黒色に振り回されて
「ああああ……!!」
リカルドから溢れる黒い魔力は徐々に見え方が変化する。
「あああううう……!!」
青い髪の従僕を苦しめながら、魔力ではなく物質となって形を取っていった。
(何だ……? これは……)
深く構えた少年……アーレラが警戒を解かずにリカルドを凝視する。
その後ろではレガがポカンと口を開け、目を丸くした状態で立っていた。
不快とも痛みとも取れない違和感がリカルドの全身を包み、やがて弱まってくる。
「はう……っは……」
荒くなった息が部屋に響く。
息の主の変化はもう止まったようだ。
「ああ……ああ……」
声にならぬ声を漏らし、苦しみから解放された身体を楽にする。
その身体は、黒い金属を身体から生やしていた。
竜のような翼と尾。顔の上半分を覆う黒い仮面。
そして、いつの間にか両手に握られた剣と盾……翼や尾と同様に黒く鈍い輝きを放ち、アーレラの眼に返した。
「ああ……あ……オ、オレは……? なん……?」
言いながら自分の身体を、手に持った武具を見回す。仮面に相貌が覗くような穴は無いが、どうも本人には見えるようだ。
「コレは……? オレは……?」
自分は一体どうなってしまったのか。
身体には翼と尾が重く繋がり、手には意匠も何も無い剣と盾が握られている。
背を意識すると翼が僅かに動き、尾もそれに合わせて揺れた。尾が床に擦れて、その床の滑らかな感触が自分にも伝わる。
「リカルド……さん……?」
アーレラが声を掛けた。構えは解かない。
当たり前だ、先ほどまで普通の人間だった男が急に異形へと変化して見せたのだから。
レガも驚きのあまり、腰を低くしていつの間にか両の手を発火させている。
「そ……それは一体……? 何ですの……?」
そう問われても分かるはずがない。原因は明らかだが、今リカルド自身に起こっている現象など、ジヴェルからも知らされていなかった。
彼が「人間に試すのは初めて」と言っていたのもまだ記憶に新しい。きっと今の自分は未知の現象に見舞われていると考えて間違いないだろう。
「わ、分からない……な、何がなんだか……」
ツヤツヤに磨かれた床を見ると、下からではあるが今の自分の姿がうっすらと映りこんでいた。明らかに異様だ。
「ふぅん……」
少年の声が耳に入る。顔を上げるとアーレラの不敵な笑みが視界に映った。
「闇の正体はそれですね。何なのかわかりませんけど。でも、見た感じ……それならボクと戦えそうですよね?」
言ったアーレラがジリジリと距離を詰めてくる。
やはり気に食わない。少年の中の燻りが更に強まる。
どう見てもジヴェルに何らかを施された結果、力を得ているのだ。
「ボクと戦えば何か分かるかも知れませんしね?」
「いや、だが……」
先程仕掛けられたばかりではあるが、それでも戦う程の意思などリカルドには無かった。
そう思った。
リカルドの剣が先に翻ってアーレラを掠める。
「え……?」
リカルドの口からは呆けたような声が落ちた。
アーレラが避けたのは首だけだ。それでもあのまま立っていれば間違いなく頭部を貫かれただろう。
「アハッ……面白そう……」
天使が笑ってナイフを構え直した。
その間に黒い尾がアーレラ目掛けて叩きつけられる。当然、アーレラがそれを避けることなど苦ではない。代わりに間にあった客間のテーブルが砕けた。
当のリカルド……仮面で表情は窺い知れないが、本人は戸惑いながら剣を振るい、尾を動かす。
「身体が……」
思うように剣が、身体が動かない。
「身体が言うことを聞かない……!!」
だが、その剣筋は明らかに自分の……リカルドが訓練を経て手にしたものだ。そこに異形の部分が上手く入り込んで攻撃を繰り出している。
「嫌だ……!!」
リカルドの言葉も虚しく、手にした剣は何度も振るわれた。
全て軽く躱していくアーレラが今度は反撃に出る。様子見は終わったからだ。
「はあっ!!」
ナイフで素早く何度も斬りつける。
しかしそれは黒い剣で簡単に弾かれた。
弾かれた反動を利用して回転し、鉄が仕込まれた靴底で蹴り上げるも、黒い盾に阻まれる。防がれた足へ瞬時に力を込め、素早く後ろに飛んだ。
距離を空け、アーレラの蹴りを防いだリカルドの盾が凹んでいるのを確認したが。
「え……?」
レガの戸惑う声がアーレラの背後から聞こえた。
黒い盾の凹んだ部分。それがみるみるうちに元の形へと戻ったからだ。
これにはアーレラも呆気に取られた顔をしてしまった。
「リカルドさん……あなた、一体……ジヴェル様から何をされたんです……?」
警戒を解かずに尋ねるが、リカルドは首を横に振るだけ。
リカルド本人は分かっている、覚えているのだ。だが、今の自分の状態に戸惑い、混乱した頭からは言葉が浮かばない。
首を振って後退りするしかなかった。
そこでようやく自身の身体が思うように動く事に気付き、それと同時に崩れ落ちるように座り込む。
すると異形の部分や黒い剣、そして盾はまた黒い粘液のように溶け、リカルドの身体へ染み込むように消えた。
気分が悪い。ジヴェルの薬を飲んだ時に覚悟は決めた筈であったが、このような異形に変化するとは思ってもいなかった。座り込んで床に映る自分の今の姿は元通りだ。しかし、顔色は悪い。
「リカルドさま、気分が優れていないのは明白ですわ。お嬢様方のお茶会が終わる前に少し休んで、顔色だけでも戻しませんと……」
そう提案するレガも安易にリカルドには近寄って来ない。警戒されているのが痛いほど分かる。
俯いたままで呼吸を整えていると、アーレラの声が聞こえた。
「……やばっ」
別の闇の気配を感じたのだ。恐らく外出していたジヴェルが帰ったものと思われる。
テーブルが砕けた有り様を見られたら何を言われるか分かったもんじゃない。魔力痕でバレようがなんだろうが、今は部屋の修繕が先だ。
「と、とにかく部屋は今から直します!」
光の上位魔法を急いで部屋に掛ける。先に掛けた魔法が持続している間であれば、もう一度魔法を掛けることで対象物を修繕できる魔法だ。
リズの部屋で繰り返し使っているため、本人の知らぬ間に魔法の効果も少し強力になっている。
砕けたテーブルは元に戻り、裂けたラグなども綺麗に修繕された。
「えっと、リカルドさんは立てますか? ボク、手を貸しましょうか?」
アーレラが若干焦りを滲ませた笑顔でリカルドに話し掛ける。手を差し出そうと足を前に出した。
「……結構だ」
少年の提案は一蹴され、青い髪の従僕がそろそろと立ち上がる。
そしてゆっくりと歩いてエントランスへの扉に手を掛けた。
「少し……外の空気を吸います。……ありがとう」
そっと部屋を出ていくリカルドを止める事は出来なかった。
「……私もそうですが。アーレラさま、私と一緒に反省してくださいますわよね?」
レガが気まずそうに口を開く。興味があって殆ど止めなかったレガも悪かったし、軽い遊びと憂さ晴らしのつもりだったが最も積極的だった……もとい八つ当たりに近いアーレラはもっと悪かった。
リカルドに戦う意志が無い事など、言われなくても分かってはいたはずだ。にも関わらず、自制出来なかったのは間違いなくアーレラの落ち度である。
「うう……はい……」
天使もようやくバツの悪そうな顔で唇を尖らせ、俯いた。
自分より10も歳下の少年に舐められた挙句、手を貸そうかなどと随分な侮辱を受けたものだ。
しかし、それも仕方のない事。アーレラはまだ幼く、自分は大人だ。力や能力では負けていても、歳で勝っている分、大人の対応をするしかない。
広いエントランスの少し冷えた空気を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。
アーレラに舐められている事がハッキリ分かった事よりも自分の身体だ。この身体の中には先程の得体の知れない……気味の悪い自分以外が居る。
まるで寄生されたかのようだ。
先程のアーレラの様子でジヴェルが帰ったのだろう事は察しが付く。
レガやアーレラに薬の事を話すにしても、まずはジヴェルに自身の変化を伝える事が優先だ。
まだ心のどこかで何かがざわついている。
だが、あの力が自身の願い──守る力に応えた鍵の魔法なのであれば……。
(ミカエラ様を守る事が出来るのだろうか……)
そう考えながら目を閉じて、壁に背を預けた。何も考えずに壁の冷たさを背に感じる。
少しの間そうして、首を横に振った。
何も考えないでいるとミカエラの顔しか浮かばない。つまり自分が進むべき道は初めから一つしかないのだ。
あの美しく聡明な彼女の側に居たい、それで今を選んだのだから。
なら、戸惑っている場合でもなければ後悔している場合でもない。
自分は進まなければならない。
──部屋に戻ろう。
レガも属性探知が出来るアーレラが、慌てて部屋の修繕を行った意味ぐらい分かる。思っているよりもずっと早かったが。
あの男ならすぐさまエイシャの所へと向かい、その場に居合わせていない自分達を探し出すだろう。
そう思ったが、待てど暮らせどジヴェルは来ない。エイシャ達の様子を窓から覗き見ても、あの執事の姿は見えなかった。
エイシャ達は平和に談笑している。机の砕けた音は聞こえたかもしれないのだが、向こうでは何も無かったかのようだ。
驚くべき事に、あのリズまでもが笑顔になっているのを確認した。
穏やかに、だが控えめに笑った顔。アーレラの前では見せた事のない表情だ。
それが何故か少年のどこかを刺した。
朗らかに笑う令嬢達の様子を見守る。
不思議な気分……何故か放って置かれたような気分で、無言のまましばらく立っていた。
早く誰かが来てくれたら良いのに、そう思いながらふと口を開いた。
「……ジヴェル様来ないな……?」
アーレラも覚悟していたのだが、先程察知したはずの闇の気配もない。気のせいだったのか? いや、そんな筈はない。
そう考えて待っていると、その間にリカルドが客間に帰ってきた。
「……ご心配をお掛けして申し訳ない、もう大丈夫です」
言いながら人懐こい笑みを浮かべる……疲れは隠せていないが。
「えと、ボクも……いや、ボクこそすみませんでした。ちょっとだけ……えと、遊んで欲しかったんです。ごめんなさい」
謝るアーレラの顔は未だバツが悪そうで、イタズラを叱られた普通の男の子のようだった。
「私も申し訳ありませんでしたわ。少し、お2人のやりとりに興味が湧いたものですから、つい……」
レガも深く頭を下げる。
リカルドはそれを見て首を横に振った。今日はよく首を振る日だ。
「構わないんです。頭を上げてください」
そして困ったように笑って、続ける。
「むしろオレこそ2人を驚かせてしまって……。今はまだオレ自身すらよく分かっていない事もあるし、執事殿に相談もしたい。いつか必ず、近いうちに話します……いや、話させてください」
いつかの兵士だった頃のようにピシリと姿勢を正す。
リカルドがミカエラの側に居る為に飲み込んだ感情、そして前に踏み出した一歩。




