第三十五話 仲人ばばぁ
笹川さんとは長い付き合いで、兄貴と交番で会ったあの夜に大騒ぎしていたあの女性だ。その後繁華街で偶然会出くわし、BLと勘違いされて
『肇ちゃんの恋人なの?!』
と根掘り葉掘り聞かれたのが縁だった。会社を辞め独立した都合でどうしても写真を撮らせて欲しいと言われインターハイまでついて来た事もある。他にも面白いからと誰にも内緒の約束でコスプレ写真まで撮らされ、挙げ句に雑誌に掲載までされていた。それでも悪意の無い人柄のせいなのか、憎む気にはなれず。数年前にこの近くでオフィスをかまえる様になってからは一緒にお酒を飲む事も時々有った。
彼女は年上で優しくって話を聞くのが上手で、何も言わないけれど恐ろしく勘の良い人だと思った。それでも会うと何となく気持ちが安らぐ人だ。
でも1年前のあの夜はそれだけじゃなくて、ミドルトンと書いてある見覚えのあるアイリッシュウイスキーが目の前に有ったのがいけなかったんだと思う。底の分厚いロックグラスも。それにやたら暗いピアノの曲が
“たった独り、独りぼっち”
としつこいぐらい私に畳み掛けてくるようだった。
「話、聞いたげるよ。」
察しのいい彼女がさりげなく話しかけるから。
「ちょっとね。」
なんて愚痴ったりした。
「昔好きだった人がそれよく飲んでたなって。結局全然上手くいかなくって、すぐ別れちゃったんですけどね。若気の至りってヤツかな。その人はとびっきり大人で私は子供だったから。自分ばっかり本気になっちゃって後先見えなくって。好きになればなるほどその人には迷惑かけるばっかりで最低だったんですよ。その頃の気持ち、今でも引きずってるかな、なんてね。もう踏ん切りつけてもいい頃だとは思うんですけど。駄目ですね。」
「優里ちゃんが好きだったってんだから、よっぽど良い男だったのね。」
冷やかすから
「勿論。」
って答えていた。
「優しくって、我慢強くって。」
温かくって、穏やかで。厳しいけどいつでも公平で。私のありのままを受け止めてくれた人。
私が口をつぐんだから、もうそれ以上は聞いてこなかった。この人は人の心の内が見える人だから。こぼれそうになる涙を堪え
「誰か良い人いたら紹介してくださいよ。」
そんな事ではぐらかした私の肩を
「任せなさい。」
と数回叩き、お酒をついでくれた。
そして馬鹿な私は気がついていた。私は笹川さんの中にさえ兄貴の面影を探しているんだと。
その週末、今まで撮った写真を元に仲人ばばあ(彼女が言った)を趣味にしているから見合いをしてみないかと彼女が連絡をくれた。
ただ私に限っては新しく写真を撮り直すという。さすがに10代の頃の写真じゃ詐欺だったし、話しを聞きつけた母さんがとにかく乗り気だったのだ。
「キレイに撮ってもらいなさいよ。」
と。なにしろ言い出したのは自分だし、結局二人の懇願に負けて笹川さんに見合い用の写真を撮ってもらった。髪を結って、ピンクのスーツ着て。その上オプションだと言われトレーニングウエアの写真も撮らされた。
「優里ちゃんスタイル良いから受けるわよ。」
なんて、ある意味危ない発言だ。
ヒットするはずが無い、そう思っていたのに、ニコニコした笹川さんがやってきてお勧め物件あり、なんて言うからピンときた。
「傷の写っていない角度の写真を見せたとか、修正加えちゃったとか、ないよね?」
彼女は目に見えて動揺し口ごもった。嘘のつけない可愛い人だと思い、私は思わず声を立てて笑ってしまっていた。
それ以来、見合いは断り続け彼女もさらりと流してくれていた。
そのはずが、数日前にどうしても進めたい話があると突然自宅まで押し掛けて来たのだ。
傷の事も家柄も何もかも問題ないと言う。母さんは諸手を挙げて喜んだ。
相手は30代のサラリーマンで、初婚。真面目だけが取り柄のあまり面白みのない男だと笹川さんは説明した。大酒は飲むけど、ギャンブルは好まず、多分借金も無い。タバコも吸わない。女遊びの噂も聴いた事が無く、すこぶる健康。ただ長男だけれど、面倒な家ではないらしい。年収も十分すぎるほど有った。でも私にしてみればいよいよもって怪しい。彼女の挙げた条件はあまりに出来過ぎだった。
「写真はね、忙しくて用意ができなかったの。」
嘘くさいと思った。彼女が
“写真を忘れる”
なんてあり得ない。笹川さんは早口にまくしたてた。
「大事な事言い忘れてたわねぇ。彼ね、シンガポールに赴任決まって6ヶ月後には向こうなのよ。だから誰でもいいとまでは言わないけど焦ってんの。話がまとまったら忙しくなるけど、ご免ね。」
何となくそれだけじゃない気がした。含みのある彼女の言い方に大きな問題があるに違いないと思った。でもそれでこそ私にふさわしいのかもしれない。たとえ女装癖が有っても、体毛が一本もなくても驚かない覚悟をした。
そんな私の心を察して、笹川さんが言い放った。
「この私が信頼できる人間なの。傷の事をとやかく言う様な、けつの穴の狭い男じゃないから。だから優里ちゃんは私を信じると思ってちょうだい。」
この言葉は効いた。
その見合いを受ける、そう返事をした。私が笹川さんに電話をしている時の母さんは目をぎゅっとつぶり、何かを祈っているようだった。
「じゃあそう言う事で。もしご先方様が私と会ってそれでいいって言うのなら、そのままお受けしようと思います。私の仕事の事とかかまいません。辞めてシンガポールについていきます。笹川さんが信頼できるって言うくらいの人だから、間違いないでしょう。信じてますからね。」
そう言った瞬間、母さんは私に向かって、いや、電話向こうの笹川さんに向かってかもしてない、両手を拝むように摺り合わせた。
そんな母さんに、
「あのね、」
私は思い切って話を始めた。
「本当はね、ずっと好きな人がいたんだ。」
それからあの悪夢なの様な日の事をかいつまんで話した。
つき合っていた基よりも、その兄貴の事をもっと好きになってしまった事。兄貴も同じ気持ちでいてくれた事を知って有頂天になり、抱いてほしいとせがんだ事。避妊しなくていいと言い出したのは自分で、彼は産んでほしいと言った事。
「若かったから、一生一度の恋だって溺れてた。結婚するとかしないとかじゃなくて、私を本当に理解してくれる人がいるってことが嬉しかった。」
それから兄貴と寝た事が基にばれ、もみ合っているうちに怪我をした事も。
「嘘ついててご免ね、本当。怪我をしたのは私かもしれないけど、でも悪いのはむしろ私だったから、弁解なんか出来なくて。子供っぽい言い訳だけど、あの人の事守らなきゃって思ったのかもね。」
そうしたら母さんは聞いた。
「今の優里の気持ちはどうなの?」
と。
「消せない。」
迷わずに答えていた。母さんが兄貴の事あまり良く思っていない事知ってたけど。
「結局別れる事になってしまったけど、あの人は私にとって人生最大の贈り物だったって思う。色々有ったけど、でもやっぱり出会えた運命に感謝してる。だから、もう十分。十分すぎるほど十分。もう若くはないしこれからは新しい生き方をするつもり。それにね、母さん。実はその人からはとっても良いもの、もらったんだよ。」
私はとっておきの話をした。
「名前替える時、どうして “優しい” の “優” にしたのって聞いたでしょ?それね、その人が私に言ったからなんだ。私には “勇ましい” の “勇” より “優しい” の “優 ”が似合うって。」
母さんは少し息を詰めたみたいだった。
「その人、本当に善い人だったのね、優里。あなたの事、愛していたのね。本当にあなたの事を見ていてくれたのね。」
私は大きく頷いた。兄貴が、そして兄貴を愛した自分が誇らしかった。
今更兄貴を想ってもしょうがない。あの人にはあの人にふさわしい人がいる。兄貴にはピアノの先生をやっているようなどこかのお嬢さんがよく似合う。今頃は出世してニューヨーク支部にいると言われても驚かない。10代の怖いものが無い時代なら向こう見ずな恋もできる。でも今の私はそこまで夢を見る事はできなかった。
私は私の人生を歩こう。
結婚なんて、契約だ。見合い結婚ならお互い相手にいらない期待を抱かなくて済むから、愛されない、愛せないなんて嘆く事は無い。
そして何よりも、これは母さんにできる最大の親孝行になるかもしれないのだから。
Left Alone つづく
はい、先が見えて来ました♪
ハッピーエンド♪ ハッピーエンド♪