嘘と思い込みと隠し事
ノエルから受けた報告では、薬剤店で妙な行動をしている人物は居ない、とのことであった。
たった1週間の潜入で全貌が判明するとは思っていないが、新人に対する警戒はあるのだろう。
せめて人当たりのよい人物をと選んだのがノエルではあったが、アサシンであった彼にも掴めないのであれば仕方ない。ノエル自身の安全のためにも引かせるべきだと考える。
ただ、ノエルが優秀な秘書でもあった事は事実のようで、彼は顧客の購入物に応じた店の対応を覚えていた。
『購入物に応じてチケットを渡すか、やスタンプの押印。スタンプは一定数溜まれば商品と交換、チケットも一定数で商品と交換。変でしょう? チケットはある決まった商品の場合に渡しているようです。残りで、観察を続けます』
確かに、同一の役割をもつサービスに意味は感じない。普通ではないと思ったことは些細であっても見逃してはいけない、それが言わずとも出来るのは流石だ。
(役割の自覚と身の程を弁えている彼であれば問題はない)
ザクラムに関してだが、本日はきちんと朝に報告があった。
彼の話によると、子分としていた一人が監視していた屋敷に僅かな明かりが灯るのを見たという。しかし、日中も人の出入りは無い様子だと話した。
初めから誰かが中に居て外に出ていない可能性もあるが、あのボロボロの屋敷で中に居続けるのは難しい。これもたった2日程度でわかる話ではないため、継続した監視が必要ではある。長く見積もって1ヶ月。
実際はあの屋敷を購入しようと思っただけだったのだが、何かが不審で仕方がない。
このグライスで、ただでさえ厄介な事件が起こっているというのに別件も目にしてしまうとは自身も不運だとは思う。
(しかし……今まで見過ごしていたモノは出来る限り潰す。これは……私の罪)
リカルドの契約書を自室の隅に仕舞う。
彼の様子も気にしていなくてはいけない。あれやこれやと準備はしておいたが、それでもまだ足りない気がする。
そしてエイシャの様子。
ここ最近はややぎこちない笑みではあったが、昨日や今朝の挨拶の時はその笑顔すら無かった。
きっと、何かを知ったのだ。
そう、それで良い。彼女は一生をこの城で暮らすのだ。何も知らないままではいられない。
そしてそれなら彼女は、私の事をどれほど知っただろうかと、目を閉じる。
そしてはたと、違和感に気付いた。
(……私……私は……)
目を開いてもその正体は分からない。
もう分からない。
リカルドがもう良くなったようで、今朝は顔を見せてくれた。置き手紙への礼を聞いた時はホッとしたものだ。
何か様子が変わったように見えたのだが、それがまだ不調だからかなのかは分からない。
本人に尋ねても、彼はあの笑顔で「大丈夫ですよ」と言うだけ。
先日から、彼との距離が開いていくばかりのようだった。
体調がまた悪くなったらどうするのかと訊くと、ジヴェルから貰った薬を飲むので大丈夫だと言う。
ジヴェル本人は用で外出するとの事らしく、沢山の薬をリカルドに渡しているらしい。それがあの執事も部下である彼の事を気にかけている証拠なのだと、どこかで安堵した。
紅茶の用意をするためと言って今は部屋には居ない。それが返って良かった。
午前の明かりが涼やかに部屋に入る様は気分が良いはずなのに、曇った気持ちばかりが胸を埋める。
彼に謎解き遊びに興じていることの共有をしたことも間違いだったのかも知れない、と思い始めてため息をついた、その時だ。
胸元に下げたペンダントから僅かに声が聞こえた。
『おい』
ペンダントを通じて話をする、そんな芸当をしてみせるのはもちろん一人しか居ない。
クアッドだ。
『聞こえてんだろうが』
「聞こえていますわよ! 婦女子に何の断りもなく急に話し掛けるなんてどうかと思いましてよ」
相手が公爵であろうとそんな事は関係ない、失礼は失礼だ。
そう思って返すと返事があった。
『おいって一声掛けただろうが。見えん以上お前の都合は知らん』
呆気に取られてしまうが、様子が見えないのはお互いだ。
それはこちらが連絡を取ろうとした時もそうなのだろうか。
「失礼しましたわ、公爵…… いえ、わたくしにも貴方に聞きたいことがありましてよ」
そう言ってペンダントを胸元から取り出す。
黒っぽい金属はつるんとした表面にミカエラの桃色の髪を映した。
『ふん、クアッドと呼べと言ったはずだ。ではトレードしよう……前回と同じくサービスしてやっても構わん』
最初にこのペンダントを通じて会話した時、彼は1つと言いながら2つ程話した、その事だろう。自身の目的と、ジヴェルが何者かはクアッドも知らないという事。
これをそのまま鵜呑みには出来ない。
クアッドの顔はケロイドのような醜いただれで黒色化や変形が見られたが、それでも分かるほど……ジヴェルと同じ顔だ。
『俺が欲しいのは、ジヴェルが何処にいるかだ。分かるならで構わん』
彼の目的はジヴェルの目を盗んで行動する事らしい。それが彼にとってどれ程の価値かはわからないが、それによってわかるのは彼がジヴェルの監視によって自由を制限されているという事だけ。
かといって歩くのもやっとで、話せば咳込み倒れる程病弱そうな彼を自由に出来ないのの理解はできる。
(そういえば……今日は咳込みませんわね)
いつもであればこれ程話せば何度かは咳込むのだが、今日は咳をしている様子はない。
「ジヴェルでしたら……」
先程、リカルドと話している時にジヴェルが今日は少し用で街の方へ出向くと言っていたのを思いだす。
「今日は用で出掛けるとは聞いておりますわ。いつ迄かは存じ上げませんけれど……」
それだけで十分だったようで、クアッドがフフ、と声を漏らすのが聞こえた。
『良いだろう。ミカエラ、聞きたいことを言え』
ペンダントから話す彼の声を注意して聞く。
「……ジヴェルが20年間、そちらのアーテルの屋敷を管理していた、というのは真実でして?」
アーテルの屋敷に最近まで働いていた服飾店のせがれであるジェイ。彼が言うにはジヴェルという人物など知らないと言う。
何年か住み込みで働いているジェイが、屋敷を管理していたジヴェルの存在も名前すらも知らないのは明らかに正常ではない。
『……それに関しては俺は知らん』
「そんな、知らないはずはありませんでしょう!? 貴方の部下でしてよ、彼をアーテルに置いたのは貴方ではなくて!?」
そもそも、自身の部下の動向を彼が知っていないのはおかしい。1日や2日の話ではない、20年もの期間をジヴェルに管理させていたのであれば、知らないはずはない。
それに、彼を嫌ってアーテルへと追いやっていたはずなのだ。
『……知らないことには答えられないと言ったはずだがな。記憶は幾らでも作れる、あまりあてにしない方が良い。以上だ、あまり魔力も使えないのでな』
「なっ……」
ジヴェルの記憶の事なのか、それともジェイの記憶なのか、それは聞けなかった。
ペンダントからはもう何の反応もない。今はただの金属の塊だ。
いつも突然話をされ、突然話が途絶えるのではミカエラの利になっているとは考えられない。しかし、公爵である彼の要求を跳ね除ける事もできず、ミカエラは考えるしか出来なかった。
クアッドはジヴェルの目を盗んで何かをしようとしているようだが、ジヴェル本人を庇ってもいる、という事なのかもしれない。
考えながら思い返す。そして間違いなく、クアッドの声は掠れていなかった。
彼の体調が良くなったのであれば、それは良い事ではある。だが、少し話せば咳込む程だった彼がこんなに短期間で急激に良くなるものなのか、という疑問が湧いた。
記憶の話については信じられるもどうも、彼らならやりかねないという気持ちはある。彼らの魔法がどこまで出来るのかは分からないが、闇の魔導師であるクアッドであれば、そんな事も出来るのであろう。
(記憶どころか、貴方の事も信じられませんわよ)
クアッドもジヴェルも信用してはならない。
明るい光を反射して沈黙するそれを見ていると、扉が叩かれた。
「お嬢様、リカルドです」
「……ええ、入ってちょうだいな」
ミカエラの従僕が入ってくる。いつものように紅茶の用意を始めようとしかけたところで、リカルドに声を掛けた。
「リカルド、お願いがありますの」
「はい……何でしょう」
少し手を止めた、そのままでミカエラに笑顔を向けてくれる彼は、やはり少しいつもよりも一歩引いたような印象を受ける。
「……エイシャやリズ、マリエとお茶をしたいと考えておりますの。出来まして?」
一歩引いた従僕に一歩寄りながら尋ねる。
彼の瞳を見ていると、それが瞼で遮られてしまった。
「かしこまりました、ミカエラ様」
軽く頭を下げたリカルドが、ミカエラと目を合わせないようにとそのまま紅茶の用意を始める。
「後ほど、お声掛けに参りましょう」
「……ええ」
伏目がちに手元を動かすリカルドの顔を見て、此方を見てくれないものかと視線を送った。
皆、隠し過ぎている。




