第49話 神託を受ける
『この口だけ神狼め。お前はいったい何の役に立つのだ。鼻は利かない馬車は牽けない。その無駄な綿毛でカナタの手慰みになるくらいしか取り柄が無いではないか』
『ぐ、ぐぬう……』
むしろカナタにとってはフェンリルのその綿毛のような触り心地だけで最高の仲間だったのだが、何とかカナタの役に立ちたいフェンリルは悔しげに唸るばかりだ。
『くっ、元の体ならばあの程度の馬車、らくらく引いて見せるものを……!』
「えっ? フェンフェンには元の体があるの?」
『無論ですとも! 今のような貧弱で小さな体ではなく、何十倍も大きく力強く……』
「な、何十倍の大きさのモフモフ……!?」
カナタは巨大な白毛玉に埋もれて眠る自分の姿を妄想し、よだれを激しく垂らした。
「ど、どうすれば大きくなるの!? ごはん!? ごはんいっぱい食べる!?」
両手をわきわきさせながら詰め寄るカナタ。
『い、いえ、食事は充分頂いております……』
フェンリルは自分が失言をしてしまったことに気がついた。
神聖教会の大聖堂へ行けば、確かに元の体には戻れる。しかしそれは、あの悪逆たる偽聖女マリアンヌと対峙することを意味する。
自分の都合でカナタを危険な目に遭わせたくない。しかし、元の体でなければカナタの役には立てそうもない。二律背反にフェンリルは苦悩した。
自分の本体が聖都で拷問を受けているなどと聞けば、この優しい主は怒って教会に殴り込むだろう。
しかし、いかにカナタが強くとも、全世界に何千万もの信徒がいる神聖教会を敵に回して無事に済むはずがない。
個人の力では限界があるのだ。
自分の力より、まずは主の身の安全だ。
『先ほどの話はそうだったら良いなという、我の妄言です! 失礼いたしました!』
「えー、そうなの……?」
『そ、そうなのです。期待させてしまって申し訳ありません』
不満げなカナタにフェンリルはごまかし笑いをする。
『…………』
ザグギエルはそんなフェンリルを見て沈黙を守った。
『して、カナタ様の旅の目的地はどこなのでしょうか!』
ここはまだ聖都からさほど離れていないはずだ。なんとか別の方向に誘導して、聖都から離れてもらおう。
フェンリルのその考えは即座に否定されることになる。
「向かうは西です!」
『昨日、村長に地図を見せてもらったが、この道を真っすぐ行けばいずれ聖都にたどり着くだろうな』
『な、なんと……!』
神聖教会から離れたいと思っていたら、行き先がその本拠地であることにフェンリルはうろたえた。
† † †
──その頃、聖都ローデンティアの大聖堂では──。
「術式がまたひとつ……」
呪詛魔法の核としている宝珠が砕け、聖女マリアンヌは自分の魔法が破壊されたことを知った。
これで二度目だ。
ひとつは王都の下水道奥深くの死霊。もうひとつはゴブリンの集落に住み着いたオーガにかけた魔法だ。
邪悪な瘴気を寄り集め、かけられた者に強い力と悪心を植え付ける呪詛に近い魔法である。
術をかけるも解くも、マリアンヌ次第。
マリアンヌはこの魔法を使って、各地で人々の信仰心を集めることに成功していた。
若くして神聖教会の聖女として収まり、女神の覚えがめでたいのもこの魔法によるところが大きい。
しかし、それを邪魔する者が現れた。
どちらも時間をかけて呪いを成長させ、しかるべき時に魔物を暴走させて近隣に混乱を起こす。
そこへ聖騎士団を送り込み、同時に術式を解除。
何が起こったか分からず、力を失った魔物を悪者として退治し、問題解決に導くことによって神聖教会への信仰を集める予定だった。
人々の信仰は神々の力となり、またその信徒であるマリアンヌにもさらなる奇跡を与えてくださる。
おぞましく卑怯なやり口だが、それに気付き咎める者は誰もいない。
その術式が、短期間の間に二つも壊されるとは。
ただ魔物が倒されただけならば、まだ分かる。凄腕の冒険者が先に魔物を発見し、退治してしまうこともあるだろう。
だが、それだけではこの魔法の術式は壊れない。
下水の死霊は現世に縛り付ける呪いを解除された上で浄化されていた。ゴブリンの巣のオーガはおそらく死んでいない。術式だけが破壊されている。
術者である本人にしか分からないことではあったが、そのような手応えをマリアンヌは感じていた。
「オーガにはまだ術をかけたばかりで、さほど強力な魔物には育っていませんでしたが、下水道の死霊はかなり成長していたはず」
あと数ヶ月もあれば、毒まみれの汚水が下水道からあふれかえり、王都を危機的状態にする予定で、そこへ聖騎士を派遣することも予定に組み込まれていた。
もし誰かがあれを浄化したのだとしたら、数百人からなる神官が行ったことになる。
しかし、そこまで大規模な動きがあれば、教会が感知しないはずがない。
下水の問題は王都の冒険者ギルドが内々に処理してしまっている。
「では、冒険者が行ったと? それほどの浄化魔法の使い手ならば、相当に名の知れた人物のはずですが、王都にそんな冒険者がいるという話は聞いたことはありませんね」
聖女たる自分の浄化魔法でも王都全域に浄化魔法をかけるなどという化物じみた事はできない。
一番被害のあった下街の住人らは、一人の少女のおかげで救われたと言っているらしいが、それも噂の域を出ない。
「いったい、何者でしょう?」
もし二つの術式を破壊したものが同一人物だったとしたら、その者はこちらの思惑に気づいている可能性がある。
どうにか死霊を浄化した者のことを知りたいが、ギルドは独立行政法人の面が強く、教会が圧力をかけたところで情報を渡しはしないだろう。
「女神様に、報告すべきですね……」
神の手を煩わせてしまう罪に、マリアンヌは渋面を作った。
マリアンヌは自室を離れ、大聖堂の最奥にある女神像に祈りを捧げる。
聖女の職業を得た者は、神との交信が可能になり、様々な神託を授かり、世界を良き方向へ導く役目を授かっている。
というのは建前で、聖女は神の操り人形だ。
神が望めば信仰を集めるために災いの種を世界にばらまくこともいとわない。
神のすることは全て正しい。神にすべてを捧げよ。
そう心の底から思える強すぎる信仰心を持つ者に聖女の職業が提示される。
『マリアンヌ……。聖女マリアンヌ・イシュファルケよ……』
マリアンヌの祈りが天界に届き、美しい女神像に光が差す。
「女神様……」
マリアンヌは降臨した女神に、深く頭を垂れる。
『迷い子よ……、あなたから戸惑いを感じます。何か問題が起きているようですね』
「はい、実は──」
マリアンヌはこれまで起こった事情を女神に打ち明けた。
王都やゴブリンの巣に信仰収集の布石として仕掛けておいた呪詛が解除されてしまった。もしかしたら、これは同一人物による行いである疑いがある。その場合、その人物の行き先がこの聖都ローゼンティアである可能性が高い、という話をした。
『……そ、それは、もしや……』
「女神様……?」
『いえ、何でもありません』
「もちろん、すぐに原因を究明し、当該の人物を排除します。女神様への信仰収集の邪魔をしようという背教の徒など、この聖女マリアンヌが女神様に変わって神罰を執行いたしましょう!」
信仰心のこもった瞳で見上げてくるマリアンヌに、女神は引きつった声で答えた。
『い、いけません』
「えっ……?」
『布石の一つや二つが壊されたくらいで何だというのですか。放っておきなさい。ええその方が良いのです』
「ですが……」
『あれに関われば火傷では済まないと言っているのですっ! どうして分からないのですか! このグズっ!』
「ひっ! も、申し訳ありません……!」
怒鳴られたマリアンヌは亀のように背中を丸めて許しを請うた。
『……この少女です』
嘆息した女神が、光を使って幻影を浮かび上がらせる。
幻影は白と黒の毛玉を抱きしめて歩く少女の姿をしていた。
「こ、こんな子供が、私の呪詛魔法を……!?」
信じられない、とマリアンヌは口を開け、女神の前で信仰を疑うような言葉を言ってしまったことを恥じ、慌てて話題を変えた。
「魔物を連れているようですね。弱そうですが見たことのない魔物です。まさか、この娘、魔物使いなのですか?」
ますます信じられないとマリアンヌは目を見開く。
『間違えて関わらぬように姿は教えておきますが、彼女に干渉は不要です。放っておけばそのうちこの地を離れるでしょう。嵐のように過ぎ去るのを待つのです』
「ですが、正体がわかっている者をむざむざ放置などしては……。それにこのような小娘、如何ようにも消してみせます」
『……神託に異を唱える気ですか?』
「い、いいえっ。失礼いたしましたっ」
『念を押しますが、この少女に関わってはいけません。あれは魔王軍を単騎で撃退しているのですよ。貴方では正面から戦ってもどうにもなりません』
「ま、魔王軍が……!? この大陸に攻めてきたのですか……!?」
暗黒大陸から魔王軍が転移してきたのは、たった二日前の出来事だ。マリアンヌの元へその情報が届くにはあと数日はかかるだろう。
魔王軍をたった一人で倒すなど、人類最強の存在である勇者でも難しい。
それをこの少女がたった一人で倒したというのか。
にわかには信じがたい事実だった。
『済んだ話です。魔王が力を取り戻し、こちらの大陸に存在する以上、そのうち勇者の職業を持つものも出てくるはず。いま戦いを挑むのは得策ではないのです。賢者や剣聖、強者をうまく集めて戦力が整うまでは、あれに関わっても何も良いことがない……まったく……重魂者め……何故あんな世界の歪みのような存在が生まれて……』
「女神様……?」
苛立たしげにぶつぶつと呟く女神に、マリアンヌは不安になる。
あの美しく超然とした女神がこれほど取り乱すのを初めて見た。
『……何でもありません。とにかく、あなたはこれまで通りに活動していなさい。信仰を集め魂を捧げる。それが聖女の役目です』
「……畏まりました。女神様のご意思のままに……」
すでに二回も叱責を受けている。これ以上の反駁は女神の怒りを買うだろう。
マリアンヌは女神の無言の圧力を受け、おとなしく従うことにする。
『では、あとのことは任せましたよ』
女神の気配が石像から消えた。
マリアンヌはしばらくひざまずいたまま、両手を組んで女神に感謝の祝詞を送っていたが、不意に顔を上げた。
「……誰か、いますか?」
「はっ!」
聖女の呼びかけに応じて聖堂の番をしていた騎士が現れる。
「女神様のご意思は絶対です」
そう、聖女は女神の代弁者。女神の言葉に逆らうことなど許されない。
「……ですが、この聖都で狼藉を働かないよう監視する必要はあります」
これは女神の意思に反したものではない。関わらないために相手の居場所を確かめることは必要なことだ。
「二匹の小さな魔物を連れた黒髪の少女が現れたら、私に報告なさい」
「ははっ!」
聖女マリアンヌのこの指示が吉と出るか凶と出るか、それはまだ誰にもわからない。
女神からの神託を拡大解釈してしまう聖女マリアンナ。
普通の相手ならば、優秀な判断だが、相手の格が違った。
一方その頃のカナタたちはいったい──
次回『馬車を引く』






