元執事長
"なによ、なによなによ!"
身体が宙でフワリと浮いたまま、漂う。身体と呼んで良いものかは分からないが、その"誰か"はフワフワと足掻いていた。
"せっかく、動ける身体を見つけたと思ったのに! やっとあの人に会えたと思ったのに!"
この状態では思うように動けない。ただ、何かに従ってゆっくりと流されているだけだ。
"身体が無いよりはマシだと思って我慢してやってたっていうのに、何なのよあの金髪!"
リズの身体の中で、彼女を完全に乗っ取る機会を待っていた"誰か"は、アーレラの魔法によって除霊されてしまった。
抵抗はしたが、リズの体から弾き飛ばされてしまって元の場所にも戻れない。
腹の立つことに、そのリズの魂の隙間にもう一度入り込もうにも、もうそこには誰かを想う気持ちが少しずつ隙間を埋め始めており、入り込む余地は無かったのだ。
"口では嫌だとか言いながら絆されてんじゃないのよ!!"
彼を心底嫌がるように仕向けたのも自分自身だったが。
そう思いながら、これから自分はどうなってしまうのだろう、という不安に駆られながら自身の不幸を嘆いた。
"せっかく……せっかく抜け出せたと思ったのに……やっと、やっと自由にあの人に会えると思ったのに! ずっとずっと! たまに会えるだけで我慢していたのに!"
きっと腕があるなら両手を胸の前で組んでいたと自分でも思う。
"ねえ……あたしの唯一の人……"
願いながら底の深く暗い場所へと落ちていった。
エイシャは確かに"ヤバい所"とは言ったが、まさかそれが地下だとは……少しだけ予想もしていたが。
「エイシャ嬢、ここの事はジヴェルから聞いているかい?」
穏やかな口調で話すブローデンがエイシャの前を歩きながら話す。
「あーっと、何かお墓があるんでしたっけ……」
話には聞いた程度だ。
一度エイシャもこの地下に来たことはあるのだが、その時はとんでもない目にあってしまった。
何も見えない真っ暗闇の中でクアッドに捕まり、遊ばれてしまった事は記憶に新しい。
とにかく、その時は地下で肝試し……もとい、探検をしている余裕などは無かった。話を確認する事は未だ出来ていない。
「そう、昔、邪竜と戦って亡くなったこの土地の民らが身につけていた防具や武器、そして血から作られた墓石があるんだよ」
ブローデンが優しく教えてくれる。
地下のトーチの灯りを追ってゆっくりと通路を歩いていく。
ジヴェルの部屋の前を曲がって、更に奥へ向かっていきながらエイシャも口を開いた。
「あの……何故このお城の地下にお墓があるのですか?」
当然の疑問だ。変わった事が多いこの世界でもそれは疑問視される。
「……そうだね、普通はそれを変だと思うよね。ま、色々答えてあげるよ、僕の知っている範囲だけど」
僅かに振り返って微笑む彼の表情はとても優しく、クアッドやジヴェルが彼を信用しているのであろう理由が何となくわかった気がした。
長い通路をゆっくり歩き、地下の墓場への入り口に到達する。
鉄でできた扉は閉じられており、ブローデンがそのドアノブに手を掛けた。
「この城が邪竜の作らせた神殿だった事は聞いているね?」
扉が重い音と共に開く。
ブローデンが手を僅かにかざすと、その奥のトーチが一斉に灯って階段が見える。
ここまではエイシャも知っているのだ、ここまでは来れたし、見えてもいた。
「神殿の本体は元々この地下でね。彼……邪竜クアッドはここの奥に鎮座していたのさ。反旗を翻した者たちは、竜人も人間も獣人も関係なくここで殺された。皆殺しだよ」
「……」
階段を降りていきながら話を黙って聞いている。
地下の空気は寒いほどに冷たく、まるでジヴェルの指先の温度みたいだった。
「聖女リゼリスがここに訪れるまで、彼は殺し続け、死体で足の踏み場も無い程だったらしいよ」
息を飲む。そんな曰くのある場所をゆっくりと降りていくが、今自分の見ている景色が死体で埋まっている様子など、どう考えても想像出来なかった。
当然だ、貧困に喘いではいたが、戦乱に巻き込まれたわけではない。
それはこのヴェルト小国が不自然な程に平和だからだ。加えて、エイシャの持つ前世の記憶さえ、戦争の知識が書物を見た程度しかない。
「先代は残ったこの神殿を城に作り替えるよう仰せになった。この城は君も知っている通り、山にある。ここに来る前に君も見たよね、凄く目立っていたでしょ?」
「え、はい……」
答えるとほぼ同時、それぐらいで階段を降り切った。
ブローデンが再度手をかざすと、そこにはたくさんの金属の塊の山。
黒い光沢を放つ金属の四角い塊がそこら中に散らばり、山を成している。
それの一つ一つをよく見ると白い物が混ざっており、目を凝らすとそれが骨であることが分かった。
こんな物がある所で、クアッドに襲われたのだ。
エイシャはジヴェルがこの場所を気に入っている事も知らず、その墓石を恐怖とも言い難い視線で見る。
「城下町からもよく見えるよね。この城自体が大きな墓石みたいなもの……ノーラン城はただ大きいだけじゃない、領民への慰めの意味もある建物なんだ」
言ってブローデンがその墓石の一つを撫でた。
「城の中にはこの大量の墓石がある事を、領民も知っている。これが何で出来ているのかも。ま、これでもこの数は減った方なんだけどね」
「数が……減った……?」
こんな人の来なさそうな城の地下にある墓石の数が減っていくものなのだろうか。
それもこの墓の数々、墓石と表現したが"石"ではなく、その殆どが金属で出来ている。
「ああ……普通は変だと思うよね。それも説明してあげるよ。ジヴェルもきっと……君がそんな事を知ったとは思わないだろうし、あの方の呪いが発動しない程度ならね」
言いながらエイシャを墓石の山の裏側へと案内し、ゆっくりと歩みを進める。
確かに、ジヴェルの想定内で動きたくないと思って後先も考えずに口走ってしまったが、それを少し後悔はしている。
黒い金属の塊を横目に見ながら足を前に出した。
「……僕が元執事長なのも知ってるかな? 僕は今のクアッド様の執事だったんだ。彼は凄くやる気も気力もない人でね……あんまり何かに心を奪われる事もない人だった。でも、若い頃の僕が暇でやってた遊びに凄く興味を示したんだ」
言いながら更に奥に進む。
この地下は思っていたよりも広く、奥がそもそも灯りの無さもあって見えない。だが、軽く手をかざされるだけで壁の小さなトーチが灯り、青白い光で内部を淡く照らした。
「僕は土の属性を持っててね、土の魔法で人形を作って動かして、それで暇を潰していたんだけど」
彼の歩みが止まる。
「それをクアッド様が凄く気に入ってくださってね……今もそれを欲しがってるんだ。作れるだけ作れ、だってさ」
地下の奥で、その輪郭がぼんやりとだが露わになった。
黒い金属で出来た、不恰好ではあるが人の形をした塊。
いくつも並んだそれはのっぺりとした表面に青い灯りを反射させてテラテラと光っていた。
「全く……これを作るの、流石の僕でも1日に1つが限界なんだよ〜? 翌日は疲れちゃって仕事にならないしさ。普通の人間だったら無理だったね! ほんと人使いが荒いんだから」
ヘラりと笑うように言ったブローデンがエイシャの方を向きなおる。
「改めて……挨拶をさせてもらおうかな、エイシャ嬢」
彼の穏やかな表情は何も変わらない。だが、それこそ不気味な表情に見えた。
「僕はブローデン・リッケル……土の魔導師だよ」
僅かに後ろに下がったエイシャの後ろには、いつの間にかその人形の一体が立って退路を塞いでいる。
「安心して、君にどうこうするつもりはないよ。僕が大丈夫だと思っている範囲の事を話しているだけ」
「魔導師……なの……?」
初老の男は笑顔のまま、ゆっくりと頷いて見せる。
まさか、彼がそうだとは夢にも思わなかった。
魔導師とは、国内において各属性の頂点となる人物。努力のみ、才能のみでは到底なる事などできない。
国王も彼ら魔導師の意見を無視する事は出来ず、時折召集を掛けて意見を聞く程。
ノーラン公爵であるクアッドが闇の魔導師だということは知っていたが、それがまさか部下にも魔導師がいるとは思わない。
だが、少し考えれば納得はいく。
あのジヴェルを部下にし、邪竜の子孫であり闇の魔導師であるクアッドに仕える彼が普通の人間であるはずがないのだ。ただのお人好しが収まる事のできるポジションではない。
冷えた地下の空気の中で汗が流れる。
「この人形……」
どう考えたって、これが普通のただの置物だとは思えない。現に、エイシャの背後にある人形は確実に移動して、エイシャの後ろに立っているのだ。
「これは僕の範疇だから答えても大丈夫かな。主導はクアッド様だけど、この研究はクアッド様と僕の共同研究みたいなものなんだよ。僕の役目は上質な人形を作る事……」
言ってその内の一体を可愛がるようにぽんぽんと叩く。100体とは言わないが、50体は居るであろうそれらが全部エイシャの方を向いている様子は完全に不気味としか言いようがない。
「僕はこのクアッド様の研究に心から納得し、賛同したから協力しているけれど。君の不信感は深まったと思う。使用人達に掛かった呪いの事も実はもう知ってるでしょ。ジヴェル自身への疑いもあるはずだ。そこにこの墓場と人形の山。変だと思わない方が凄いよ」
ジヴェルに対する漠然とした不信感。それを改めて他人に指摘されると、彼に隠し事がある事実を肯定されたも同然だ。
だが、適当にジヴェルの鼻を明かしてやろうと何も考えずに言った結果がコレなのだから、受け止めるしかない。
この城では誰も彼もが歪な何かを隠している。
こういう時に思いつきで変わった行動を取るとロクな事がないのだから。本当は、自分が関わっていい問題ではないことも分かっているのに。
頭は視界が取り込んだ情報を処理してくれない。
それでも、ブローデンの話す声は柔らかく耳に入った。
「だけど、いつか言った事……それは本当だ」
目の前に立つ初老の男は、いつもの穏やかな笑顔ではない。
「ジヴェルを……僕の友達を助けて欲しい。僕だけじゃ彼を支えられない」
困ったようにも悲しいようにも見える表情は、普通に泣いたりするよりも寂しく感じて、何故か此方の方が苦しくなる。
「君の執事は傲慢でプライドも高い。何でも自分で出来ると思っている。だけど……とても寂しがり屋なんだ」
心から誰かを慈しむような声音が、一層悲しい。
「一緒に居て、彼の事を理解してあげて欲しい。たくさん教える事は出来ないけれど、今日僕が教えた事は必ず役に立つ。他の令嬢とも積極的に話をしてみてね」
このままでいくと、恐らくエイシャはジヴェルを拒否してしまいそうだから。
だが、それはエイシャにとっていい事ではない。ジヴェルはエイシャを逃す気など無いのだ。躍起になった彼が幽閉しないとも限らない。
幾ら自分が土の魔導師であろうと、本気を出したジヴェルを相手には出来ないし、何よりブローデンはジヴェルに成し遂げて貰わないといけない事がある。
彼を敵に回す事は出来ない。
せめて……せめてエイシャには納得してジヴェルの側にいて欲しいと思った。
何より、初恋を応援したい。
大切な友人が、たった一人のつがいと平和で幸せに寄り添えるように。