第三話 間違いは繰り返す
孝之に抱かれたのは成り行きだった。お互い恋愛した訳じゃない。私たちは子供で、セックスに興味が有って、処理しなければいけないと言う漠然とした強迫観念を持っていた気がする。
でもやはり辛かったのは確かで。
とあるきっかけと違う学校に進学した事が幸いし、高校入学と同時に孝之との関係は卒業した。もちろん二度と連絡を取ろうなどとは思わなかった。
女にとって愛情の無いセックスをするという事がどういう事なのか、気づかない振りをしている事が出来なくなったからだった。
だから私にとっては、蓋をしたい浅はかな過去だった。
なのにまた私は別の理由をつけて同じ間違いを犯してしまう事になる。
私はどうしようもない馬鹿なのだ。
同じボクシングというフィールドにいる限り、また彼に会う事は予想していた。現に小さな交流試合でのニアミスはたびたび有ったのだから。その“再び会う”という嫌悪感よりも私はボクシングを愛する事を選んだ。それに彼だって純粋にボクシングが好きだって事を私は知っていたつもりだった。
だから正面から顔を見合わせても自分は強く立っていられるとその時までは信じていた。
よりによって、孝之は基の事実上のライバルだった。
そしてその再会は最悪な形で現実になる。
ブロック大会、フェザー級決勝戦。私たちはお互いのコーナーにいた。その時の私は基以外の人間は見えていない、ある意味とても“幸せな”人間だったのだ。青コーナーの畠山は昔関係のあった男というよりも基の対戦相手以外の何者でもなく、私にとっては分析の対象だった。
思い出すのは彼の昔の癖、ジャブの時反対の肘が下がりやすいだとか、疲れてくると奇妙に足をスイッチし切り替える事だとか。
試合は接戦で、判定次第では負けたかもしれないと思った。だから基が優勝を決めた瞬間、私達は人目を気にせず抱き合って喜んだ。
その退出の時、破れた孝之が私を呼び出したのだ。
“話したい事が有る。”
と。
行きたくはなかったけれど、その事で後から部の人間にちょっかいを出されても嫌だった。その時は上手く話をまとめる自信が有ったのだ。
でも、現実は甘くない。
人気のない地下のトイレの目の前で、開口一番彼の静かな罵声が私の中でこだました。
「勇利ってさ、今でもダッチワイフしてんの?」
って。
痛い言葉だった。
その昔私は彼のトレーナーになる事を夢見て、孝之は将来の世界チャンピオンを目指していた。私はただマグロのように、好きだとかの感情も無く彼の欲望を処理してあげていた訳だから、そう言われても仕方が無かったのかもしれない。
気分が悪くなり、話なんか出来る状態じゃなくて逃げ出そうとした。その腕を掴まれた。
「俺、本当に勇利が好きだったんだ。それなのに、なんでこんな事になったんだよ。このまんま、ライバル続けるのか?もう一度、俺んとこに返ってくる気はないのかよ。」
そんな言葉、聞きたくなかった。
もう終わった関係だから。
彼が無理矢理かぶさってくる。身長はさほど変わらないのにその力の差は想像以上に大きく、ある意味予想のついた“差”だった。
この絶対的な“差”が私にボクシングを諦めさせたのだと心の中の冷たい声が囁いた。これが現実だからって。
逃げようとする私に彼はキスをした。ガチガチと歯があたり彼の汗の匂いが鼻孔を満たす。
耳鳴りと同時に聞き慣れた声がして、蒼ざめた基がそこに立っていた。
一部始終を聞かれたのは明白だった。それでも彼は私をかばい、悔しさからか恥ずかしさからか、今ではもう分析なんか出来ない感情に身動きも取れないでいる私をそこから連れ出してくれた。
でも、孝之が投げつけた“不信感”という石は、基の心に波紋をよんだ。確実に。
彼に負けて欲しくなかった。私なんかの関係に悩んで、せっかくの才能が潰れてしまうなんて耐えられなかった。基にはまだまだ可能性があって、これから羽ばたいていくのに、私のせいでリタイアなんかして欲しくなかった。
3年前の私はセックスの意味がよくわからなかった。その事で子供ができるってことも知らなくて、孝之に教えてもらったほどだ。避妊するから大丈夫と言われ、平気な顔をしながら大人になれば誰でもする事だから言い聞かせ、でも怖くて体をすくめていた。
あの頃からは少しは成長し、男と女の知識も増えたつもりだった。
だから基に抱かせた。
どうせたいした体じゃない。
私は他に問題の解決方法を知らなかった。ただ、孝之に許した事を基にも許す事で価値を量り合い、とりあえずはイーブン。現在進行形という事で基の方が上、という、今思えば情けないほど子供のやり方で自分を、いいや自分たちを納得させ合っていたんだと思う。
Left Alone つづく
痛々しい話が続きます。勇利のバッウグラウンドです。嫌いな人、ご免ね。