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第三十八話 プロポーズ

 無理なんてしていないから。ただ、お着物が辛いだけだから。

 何だか自分の体じゃないみたいに怠くて、兄貴の首に手を回し両脇で支えてもらいながら着物の帯を外してもらった。立って外さないと何本ものひもを使っている都合上絡まり易く上手く脱げないのだと言う。私は倒れない様に必死で体に力を入れていた。

 それでも疲れきっていた私はどうしようもなく兄貴の胸に顔を埋めた。懐かしい香りが体中に広がる。どうして私はこの人じゃなきゃ駄目なんだろう。

 兄貴は昔から特別だった。兄貴の腕の中にいると自分が情けないほど弱くなる。いつだってこの人は私の痛い所を突いてくる。その度に心臓を掴まれ、心が震えた。それは確かに痛いのだけれど、包んでくれる兄貴がいる事を知っているから、安心して痛みに身を任せる事が出来た。

 兄貴の心臓の音がする。こんなに近くで感じている。その事で胸がつまり再び涙が沸き上がりそうになる。

「優里ちゃん、今日のお見合い相手の人、その人だから。」

笹川さんが呟いた。うつむく私にもう一度、

「お見合いの相手、その人だから。」

そう言った。

 彼の指がぴくんと動き私の背中を擦った。私はもう涙を止められなかった。彼のスーツを汚し、それでも涙を止める事ができなかった。

 帯が解けても身動きが取れず、両手で顔を覆ったまま。着物が弛み胸の締め付けも無くなったと言うのに、微かだったはずの目眩は勢いを増していた。

 どうしてこの人じゃなきゃ駄目なんだろう。

 いつしか泣き疲れた私は眠りに落ちた。それは多分、兄貴の腕の中があまりに心地よかったせいだと思う。 


 ゆっくりと頭を撫でる手がある。それから背中も。


 彼と別れてから時々見る夢だった。疲れ過ぎて眠れない夜や、ふとした明け方に。優しい手が私を撫でる。まるで

“ いいこだね。”

って諭す様に。

“ 安心しておやすみ。”

と。守護霊みたいに守ってくれるその手を捕まえたい、本当に欲しいのは安らかな眠りじゃなく抱きしめてくれるその腕なんだ、そう思うのだけれど、あまりの心地よさに負けいつも夢の世界に堕ちてしまう。


 目が覚めたときどこにいるのか解らなかった。真っ白い壁、夕焼け。ベッドに腰掛けたワイシャツの背中が

「起きた?」

そう囁いた。ひどく掠れた声。風邪でも引いているかのようだ。

「声、変。何か温かいもの飲んだ方がいいよ。」

無意識のうちにそう言っていた。ああ、そう言えばこの人の声は良く響く低音だった。記憶の声と現実がつながる。

「暖房のせいだから気にしなくて大丈夫。それよりも、」

ためらいがちに、でも一息で彼は言った。

「結婚の件、お願いしといたから。」

その意味を理解できなかった。

「勇利は相手さえ承知したらそのまま結納するつもりだったと聞いているよ。だからそう言う事だ。君を捨ててしまった事をずっと後悔していて、今日会ってその事が身にしみた。だから。」

彼は小さなひと呼吸をおいた。

「君が休んでいる間に絵里子さんに電話でそう話した。勇利の事をもらい受けたいと。絵里子さんも納得してくれた。」

 決定的な一言を聞いた気がする。やっぱり捨てられていたんだって。でもそれ以上に自分の知らない所で人生が決まってしまった事が悔しかった。私の人生なのに。

 それに兄貴に謝って欲しい訳じゃない。結局悪いのは私だったんだから。ましてや・・・・・。

「もうすぐ勇利は僕の嫁さんになる。妻になる。二人で暮らすんだ。毎日僕の為に料理して、ベッドを暖めて、キスをする。」

そう話す彼の口調はちっとも嬉しそうじゃ無かった。この人は確かに兄貴で、何を話しているか分っているはずなのに、言ってる事は絵空事みたいだった。

「いいよ、そんな事しないで。」

傷のせいだ。この傷を見て責任を感じたんだ。現に私の顔を見ようともしないじゃないか。

「勇利に決定権は無いんだよ。もう大人同士で話しは決まってしまったんだから。」

その淡々とした口調が悲しく、情けなさで涙があふれた。ああ、また泣いている。私はこの人を縛りたいんじゃない。それなのになぜこの人は間違った選択をするんだろう。同情なんかまっぴらだって言ってるじゃないか!!

 兄貴が好きだった。もし全くの他人と新しい生活を始めるのなら、夢なんか抱かなくて済む。でも、兄貴は違う。無い物ねだりをして、そのくせまた失うのかとおびえて暮らすなんてごめんだ。

 だったらいっその事何も無い方がいい。独りで生きてくから。放っておいてほしい。

 その事を伝えたかった。一緒になんかなれないと。そのくせ肝心の言葉は出てこなくって、ただ泣くだけで、喉が詰まった。



                Left Alone     つづく



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