68話 理不尽に没収する
フェンリルは涙もろい
『これが、妾の罪じゃ』
エリザヴェトの独白が終わった。
『ふ、ぐぅぅぅぅ……!』
フェンリルは目に大粒の涙を溜めてもらい泣きしていた。
彼もまた聖女を探して当て所ない旅を続けていた身だ。共感する部分もあったのだろう。
『なるほどな。余もまた暗黒大陸を平定して、人間たちの住む大陸への侵攻をやめさせたが、それでも人間との交流を持つという考えは持たなかった。それほどまでに種族の壁は大きい』
ザグギエルは神妙にうなずいた。
『妾は人の血を啜って生きておった。あの娘とのことがなければ、今も変わらず人を食料としか思っておらんかったじゃろう。妾は人の世を乱す悪い魔物じゃ』
うつむいていたエリザヴェトが顔を上げる。
『それでも、それでも妾はあるじ様と一緒にいたいと思ったのじゃ。じゃから、妾の過去も知っておいて欲しかったのじゃ。知った上であるじ様の答えを聞きたかったのじゃ』
昨夜の発言は勢いに任せて言ったものだったらしい。
朝起きて、そんな話を始めると言うことは、根が真面目なのだろう。
傍若無人な振る舞いばかりに目が行くが、もしかして人見知りして怖がっているだけなのではないだろうか。
不安げな瞳でカナタを見上げるエリザヴェト。
カナタはそんなエリザヴェトを抱き上げて言った。
「関係ないね! エリたんはもうわたしの仲間だもん! 離さないよー! ちゅっちゅっ♪」
『あ、あるじ様ぁ……』
キスの雨を降らされ、エリザヴェトは感激の涙を流した。
「それに、きっとエリたんの好きだった人も、もう一度会いたいと思ってたはずだよ」
『そうじゃろうか……』
恐ろしい化物としてだけ、あの娘の心に残っていたのではないかという不安がエリザヴェトの胸を締め付ける。
『ぐすっ……おい、貴様のその話はどれくらい前の話だ』
もらい泣きしていたフェンリルが涙を拭ってエリザヴェトに問うた。
『な、なんじゃ。それがそちに何の関係がある』
『良いから答えろ。どれくらい前だ』
『そう言われてものう。妾も時間の感覚があやふやじゃが、おそらく千年くらいは前のはずじゃ』
『やはり、そうか』
『なんじゃ、突然聞いて勝手に納得するでない』
『これは聖女様がお亡くなりになる少し前に、我に話してくださったことだ』
フェンリルの言葉に、エリザヴェトは首をかしげる。
『聖女様? その女が妾といったい何の関係があるのじゃ』
『聖女様には大切な友達が一人いたそうだ。幼い頃の自分を助けてくれた、種族は違うがとても大切な友達が。誤解させたまま離ればなれになって、そのまま自分の役目をこなすことに必死で会いに行くことが出来なかったと』
その話は、エリザヴェトの語った過去と共通点があった。
『せめてもう一度会いたいと、会って謝りたいと、聖女様は言っておられた。世界を幾度も救い、神聖教会の長になった聖女様は、もう自分の都合で出歩ける身分ではなくなっておられたのだ』
『おい、まさか、その聖女様というのは……』
『だから聖女様はせめて彼女が静かに暮らせるよう、各国の討伐書から名を消し、もう誰からも狙われないようにした』
そこまで話せば、エリザヴェトの知る娘と、フェンリルの知る聖女が同一人物であるのは間違いなかった。
『そう、か……。あの娘も妾に会いたいと思ってくれておったのか……。それにそんな立派な人物になったのじゃな……。襲撃がやんだのはあの娘のおかげじゃったのか……』
どこか気の抜けた様子で、エリザヴェトは笑った。
『くかか、妾は本当に愚か者じゃの。やはり会いに行っておけば良かったのじゃ。今更すぎる話じゃがな……』
『いや、遅くはないだろう。貴様は間に合った』
『……どういうことじゃ?』
ちらりとフェンリルはカナタを見る。
カナタ自身は否定しているが、カナタは聖女の生まれ変わりだ。
魂の匂いすら嗅ぎ分けるフェンリルは確信していた。
記憶がなかろうと、新たな人生を送っていようと、カナタは自分の知る聖女様であり、エリザヴェトの知るあの娘である。
エリザヴェトはちゃんと謝れていたし、許されていた。
しかし、今世を生きるカナタに過去の話を背負わせるつもりもフェンリルにはなかった。自分たちの間でだけ知っていれば良い秘密だ。
『まぁ、それは後で話してやる』
『なんじゃ、思わせぶりなことを言いおって! 役立たずの毛玉じゃのう!』
『なにを! ふわふわと浮かぶことしか能のない毛玉が言うか!』
『そちは飛ぶことすら出来んじゃろが!』
『まったく、朝から騒がしいやつらだ』
パタパタと小さな翼で飛ぶエリザヴェトと、それをぴょんぴょんと跳ねて追うフェンリル。その様子を呆れながら見るザグギエル。
そんな三匹に囲まれながら幸せそうなカナタ。
新たな仲間を加えたパーティは上手くやって行けそうだった。
† † †
『あるじ様はモフモフとやらを求めて旅をしておるのじゃな』
「そうだよー。世界中のモフモフと仲良くなるのです!」
村を発って数時間、太陽は中天に近づいている。
馬車はのんびりと進む。
ザグギエルはカナタの頭の上に、フェンリル(本体)は馬車を牽き、分身は膝の上だ。エリザヴェトは右の肩に留まって、カナタの頬ずりを受けている。
『そのモフモフってなんじゃ?』
「モフモフはモフモフだよ。ザッくんもフェンフェンもエリたんもモフモフ!」
『ふーむ、モフモフとは妾たちの間に共通してあるものということじゃな。しかし、そんなものあるかのう?』
『分かっておらんようだな、新入り』
『考えが足らないようだな、新入り』
古参の二匹がここぞとばかりにマウントを取り始めた。
『モフモフとは!』
『強さのことよ!』
ばばーんと、二匹は強そうなポーズを取って言った。
『強さじゃと? モフモフとは強さのことなのか?』
「そうだね、みんな最強にモフモフだよー」
『……こやつらの言う強さは、あるじ様の求めるものとは違う気がするんじゃが』
なんと、三匹目にして違和感に気づく者が現れた。
『だいたい、そちら全然強くないではないか。スライムにすら負けそうじゃぞ』
『ふっ、やはり分かっておらん!』
『我らの真の姿を見せてやろう!』
ザグギエルはカナタの頭から飛び降り、空中で変身を解く。
フェンリルは本体の背中に飛び乗り、意識と力を融合する。
『の、のじゃーっ!? なんじゃ、この力は!? ぜ、全盛期の妾と同等……!? いや、それ以上かもしれんのじゃ……!』
「くっくっく」
『ふっふっふ』
驚くエリザヴェトに得意げに笑うふたりだったが、当然の如く長続きはしない。
「待ってくれカナタ。すぐに戻るから。そんな目で見ないでくれ」
『わ、分かっております。こちらの姿で常時いなければ修行の意味がありませぬな』
じとっとした目で見てくるカナタに、ふたりはすぐに毛玉へと戻った。
『あるじ様はあの姿の二匹は気に入らんのかの?』
『馬鹿者め、そうではない。これはカナタから与えられた課題なのだ』
『力を抑えたこの姿で強くなることで、己の限界を突破することをカナタ様は望んでおられるのだ』
全くもって誤解だが、二匹の中でそれは当然の事実となっていた。
『妾もこの姿のままでおった方が良いのかのう。あるじ様の血で力自体は戻っておるから、元の姿に戻ろうと思えば戻れそうな気もするのじゃが……』
「それは駄目だよ、エリたん!」
『お、おう……』
凄まじい気迫で言われ、エリザヴェトはちょっと引き気味に返事をした。
『この姿じゃと、不思議と日の光が平気なのじゃ。手足が短いのが不便じゃが、あるじ様がこの姿を望むのであればこのままで良いのじゃ』
「うんうん、そうだよ、このままが良いよー」
スリスリとエリザヴェトに頬ずりして、カナタはご満悦だ。
『しかし、カナタよ。昨夜の件だが問題は解決していないのではないか』
『そこの吸血鬼を逃がした以上、あの騎士どもは我らにも捜索の手を広げるのでは』
あの夜、カナタは聖騎士たちに顔を見られている。
大きな狼のフェンリルも目立つため、目撃者から情報を集めればすぐに見つかる可能性はあった。
そんな予想をしたせいだろうか、背後から馬の駆ける音が聞こえてきた。
「待てい! そこの馬車!」
「やはりいたか! 吸血鬼をかばい立てする魔女め!」
昨夜と同じ鎧を着た騎士だった。
分かれて捜索していたのか、追跡してきたのは二名だけだ。
彼らは馬車を追い抜くと、馬を反転させて道を塞いだ。
「吸血鬼をどこに隠した! 言え!」
「馬車の中か!?」
『ここにおるのじゃ!』
問いただしてくる騎士たちに、エリザヴェトは毅然と答え、小さな翼で騎士たちの前へ飛んでいく。
『この屍姫エリザヴェト、昨日までならばそちらに殺されてやっても良かった! しかし、もう駄目じゃ! 妾はもう死んでやらぬ! あるじ様と生きていくのじゃ!』
エリザヴェトの告白に、二人の騎士は、沈黙した。
「……吸血鬼をどこに隠した! 言え!」
「馬車の中か!?」
そして同じ台詞を言い直した。
『じゃ、じゃからここにおると……』
涙目になってしおしおと着陸したエリザヴェトを、ザグギエルとフェンリルが押しのける。
『その毛玉の状態で言ったところで、気づくわけがあるまい』
『気づいたところで、連中への応対は変わらんがな』
エリザヴェトがいようといまいと、この騎士たちはカナタに危害を加えるつもりだろう。
ならば、従者の自分たちがやることは一つ。
『この魔王ザグギエルと!』
『神狼フェンリルが!』
『『貴様らを蹴散らしてくれよう!』』
ザグギエルとフェンリルは勢いよく駆けだし、馬の足によじよじとしがみついて登り始め、力が足りずに途中でずり落ち、背中を地面に付けたまましゅばばと足だけを動かした。
『来い! 臆したか!』
『我らはここだ! 下りてこい!』
騎士たちはそんな二匹の毛玉に沈黙した。
「…………吸血鬼をどこに隠した! 言え!」
「馬車の中か!?」
三度めの正直とばかりに、同じ台詞を繰り返した。
『うっ……。我らは敵とさえ認識してもらえないのか……』
『か、カナタ様、申し訳ありませぬ……』
カナタは馬車から降りて、落ち込んだ三匹を抱きかかえる。
「みんな泣かないで。みんな最強にモフモフなのは、ちゃんとわたしが知ってるから」
『あ、あるじ様……』
『カナタ……』
『カナタ様……』
従者たちを感激させたカナタは、キッと騎士たちをにらむ。
「この子たちを泣かせるなんて許せません!」
「……えっ?」
「……わ、我らは何もしてない」
三匹とのやり取りをなかったことにして、話を進めようとしただけなのに許してもらえなかったようだ。
「強制ボッシュート!」
カナタが告げると同時に、騎士たちの足下に穴があく。
「「うわああああああああっ!?」」
その穴の先は昨日泊まった村だ。カナタの手に魔法によって、騎士たちはその場から消え去った。
馬で追いかけ直しても、数時間はかかるだろう。
『相手は神聖教会の聖騎士団。怪我をさせれば事態がこじれかねんか』
『あのような無礼者どもにさえ、穏便に済ませるとは。さすがカナタ様、慈悲深い』
何の役にも立たなかった二匹が、神妙にうなずく。
『……あるじ様、こやつらいらんのではないか?』
自分も特に役に立たないことは棚に上げて、エリザヴェトはカナタに提案した。
「ザッくんもフェンフェンも、もちろんエリたんも必要だよ! あんな人たちには渡さないのです!」
騎士たちは別に三匹の毛玉を欲しがっているわけではないと思うが、自分たちを必要だと言ってくれるカナタにまた感激した。
『カナタは、いつだって余らの成長を信じてくれる……』
『カナタ様、我らは必ず強くなってみせますぞ……』
『あるじ様、あの男どもには渡さないなんて、それはもう愛の告白ではなかろうか……ドキドキするのじゃ……』
カナタが三匹を必要としているのは、戦力としてでも恋人としてでもないのだが、そこに水を差す者はいなかった。
モフモフを泣かせる者には容赦しないカナタ。
聖騎士団がどれだけ追いかけてこようとも問題にはならないが、エリザヴェトの気が休まらないのは事実。
困ったカナタたちだが、ザグギエルがある妙案を思いつく。
その妙案とはいったい?
次回『冒険者ギルドは役に立たない』
乞うご期待!
活動報告にて、口絵イラストを一部公開しております。
こんな高慢美人の屍姫が、モフモフ毛玉になるなんて……。