好奇心
気が付くと知らないところにいた。
まるで白の絵の具で塗り潰したような空の元には白い柱が地面から突き出している。
全てが垂直水平の綺麗な四角柱。斜めに切られたような断面や誰かに破壊されたような歪な柱は一つもない。
しかし柱の一部には囲うようにして作られた螺旋階段が取り付けられていた。誰でも上に上がれるように。
垂直水平には整えられているものの、高さは見てすぐ分かるばらつきが目立ち、柱と柱の間の道の間隔もバラバラだった。
全体を見渡すと、どのような構造になっているのか知ろうとした俺は、近くにあった螺旋階段付きの柱に行き頂上を目指した。
「ふぅ…やっと着いた…って、あれ?」
螺旋階段をやっとの思いで辿り着いた所で、目には一人の少女が映った。
長く黒く、くせ毛の一つない艶やかな髪の白いワンピースを着ている少女がまるで俺を待ち受けるかのように。
「おーい」
『…………』
聞こえていないのだろか…こちらを振り返る素振りはない。
「おーい!」
もう一度、今度は明らかに少女の耳に届くような声で叫ぶと
『ごめんね……』
少女から帰って来たのは意外な声だった。
『ごめんなさい……』
背後から聞き覚えのある声がして、即座に俺は後ろを振り返った。
「かあさ……いない」
声ははっきりと聞き覚えがあったものの、その姿は無く、ただただ四角い柱が永遠と広がる景色しか見えない。
『本当は来る必要はなかったんだ…ごめんな』
今度はまた俺の背後から父さんの声がして、振り返ってみても俺の目は少女と白で塗り潰された空しか見えない。
「ねぇ…なんで謝るんだよ。なんか悪いことをしたの?」
俺の記憶には悪いことをされた覚えはない。なのに3人共、その声には恐らく何かしら理由があるそれは間違いない。
『ごめんね……』
全てが消失し、俺は暗い闇へと引きずられた。
※
「はっ…!はぁ…夢か…」
不思議で不気味な夢だった。
まぁ夢自体、不思議なことが起こるのが当たり前だが、朝起きると大抵なんのことだったか忘れる。
でもさっき覚えていた。父さん、母さん、そして白いワンピースを着た少女。
巫穂と思ったが、その気がしなかった。何より声が違う。
けど、懐かしさを感じた。
(一体誰なんだ?)
あくまで夢の中で起こった出来事なのに、人生で一番不気味に感じた夢だ。
窓のカーテンを開けると太陽は西に移動していたが、空はまだ青い。
机の上に置いていた目覚まし時計を見ると、午後4時32分。
8月だから空はまだ青色だが、冬ならもうオレンジ色が見えている頃だ。
(コンビニ行こうか…)
本当のことを言うなら、外にはもう出たくはない。だけど巫穂に「あれ買って来て」なんて言うことは出来ない。そんなことをすると、何かしらのお返しが来るのが目に見えている。だからこそ、自分の足で向かわねばならない。
俺はベットのそばに置いてあった鞄の中から財布を手に取り、中身を見た。
諭吉が1枚、英世が4枚。
コンビニのカード、ゲームセンターのカード、保険証ect…。
「保険証…保険証と言えば…病院だ!」
あの時交差点の中にいて無事なのは、俺だけだ。
正直、灼熱のアスファルトに皮膚が触れたら無事で済むわけがいない。俺の場合は、幸いにも左手は火傷せず、謎の重力から無理矢理逃れた時に出来た擦り傷だけだ。
「行こう」
例え誰も覚えてなくとも、そこにあの出来事があった。
それだけを知りたい。
自分だけ覚えていて、周りの人はあったことすら覚えていない。
それは嫌だが、今現実はこうなっている。
俺と楓だけが覚えていても。
他の人たちが覚えてなくても。
朝10時頃の俺と楓しか知らない天災が確かにあったということを知りたい。
この行為がどこか矛盾していても。
俺はスマホと財布を持って家を後にした。
いつの間にか、出たくないと寝る前に思った感情は夢と共に幻となっていた。
※
人目を気にしながらも、何とか県立鷹山中央病院へ歩いて来た。
意味不明な事件が起きたあのスクランブル交差点は通らないから、正直気持ちも楽であったものの、恐怖感は拭えない。
外から病院のセンターホールを見ると慌ただしくもなく、通常通り営業している。全員の入院が終わったのだろう。
俺は何の躊躇いも無く中へ入った。
13階建ての病院内は1階と2階部分が一部吹きぬけになっていて開放感を感じる。
平日と休日で出入り口は違い、今日は休日で、道路沿いの方の出入り口から入った。平日は道路から入って少し奥にある立体駐車場の方から入ることになっている。何故両方開けないかは知らないが。
休日専用の出入り口の入ってすぐ右にはカフェが併設されている。
カウンター席で「ノートパソコンを持って何やら作業している人の数は異常」という県立鷹山中央病院あるあるという話があるように、やたらビジネスマンの人が多い。だが今はピークを過ぎたのか、店舗外から窓越しに店内を見る限り、今日は珍しく人があまりいない。
反対に左を進むと小さな図書館みたいな場所がある。本棚よりもそれに対して机と椅子の数の多さが目に付く。一台の大きい机の下にある8脚の椅子もあれば、仕切りがついた勉強机があるように周囲の誘惑をカットするための机もあった。本当に「いつでも勉強しに来なさい」と、ミニ図書館の隅に置かれた現国、数学、英語など様々な参考書と問題集が置かれいる本棚とその本をコピーするためのスキャナが付属されたプリンターが語っているようだった。
ここに来るのは近くの高校、その殆どが進学校である鷹山南高校の生徒が勉強しにくる。
自分自身はそもそも病気や怪我以外でここに来ることはないし、そもそも通っている学校が、本気でいい大学を目指すようなクラスではないからだ。
だが俺はミニ図書館には寄らず、病院に入ってそのまま真っ直ぐの場所に規則正しく設置してある長椅子に座って、スマホを操作してるように見せかけながらも、目の前を歩いている人の会話に耳を傾けた。
※
30分くらい経っても、朝10時頃の大きな出来事を喋る人は居なかった。
でも黒色のパーカーに白い無地のインナー、そして白のストレッチデニムを着た、低身長色白美少女の銀髪パーカー女子が1人、俺の近くをうろうろしてた。
あまりにも視界に入るから怪しいし、むしろあちらから視線を感じた。
謎の銀髪パーカー女子が俺をストーカーしてるか否か区別するために、俺は中に併設されていたコンビニの店内に入った。
窓際には雑誌やコミックが置いてあり、俺は目の前にあったスポーツの雑誌を手に取り立ち読みした。その直後だった。
「お主、この私から逃げられるとでも」
「うわっ!」
いつの間にか少女が俺の背後に立っていた。いくら顔が可愛くとも、その行為には俺の背筋を凍らせる。
しかも、他人である俺を「お主」と呼んだ。見かけによらず変わった少女だ。
※
この後少女と共に、一瞬だけ店内を見渡したカフェの中に入り、そのまま真っ直ぐにある奥のテーブル席に座った。少女が1人先に行くから何を頼むかと思ったが、何も頼まずそのまま奥にある窓際のテーブル席を確保しただけだった。
一番早く出来上がるアイスコーヒー(ブラック)と少女が好きそうなこの店オリジナルのアイスカフェラテを俺は頼んだが、アイスカフェラテにはどうやら時間が少しだけかかるらしい。店員から差し出された番号が表示されているプレートを持って、俺は少女と向かい合うように席に座った。
俺が座る席は、店内全体を見渡すことが一番出来る場所。そこから立体駐車場が窓越しに見えるし、ビジネスマンが良く座るカウンター席も見渡せるし、左隣のテーブル席も見える。今は2つ隣のテーブル席に客がいるくらいだ。
俺が席に座るタイミングを見計らっていたのか、ソファに腰掛けた瞬間、少女は被っていたフードを脱いだ。両肩をやや隠すくらいに伸びたセミロングの髪を軽く指で靡かせた後、六角形の雪結晶のような形をしたアクセサリーが付いた水色の髪留めゴムを使って、後ろ髪を括った。
「んで、君はなんで俺を露骨なストーカーしたわけ?」
誰もが不審に思うような行動をするからには何かしら理由があると思った俺は、少女に理由を聞いてみた。
「あぁ…この写真の人物なのではないかと思ったのだ」
少女はパーカーのポケットの中から、卒業アルバムのクラスメイト一覧に載っている青い風景に学生服を着た人物——当時中学3年の俺を映し出された掌サイズの写真を机の上に出した。
(嘘だろ…)
だが俺に絶句する暇も与えず、少女の口は動き続ける。
「申し遅れたが、私の名は氷見零奈。こことは《《違う世界》》から来たのだ。ちなみに別の世界では、レイナ・ヒミキノという名だ。レイナと呼んでもらってもかまわない」
「ちょっと待って…。俺じゃなきゃ戸惑ってたぞ」
楓と出会ってなければ疑問符しか浮かばなかっただろう。それどころか、可笑しい子だってどこかで嗤っていたかもしれない。別の世界は何のことかは知らないが、恐らく楓の言っていた世界の事なのだろう。もうそれしか信じるつもりは無い。
「俺は、北方凪。それより異世界のこと言うのは俺と、とある喫茶店以外では、あまり言わないで欲しんだ」
「ほぅ…それは何故?」
真顔で見つめて来るレイナの表情を見て、俺は少し頭を抱えた。
「知らない人が殆どなんだよ。俺も行ったことないから全ては信じれないけど、こういう異世界とかは空想として扱ってんだよ」
「そうなのか…以後気を付ける」
その独特な口調も以後気をつけてほしい気もするが、あのキリッとした顔のレイナから特徴《お株》を奪うようなものだろう。
「お待たせしました。オリジナルアイスカフェラテです」
トレーの上から俺とレイナがいる机に、今にもラテアートが出来そうなアイスカフェラテが置かれた。
それを見たレイナは、細長い袋に入った砂糖3袋をパーカーのポケットから取り出し、纏めて袋をちぎった後、そのまま中身をアイスカフェラテの中に入れた。
「しまった…混ぜる道具を忘れたのだ」
恐らくマドラーを忘れたのであろう。俺はレイナに「取りに行くよ」とだけ伝え、カップを回収する箱の隣にある砂糖やシロップが置いてある場所へ即座に向かった。
(カフェラテに砂糖3袋ってどんだけ甘党なんだよ…)
あの巫穂も中々の甘党だが、それを通り越す甘党っぷりには俺自身驚きを隠せなかった。
ひとまず異世界の存在を一足早く知った俺で良かったと心の底から思う。
でなければ今頃レイナをどこかで嗤っていたのかもしれない。『ははっ…抜かしおる!』って心の底から思っていたのかもしれない。(あいつらに感謝をするつもりは毛頭無いが)あの事件があったから聞く耳を持てた。
「となるとこの世界では、私がいたCENTERWORLDの世界は伏せらなければならないのか…。珍しい世界なのだ…」
コーヒーカップ上のマドラーをこれでもかと言うくらい回し続けるレイナはボソッと囁いた。
「というか、伏せるどころか匂わせてるんだけど…」
さっきからこっちをちらちらと半ば哀れな視線を送ってきている客に俺は嫌気がさした。
「はっ!すまない!私は思ったことをすぐ口に出してしまう癖があるのだ」
「そっか。これからは気を付けよっか」
そういう人は結構いる。思ったことをすぐ口に出したくてたまらないのは。
「んで、何しにここに来たの?」
まず俺は、レイナのここに来た目的を知りたかった。
「私はジョーカー・キルバを追ってこの世界に来た」
「ジョーカー・キルバ?」
「ああ…急に現れては幻のように消える存在感を操る能力の持ち主だ。とても厄介だ。自分だけでなく他人にも能力を使える」
そいつだ。
スクランブル交差点のど真ん中と、商店街のど真ん中で2度も嫌な思いを俺にさせた本人は。
「そこで私が来た。だが目的地へ向かう途中、頭がくらっとして情けないことに倒れてしまった」
恐らく熱中症の症状か、単なる貧血かもしれない。どちらになったかは俺は医者志望じゃ無いからよく分からないが、茹るような暑さの中で長袖のパーカーを着るような無謀っぷりを見る限り、恐らくの熱中症の確率が高い。
「気づけば私はここの施設のベットの上にいたのだ。私を助けてくれた榎という医者には感謝している」
(榎さんねぇ)
榎さんは熱中症のエキスパートで、俺の通ってる鷹山聖邦でも夏休み前になると講演してた。何で覚えているかは、中学時代もその人が学校に来ていたが、普通の堅苦しそうな人だった。それに声に催眠作用があるんじゃないかと思うくらい眠かったし、体操座りだから尻が痛かった。が、高校に進学した時だった。今度は姿を見るだけで吐き気を催す能力があるんじゃないかと思うくらい性格が変わった。
「ちょっと話が逸れてしまったな。北方殿」
「凪でいいよ」
「では凪殿」
(殿はつけるのね…)
「この依頼を受けるにあたってお主の協力が必要なのだ」
「え?」
なんてこった。いきなり協力を求められ、俺の頭の中が混乱し始めた。
「ちょっとまて、俺はそこら辺の一般人だよ。ましてやあいつらに今日してやられたばっかりなのに、戦えと」
つまり自然の物理をねじ曲げる化け物に挑めと。ゲームじゃあるまいし。
誰だこんなことを指示した奴。
「凪殿何も聞いておられなかったのか。氏郷殿からそう指示されたのだが…」
「ちょっとまて…その人の名前もう一度教えて」
「氏郷殿。確かこの世界の苗字は北方と…」
「それ…俺の父さんだ!」
「な…なんと!」
俺もレイナも驚いてしまった。
俺にとんでもない無茶な作戦を指示する…納得出来るならただ1人、父さんだけ。
父さんがなかなか帰ってこない理由が分かった。
CENTERWORLD
そこにいるからだ。
聞いた感じだと、どうやら人に指示できるような上の位の役職にいるらしい。
「ゴ…ゴホン。わ…私は氏郷殿の右腕として、活動しているのだ。息子によろしくと言った時は何のことやらと疑問に思ってしまったのだが、このことだったのか…」
レイナは手で口を被せるような仕草で呟くように話した。
父さんの仕事が何なのか全く分からなくなってきた。
「まぁそれより…この世界に‘‘カエデ’’という水温調節の化物がいるそうなのだが、凪殿何か知らないか?」
「誰が水温調節の化物ですって?」
聞き覚えのある声。だいたい5時間半前に聞いたその声に、レイナは一瞬で背筋が凍りついてしまった。
楓《ご本人様》がいつの間にかレイナの背後にいたのだ。
俺も楓の声がした時まで気づかなかった。そもそもレイナの背後にいることに気がつかなかった。
「向こうの席になーんか聞き覚えのある声がしてるなーと思ったら、まさかレイナと方凪ちゃんがいるなんて。不思議だねー」
今真っ先に『不思議なのはお前だよ。いつからそこにいたんだよ』と言いたかったが、 レイナの振り返りたく無さそうなその表情を見ると、その気持ちは心の隅に引っ込んだ。
「というわけで、方凪にこれあげる」
楓はカウンター席においてあったオレンジパフェを俺の前に差出した。
「あ…ありがとう」
「わ…私のは…」
「ないよ」
「ガーン…」
1人だけパフェを貰えなかったレイナは顔を下に向けてひどく落ち込んだ。
それよりも『ガーン』って擬音語自分で言うのが疑問に感じる。
でも、スイーツは諦めきれないようで
「凪殿…お願いだ!そのパフェを私に譲ってくれぬか!?」
と顔を上げて、半ば涙目でお願いされた。
さすがにそこまでねだられると、俺は諦めるしかない。
「しょうがないなぁ」
オレンジパフェをそのままあげざるをえない。必死におねだりをされてはこちらもNOとは言えないからだ。
「かたじけない…」
その姿は最初と出会った時と違ってギャップを感じた。あの謎めいた雰囲気が融解していたが、その中身には何やら飛び道具があったようで、そのまま俺の心を射られた。