7 聖女の涙とその使い
昨日よりは短いです。
飛ばしたい気持ち強い。
「よくぞ参られた」
低い深みのある声が降ってくる。威厳に満ちた声だ。
玉座の両隣にはカレット王妃とフラウム王子が立っていた。
カレット王妃は金の髪をアップにしてまとめ、白い細身のドレスを柔らかく広げている。
話に聞いていたとおり、大変な美貌だ。フラウム王子が生まれたのも頷ける。
「余がこの国に仕えるグリヴァン・ゼト・ヘイゼル・ヴェルトだ。此方が我妻、カレット……そして長男のフラウムだ」
そう紹介され、カレット王妃が丁寧に挨拶をする。その姿は生まれながらにして高貴と言わざるを得ない美しさで、指の先まで優雅だ。
「カレット・セラ・ヘイゼル・ヴェルトです、よろしくお願いしますわね」
「フラウム・セト・ヘイゼル・ヴェルトです。改めてよろしくお願いします」
王妃と王子が名乗る。
それを聞いたミカエラが、本来であれば自分達から先に名乗らなければいけないため、大いに焦った。
ミカエラは自分の顔から血が引いたのを感じ取る。
「よい、分かっておる」
そんなミカエラの顔色を見てか、王が口を開いた。
「よいのだ、此度は我が王子の失態により起こった問題でそなたらを迎え入れた……此方が頭を下げるべきなのだ……。さあ、名を聞かせておくれ」
威厳と慈愛に満ちた王、それが第一印象だ。
「コーバイン領侯爵の次女、ミカエラ・ラム・コーバインでございます。昨日からの寛大なお計らい、痛み入ります」
そう言って先ほど見せてくれたお辞儀をした。
それに続き、リズ、マリエが名乗る。
「ミカエラ様の侍女、リズ・ベットランでございます。侍女である私にもよくしていただき、光栄の極みでございます」
「ま、マリエ・コチカと申します……あ、あの、ありがとうございます……」
お辞儀をしているマリエの姿は僅かだが震えている。
緊張しているその姿は誰の目にも見えていた。
さあ、エイシャの番だ。
「エイシャ・フェリンでございます。……このような身分の私に対してもお優しくして頂いて、大変恐れ入ります」
そしてミカエラに教わったお辞儀。上手く出来ているかは分からないが、ミカエラの言うとおり形だけでもやっておいて正解だと思う。
そのエイシャの自己紹介を聞いていたミカエラも、王を前にしたエイシャがしっかりと挨拶の口上が出来ている事に少し驚いていた。
それも当然、エイシャは前世の職場で目上に接する事も少なくなかったため、多少は砕けていようとも不愉快にならない程度の会話ぐらい、少々は出来る。
「うむ、よい。皆、淑女として立派だ」
王がうんうんと頷いている。
「さて、昨日起こった事だが、それは王子から説明させよう」
言って王妃と共に座り、フラウム王子に話をするよう促した。
「はい……昨日、国宝である聖女の涙をノーラン領へ納める道中で暴徒に遭いました。その時、娘を責める声が聞こえて来たので、手っ取り早く私が収めようと思い、従者らの止める声も聞かずに馬車を降りました」
話すフラウム王子は顔を上げてはいるが悲しそうな、ばつの悪そうな顔をしている。
「その時に聖女の涙を抱えたままで降りてしまったため、暴徒の投擲した何かで攻撃され、その弾みで聖女の涙が入った箱から……中身が……飛んでいきました。そして……その……中身が彼女ら4名に降り掛かってしまったのです」
後半は必死に声を出しているような様子だった。
大変な事をしたと、思い返しているのだろう。
「……そうなった物はもう戻らぬ……今回の聖女の涙は失われた。また3年待つ他ないな。さて、先ほどの王子の内容に間違いはないか?」
王はエイシャ達に目を向けた。
ミカエラが疑問を口に出す。
「発言をお許しください」
「よい」
許可されたミカエラがゆっくりと口を開いた。
「聖女の涙は……宝石と聞いておりました。液体なのですか?」
王が頷きながらそれに答える。
「うむ。聖女の涙は宝石ではなく、液体だ。これは聖女の聖遺物より染み出る液体で、その成分は酒類に相当する。清めの儀で使用している聖女の涙という宝石は、この液体のダミーにあたる。聖女の涙は3年で決まった量が容器に溜まり、これを伝説に則ってノーラン領に納めていたのだ」
と、ここで王が大臣と思われる一人に質問した。
「ノーラン領からの文書は来たか?」
黒い豊かな髭を蓄えた男が答える。
「届いております。お読みいたしましょうか」
グリヴァン王が大きく頷いた。
「では……こほん。親愛なるグリヴァン王、春の心地よい日差しの中、春の嵐のような文書に大変驚いております。ですが既に前例に倣う準備も出来ているとの事、素早い手腕に大変感服致しております。24年前の前例が功を奏しているようで何よりでございます。24年前が懐かしく思い出されます」
(……なんというか、嫌味……?よく分からないけど嫌味っぽいのは私にも分かるわ……)
王の方を見ると、冷や汗をかいた王子の隣で、王も同じように冷や汗をかいている。
そしてまだ続きがあるようだ。
「ですが今回の事で大変な衝撃を受けております故、領の管理については代役を立て、私は別荘での療養に専念したいと思います。それでは、使いの到着をお待ちしております。ノーラン領公爵、クアッド・ノーラン」
謁見の間が静まり返る。
(なんて、なんて……不遜な感じの、凄いというか度胸というか)
そう思っていると王妃が口を開いた。
「……疑問に思っていることでしょう。お話しましょうね」
すると王が隣でぎょっとした顔をする。
となると、24年前の前例は恐らくグリヴァン王が作ったのだろうか。
「聖女の涙は酒類に相当する、と言いましたね。24年前の前例は、それを聞いたグリヴァン王がその聖女の涙を飲んでしまったから起こったのです」
「ほんの少し、飲んだのだ、全部飲んだのではないぞ、本当に」
隣で焦っている王に威厳はなく、ただの奥さんに怒られている旦那さんだ。
国民が見てはいけない姿ではないだろうか。
「聖女の涙の量は毎日記録されております。それが減っていれば当然犯人探しが始まるでしょう? 勿論バレてしまったのですよ。当時婚約者であった私にその味を教えてしまったために」
そして王妃がすまして言った。
「それで、これからどうするのかを王がお話します」
ここで話を振られた王が戸惑いながら話を引き継いだ。
「ごほん。そ、それでだ……。聖女の涙を飲んだり被ったりした者は……聖女の使いとして、減った涙を自分の身で補う必要がある。つまり、そなたらにこれから頼むのは、次の聖女の涙が溜まりきるまでの3年間、ノーラン領に出向いて欲しいという事なのだ……」
ノーラン領に出向く。
そのノーラン領はこのヴェルト小国の最も東に位置しており、広いながらも険しい山脈に沿う領地だ。
「かく言う余も24年前から3年間をノーラン領にて過ごしたのだ。そのためにカレットとの結婚が遅れ、本当に迷惑を掛けた……」
王が首を振った。
王妃の王を責めるような発言は、その時の事をまだ根に持っているからだ。確かに、3年は長いだろう。
「3年……3年も……!?」
そう言って青ざめているのはミカエラだった。
乙女の3年は長い……カレット王妃が怒るのも、ミカエラが青ざめるのも当然だ。
きっと彼女にも婚約者が居るのかもしれない。
「本当に……申し訳ない……」
王子がすまなさそうに俯いた。
その隣で王が話す。
「代役を立てる事も出来ないのだ……聖女の涙は僅かながら魔力を帯びている。大層な力ではないのだが、あの領主はそれで判別出来るらしくてな……。余が過ごした3年間でも療養すると言って姿は見せなかったのだが、どこからか見張っておるのだよ」
そしてため息をついた。
影武者を立てて出ようとしたことがあるのだろうか。
「心配せずとも、領主に話を通して許可があれば領地外に出る程度のことは問題ないそうだ。現に今もそなたらはノーランの領地外に居るからな。3年の間に里帰りする事も出来よう」
その言葉にミカエラとマリエが少しほっとしている。
エイシャであれば実家に帰ったところで待っている人も居ないのだが、ミカエラやマリエであれば別だ。
リズも顔には出ていないが、きっとミカエラと共に屋敷へ帰りたいかもしれない。
「ともかく、そなたらには3年もの間迷惑を掛けることになる。もう少し王宮でゆっくりさせてやりたいのだが、今から出ても聖女の涙が到着する予定だった日には間に合わん。既にノーラン領民のみならず、キリミードやその他王子が通る予定であった地から疑問の声が出ている」
そしてグリヴァン王が玉座から立ち上がった。
「明日、この地を発ってもらう。必要な用意はすべてこちらで行い、道中にはフラウム王子とアルジェルを付ける。また、暴徒については既に抑えたとのことだ、安心して欲しい」
王がゆっくりと此方に歩みを進めてくる。
前で立ち止まり、最後の言葉を掛けてくれた。
「余と王妃はこれから他国での公務に出向く故、明日の見送りはできぬ。申し訳ないがここで見送りの言葉とさせて頂く。明日に備えよ。下がってよい」
その言葉にエイシャ達は自然とお辞儀をしていた。
しかし……内容を聞いた今は不幸かとは思わないが、この世界に対して疑問が湧く。
(何となく過ごしていたけど、限界集落で過ごしていたからか……生活に必死すぎてこの国の事を大して知らない事がわかったわ)
もちろん、エイシャもノーランがどこにあるか程度の話を聞いたことはあるし、他の領地についての簡単な話程度であれば祖母や村の老人たち、市場での噂話などから得た情報はある。しかしそれも確実な情報だとは言えない。
エイシャには更なる勉強が必要だ。
ノーラン領に着いて可能であれば勉強できる環境だとありがたい……そう思った。
そして出発するまではあっという間だった。
朝日の中、用意された馬車に乗り込む。
アリサとミドラが悲しそうにハンカチで目元を押さえている。
カルナは使用人用の馬車に乗り、道中の世話をしてくれる。他にも、ミカエラ達の世話をする使用人が一人ずつ乗り込んでいるようだった。
(ああー……緊張でよく眠れなかった……)
あくびを噛みこらえていると前に座ったミカエラがそんなエイシャを叱りつけた。
「ちょっと、みっともない顔なさらないで頂戴な」
そう言うミカエラも眠そうだ。マリエに至っては隈が出来ている。
その中ではリズだけがすっきりした顔をしていた。
馬車の外から声が掛かる。アルジェルだ。
「これから予定として20日間の道程になります。馬を休憩させたり交代させたりする事もございますが、なるべく急ぎますので、揺れにはご注意ください」
エイシャ達はそれを聞いて頷いた。
「では、出発します」
御者が馬を叩く音が聞こえ、馬車が動き出す。
朝日の中、エイシャ達はノーラン領に向け出発した。
王族の現王の妻とその子のみヴェルトの名前を使えます。元々の家名はヘイゼル。カレット王妃は生まれながらに王家の許嫁だったので王に似たセカンドネームです。
珍しいですね、ちゃんと後書きしたかもですね。