか知らない! 大嫌いだ!」
子供は、バルザークから走って離れていった。
他の子供たちも同じようなことを思っていたらしく、バルザークへ軽蔑の眼差しを送りながら先にどこかへ行ってしまった彼についていった。
ひとりになったバルザーク。
周囲にいた大人の住人たちは、気まずそうに顔を反らした。
「お芋~お芋だよ~。美味しい芋がいっぱいあるよ~食べればグーグー鳴くお腹が幸せそうに眠るよ~」
それでもバルザークは、笑顔で芋を売ることを再開させた。
領主の館までやってきたバルザーク。
「ずいぶん高そうな馬車だな」
正面に止まっているのは、なんと白馬に引かせる馬車。荷台のほうも豪華な細工で、どうやら相当高い身分の人物が客として来ているようだった。
こりゃ芋を売るのは、今日は無理そうかな。
余った大量の芋を見つめる。最後の頼りだったのだが、どうやら駄目だったようだ。これからまたしばらく芋を食うだけの生活になることに、少しうんざりするバルザークだった。
「たまには肉とか食いたかったな……」
芋がいっぱい売れて、魚や肉や他の野菜と芋を入れたシチューを作ることを夢見る。
仕方ないので、バルザークは今日の売買を切り上げることにした。
しかし、それでも彼は館の前から去らなかった。
荷車ごと裏に回ると、壁をよじ登る。重そうな体にも関わらず軽々と上まで到達すると、庭に着地した。
閉まっている窓のひとつを、ノックする。
「合言葉。オオカミ」
内側から声が聞こえてきたので、バルザークは答える。
「ウサギさん」
「食べちゃうよ」
「きゃー怖い」
「バルザークだ!」
カーテンごと勢いよく開かれると、顔を見せた少女がバルザークの顔を抱きしめた。
体の半分が、バルザークの顔面で埋まる。
バルザークが大きいのもあるが、少女もまた小さな身体をしていた。
「今日は遅かったねーどうしたの?」
「……実は騎士様に出会って、芋を買ってくれたんだ」
「うそーバルザークの芋が売れたの! やったーばんざーい!」
満面の笑みで喜んでくれる少女。
嘘ではないが、事実を全て言ったわけでもないバルザークは苦笑いだった、
「じゃあ今日は記念に二個買っちゃう」
「いいのかレニー?」
「いいのいいの。自分のお小遣いからだし、パパにもママにも迷惑かけるわけじゃないからね」
レニーは芋農家のバルザークにとって唯一の常連客だった。
芋を渡すと、まるで犬か猫でもかわいがるように掌に包む。
「うふふふ。今日と明日のお夕飯が楽しみだな♪」
「ありがとう」
「それにしても、なんでバルザークのお芋売れないんだろうね? こんなにおいしいのに」
「レニーには悪いが、どうやらその芋はあまり上等じゃない部類らしい」
「あはは。バルザークもわたしも味音痴だもんね」
少女は窓から顔を出して、バルザークは座って会話する。
まだ日が沈んでないため、暖かい陽気に庭は包まれていた。
「ねえバルザーク。村の様子はどうなの?」
「変わらないよ。生活は細々としているけど、ゆっくりでボケーっとしていて」
「ほんとだ。全然変わってないね。リュンちゃん元気?」
「相変わらずのお転婆だよ」
「眼鏡のジョンくん」
「クールなままさ。あーでも最近、都の学校に入学するための一次試験を受かったらしい」
「いいことじゃん。代わりに、おめでとうって言っておいて……それじゃラディスは?」
ラディスは、さっきバルザークのことを嫌いと言って別れた少年だった。
彼の悲しそうな顔を思い出しながら、バルザークは答えた。
「ほんと、いいやつだよ」
「へー」
「この前、ちょっと嫌なことがあったんだけど、ぼくの代わりに泣いたり怒ったりしてくれた」
「でもバルザークがそうしなかったのは、事情があったんじゃないの?」
「あったよ。それでも、あいつがいいやつなことには変わりないさ」
だからこそ、あの別れには傷ついてしまった。なんとか謝りたいと思うが、今するにはどうしようもなかった。
バルザークが落ちこんでいると、
「そっかーがまんしたんだねー。えらいえらい」
レニーが頭をなでてくれた。
腕を伸ばして、優しく髪に触れる。
「やっぱり遅れたのってなんかあったんだねー」
「気づかれたか」
「いいよ。言いたくないならそれ以上言わないで。いっぱい我慢したんだから、これ以上は我慢する必要ないよ」
くすぐったい感触を受け、バルザークの脳裏に浮かぶ映像。
あの日も、確かこいつにこういう風にしてもらったんだっけ。
三年前のことを、彼は懐かしんだ。
「ねー。バルザーク元気出たんなら、あれやってあれ」
「しょうがないな」
バルザークは芋のひとつを手に取ると、潰れない程度に優しく握る。
ニョキニョキニョキ
するとなぜか芋から急に根が伸びて、花を咲かせた。
「うわーやっぱりすごーい」
感動するレニー。
少しはお礼になったな、とバルザークも口元をほころばせた。
コンコン
「あっ、誰かきた。バルザーク隠れて」
ノックのあと、すぐにドアは開かれた。
「お嬢さま。あなたに会いたいというお客さまです……おやっ、窓を開けてどうなさったんです?」
「風に当たってたの。ほら、今日は暖かいでしょう?」
「そうですか」
納得したのか、執事は部屋に客人を案内する。
入ってきたのは、恰幅のいい少年だった。
小柄のわりに、妙に縦にも横にも厚い。まるで、最近、都で流行り出した風船のようだ。
少年は自信に満ち溢れた表情で、レニーへ挨拶をする。
「ごきげんよう。あなたがレニーさんか、なるほど噂通りの可憐さ」
「こちらこそごきげんよう。あの申し訳ありませんが、よろしければお名前を教えてもらってもよろしいでしょうか」
「ほう。俺様の名前を知らないと?」
「すみません。わたし、生まれつき足が弱いものでまだパーティーなどには行ったことなくて」
「……しょせんは田舎貴族か」
ボソッ、と小声で呟く少年。
他の誰にも聞こえなかったが、バルザークの耳には届いていた。
心配になって部屋の中の様子を伺うと、少年は荒んだ顔つきをパッと気持ちのいい笑顔に切り替える。
「これは失礼な真似を。レディー。そうですね名乗るならば男のほうからだ。俺様は、イド三世。これからはどうかお見知りおきを」
「イドって、まさか王族?」
「そうですお嬢さま。この方は王家の人間で、現在の第四王子です」
「王子といっても、王を継ぐわけでもない気楽な立場だがな」
「それは失礼なことをしてしまいました。申し訳ありません」
「いえいえ。本来、あなたに会う予定はなく、俺様から急に言い出したことなのだから仕方ありません」
心から謝罪するように深く頭を下げるレニー。
それを見たイドは言葉では取り繕っているものの邪悪な笑みを浮かべていた。
プライドの高い王族だな、とバルザークは品定めした。
それからしばらく、部屋で会話がなされる。
イドが調子よく自分や家のことについて自慢話するのを、レニーは愛想笑いをしながら流していた。
「いやー今日は楽しく話せたよ」
「わたしもです」
「レニーさん。今度、城にきたどうだい? 俺様直々に案内するよ」
「王子様からのご招待。嬉しいですが、わたしはこの通り足が弱いもので王子様に迷惑をかけてしまいますので丁重にお断りさせていただきます」
「そうかい。それは残念だ」
本気で落ち込むイド。どうやらレニーのことがよほど気に入ったようだった。
最後にイドはまた会いにくると言い残して、部屋から立ち去る。
執事も見送りのためについていく。
部屋にひとりっきりになったところで、レニーは大きな溜息を吐いた。
「バルザ~ク~まだいる~?」
「いますとも?」
「貴族っぽい交流疲れたよ~わたしも普通に生まれたかった~」
「贅沢な文句だ」
「あの王子様も悪い人じゃないんだけど、どうも苦手で。見た目はわりと好みなんだけどな」
「へーああいうのがタイプなのか?」
「うん。バルザークみたいで」
馬鹿にしているのか、それとも本心から褒めているのか。
どう受け取っていいか分からないバルザークは苦笑いで返すことにした。
ガチャッ
油断していると、勢いよく扉が開いた。
「げっ。執事」
「やはりいたなバルザーク! いつもいつも旦那様の許可も得ずにお嬢さまに近づきおって!」
「あはは。バレちゃってたか」
「二度と近づけんようにかつて旦那様と一緒に戦争に馳せ参じ、八人を倒したこの銃剣術でケチョケチョンにしてくれるわ!」
どこから出したのかライフルをいきなり構えると、突進してきた。
「やばっ。また今度なレニー」
「うん。またね」
「逃げるな若造! まてーい!」
バルザークは窓から離れると、ひとっ飛びで壁を越えていった。
追ってくる執事のガミガミとした文句を聞きながら、芋を積んだ荷車を引っ張って逃走する。
ここまでが、少し変わったことがあるけれどバルザークの日常だった。
村はずれで芋作りに励み、芋を売りにくると村の子供たちにからかわれ、最後にひっそりとレニーに会いにくる。
バルザークはこの生活がずっと続けばいいなと思っていた。
騎士や王子と出会ってから、半年が経過した。
「お芋~お芋だよ~。美味しい芋を今日も持ってきましたよ~」
収穫を終えたバルザークは、再び芋を売りにきた。
「おおバルザーク。今日も元気にやってるね」
「トンファさん。どうもお久しぶりです。芋、買いませんか?」
「嫌だよ。あんた個人のことは好きだが、芋はまずいもの」
「がっくり」
見るからに落ちこむバルザーク。
食べる前にこの反応。もはや逆にブランド化していた。
ぎゅるる~
トンファさんの腹の虫が鳴った。
「おっと。そういや嫁と喧嘩したせいで昨晩からなにも食べてなかったな」
「あっ。ならこれをぜひ。ふかし芋にバターを塗っておいたものです」
「……仕事前にこの空きっ腹もまずいか。分かった買おう」
「ありがとうございます」
バルザークは、調理済みの芋を渡した。
トンファさんは怪訝な顔つきで芋に食いつく。
「……」
「ど、どうですか」
「うぐっ」
「か、顔が青ざめて。今回のは自信作でしたけど、そんなにまずかったんですか!? ボクに芋作りとしての才能はやっぱりないんだ!」
「……うっ……うまい」
廃業まで考えていたバルザークの前で、トンファさんは驚きながらそう言った。
無我夢中で芋を口に含めていく。
「腹がへっているんからこんなにうまいんだろうが、でもそれを差し引いてもマズくはない。食える。普通に食えてしまう」
「よ、よかった……いや、いいのか?」
「おいみんな! バルザークの芋がうまいぞ! あのバルザークが作った芋がうまいんだ!」
「嘘でしょ?」
「信じられないけど本当なんだ。分けてやるから、おまえも食べてみろ」
「あらほんと。まずくはないわ」
「バルザークの芋がまずくないだって!?」
それを聞くと、村中から人が集まってくる。
試食でバルザークの分までふかし芋がなくなっていく。
「うわ。まずくない」
「どうしてこんなに美味しくなったの?」
「たぶん土です。ボクの畑って作ったばかりでこの前まで、土の熟成が足りてなかったんです。だから味が貧相だったんですよ。でもここに芋を作って三年、ようやく土がこなれてきたんです」
「あんた、水も海水の区別もつかないほどの味音痴じゃ」
「味は分かりませんけど、ずっと勉強は続けてましたから。芋を美味しくするために知識を仕入れて、ずっと試してきました」
「記念だ。三〇個くれ」
「うちは五〇個よ」
「バルザークの努力がついに実を結んだんだ。一〇〇個買うぜ」
「あたちも買う」
村人全員が、芋を買いにきてくれた。
その誰もが、うまくもなければまずくもない味を気に入ったわけではない。バルザークの素朴な人柄に惚れ、彼を労うためにやることも放り出して会いにきた。
購入されるたびに祝いの言葉をかけられることに、バルザークは透明の涙で目を潤ませる。
「みんな……ありがとう……」
「次はもっとうまいの頼むぜバルザーク」
集まってきた中で、最後の人物が去る。
独りになったバルザーク。彼の隣にある荷台は、空になっていた。
今日もバルザークは領主の館にやってきた。
レニー用に一個だけ芋をとっておいた。売れたって言ったら、あいつも喜んでくれるだろうな。
芋を育てるように言ったレニーへやっと恩返しできることにウキウキする。
「懐かしいな。もう三年も前になるのか」
昔、飢えてこの村周辺をさまよい続けたバルザーク。
金もなし頼れる人間もなしの彼は盗みでも働こうかと屋敷の裏から忍びこんだが、そこで力尽きてしまった。
ここで死ぬのか……思い出もなにもない空っぽな人生だったな……
諦めて目を閉じるバルザークだったが、草を踏む音が近づいてきた。
瞼を上下にすると、今よりももっと小さいレニーの姿があった。
『戦士さん。そこでなにしているの?』
『屋敷の人間か。侵入者を排除しにきたのか』
『?』
『こんな子供に殺されて終わりとはね……いや、末路には相応しいか……』
『よく分からないけど、お腹鳴ったってことはハラペコなのね。いいわ。わたしのおやつだけどあげる。体にいいんだって』
手も動かせないでいると、むりやり口に詰められる。味は分からなかったが、腹に詰めると生き返っていく気分だった。
『これはなんだ?』
『お芋だって。身体にいいらしいから、お父様がわたしのために行商から買ってくれたの』
『ふーん』
『もしかして気に入ったの? なら育てない? あとひとつだけ余っているのだけど、それを切って植えればいいんだって』
『いや。ぼくはなにもまだ』
『今日あげた分は返してもらうねー』
それを機に芋を育てるようになったバルザーク。
最初は収穫量も今よりかなり少なかった。ちなみにレニーに最初に持っていった時は、本当に育てたの!? と驚かれた。
畑作りは一からの勉強で、芋なんて村にノウハウを持つ人は誰もいなくて大変だった。
でもこうして頑張り続けたことで、苦労が報われた。
バルザークはさっきの村での光景を思い出して満足感に浸りながら、いつも通り屋敷の裏に回る。
この前と同じ馬車が門前に停まっているのが、少しだけ気になった。
「あれ?」
「……」
いつもは誰もいないのに、今日に限っては先客がいた。
ラディスだ。
そういえば村では出会わなかった。
少年は、バルザークを見ると自分から声をかけてきた。
「ひ、久しぶり」
「久しぶり」
「……あのさ。この前はごめんな」
「えっ?」
「騎士のおっちゃんになにもせずに頭下げたこと。あれ本当は、おれのためにやってくれたのに、自分の悔しさをバルザークにぶつけて」
「ぼくこそありがとう。ぼくのために怒ってくれて嬉しかったよ」
バルザークが礼を伝えると、困った表情だったラディスは明るくなった。
「じゃあ仲直りしてくれるのか?」
「うん。ぼくたち、いつも友達さ」
「だよな! よしだったら誓いの印にゆびきりな」
ゆびきりげんまん~と小指を繋げながらバルザークはラディスに合わせて歌う。
最後に指を離そうとしたところで、
「なんですって!?」
執事の大声が屋敷から響いてきた。
「れ、レニーの家からか。どうしたのかな?」
「ラディス。仲直りはまた今度だ」
「あっ、おれも行くから待って」
バルザークは軽やかに壁を越えると、声の聞こえてきたレニーの部屋の窓に近寄った。
カーテンは閉じられていなかったので、ガラスの下のほうからこっそり覗く。
中にいたのは、レニーと執事。
そして第四王子のイドと、
「王子の前だぞ。静かにしたまえ」
騎士のガルシアだった。
ガルシアの仕事はどうやらイドの護衛のようだ。だからあの日も、村に来ていたのだ。
指摘を受けても、執事は声を荒げる。
「あ、あんなことを聞かされて黙ってなんていられるか。王子、さっきの話は冗談かなにかですよね」
「本当さ」
「なっ!」
「明日、軍隊を連れてきてこの村を滅ぼす」
イドは平然ととんでもないことを言いのけた。
「なに言って」
「しっ」
執事と同じく声をあげて驚こうとしたラディスを黙らせる。
実際、気持ちは分かる。
おれとレニーは沈黙しているが、それは冷静になっているというわけじゃなく動揺で声が出なくなっているだけだ。
「真実だとしても、いきなりなぜそんなことを!?」
「実はそろそろ北の隣国と戦争をすることになったんだ。ここを、そのための拠点にしようかと思って」
「戦争ですって!」
「そうさ。王様同士で密かに決められたことで、国内への発表はまだ先だ」
「戦争……そんな……」
青ざめるレニー。
傷つけられることも、人を傷つけることも嫌いな彼女にとってその報せはショックだった。
レニーに反して、イドはニタニタとニヤけている。
閉口した主に代わって、執事は問答を再開させる。
「戦争をすることは分かりました。ですが、拠点にこの村を使うのなら特に滅ぼす必要はないでしょう?」
「へえ。じゃあおまえたちは、素直に言えばどいてくれるのか?」
「……」
「まあ無理なことだろう。だってそうするために他の村や町に移住しなきゃいけないけど、そんな余裕があるところこの付近にはない」
「王からその分を補填してくれれば」
「ダメダメ。ただでさえ戦争で資源を使うんだから、そんな村ひとつ救うごときのことに無駄遣いなんてできないよ。ちなみに共存も無理。戦うのに邪魔なのだよおまえたちは。守るなんて不要な行動させられるぐらいなら、最初からいないことにしておけばいい」
「ちなみに王から許可は?」
「出ていない。提案した時はパパからも怒られたが、実際にやってしまえば結果的には国のためになるから誉めてくれるはずだ」
あまりにも愚かしい行動の理由は、イドの独断だったようだ。
執事の視線はガルシアのほうへ向けられる。
「騎士殿。なぜ止めない?」
「王家に逆らうものは全て逆賊だ」
「忠言さえできぬのか都の騎士は」
「田舎貴族の執事程度が、私に物申すか」
「立場は、正しさとは別物だ!」
従者同士で言葉をぶつけ合っていると、イドはレニーへ声をかけた。
「ところで、レニーさん。俺様から提案があるのだが?」
「な、なに?」
「俺様の嫁にならないか」
「――」
「以前の邂逅から、レニーさんのことが頭から離れなくてな。しばらく会わないことで、俺様はやっとこれが恋だと気づいた。なに心配はいらない。立場は第二夫人だが、パパとママから勝手に決められただけの正妻よりも愛してやろう」
「お嫁さんになったら、村は助かりますか?」
「ならんよ。領主もその周辺も含めて皆殺しだ。だが俺様の妻のあなただけは助かる」
最後に縋りついた希望でさえ、簡単にあしらわれてしまった。
それで言いたいことを言ったとばかりに、イドは満足した顔つきで部屋の出口へ足を動かし始める。
「まあ、人生の墓場というだけにさすがにすぐには答えは出ないだろう。だが俺様はしっかり女性を待てる男だ。村を襲ったあとにレニーさんだけは生かすよう指示しておくので、その時に答えを聞くことにするよ。」
「待ってください。王子」
「……本当に逆賊になる気か貴様」
「旦那様たちの命が奪われるくらいなら、自分の命ひとつなぞ安い……王子、まだ公言されてないのなら吐いた唾も呑めます。ですからどうか、今の内に撤回してくださいませ」
でなければ、ここで王子には死んでもらいます。
執事はライフルの銃口をイドへ向けていた。
引き金にかかっている指が震えている。
決して脅しではなかった。
殺意を見抜いたガルシアからも教えられたうえで、王子はベロリと舌を出した。
「や~だよ~」
火薬が破裂し、高速で散弾が射出された。
少し外そうが、この距離なら身体が蜂の巣になる威力だった。
執事の目が見開く。
「なんだ……これは……」
銃口から分散して放たれたはずの複数の鉄球が、宙に止まって浮いていた。
突然の現象に執事が戸惑っていると、イドが高笑いする。
「魔法だ。まっ、ろくに戦争に参加しない辺境の人物じゃ知りもしないか」
「魔法だと? そんなものあるわけが」
「それがあったのだよ。本物の魔女が見つかったことで研究され、今では兵器として利用されている。そしてガルシアはその研究の頂点として生み出された存在である魔女の子だ」
「……」
ガルシアはなにも答えないまま、掌をグーにする。
すると散弾が一か所に集まって砕けた。
「戦争が楽しみだなガルシア」
「はい」
「俺様のこれが手柄として認められ、あの偉そうな兄上たちを見返せると思うと心がスッとする」
魔法を前にして唖然とする執事の前を、イドたちは通り過ぎていった。
「どうすればいいのかな……」
惨劇を前もって知ってしまったふたりは絶望する。
抵抗しようにも、さっきの圧倒的な力を目にしてはそんな気力を奪われてしまった。あの魔法の使用者が軍勢として来ることを想像すると、それはまさしく悪夢のような光景だった。
執事からかすれ声のようなものがあがる。
「お嬢様は、結婚なさらないのですか?」
「やだ。あの人自体嫌いだけど、それより村のみんなも家族も見捨てられないもの」
「お嬢様は、本当にお優しい」
執事はレニーの答えを聞くと、微笑みだす。
「お嬢様。わたくしめにいい発想が閃きました」
「ほんと?」
「はい。ですがまだ、お嬢様には秘密にさせてもらいます。お話しするのは。旦那様に相談してからで」
「そっかー。でも問題ないならよかった」
「はい。なのでお嬢様は、今日のところはバルザークと遊んでいてください。そろそろ来る時間でしょう」
「えっ? いいの? いつもは怒ってるのに」
「元々、旦那様の許可をとってないこと以外は特に問題なかったですからね……それに、あいつはいいやつですから」
今まで黙っていた本音を明かした執事だった。
それを背で聞いたバルザークは、今はラディスと会話していた。
「おい。さっきの話、本当かよ?」
「冗談ではないだろうな」
「マジかよ。なんでいきなりこんなことするんだよ。おれたちがなにかしたかよ。普通に生きてただけじゃないか」
「そうだな」
「こうなったら母ちゃんやみんなに行ってくる。逃げるならさっさとしたほうがいい」
「いや。やめたほうがいい。明日、攻め入る時点で王子たちは近くに滞在しているだろう。下手に逃走するようなら、後ろから追撃戦を仕掛けられるだけだ」
「クソ。じゃあどうすればいいんだよ」
「……」
故郷の滅亡を前にして、悩むラディス。
少年の傍らで、バルザークは離れていく馬車の音をずっと耳に捉えていた。
コケッコッコー
日の出を見上げたニワトリの鳴き声が村中に響いた。
それは、いつもの平凡だが穏やかな村の毎日の訪れを予感させる。
村から一キロほど離れた位置で、軍隊は待機していた。
「それでは出陣する! 禍根を残さぬよう誰ひとりとして逃すな!」
指揮を任されたガルシアの命令に反応して、兵士たちは動き出す。
三〇〇近くの武器。
人数に至っては村人の倍以上で、さらには誰しもが訓練によって一定以上の練度を誇っていた。
村にとってはまさしく絶望が押し寄せてきているという状況。
そんな中で、侵攻の途中に立ちはだかった人間がいた。
「ここは通さーん!」
「おまえたちはおれが倒す!」
執事とラディスがそれぞれライフルとパチンコ片手に声を高らかにあげた。
「なぜおまえがここにいるー!?」
ラディスを見ると、仰天する執事。
少年は胸を張って答えた。
「おれも戦いにきたんだ。爺さんひとりじゃ、さすがに荷が重いだろ」
「駄目だ。子供はみんなのところへいなさい」
「なら年寄りだって、介護されてろ」
「わたくしはまだ七〇だ! 腰も折れておらん!」
「おれだって次の誕生日でもう一〇歳だ!」
「……子供と老人が、こんなところでなにをしている?」
後方の馬車から、少年と執事を覗くイド。
兵士のひとりが近づいてきて、耳打ちする。
「王子。村に忍びこませた間者によりますと、村人たちはしばらく前に村を離れて逃走したそうです」
「なに? 昨日まではなにもなかったのに情報伝達が早すぎる。どういうことだ貴様ら!」
「あははは。慌ててるよあいつ」
「あははは。度肝を抜いてやったわい」
騒ぐイドに気づくと、さっきまで喧嘩していたふたりが仲良く笑い合う。
「都会には都会のマナーがあるように、田舎には田舎の風習とやらがありましてな。緊急事態の時は、あらかじめ教会の鐘を決めていた回数分鳴らすのです」
「たったそれだけの情報を、暴動ひとつ起こさずに足並み揃えてみんな信じたのか!?」
「それが村の結びつきというものです」
「ちっ。余計なことを」
悔しがるイド。
しかし舌打ちをしたあとは、いつもの澄ました顔色に戻った。
「まあいい。どうせそこまでは遠くまでは逃げておるまい。さっさと追うぞ。そこの邪魔なガキとジジイは殺せ」
少し意表を突いた程度で、大局に変化はなかった。
執事もラディスもそれを分かっているため、内心ではずっと緊張の糸を張っていた。
「小僧。そろそろ本気で逃げろ。ここは残りの命もわずかな老人が食い止める」
「爺さんひとりに命張らせるかよ。老人には優しくしろって親父も母ちゃんも言ってたぜ」
突撃の声を機に、兵士の大群が武器を持って突っこんできた。
ふたりとも己の大事な人を守るために、覚悟を決めて足を踏んばらせる。
勇敢な男たちは、今、故郷を守るために敵を討とうとする。
「おっとそこまで」
「この声は――」
ラディスも執事も、急に人形の糸が切れたかのように倒れた。
ふたりを丸々と呑みこむ大きな影。
「おまえは」
「半年ぶりですね。騎士さん」
「やはり。あの時の芋農家か」
いつものように荷車を引っ張っているバルザークが太陽を背に現れた。
「ジジイにガキに農奴か。次々とおかしなのが来よって」
「でも、今はたったひとりです」
「そうだな。ジジイとガキよりはマシだろうが、少々体が大きい程度ではたかが農奴ごときではなにも変わらん」
「……貴様も邪魔をしにきたのか?」
「その通り。だけど、このふたりは邪魔だから眠らせてもらった」
嘲笑するイドの前で、バルザークとガルシアが会話をしていた。
少年と執事を自分の後方に置いたバルザークは荷台へ駆け寄る。
「芋でも投げつける気か?」
「まさか……だって芋は食べるものだろ」
荷台の前に立ったバルザークは――ハンドルへ足を踏み下ろした。
テコの原理で荷台に積まれていたものが宙に舞う。
重いものらしく、大きな風切り音が聞こえてくる。なにごとかと呆気にとられていた兵士たちが、途端に耳を抑えた。
「な、なんだこの不快な音は!?」
「山羊の断末魔のようだ!」
異様な音をたてながら落下してくる黒い影は、蹴り上げた主であるバルザークへ天罰を与えるようにぶつかった。
地面が陥没し、砂煙が一帯を覆いつくす。
――茶色の幕があがった先には漆黒の悪魔がいた。
「ひぃいいい! 化け物だ!」
「あの男が自分の命を生贄に、死神を召喚したんだ!」
「なにを言っている? ただの鎧だ」
「……ああ。本当だ」
捻じ曲がった角に、四肢の先の巨大な爪。
いきなり視界に登場した異様な風体に怯える兵士たちだったが、ガルシアのひと言で平静を取り戻す。
そこにいたのはバルザークのままだ。
彼の巨体が鎧を纏ったことで、見るものにとって威圧感が増しただけだ。
すっかり落ち着いた兵士たちは、バルザークを見下す。
「いくら見た目が怖かろうが、結局はただの農家だ」
「日頃から鍛錬を欠かさず、実戦を潜り抜けたおれたちとは中身の格が違う」
「そうだ所詮はコケ脅しに過ぎない! 総員突撃! 今度こそ村人たちを追い詰めて皆殺しにしろ!」
「……」
「うぉおおおおお!」
かけ声とともに、前進を再開させる騎士たち。
今度はなにが起きても止まる様子はない。
邪魔者をどかすため、疾走の勢いそのままにバルザークへ刃を突きたて、さらには魔法部隊による火球を放つ。
剣。槌。斧。槍。矢。火。石。
ありとあらゆる攻撃が、バルザークへ一点集中で注がれた。
「死ね! 死ね! 死ね!」
「……もう気は済んだか?」
「!?」
焼かれながら、バルザークは平然とした声で呟いた。
パキィンパキィン
鎧を叩いていた剣や槍先がたちまちに折れて砕かされていく。
「ど、どうなって。この剣に使われていたのは最高の鋼鉄で」
「もう終わりか?」
「うわぁあああああ!」
自慢の武器が壊された兵士は、予備の装備で半狂乱になって飛びかかった。
ひとりだけじゃなく、複数人がほぼ同時に同じ様子で迫る。
「そうか。どうやら徹底的にやらないと駄目なようだな」
バルザークは振りかぶると、
「爪」
手先に取り付けられた五本の長剣で凪いだ。
刹那に人間がただの肉塊へと変貌を遂げていった。
「うぎゃぁああああ」
「いやぁああああああ」
死の竜巻が発生した。
バルザークが腕を回すたびに、兵士たちの鎧は生クリームのように切れてその下の肉体は刻まれていく。
一分もかからずに、バルザークの周辺の人間はいなくなった。
「盾構え! ファランクスだ!」
「はっ」
兵士の一部は頭さえも超える巨大で分厚い盾を構えた。
彼らの後方で魔法や弓矢が準備される。
時間を稼ぎつつ嬲り殺しにする算段だった。
「角」
バルザークは地面を蹴って移動する。
それは走るというより、もはや飛行だった。
重厚な鎧の重さを感じさせない軽快な足取りで瞬時に空間を詰めた。
停止することなく頭突きすると、螺旋を巻いた双槍が盾を貫いて後ろにいる六人を串刺しにした。
「ひっ――」
そして反応する間もなく、兵士の密集した場所で死の竜巻はまた発生した。
「なんなのだあの男は!?」
「……」
馬車から様子を見物していたイドが、戦慄していた。
「こんなはずではなかった。たったひとりの農奴にしてやられるなんて」
「王子。もしかしたら自分はあの男を知っているかもしれません」
「なにっ!?」
「黒の狂戦士。以前、そう呼ばれていた兵士が我が王国にいました。魔法を無効としながら武器としても優れた性能を誇る黒魔鉄。あまりの重さに実戦では扱えるものが誰ひとりとしていないのですが、その戦士はなんと鎧として着こなして戦場を駆けていたそうです」
「黒魔鉄の鎧だと! 今日連れてきた兵士全員でやっと運べるくらいの重量だそんなもの」
「信じられませんが、自分はかつてその鎧だけは目にしたことがありました。意匠もちょうどあのようなもので、誰が使いこなせるのだと思っていましたが」
バルザークが動くたび、兵士の命が落ちていく。
なのにどれだけバルザークへ攻撃しても、傷ひとつ鎧につかなかった。
血の雨が降る。
狂戦士の全身が赤く染まる。兜から血が垂れていく様は、まるで血の涙を流しているようだった。
「彼は盗賊が纏まって建立された小国を殲滅する任務を成功後、行方知れずとなりました。誰もが死んだと疑っていなかったのですが」
「そんな化け物相手にできるか!? あーでも結果もなしに帰っても、パパから怒られるだけだ」
「ですが王子。今ならまだ傷は浅いです。ここはどうかこらえて」
「……その必要はない」
「えっ?」
「ガルシア。なにかいい策があるのか?」
王子を護衛するために、指揮だけを出して後方に待機していたガルシア。
彼は馬の上から、バルザークを見つめる。
鎧が躍動するたびに、人外の結果を引き起こす狂戦士を双眸に捉える。
馬の尻を蹴り、ジャベリンを構えた。
「……」
周囲を死体で埋め尽くし、残った兵士の武器も折ったバルザーク。
三割は削った。
普通ならばもう撤退だ。このまま残ったところで、勝ち目が別にあるわけでもない。
決着がついたと確信した彼は、イドへ撤退をするよう告げようとした。
「フハハハハハハハハ」
ガギィン!
笑い声が横を通り過ぎると、それをかき消す強烈な金属音が鳴り響いた。
同時に初めて後退するバルザーク。
肩部に目をやると、鎧が凹んでいた。
振り返ると、そこには乗馬したガルシアがいる。これまで無表情を通していた彼は兜の下で頬が裂けそうなくらいの笑顔になっていた。
「フハハハハハハハハ! いい! いいぞ貴様! ただの農奴だと見下していた非礼を詫びよう! いや今まで隠し通していたことを逆に私へ謝れ!」
「なに言ってんだあんた」
「弱者しかいない戦場なぞつまらなかった! 雑魚が何人集まろうが所詮は雑魚! この力をはたしてどこへぶつければいいのか持て余していた! だが今日ここで、貴様という好敵手と出会えたことで私はようやく生まれながらにあった全ての力を使い果たせる!」
「撤退をするつもりはないのか?」
「誰がするものか! イド王子! 指揮官として私が全て責任を取りましょう! あなたはそこでふんぞり返っていてください! この悪魔の首は、必ずやこのガルシアがお持ち帰りしたします!」
「わ、分かった」
仲間であるイドでさえ、ガルシアの変化に困惑して押されてしまっていた。
だがこれでガルシアを倒せば、この戦場は終わることとなった。
バルザークはこれで最後のひとりだと、力を漲らせる。
ガルシアは魔法でへし折れたジャベリンを修復すると、再突撃を行った。
「うわぁあああ逃げろ! 巻きこまれるぞ!」
「あんた! 仲間まで!」
「やつらを仲間だと思ったことなぞ一度もない! 死にたくなければ邪魔するな!」
ガルシアとバルザークの戦闘は災害のようなものだった。
いくら人間が逃げようとしても抵抗しようとしても、構わず潰されていく。
兵士たちにできることは、ただ祈るのみだった。
「こっちに来ないで……こっちに来ないで……」
「どけ!」
「くっ」
移動の途中で障害物となっていた兵士をジャベリンで切ろうとした。
すかさず跳んで、バルザークは自分の体を盾にして庇う。
「敵だぞ! なぜ助けた!?」
「もう戦意はない。戦いはどうしても起きてしまうものだが、ただの殺人は見逃せない」
「狂戦士を謳うわりに、ずいぶん甘いものだ。これで終わりにしてやる」
下で格好の的になっているバルザークを貫こうと、ガルシアはジェベリンを手元に戻そうとする。
グッグッ
だがいくら力を加えようが、根っこのはった木のように引き抜けなかった。
「まさか貴様」
「これで終わりだ」
グチャンッ!
バルザークは脇で捕まえていた完全にジャベリンを握り壊した。
ここまですれば、いくら魔法でも直せなかった。
「まだだ!」
動きの止まったバルザークを馬で踏み潰す。
魔法で強化されたことで脚力は普通の馬の数倍はあった。
「がはっ」
「もう一度――なんだと!?」
馬が倒れて、ガルシアは地面に落ちる。
よく見るとバルザークを踏んでいる右足がズタズタに割かれていた。踏まれる前に爪を刺したことで結果的には増幅した自分の脚力で自身の肉体へ深い傷を与えることになった。
いななく馬。最後の声を漏らすと、すぐにその命の灯は消える。
バルザークが立ち上がると、ガルシアが立ち上がった。
どちらも血を吸った泥に塗れていた。
「これほどまでとはな。想像以上だ」
「もうやめろ。あんたの武器は全部なくなった」
「ここにきてもあまいぞ狂戦士。いやある意味では、戦場に出ようがその価値観を保っているからこそ狂っているのかもな」
「……そう呼ばれていた頃は、ぼくもこうじゃなかった」
「……」
「あんたみたいに戦いを楽しんでいた。いや正確には違う。それしかなかった。世界にそれしかないと思っていたから、本当は違うのに自分を騙して狂ったフリをしていた」
戦いを通して、ガルシアへシンパシーを感じていたバルザーク。
目と目が合う。
「私は違う。私は自分の全力を引き出せたこの戦いほど楽しいと思ったものはなかった」
もうやめてくれと訴える目線を、ガルシアは自分から切った。
終わらせるには、どちらかの死しかない。
罪もない、そして自分がこよなく愛している村の住民たちを守るためにバルザークは鎧のバランスを合わせる。
ガルシアのほうは――白い光に包まれた。
地面から、似たようなものが彼へ集まってくる。
「死霊魔法か」
「これが私の本当の得意魔法だ」
ガルシアはサーベルを抜いた。死者たちの魂が魔力となって刃へ集まってくる。
パカラパカラ
骨だけで構成された八足の馬へガルシアは乗りこんだ。
「最後のひと踏ん張りだ。スレイプニル」
主人の声に応えるかのように、もう再び得た生をこの突進に費やす。
速い速い速い。
線ではなく点の動き。
空間跳躍のようにバルザークの視界で消失と出現を繰り返し、そして手前に達した。
反撃する暇さえ与えず、ガルシアは魔力の塊をぶつける。
ギギギ
直に刃を交じ合わせていると魔法の無効には、若干のラグが発生することは分かった。
ギギギギギ
ならば無効化されるまでに処理しきれないほどの大量の魔力をぶつければ――
ギギギギギギギ――カキン
最初に発生したのは目にも見えない微細な亀裂。
しかし瞬く間にそこから割れ目は広がっていき、最後には――
ガシャァアアアン!
悪魔のような黒い鎧は砕け散った。
「勝っ……た……」
史上初の黒魔鉄の破壊。
そんな偉業を成し遂げたはずなのに、ガルシアはどこか虚しさのようなものを感じていた。
こんなにも喜びのない勝利は初めてだ。
ガルシアは自分の手で殺した好敵手を見下ろす。
「――」
バルザークはまだ生きていた。
いやそれだけじゃない。今まで感知できなかったはずの大量の魔力量が彼から余波を漏らしていた。
まさかあの鎧は武器ではなく、この魔力を封じこめるもの?
握りしめた拳を振り上げる。
ガルシアはスレイプニルを無敵の盾へと変化させるが、バルザークの本気の拳はどちらも叩き潰した。
「ガルシア様がやられたぁああああ!」
「あの馬鹿め。おい、逃げるぞ」
去っていくイドと生き残っていた兵士たち。
戦場には立っているバルザークと地面に伏せているガルシアの姿だけになった。
「今、助ける」
「無理だ。戦った貴様自身がそれを一番よく分かっているだろう」
「……」
「最期に聞かせてくれ……兄弟……おまえは、どうやって狂うことから抜け出せた……魔女の子なんてものは、戦うことでしかその意味を見出せないのに……」
バルザークは、懐に残っていた芋を取り出した。
「それは……私がかつて馬鹿にした」
「こいつだよ。こいつが、ぼくの人生を変えてくれた」
「……よければ……食べされてくれないか?」
「生だぞ」
「魔法で焼けばいい……」
「あっ、そうか」
バルザークは魔法で炙った芋を、ガルシアの口に入れた。
かつて自分にそうしてくれた誰かのように。
「おいしく……なったな……あんな下手くそだったのに……」
「だろう。だからそれを食ったら一緒に」
「……」
息をしなくなったガルシア。
バルザークは周囲を見回す。そこには自分で起こした惨劇の跡が広がっていた。
「結局、ぼくにはこれしかできないのか」
俯いたバルザークは涙を流す。残っていた兜の半分に伝うと、温度で血が溶けて垂れていった。
「バルザーク!」
村のほうを見ると、レニーを先頭に村人たちが駆けつけてきた。
「な、なんでみんな。避難したんじゃ」
「おまえたちを置いていけるかよ」
「領主として住民は誰ひとりとして傷つけはさせない。かつて戦場で振るった剣さばき見せてやる。かかってこい王子一行。えいやーっ」
「お父さん。腰痛めてるんだからほどほどにね」
確かに自分はかつてのように戦った。
だがこうして村人たちの幸せを守れたことを想うと、バルザークはほんの少しだけ救われた気持ちになった。
よければ次回作のためにご感想ご意見お待ちしてます