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第一話

「おかえりなさい」


 夜の七時、自宅の扉が開いた音を聞き、透はパタパタとスリッパの音をさせて玄関で靴を脱ぐ男を出迎えた。


「あぁ、ただいま」


 出迎えられた男は、にこりともせず、むしろ透の行動が煩わしいというように眉間にシワを寄せる。

 透は歓迎されていないことを嫌でも理解しているが、どうしても年が二十二歳も離れたこの男に認めてもらわなければならなかった。自分が、彼の妻であることを。

 寺田透は今年で大学四期生になる二十二歳だ。まだ若い透が何故結婚することになったのか、それは一ヶ月前に遡る。



「お姉ちゃんがお見合い……?」


 元々縁談の話が来ていたのは、歳が六つ離れた姉だった。才色兼備で人柄も穏やかな姉の真由子を嫁にもらいたい家は多く、その中でも特に財力と権力を持つ常磐財閥の次男との見合いに両親は喜んだ。


「悪い話じゃないと思うの」

「融資の話も出ているし、それに常磐は大きな会社だ」


 寺田家も半世紀続く会社を経営して裕福ではあるが、会社をいくつも経営し、出資もしている由緒正しい常磐家には遠く及ばない。嫁に入れば苦労することはあるだろうが、それよりも安泰した未来が大事な娘に約束されているのだから、断る理由などどこにもない。


「どうだ? 真由子」

「……そんな……いやよ」


 二十八年間、親に刃向かったことなどなかった優しい姉の真由子が、初めて抵抗したのだ。理由は現在交際している恋人を愛していたから。何もかも両親の言う通りに生きてきた真由子の反抗に、両親は驚いたが相手は国をも動かす権力を持っていると噂される常磐家だ、断ることなど出来るはずもなく、真由子を説得したが、その首が縦に振られることはなかった。そして翌日、真由子の姿は寺田家から消えた。仕事を辞め、必要最低限の荷物をだけを持って、真由子は恋人と駆け落ちしてしまったのだ。


「お姉ちゃん……?」


 透はその時の朝をよく覚えている。一等日当たりのいい真由子の部屋が、夜に冷えた部屋を暖めるような朝の日差しに、清々しい空気が、開け放たれた窓から部屋に流れていた。

 今の時代に窓から逃げるとは時代錯誤だが、真由子なりに両親に申し訳ない気持ちを綴った一通の手紙がテーブルに残されていた。


「真由子が駆け落ちなんて……」


 涙を流す両親を慰める透は、明日に迫ったお見合いをどうするのか心配していた。見合い用の着物は仕立てられ、先方の予定も空けてもらっている。今更断ることなど出来る状態ではない上に、見合い相手が駆け落ちなど、常磐家にとっても汚点になるだろう。もちろん寺田家に報復が来ないとも限らない。


「……私が、行くのは駄目かな……?」


 家族を心配してポツリとこぼした呟きに、両親は透の言わんとしていることを察する。


「いいのか……?」

「でもアナタ、まだ大学生じゃない……」


 両親は心配しているが、その内心は安堵しているだろう、一応の面目は立つのだから。



 こうして真由子の代わりにお見合いすることになった透は、翌日名のある料亭を訪れていた。

 袖を通した山吹色の着物はひと目見ただけで高価なものと分かるほど美しく、帯留めや髪飾りまでも細工が凝らしてある。本来着るべき主人を失った着物を着る重圧は重く、透は体を締める上げる帯を擦った。

 料亭は格式高い店であり、用意された個室へ向かう途中に見えた庭には見事な紫陽花が咲いていた。池に掛かる赤い小さな橋は趣があり、透は見惚れてしまう。老舗ということもあり、新規店とは違い建物の傷みはあるものの、それがまた歴史ある風格に昇華されているうえに、店にはチリ一つ落ちていない徹底ぶりには感銘を受けざる負えない。


「ここですよ。常磐様はすぐに来られるそうですので、少々お待ち下さいね」


 深々と綺麗なお辞儀をして中居さんは去っていった。


「本当に大丈夫か?」


 心配そうな父親が透の顔色を伺うが、しかし透は精一杯の笑顔を浮かべる。


「大丈夫、もしかしたら私を見て常磐様から断られる可能性もあるんだし、そんなに心配しないで」


 元々は姉の真由子が相手の予定だったのだ、それが自分になれば相手も嫌だろうと算段していた。頭脳明晰で美しい顔立ち、そして穏やかな性格の真由子に比べれば、透は全てにおいて平均だった。可もなく不可もない頭脳に、特別美しい容姿でもない。真由子に比べれば性格は少し子供っぽいかもしれない。

 透は自分自身に魅力を感じない、それは言い過ぎなどではなく、この年齢になっても恋人が出来たことがなかった。周囲の印象は時に自己評価よりも残酷だ。しかし透はそれを悪いとは思っていない、真由子に比べられたらそれは当然だとすら思っていた。


「常磐様がいらっしゃいました」


 見合い相手が真由子ではない時点で、先方は断ってくるだろう。しかし寺田家の次女として悪印象をもたれないよう努めるため背筋を伸ばして相手を待った。


「申し訳ない、遅れてしまった」


 心地よいが色気の含んだテノールが和室に響き、声の主を見れば、ダークグレーのスリーピースに身を包んだ齢四十歳くらいの男性が入ってきた。


「これはこれは、常磐さん」

「本日はよろしくお願いいたします」


 染めているのか少し明るいブラウンの髪を整髪料で整えた美丈夫が透に視線を移すと、ドキリと胸が跳ねた。それはときめきなど甘いものではなく、冷たくまるで品定めするかのような厳しいもので、透はヒヤリとしたものを感じる。


「透……」


 上座に居た母親に名前を呼ばれ、ハッと我に返り慌てて会釈をした。


「は、はじめまして。寺田透と申します」

「はじめまして、私は常磐恭二と申します。随分お若く見えますが……、失礼ですがお歳は?」


 鋭さを増した視線が透に突き刺さり、恐る恐る口を開く。


「今年で二十二歳になります」

「確かお相手は二十八歳と聞いておりましたが?」


 場の空気が凍りつくのを肌で感じる。やはり無理があったのではないかと観念した父親が真相を言う前に、透は弾かれたように顔を上げた。


「わ、私が姉に頼んだんです! その、常磐様とのお見合いを代わってくれと……。申し訳ありません」


 咄嗟についた嘘に騙されてくれたのか、恭二は「そうですか」とだけ呟くと詮索するつもりはないのか納得したように頷く。

 常磐恭二は寡黙なのか、あまり自分から話すことはなく、父親は恭二との会話を弾ませようとするが、恭二は愛想笑いを浮かべることもなく、仕事のように返事をする。段々と会話も少なくなっていく中で、空気を良い意味で崩してくるのは料理を運んでくる中居だった。御膳であるが料理の説明をしてくれる女将の声は快活であり、まるで太陽の陽光が差し込んだかのように暖かくなる。梅雨のジメジメとした空気を明るくするように、運ばれてくる御膳も華やかなものが多く、沈んだ気持ちを浮上させてくれるようだった。

 この料亭を指定してきたのは先方である常磐恭二であり、通い慣れている雰囲気が窺える。箸を口元に運ぶ所作は思わず見惚れてしまうほど美しい。少し年老いた手は筋くれているが、長い指が透には色っぽく映る。


「……何か?」


 透の視線に気づいた恭二が料理から意識を透へ移し、怪訝そうに訪ねた。そんなにジロジロと不躾に見つめていた訳ではないだろうが、恭二は神経質な部分があるようだ。


「あの、所作が綺麗だなと……」

「この歳ですからね、このくらいは普通でしょう」


 取り付く島もない言葉に、透は途方に暮れるがそれだけ恭二は自分に興味がないということだ。これは破断になるだろうとホッと胸をなでおろす。相手は二十歳も年上の大人の男だ、二十二歳の透は嫁には相応しくないと願い下げられるだろう。

 安堵したら腹が空いてきた透は、その後は恭二の態

度も気にせず、しかし粗相はないように食事を楽しむことにした。

 言うまでもなく素晴らしく美味であった食事を平らげ、両親の顔色も結果が分かっているせいか、幾分明るさを取り戻したように思える。このままこの場で見合いを終わらせても、寺田家には不満はないが、常磐恭二は意外にもセオリーを重んじる男だったようで、二人で庭へ出ないかと誘われた。


「お、お庭ですか?」

「えぇ、気分ではないのでしたら断っていただいて構いません」

「そんなことないです」


 常磐恭二の機嫌を少しでも損ねるわけにはいかない透は頷いてその場から立ち上がる。


「あ……」

「どうぞ、掴まって」


 長い時間正座していたせいで痺れた足を常磐恭二は見越していたのか、透に手を差し伸ばした。


「ありがとうございます」

「いえ」


 さして気にも留めないといった風に態度が柔らかくならない常磐恭二に、透は姉が来なくて良かったと心底思った。こんなにも頑なな態度の男に、優しい真由子はきっと神経をすり減らしてしまうだろう。

 常磐恭二に連れられて訪れた庭はやはり見事であり、昨夜降り注いだ雨のせいか花たちも生気に満ちている。芝生は青々と輝き、岩についた苔も瑞々しい。池の水は既に濁りが底へつき、見る限り水面は美しく空を反射させていた。


「綺麗ですね」

「えぇ」


 何故常磐恭二は興味もない二十歳も年下の女を外へ連れ出したのだろうかと透は考えてみるが、彼の意図など分かるはずもなく深い溜息を吐き出しそうになる。


「……君は嘘をついているだろう? 二十歳くらいの女性が、私みたいな中年と見合いをしたいなど言うわけがない」


 常磐恭二は自分を中年と言うが、体を鍛えているのかスマートで衰えを感じさせず、百八十センチはある長身のせいか男性モデルと並んでも遜色が無いほどだ。

 常磐恭二が年齢以上に魅力的なのは間違いない、その上に財閥の御曹司となれば、周りにいる女性が放っておかないだろう。

しかし不思議なことに常磐恭二はこの歳まで独身で、浮いた噂ひとつない堅物と有名だった。それが何故いきなり見合いの打診をしてきたのか、見合いを楽しみにしていた様子もなく、透を見つめる視線は冷たい。それは常磐恭二よりも幼い透にも理解できるほどあからさまな態度だった。

 この見合いは彼の本意ではない。それなら破断は確実だろう。常磐家から断ってくれれば、寺田家としてマイナスもない。

 大した会話もなく両親が待っている個室へ戻ると、それぞれ食事の時と同じ場所へ腰を下ろし、目の前に用意されていた緑茶をすすった。


「……常磐さん、このお見合いどうでしょうか?」


 父親が恐る恐る顔色を覗いながら尋ねると、常磐恭二は伏せていた瞳を透へ向けた。キリリとした我の強そうなアーモンド色の瞳に見つめられ、透はまるで金縛りにあったかのように体が硬直する。返答など分かりきっているというのに、それでも言葉にして自身を拒まれるのは、やはり気分のいいものではない。

グッと膝においた拳に力が入る。

 常磐恭二の薄い唇が開き、透はギュッと目を閉じた。


「透さんさえ良ければ、私は結婚したいと思いますが」

「え?」


 その場に居た常磐恭二以外の人間が困惑する。


「わ、私、常磐様よりだいぶ年下なのですが……」

「もとより、貴方はそれを承知でこの見合いを受けたのでは? それとも断られるつもりでここへ来られたのですか?」

「あ、いえ、その」


 しどろもどろに上手く動かない口は、常磐恭二を苛立たせたようだ。


「脅すようで申し訳ないが、私は自分の意志とは関係なく結婚しなければならない。透さんの結婚後の生活は保証します。勿論妻の実家である寺田さんを手助けする義理も出来る。悪い話ではないと思いますが」


 寺田家から断りを入れるなど出来るはずもなく、予想もしなかった常磐恭二の答えにより、透の未来は決まってしまった。

 二十歳離れた男と結婚する。

 それはまだ若い透にとっては未来を閉ざされたも同然だった。


週イチで更新出来たらなと思ってます。

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