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第三十六話 お見合い

 まだ3月にもなってもいないと言うのにその日は異常なほど暑かった。日差しが強く、風もなく、ホテルの中は効きすぎた暖房でムンムンしていた。

 私は慣れない振り袖のせいもあって既に気持ちが悪くなっていて。

「遅い!!」

笹川さんもかなりイライラしていたと思う。約束の時間を1時間以上過ぎていたにも関わらず、相手からの連絡は無く、先方が持っているという携帯は2つともつながらない。今回は当人二人だけの見合いと言う事でセッティングされているから、他には連絡の取り様が無いらしい。勤め先の会社に問い合わせると、急に仕事が入りどこかに出かけたと言う。この昼食用の個室もこのままでは使われずじまいだろう。

「ごめんね、優里ちゃん。」

笹川さんが済まなそうにしているから何も言えなかった。

 着物に負けないように簡単な化粧はしていた。傷はそのまま見えるようにしたい、そう言う私に、笹川さんは頷いて軽いメイクをしてくれた。そのグロスもはげて、唇がかさかさに渇く。

 この日は大安吉日の土曜日で、ホテルの中は結婚式日和らしく着飾った男女でにぎわっていた。

 着物の着付けは笹川さんがしてくれたのだけれど、更衣室が芋洗いのように込んでいて足の踏み場がなかった。結局一部屋押さえる事になってしまうほどに。

「まあ、いいわ。今晩あたり泊まりたいって思ってたとこだから。ここのエステは最高なんだからね。それに、もし優里ちゃんがめでたく結婚したらあいつにホテル代払わせるんだから。」

彼女はいかにもお金持ちらしく、唯一空いていたエグゼクティブデラックスルームなる物を躊躇わずに取ってしまった。ゴールドのダイナーカードをちらつかせアーリーチェックインのごり押しも忘れずに。

「それにしても、遅い!!ねぇ、優里ちゃん、少し気分転換に散歩にでもいかない?」

彼女に誘われ立ち上がった瞬間、吐き気がこみ上げてきた。着物自体も苦痛で、その上トイレにも行けないからと、ほとんど何も飲まずにいたせいだ。それに、昨日の夜は眠れなかった。

 昨夜布団に横になった時には、顔も知らない見合い相手の事を考えていた。多分スーツを着て現れるだろう、とか、眼鏡をかけていて小さくお辞儀をするタイプの人じゃないだろうか、だとか。そのはずが、油断するとあの人の事ばかりが繰り返し頭に浮かんできてしまい、どうしても振り払う事が出来なかったのだ。

 何度も頭を切り替えようとした。

 見合い相手の年収ははっきりとは聞いていないが、私の3倍以上は有るというから、普通に考えて贅沢な暮らしが出来るだろう。無理をして贅沢をする必要は無いけれど、空想するのは悪くない。例えば、車。その人は高級車に乗っているのだろうか。下手をすると品川ナンバーのベンツかもしれない。そう思いながらクスリと笑った。どうせならプリウスがいいな、と。

 食べ物の好みはどうだろうか。私が作るものでいいって言ってくれるだろうか。洋食は苦手だけれど我慢してくれるだろうか。でも、もし少食だとがっかりしてしまうだろう。どんぶりに盛られた煮物を

「美味しかった。」

と言って平らげてくれる人がいいと思う。

 タバコを吸う人だったらどうしよう。キスする時に苦い味がするのは嫌だな。そう考えながら、深く息を吸い込んだ。そうすればあの人の香りが戻って来るかとでも思っている自分の行動に嫌気がさした。

 結婚する訳だから、必然その人に抱かれるだろうし、その人の子供も産む事になると思う。その事を不意に怖いと思った。今の私は14の私ではない。早まったかも知らない、そんな言葉が渦になって舞い上がり、

「ここまで来たのだから。」

そう言って自分を鎮めた。5年後の私を相手にしてくれる人はいないかもしれないけれど、今だったらまだ何とかなるはずだといい聞かせ、買い手がいるうちに売り切ってしまわないと母さん達に悪い気がした。いつまでもこの家にいる事なんか出来ないから。

 そんな思いを抱え夜を過ごした。

 振り袖の派手な柄は花に蝶にかぶと虫の様なふしぎな模様。帯にはトンボがとまっていた。笹川さんに言わせると、昆虫は良縁のシンボルなのだそうだ。こんな私にはふさわしくなかったけれど。

「大丈夫?」

彼女はうつむいた私を心配そうに覗き込んできた。

「慣れない事するのって、やっぱり無理があるんですよ。」

なんとか笑う事で、彼女の顔がほっと緩んだ気がした。

「でも少し休んだ方がいいわね。よかったら部屋に戻らない?もう、こうなったら、着物、脱いじゃいましょう。」

彼女らしい反応におかしくなる。もう少し着ています、そう答えたかったけどさすがに辛かった。このまま吐いてしまいそうで最低だった。胸元から上がってくる感触をぐっと堪えたその時

「我慢しない。」

笹川さんが怒った声を出した。

「優里ちゃん絶対限界きているから。」

それから私の肩を抱いた。

「もう、戻ろう、ね?」

従うしかなかった。私は目の前のコップの水を一気に飲み干し、お代わりをもらった。

「ご免なさい、お願いします。その方が良さそう。」

待つのは辛かった。立ち上がった私に笹川さんはカードキーを渡した。

「とにかく先に部屋に帰って休んでいて。一応ヤツはこのレストランに来る事になっているから、彼が来たら部屋に連絡するようスタッフに伝言頼んでくるわ。すぐに済むから追いつくわね。」

そうして私達は別れた。

 広いホテルで、レストランから部屋に向かうエレベーターまではかなり歩く必要が有った。私は冷や汗が出そうになりながら、ゆっくりと足を進める。

 その途中には鏡が飾ってあって、ふと横を見た瞬間、見知らぬ私が映った。その人は疲れていて、そのくせどこかほっとした表情をしていた。そう、私のどこかに、この縁談が流れた事を喜ぶ気持ちが有ったのだ。

「馬鹿だなぁ。」

思わず呟き、首を振っていた。

 今日の出がけに練習をして来た。見合い相手に気に入ってもらえる様にと。それは

“ 笑顔の作り方 ”

と言うヤツで、ずいぶん昔にテレビでやっていたのを覚えていた。口の端を持ち上げ、目尻に少し力を入れ。にこやかに。そんな自分に向かって言ってあげた。

「そんな感じ。頑張れっ。」

それは数年前の事。もしまたあの人に会う事が有ったら、動揺なんかしないで笑い返してやろう、そう思って練習した仕草だった。

 フロントに飾られたカサブランカの華やかすぎる芳香が、そんな進歩のない私を惨めな気持ちにさせてくれた。

 気を取り直してエレベーターに向かったその時、視線を感じた。何だか急に心臓が速く動き出したのが分かり、胸元を押さえ振り向いたそこに彼は立っていた。

 懐かしい顔。でもさすがに6年の年月は彼を変えていた。少しやせた顎と、目尻には小さなしわ。その人はほんの少し目を見開き、そのくせためらわず真っすぐに私に向かって歩いてきた。

「勇利。勇利なのか?」

疑いと確信を含んだ不思議な声色。低く響くその声は間違いなく兄貴のものだった。

 あれほど練習していたはずの笑顔は、肝心な時にどこかへ隠れてしまっていた。



                 Left Alone つづく




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