71話 実家に帰る
この男、純粋に気持ちが悪い。
「なに? 見失っただと?」
部下からの報告を聞き、セオドリックはその柳眉を歪ませた。
屍姫エリザヴェトと、彼女を連れ去った少女たち。聖騎士団は彼女らを追跡するために教会の信者たちから情報を集め、各支部と連携を取ることでその行方を迅速に辿っていた。
信じがたいことだが、エリザヴェトを連れ去った少女は古代に失われたはずの転移魔法を操り、追っ手を振り切っていたが、教会の情報網から逃れることは出来ていなかったはず。
『そ、それが忽然と姿を消してしまい……。聖都ローゼンティアから出た形跡はありませんでした。おそらくそこから我らの目の届かない場所へ転移したのだと思われます……』
神聖教会の信者は億をも超えようという数だ。
魔物使いの少女が起こしたという奇跡のせいで、信仰が揺らいでいる信者がいるとはいえ、全体の母数から見れば微々たるもの。
彼女をかくまう信者が出たところで、それを密告する信者は必ず出てくるはず。
それすらないのは、教会の信者そのものがいない場所へと転移したのではないだろうか。
例えば絶海の孤島や山岳の奥地。そういったところへ逃げ込めば、確かに追っ手の目はくらますことが出来るだろう。
だが、そんなところではまともな生活が送れまい。食料を探すのを始め、体を洗い休める場所を見つけるのにも苦労するに決まっている。
「おのれ、我が愛しの君をそのような不便な場所へと連れ回そうなど……」
セオドリックは悔しげに歯噛みをした。
『は……?』
「いや、何でもない。……貴様らは一度全員こちらへ帰還せよ。策を練り直す」
『はっ……! ではこれより第一から第一二八分隊を集結させ、帰還します!』
いぶかしげな顔をしていた騎士は、セオドリックの言葉に姿勢を正し、命令を復唱してから通信を終える。
「……愛しの君よ……」
セオドリックはぽつりとつぶやき、執務机の引き出しから、布に包まれた長方形の物体を取り出した。
セオドリックは慎重に布をほどく。物体は魔法によって風化を防ぐ処理が施されているが、それでも解れを隠せないほど古いものだと分かる。
布を払うと、そこには鮮やかな色合いで描かれた肖像画が現れた。
美しい女性の肖像画だ。
深紅のドレスに身を包んだ姫君が、黄金の髪をなびかせて視線をこちらに向けている。
「ああ、やはり貴女は美しい……」
そこいらの国の姫では、到底纏うことの出来ない高貴な気配。
しかし、その高貴さの中に湛えられた微笑みと視線は慈愛に満ちていて、セオドリックはこの肖像画を見るたびに心を鷲掴みにされるような息苦しさと胸の高鳴りを感じる。
姫君の表情は、この肖像画を描いた者へと向けられたもので、そしてその者が姫君からどれほどの愛を向けられていたかの表れでもあった。
この肖像画を初めて見たのは、セオドリックがまだ聖騎士として認められたばかりの頃だ。
古くから神聖教会の敵となるものを排除してきた聖騎士団だが、そんな中に襲撃してはならない者がいた。
それがこの肖像画の彼女だ。
深紅のドレスよりなお紅い瞳は、この女性が教会の仇敵である吸血鬼であることを示している。
魂の輪廻の輪から外れた不死者を何を置いても討伐することに重きを置いてきたこの聖騎士団にとって唯一触れてはいけないタブーが彼女であった。
なんと千年もの昔からその命令は続いているという。
命令そのものはすでに忘れ去られていて、吸血鬼の姫の所在そのものも失伝していた。
少年だったセオドリックは何故この者だけが特別なのか不思議に思った。
そしてその衝動が、正義感によるものではないことも、その胸の高鳴りから気づいていた。
教会の古い資料を調べても、姫君の情報はまるで出てこず、禁忌とされた書庫へと忍び込み、そこでようやく埃を被った古書を見つけだした。
その書によると、肖像画は神聖教会の始祖である始まりの聖女によって描かれたと記されていた。
老いた聖女が記憶を頼りに描いたものだそうだ。
あまりにも鮮明に描かれた絵は、聖女にとって彼女が忘れられない存在であることを意味している。
肖像画に描かれた姫君が何者かは、聖女は最後まで語らなかったそうだが、彼女と生涯を共にした神狼フェンリルにだけは話したことがあったそうだ。
そのことが何故記録として残っているのか。それはこの書が聖女の側仕えだった者が記したものだからだ。
著者は誰にもこの書を見せるつもりはなかったのだろう。
秘密の日記として盗み聞きした聖女の話の内容が、おぼろげながらも書かれていた。
その中に姫君の詳細がいくつか含まれていた。
姫君の名はエリザヴェト。始まりの聖女が幼い頃に出会った吸血鬼であり、聖女を救ってくれた恩人であり、そして裏切ってしまった後悔の人物でもある。
「ああ、エリザヴェト……」
セオドリックは愛おしげに肖像画に頬ずりする。
エリザヴェトの微笑みも優しげな視線も、セオドリックに向けられたものではなかったが、絵を見て一目惚れをし、彼女のことを知ってなおその情動を深めたセオドリックには関係がなかった。
同時に、セオドリックは目的を遂行するために順序立てた道筋を立てられる人物でもあった。
おそらく今もなお古城で孤独に暮らしている、古き吸血鬼の始祖エリザヴェトを娶るという目的だ。
ただの聖騎士の若造である自分では、まず忘れ去られた古城へと向かうことすら出来ない。
まずは着実に任務を重ね、上からの覚えを目出度くし、可能な限り早く出世する。
彼はその目的通りにわずか十余年で聖騎士団の長となり、そのカリスマ性により全団の実権を握るまでになった。
そこからは簡単だ。
神聖教会の信者の情報網を使い、わずかな噂すらも集め吟味し、エリザヴェトの古城の位置を特定した。
表向きは今もなお存在する神敵、屍姫エリザヴェトの討伐だ。
しかし、セオドリックはエリザヴェトを灰へと返すつもりはさらさらなかった。
一つの肖像画から芽生えた慕情をずっと持ち続けたセオドリックの思いは自己中心的で歪んだものへと変化してしまっていた。
人間である自分と吸血鬼である彼女が結ばれるには、常ならぬ方法が必要だ。
その方法とは、エリザヴェトを書類上は討伐したことにし、密かに捕らえ、痛めつけ、弱らせ、自分に服従するまで調教しようというものだった。
昼の間に油を撒き、日が沈むのを待って古城に火を放った。
吸血鬼が最も弱る昼に襲撃しなかったのは、真祖ともなれば弱点の大半は克服しているものが多く、そうでなくとも自分の棺桶には十重二十重の罠を仕掛けているものだ。
狙うは日没直後、エリザヴェトが起きた瞬間を強襲する。
狙い通り、エリザヴェトはあっさり聖槍に串刺しにされ、瀕死の重傷にまで追い込んだ。
エリザヴェトを弱らせるまで、騎士の数十人が犠牲になることを覚悟していたが、エリザヴェトが何の抵抗もなくやられたのは不思議ではあった。
その辺りの事情は捕らえてから聞き出せば良いだけどのこと。
まずは徹底的に弱らせて、捕縛する。
エリザヴェトは肖像画と寸分変わらぬ美しさだった。
それは槍で貫かれ、炎に焼かれても変わらない。
セオドリックは今すぐ駆け寄って抱きしめたい衝動に駆られたが、今行けば吸血鬼の剛力で体をバラバラに引き裂かれてしまうだろう。
それはセオドリックの望むところではない。
セオドリックの立てた作戦通りに騎士たちは動き、エリザヴェトは体中から槍を生やしたまま、炎に身を焼かれながら窓から古城の外へと落ちていった。
愛しいエリザヴェトを傷つけるのは心が痛んだが、これも叶わぬ恋を成就させるために必要な試練だ。
そして、城の外へと逃げたところで、大勢の騎士がすでに包囲している。どこにも逃げ場はない。 聖槍も充分に用意しており、エリザヴェトが完全に動かなくなるまで串刺しにして、両手両足を杭で十字架に打ち付けて磔にしたあとは、秘密裏に騎士団本部の地下に幽閉するつもりだった。
じっくりと調教すれば、この深い愛が彼女に届くだろうとセオドリックは本気で信じていた。
しかし、その目論見は瓦解する。
その原因は、突如闖入してきた、黒髪の少女。
醜い毛玉を引き連れた彼女は、正義を司る聖騎士団と悪鬼たるエリザヴェトを見比べて、何の躊躇もなくエリザヴェトの味方をした。
聖騎士ではなく、吸血鬼を信じるとは魔女の類いに違いない。
事実、少女は古代の超魔法である転移魔法で、エリザヴェトを連れ去ってしまった。
エリザヴェトを連れ去ってどうするつもりか。酷い目に遭わされていないか。セオドリックは心が痛んだ。
「エリザヴェト、いったいどこへ……。必ず助け出してあげるからね……」
† † †
『この体になって、日の光は克服できたと思ったのじゃが、暑いものは暑いのう……。しかも時折寒気もするし、風邪でも引いたんじゃろうか』
カナタが王とを旅立ってから数ヶ月。夏が近づいているのか、日差しは日ごとに強まり、地面からは陽炎が登っている。
『カナタよ、結局のところ、とっておきの場所とはここで良いのか?』
カナタたちは青々と茂った麦畑に通るあぜ道を馬車で通っていた。
マリアンヌの元から転移魔法で旅立ったカナタが降り立った場所が、この麦畑だった。
「うん、いきなり行くとびっくりしちゃうかも知れないから、もうちょっと先まで進むけどね」
誰がびっくりするとかはカナタは言わなかった。
「夏期休暇には帰るって言ってあるし、大丈夫」
『夏期休暇、帰る……。どこかで聞いた話であるな』
ここへ来た目的は神聖教会の目から逃れ、聖騎士団の追跡をまくためだが、確かに畑と民家がちらほらと建つだけの田舎には教会の建物はなさそうだ。
少なくとも支部の鏡で連絡を取られそうな気配はない。
『確かに人目は少なそうですな』
真っ昼間だからか、農作業をしている者も少ない。木陰で休んでいるか昼食を取っているのだろう。
遠くからカナタの姿を見かけると、頭を下げる者たちもいた。
カナタは彼らに手を振り返す。
『顔見知りなのか?』
「うん、わたしが小さい頃から知ってるよー」
『カナタを小さい頃から知っている。ということは、ここはもしや……』
ザグギエルには他の二匹にはない心当たりがあった。
王都でカナタの弟であるアルスとの別れ際の会話だ。
馬車が進み続けると、家が見えてくる。
農家の家よりは立派だが、さして豪勢というわけでもない普通の家だ。
『村長の家ですか?』
「ううん、領主のおうちだよ」
『これが? 妾のボロ城の方がまだマシじゃったぞ』
とてもではないが領主の家には見えない。
どんな辺境の小さな領地とは言え、こんな民家と変わらぬ家に住む領主はいないだろう。
「ただいまー! ママーン!」
声を上げたカナタにザグギエルが立ち上がった。
『む、やはりか! カナタ! しばし、しばし待て!』
「え?」
ザグギエルはカナタの頭から左肩に飛び降りると、ひそひそと耳打ちした。
ザグギエルの話を聞いたカナタは嫌そうな顔をした。
「ええー、やだー」
『そこをなんとか! そこをなんとか頼む! 最初の挨拶だけだから!』
「むぅぅ、しょうがないなぁ。ちょっとだけだよぉ?」
『感謝する!』
口をとがらせるカナタにザグギエルは礼を言い、その内容が分からない他の二匹は首をかしげた。
故郷に帰ってきたカナタたち。
母を呼ぶカナタに、ザグギエルはある頼み事をする。
その頼み事とはいったい何なのか。
次回『イケメンが挨拶しに来た!?』
乞うご期待!






