72話 家族が集合する
ママン視点
追記・本日から聖女さま三巻の発売日となる8月10日まで毎日更新します。
「ただいまー! ママーン!」
台所で皿を洗っていた女性は、その声にはっと顔を上げた。
魔物使いになると言って王都の学園に行ってしまった娘の声だ。
長期の休みでなければ帰ってこられない娘と息子に寂しい思いをしていた彼女だったが、ついに幻聴を聞くほどになったかと思った。
「あれー? ママン、いないのー? あーけーてー」
続けて聞こえてくるはっきりとした娘の声に、女性は慌てて皿を落としかけた。
「カナタちゃん!?」
紛れもない娘の声だ。
そういえば、もう王都の学園は夏期休暇に入っている頃だ。
魔物使いになったら王都を出て旅に出たことは、息子のアルスからは聞いていた。
それにアルスの休みには合わせて帰ってくるとも聞いていた。
「もう、前もって手紙を出してくれれば良かったのに」
そう言いながらも女性の声は弾んでいる。
愛しい娘が帰ってきたのだ。
小さな頃からの夢である魔物使いになって。
もう魔物は仲間に出来たのだろうか。
あの子のことだからとびきり強い魔物を仲間にしているかもしれない。
怖い魔物を連れていても怖がらないようにしないと。
「待って、カナタちゃん、いま開けるからー!」
パタパタと玄関へ駆けて、女性はドアを開けた。
「お帰りなさい、カナタちゃん」
「初めてお目にかかる、御母堂。我はザッくん。カナタの従魔である」
女性を出迎えたのは、カナタではなく角を生やした長身の男だった。
「…………」
「……奥方?」
固まってしまった女性の顔を長身の男が覗き込む。
女性は息を大きく吸って、叫んだ。
「い、美丈夫ーーーーーーーー!?」
† † †
「諸君、魔法とは何だと思う?」
この辺境を治める領主、ボルドー・アルデザイアは、自分の生徒たちに問うた。
「はぁ」
生徒たちは気の抜けた様子で、生返事を返す。
訓練に十分な広さを持たせた砂地に、黒板がぽつんと置かれている。
ボルドーはチョークを折る勢いで、黒板に殴り書く。
「魔法とはこの世の奇跡! 魔法とは人々の夢! 呪文を詠唱し、力ある言葉で解き放つ! その瞬間、魔法はこの世界に顕現するのだ!」
「はぁ」
熱く語るボルドーと反対に、生徒たちの熱は冷め切っている。
広場にしゃがんで頬杖を突いたり、大きなあくびをしたり、真面目に話を聞いている者は一人もいない。
「しかし、この呪文というものに、俺は疑問を持っている。決められた呪文を詠唱しなければ魔法が発動できないのならば、魔物にも魔法が使える者がいるのは何故だ? 人類と同じく言語を用いる魔族だけではなく、明らかに知能の低い魔物でさえ魔法を行使する。これはすなわち、本来魔法の発動に呪文の詠唱は必要ないと言うことを意味しているのではないだろうか」
「はぁ」
「魔法の発動に必要なのは、呪文ではなく意思の力だ。呪文とは願いや想いの方向性を定める補助でしかなく、単純に強固な精神力さえあれば魔法を操れる証拠に他ならない!」
「はぁ」
打っても打っても返ってこない返事に、ボルドーはわなわなと震えてチョークを握り折った。
「なんだなんだみんな!? 俺の講義がそんなにつまらないか!? そんなことではいつまで経っても立派な魔法使いにはなれんぞ!!」
「いやぁ……」
「だってなぁ……」
生徒たちは顔を見合わせて肩をすくめる。
「なんだ! 言いたいことがあるなら先生に言ってみなさい!」
「じゃあ、遠慮なく」
「おう!」
ボルドーの一番近くにいた生徒が片手を挙げて言った。
「俺たちの職業は剣士で、いまは剣術訓練の時間です。魔法の講義は必要ありません」
正論だった。
現在、彼らは領主ボルドー自らが行う剣術訓練を受けに来ているのである。魔法の講義に興味があるはずがなかった。
「むむ! それは痛いところを突いてくる!」
「だいたい、領主様は魔法なんてまったく使えないじゃないですか」
「俺らでさえ、簡単な火魔法くらいなら出せるのに」
「ていうか、どうせ魔法を教えてもらうなら、ボルドー様じゃなくてアレクシア様にお願いしたいよな。何せ賢者様だし」
「美人だし」
「優しいし」
「こんなむさ苦しいおっさんに教えてもらうより、百倍良いよな」
「「「そうだそうだ」」」
生徒たちの意見は一致した。
ひっこめー、帰れー。魔法の才能ゼロ領主ー。
口々に投げつけられる不満にボルドーは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「お前らーっ! アレクシアちゃんは渡さねえからな! アレクシアちゃんのいけない個人レッスンは俺のもんだ!」
「「「そこかよ!」」」
生徒たち──村の自警団たちは総勢で突っ込んだ。
「ないわー。領主様の夫婦生活とかめちゃくちゃ聞きたくないわー」
「というか、いつになったら剣術を教えてくれるんですか?」
「午後からまた畑を耕さにゃならんのだけど」
「魔法とかどうでも良いから、早く稽古つけてくださいよ。それしか能がないんだから」
やれやれと生徒たちはため息をつく。
「お前ら、言いたい放題か……」
仮にもボルドーは爵位を持った貴族で、彼らが住む辺境の領主なのだが、完全に舐められ切っていた。
「しょうがねぇなぁ。じゃあ、準備運動もかねて素振りから始めるか」
魔法を講義していたときとは打って変わって、やる気のない様子で訓練を始めるボルドー。
逆に生徒たちは一瞬で姿勢を正して、真面目に素振りを始めた。
そんな時である。
ボルドーは遠くから聞こえてくる、愛妻の声を聞いた。
「なにぃ!? 美丈夫だとぅ!?」
ボルドーは家のある方向をキッとにらみつけた。
「え? ボルドー様、ついに幻聴まで聞こえるように?」
「悩みがあるなら聞きますよ、本当に聞くだけですけど」
「むしろ聞き流しますけど」
相変わらず冷たい生徒たちだが、ボルドーは気にも留めずに駆けだしていた。
「アレクシアちゃんをたぶらかす不届き者はどいつだぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
森の木々をなぎ倒さんばかりの走力で、ボルドーは駆ける。
崖を飛び降り、畑を飛び越え、わずか数秒で愛する妻の元へと駆けつけた。
「貴様か! アレクシアちゃんに粉をかける悪漢は! そこになおれ! 俺のファイアボールで焼却してくれる!」
愛妻アレクシアの前に立っていた男が、ボルドーの声に反応して振り返る。
「貴公はカナタのお父上か? お初にお目にかかる。余はザグギエル改めザッくん。カナタの従者をさせてもらっている」
つややかな黒髪に、怜悧な風貌、しかし口元には穏やかな笑みをたたえた完膚なき美丈夫に、ボルドーは閃光を浴びた屍喰鬼のようにたじろいだ。
「ぐ、ぐおおおおおおお! い、イケメンパワーが強すぎるっ……! この俺では太刀打ちできない! 我が家きってのイケメン、アルス君を呼んでこなくては!」
「何を馬鹿なことを言ってるんですか、父上」
ボルドーの背中からひょっこり顔を出したのは、息子のアルスだった。
夏期休暇となっていたアルスは、カナタよりも一足先に帰郷していた。家の裏で薪割りをしていたら、聞き覚えのある声がして玄関まで外から回ってきたのだ。
「おお、アルス! あのイケメン! あのイケメンがアレクシアちゃんをたぶらかして! お前の無駄に良すぎる顔面パワーで倒してくれ!」
「父上を見ていると、本当に姉上の父だなとしみじみ思います」
暴走すると人の話を聞かないところだろうか。
ザグギエルに匹敵する顔面の持ち主であるアルスは、もちろんザグギエルと争うことなどなく、握手をした。
「お久しぶりです。ザッくん殿」
「おお、アルス殿も久しいな。……む? 今の余の姿を見ても分かってくれるのか」
「ええ、王都の襲撃の時、僕も後ろの方にいましたから。旅立っていく姿は拝見しています」
魔物使いの職を得たカナタが学園を辞めようとして、学園長率いる教師陣と揉めたことがあった。
その時に同席していたアルスは、ザグギエルと顔見知りになっている。
「あ、アルス。まさかそのイケメンと知り合いなのか」
よろよろと近づいてきたボルドーに、アルスはため息をつく。
「だから、人の話を聞いてください、父上。こちらはザッくん殿。姉上の仲間となってくださった魔物です」
「ま、魔物!? このイケメンが!? どっちかっていうと、魔族なんじゃないのか? 暗黒大陸にいるような」
暗黒大陸にいるどころか、その暗黒大陸を治めていたのがこのザグギエルである。
「カナタにはいつも世話になっている。カナタから話だけは聞いていたが、いつか挨拶させていただきたいと思っていた」
ぽかんとするボルドーともザグギエルは握手を交わす。
『き、貴様! ずるいぞ!』
その様子を見ていたフェンリルも、慌てて本体と合体した。
『我が名はフェンリル改めフェンフェン! カナタ様の第一の従者! カナタ様のお父上! お母上! 弟君! よろしくお願いいたす!』
白銀の神狼と化したフェンリルが、その巨体を誇るように胸を張ってお座りする。
「う、うおお、でけぇ……! カナタちゃんはこんな凄いやつらを仲間にしたのか……!」
「あなたとは初めましてですね。よろしくお願いします」
驚くボルドーと対照的に、アルスは無表情だ。
しかし敬意を持って挨拶し、お手をする形になったフェンリルと握手する。
『ちょちょ、待て! そんなん聞いておらんぞ、妾!? 妾もやる! へ、変身! 変身じゃあ!』
状況に置いていかれたエリザヴェトは、全身に力を入れて震えだした。
カナタの神聖な血によって枷をかけられたエリザヴェトが、毛玉の姿から赤いドレスをまとった美女へと変じる。
「はぁはぁ、良し。一定期間カナタの血を飲まなければ、元の姿に戻れるようじゃな」
エリザヴェトは呼吸を整え直し、優雅にドレスを翻し、歌うように自らの名を名乗った。
「妾の名はエリザヴェト改めエリたん! 真祖なる吸血鬼の姫にして、カナタの一生の伴侶じゃ!」
「こ、今度はすげえ美女が!? 魔物使いってすげー!」
「いえ、どう考えても姉上が特殊なのだと思います」
「雄は嫌いじゃが、カナタの家族となれば話は別じゃ。特別に妾の手に口づけることを許してやろう」
「え、まじで?」
手の甲を差し出されて、ちょっとドキッとするボルドー。
「父上……」
そんな父にあきれ果てるアルス。
「あなた?」
そして背後から底冷えのする声をかける妻アレクシア。
「ひっ!? ち、違うんだ! アレクシアちゃん!」
ボルドーは震え上がって、アレクシアの足下にすがりついた。
そして、震え上がるのはボルドーだけではなかった。
「じぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ……」
元の勇壮な姿に戻った、三体の従者をカナタが半眼で見つめている。
責めるようなその視線に、ザグギエルとフェンリルは弁解した。
「す、すぐ! すぐ戻るぞ! 短い間だと約束しただろう! な!」
『いましばらく! いましばらくお待ちを!』
「え、なんじゃ? 何を慌てておるんじゃ?」
ふたりは慌てて元の毛玉に戻るが、エリザヴェトは状況をよく分かっていない。
首をかしげるエリザヴェトの口に、カナタは指を突っ込んだ。
「はうひゃ、何をするんじゃあ……」
思わずカナタの指に吸い付いてしまったエリザヴェトは、その指先から小さく出ていた血を飲んでしまい、あっという間に毛玉に戻ってしまう。
「よし!」
むふー、と満足げに鼻息を鳴らすとカナタは三匹を改めて紹介した。
「ザッくん、フェンフェン、エリたんだよー! 可愛いでしょ!」
三匹をまとめて抱きしめるカナタの顔は幸せ一杯であった。
久しぶりに家族全員が揃ったアルデザイア家。
新たな家族であるザグギエル・フェンリル・エリザヴェトも温かく迎え入れられる。
聖騎士団に追われていると聞いた家長であり、この地を治める領主ボルドーはカナタたちに裁可を下す。
その裁可とはいったい!?
次回『夏休みを楽しみなさいねー』
乞うご期待!






