第53話 邪教認定される
「何をするのかと思ったら、そういうこと! どこまでも神聖教会を虚仮にする気ですか!」
聖女マリアンヌは自室で苛立っていた。
怒りの原因は連日都から聞こえてくる【真の聖女】とやらの噂のせいだ。
何でも、教会が見放した貧民たちをタダ同然で救っている者がいるらしい。
呪文も唱えず重症の患者を癒やしたり、荒れ果てた共同墓地を浄化したり、動物までもがその少女を慕い、集まっているらしい。
一部間違って伝わっているものもあったが、確かなことは、少女の起こした奇跡によって多くの者が信仰の対象を変えているということだ。
信仰は神々の力の源だ。それをわずかとはいえ奪われるのは神聖教会の聖女として許せないことだった。
しかもここは神聖教会のお膝元である聖都ローデンティアだ。わざわざこの場所で信仰を奪うような真似をするのは明らかに挑発している。
「馬鹿にして……! 馬鹿にして……! 馬鹿にして……っ!」
強く噛んだ親指の爪が割れる。
呪詛魔法を壊して邪魔をするばかりか、直接信仰を奪いに来るなど。女神の言葉がなければとっくに聖騎士団を派遣して、邪教の徒として火炙りにしてやるところだ。
「何が【真の聖女】ですか……! わたくしが聖女じゃないとでも言う気!? わたくしこそが神から認められた聖女なのですよ!」
忌々しく睨んだ窓の外からは、人々の歓声が聞こえてくるようだ。
今日もその【真の聖女】やらの活躍を聞いて人々が集まっているらしい。
神聖教会に喜捨もできない貧乏人たちだけではなく、神父や修道女まで姿を見に行っていると聞く。
部下に王都や村で起きた事件を調べさせたところ、やはりあの少女の足跡が残されていた。
各地で奇跡を起こし、信者を奪うような真似をして、いったい何の目的があるのか。
「ええい! 苛々する!」
鏡を見ればひどい顔をしていた。こんな顔では信徒たちの前に姿を現せられない。
マリアンヌは、溜まったストレスを解消することにした。
向かうのは、大聖堂の地下に設えられた牢獄だ。
あそこには神狼が繋がれている。
思えば反抗的なあの狼の顔を見に行くのは久しぶりだ。
今も心折れずに、自分を睨みつけてくるだろうか。
そんな神狼の顔を踏みつけてやるのはとても気分がすっとするのだ。
「あなたが悪いのですよ。さっさとわたくしのものになって従っていれば、聖女もどきなどに信徒が騙されることなどなかったのに」
始まりの聖女と世界を救う旅をしたと言われる神狼がそばに侍れば、だれもがマリアンヌを聖女だと認めるだろう。
こうなったらたっぷりいじめ抜いて、神狼の心を壊してしまえばいい。
マリアンヌのそばに神狼がいる姿を信徒に見せられさえすれば良いのだ。
「ふふ、楽しみです」
マリアンヌは思わず舌なめずりをした。
薄暗い地下牢にマリアンヌはひとり、足を踏み入れる。
「フェンリルさぁん? 元気にしてましたかぁ?」
壁に吊るされてあった拷問具の中から棘付きの鞭を取り、マリアンヌは神狼を繋いだ牢へと向かう。
「いたいたぁ❤ どうしたんですかフェンリルさん。構って上げなかったから拗ねちゃったのかしらぁ?」
檻の鍵を開けて牢屋に入ると、いつもなら憎々しげに鼻筋にシワを寄せて威嚇していた神狼が起き上がろうとすらしない。
「……おや、本当にどうしました? 嬲りすぎましたか……? 怪我らしい怪我はないようですが……。返事をして下さいな、フェンリルさん」
試しに鞭を鳴らしてみるが、フェンリルはピクリともしない。
信徒の神への信仰を力の起点とした結界の中で、うずくまったままだ。
「死んではいないようですが、これではまるで抜け殻ではないですか……」
ぐったりして弱っているというよりは、魂がここにはないような……。
「……! まさか……!」
聖女としての勘がマリアンヌに異変を訴えている。
嫌な予感がした。
「まさか、ここにいる神狼は本当に抜け殻で、本物があの少女のもとにいるのでは……」
神狼は肉体を持つ魔物よりも、精霊に近い生き物だ。肉体を分離させることもやろうと思えばできるかも知れない。
この結界は対象が強ければ強いほど封じる力も強くなる仕組みだ。
もし力の大部分をここに残しているのであれば、脱走できても不思議ではない。
神狼がくだんの少女と同行しているという話は聞こえてこないが、これから合流すると言うことも考えられる。
「女神様はああおっしゃられていたけど、神狼を奪われるのはまずい。神狼は聖女の象徴ともいうべき存在。このまま放っておけば、各地の信者をあの小娘に奪われる……!」
マリアンヌは鞭を放り出し、事態の収拾を図るべく、地下室の階段を駆け上がる。
「異端審問官……いえ、審問など必要ありません! そこの者、火急の用件です! 聖騎士団長をここに呼びなさい!」
「は、ははっ! すぐに!」
マリアンヌの非常呼集を聞いた団長が部下を引き連れて、マリアンヌの前に跪いた。
「マリアンヌ様、火急の用件とはいったい何事でしょう」
「聖騎士団を招集なさい」
「ははっ! 私の直参である第一部隊ならばすぐに動けます!」
「第一部隊だけではありません。聖都にいる全部隊を呼び集めるのです」
「全部隊を!? いったい何が起きたというのです!?」
聖都の聖騎士団の団員は五千人を超える。各地へ派遣している者を除いても二千人が存在する聖騎士団全員の招集とは、ただ事ではない。
どこかの国が攻め込んできたとでも言うのか。
「邪教徒です」
「邪教徒がこの街に進軍してきたというのですか!?」
そんな報告は上がっていない。上司である聖女マリアンヌが先にその情報を握っているとは、聖都の防備を任された自らの不覚に、団長は激しいめまいがした。
だが、その後マリアンヌから発せられた言葉で、そのめまいが吹き飛んだ。
「軍ではありません。相手はひとりです」
「ひ、ひとり、ですと……? たった一人の邪教徒に、マリアンヌ様は全軍を動かすというのですか!?」
「そうです。必ず全軍で向かうのです」
団長はマリアンヌがおかしくなったのだと思った。
正気なのかと問いただしたかったが、それをぐっと飲み込む。
マリアンヌは女神の神託を授かる本物の聖女。彼女がやれと言ったことは、それすなわち女神の命令に等しい。
「珍しい黒髪黒目をした少女です。肩に毛玉のような魔物を乗せていますが、どちらかが神狼フェンリルのはずです」
「神狼フェンリル……!? あの伝説の……!」
地下牢の存在を知らない団長は、お伽噺に出てくる登場人物の名前に驚きの声を上げた。
「そうです。あの邪教徒は本来わたくしのそばに仕えるべき神狼を誑かし、操っているのです。これが邪教の業と言わずして何というのでしょう」
「なんと、そのような悪しき魔女をこの聖都にみすみす入れてしまうとは……! 申し訳ありません、聖女マリアンヌ様……!」
「過ぎてしまったことはしかたありません。ですが、これ以上の放置は看過できません。今すぐ神狼を私の元まで届けるのです」
「ははっ! お任せ下さい! 魔女めはいかがいたしましょう!?」
「無論、処刑して下さい。神の使いである神狼を攫った大罪は、極刑以外には贖えないでしょう」
「了解いたしました! 速やかに魔女を始末し、神狼を聖女マリアンヌ様の元へお届けに上がります」
「頼みましたよ」
深々と頭を下げる団長を見下ろし、マリアンヌは自分こそが魔女のごとき笑みを浮かべた
フェンリルの脱走を知り、カナタに騎士の追っ手をかけた偽聖女マリアンヌ。
邪悪な彼女の思惑は上手く行くのだろうか──
次回『騎士団が真っ二つに割れた!』






