ジヴェルの忙しい午後
アーレラ出るんですけど御期待には……
「ふぅん……それで? リカルドくんはその後どうなるの?」
ブローデンが手紙をしたためながらジヴェルの話を促す。
「……このまま、うまくいけば……鍵を魔道具として完成させることが出来ます。同時に、彼の枷も無くなる」
執事はポツリと答えながら封蝋を温めた。
「ただでさえ、彼は魔力も少なく、回復も遅い……はっきり言って竜人以下です」
そう言いながら封蝋を封筒に落とし、印を押す。
「稀な事ですが、彼の属性は火と水です。加えて僅かすぎる魔力はコントロールしにくい。使おうとする度に自身の中で邪魔をし合いますし、それを上手くコントロール出来ません。魔法を使用しない方が彼のためではあります」
印を置いたジヴェルが静かに話を続けた。
部屋の中では滝の音が響いているが、それでもジヴェルの声は聞こえる。
「短い筆は扱いにくいでしょう? それに似ています」
手紙をブローデンに手渡した執事はゆっくりと席を立った。
これからザクラムに指示を出し、事務処理をしながらノエルの報告を待つつもりだ。先ほど言っていた計画は一旦休ませることにして、落ち着いて対処することに決めたのだ。
エイシャの所に行きたいのは行きたいのだが、彼女に課した宿題の邪魔になるかと思って安易には近寄れない。
「とにかく、少し負担を減らしませんと……コレは私のミスです」
言いながら机の上を片していると、ブローデンのため息が大きく聞こえる。
ちらと見れば首を横に振る彼の姿。
「……何ですか、腹が立つ」
「いやにハッキリ言うね。それぐらいリカルドくんにもハッキリ教えてあげたら?」
そうなのだ、ジヴェルは相手に考えさせる話し方や態度を取る事が多い。
自覚もあるようだが、それでも彼なりの考えもあったようで、すぐに答えをくれた。
「それでは呪いが発動しません。納得しながら私に反感を抱きますか? せっかく掛けた呪いです。契約書を破れば当然解除出来ますが、それでは勿体ない。呪いが発動した時の魔力を吸い取って利用したいのです。どうせ元々私の魔力だったのですし」
足元に闇を呼び出す。ゴボゴボと蠢く黒い世界が手を伸ばしてジヴェルの身体を包み込んでいく。
「鍵が出来上がったらもう一度、彼に選択をしてもらおうと思っています。理由はどうあれ私が彼を雇ったのですから、こちらには最後まで責任を負う用意はありますよ」
身体が闇に溶けた、その後でブローデンが手紙を持ったまま、またため息をついた。
「素直じゃないんだもんなあ」
アーレラがいつもよりも丁寧にナイフを磨いている。
表情は浮かず、何か考え事をしているようで、あまり不用意に声を掛けたい状態ではない。
そう思って、出来るだけ彼の左腕と自分の右脚の間で繋がる鎖を引っ張らない程度の距離を取る。
1mと少し程度だが。
可能な限りアーレラとは関わりたく無いのだが、距離が近いせいか彼の姿は頻繁に視界に入ってしまう。
細身の彼は顔こそ綺麗で笑うと天使のようだが、こうして作業しながら背を丸めていると見えてくるのは男性の骨格だ。
きっと成長すれば美しい青年になるのだろう。
この少年には、自分の男になるのならもっとイイ男になってと何度も言っている。見た目だけならそれは十分叶いそうだ。
「……リズ」
リズの方は見ず、声を掛けてくる。
作業を続けている少年の声色は低い。
声変わりの終わっている彼の声はハスキーだが、普段他の使用人と話す時は高めの声を出して可愛らしく振る舞っている。
それがリズの前だと素で話すようになってきた。
「ボクもジヴェル様から別のお仕事を言いつけられたんだ」
「……そう」
それは願ったり叶ったり。その間はこのマセガキから解放されるというもの。
興味なさげに一言だけで返事をしたリズに、刃越しの視線が送られる。
「……ボクが居ない間でも、ボクにはお前の事がわかる。それは忘れないようにね。浮気もしないで、するならボクにして」
正直に言うとこれは嘘で、アーレラが属性探知で感知できる距離自体はこの城の全長の半分も無いぐらいだ。
しかし天使の目つきは今にも人を殺しそうな様相で睨みつけていた。
これぐらい凄んで見せておけば、嘘かも知れないと思っていても迂闊には動かないだろう。
「随分信用されていないのね?」
リズも負けじと言い返す。浅く斬られるぐらいはするかもしれないが、ただ黙っている事も性に合わない。
「当たり前じゃん……どこに信用する要素があるんだよ。ずっとボクの裏を掻こうとしてるだろ」
何となく、それ自体はバレているのだろうと思っていた。しかし、この城の中で少々部屋を抜け出す程度ではアーレラから逃げることなどは不可能だとよく分かっている。
「ま……そういうところも全部好きだけど。ねえ、リズ、ボクは愛してるよ」
それが彼の言い分で、嘘じゃない事も知っていた。
彼が自腹を切ってまでリズを飾っており、それをわざわざ自分から言うでもなかった事。
「だから待っててね」
コロコロと表情の変わる少年。今は何の謀りも悪意も感じない、真剣な顔で。
天窓の光がそれを飾った。
ザクラムはジヴェルに呼ばれ、城の屋上へと来ていた。
人間の執事の姿をした男に従っている自分も滑稽だと思う。
しかし、この男は自分よりも遥かに強い。それは十分思い知った。戦った時に感じたのは遊ばれているということ。
そして何より、魔法を使う竜族など聞いたことも見たこともなかった。
ただ、公爵の話を除いては。
「ああ、よく来てくれましたね、ザクラム。どうでしょう、ここからの眺めは」
そう言って目を伏せた執事の隣に立って城下町グライスを見下ろす。
「実際には、ここに見えている範囲よりもずっと広い領土がクアッド様の支配下にあるのです。あなたが居た町を見下ろす感覚は如何でしょうか」
赤い屋根が並んだ石造りの町は人の動きが分からないほど遠い。
「……小せえな……」
小さな町。勿論、他の領土と比べてもこの町は大きい方だ。何せ隣国コバリアとの交易も行われているのだから、小さい方がおかしい。
しかし、名前こそ知れ渡っていたが、彼がのさばっていたのはせいぜいこの町の半分程度といったところ。派閥もあったし、ナワバリ争いもどれだけやったか分からない。
争った部分がどの部分の事だったか、ここからではよく見えなかった。
「フフ……でしょうねえ……」
執事がその場所から少し離れる。
「これを俺に見せて、どういう感想が欲しいんだよ」
言いたいことが分からない訳ではない。自身の今までの行動を思い返せば、ちっぽけな事で時間を消費していたという事は嫌でもわかる。
「今のお前達は、私を介して公爵の配下です。例えばですが、我々が本気でお前達のようなナワバリ争いをする、となれば……どうでしょうか」
「そ、そりゃあ……国中が大騒ぎだろうよ……」
ここで執事が少し息を吐いた。呆れられているのは何となく感じる。
「一般的にはそれを"戦争"と呼びます。大騒ぎみたいな些細かつ可愛らしい事で済めばいいですね? 戦争になれば、どういった事が損害として挙げられますか?」
屋上、そしてこの城は山際だ。冷たい風がザクラムの硬い鱗ごと身体を冷やす。
寒さに気を取られながらも考え、答えた。
「人が……大勢死ぬな。町も壊れるだろうしよ」
目の前の執事が頷いた。それからまた口を開く。
「そういった時に犠牲になるのは、どういった者達でしょうか」
「女や子ども……弱いヤツらだ」
誘導するかのようにジヴェルが質問を続ける。
面倒だとは感じるが、ジヴェルに逆らうことはできない。
「あなたが争っていた時、弱い子分らの事はどうしていましたか?」
「庇ったぜ、守りながら戦うんだ」
答えると、執事はそうですね、と頷いて再度城下町へと視線を促した。
「ここはクアッド様のナワバリで、領民は皆弱い子分のようなものなのです。あなた達がやらなければいけないのは、彼らを直接守る事」
ザクラムはジヴェルに、それはそれは丁寧に教育されているのだとようやく分かった。
つまり、自覚を持て、と。そういう事だ。
「と言うわけでです。今晩から数名を指名し、一緒に例の屋敷の周囲を警戒なさい」
無表情。限りなく無表情でジヴェルが言い放つ。
「……はぁぁ!?」
「この私の命令に不服が? あの屋敷は領民を不安に陥れているのですよ? 実害は聞いておりませんが」
無表情だが圧を感じる執事の様子に後退さる。
「私は忙しい身なのです、自分で行うには時間が足りません。むしろそんな暇があるのならエイシャの……いえ、他の手をつけるべき仕事に時間を使いたい」
「さっき別の目的言いかけただろ!? なあ、俺無理だって、ゴーストは嫌なんだって!!」
両手を目の前で組んで懇願するが、当の執事は知らん顔だ。
「おや、心の声が漏れていましたか? 大切な主人に仕えたいと思うのは専属の使用人として当然の願いですからねえ……つい」
そう言う顔も涼しく、白々しい。
ザクラムにはよく分かる気がする。実力で従えた者故、気を使っていないのだ。
簡単に言えば、ジヴェルはこの新しい部下を気に入っており、可愛く思っている。
「とにかく、言い訳も反論も許しませんよ。それに、何も近くで見張れだの突入しろだのとは言っておりません。周囲をさりげなく見廻り、異変の有無を報告してくだされば良いのです。何ですか、もう。一人でやれとも言っておりませんのに、みっっっともない」
最後をしっかりと強調しながら見下しの視線を寄越す執事の前で、大きな赤黒い体躯の竜人は項垂れた。
頼むから怖い事は起こらないで欲しい、と願いながら。