第二十九話 待ち人
次の日自宅に帰ると赤飯が用意されていた。
「凄い!!」
俺は手を叩いて喜んだ。
卒業式の日はありつけなかった。後で母さんは赤飯を作るのには特別な豆が必要ですぐには手に入らなかった、そう教えてくれた。でも今目の前にあるのは昔よく食べた赤飯そのものだった。
二人取り合って食べた。その塩味が懐かしかった。小豆の硬さも覚えているから不思議だ。
「俺さぁ、いくら同じように作ろうとしても、必ず違う味に仕上がんだよなぁ。不思議。今度教えてよ、ね。」
母さんは嬉しそうに笑った。
本当に嬉しそうに笑った。
次の日、兄貴からの電話は来なかった。
握りしめた携帯が温かい。
電話が鳴る事は有っても、あの人の番号じゃない。
充電していても目が離せない。
そして次の日も。
今日も病院へ行く。一日の半分を使って。そして明日も・・・・。
一日、一日。それはスローモーションの様に過ぎていく。
頭の方はもう何ともない、でも、傷が治らない。自分でも分る、熱が引かない。抗生剤が万能薬だなんて誰が言ったんだろう。
火照る。顔が。それから、逃げ場の無い気持ち。これを、どうすれば良い?
自分から連絡する事なんてできなかった。怖かった。あの後二人はどうなったんだろう。兄貴からの電話を待つしか無かった。兄貴がかけてくれる気になるまで。
入院している病室で、俺が退屈しているのを知った同室の人が見せてくれた週刊誌。そこには
“ ヒストリー”
ってタイトルで連載が載ってあり。普通の人が事故に巻き込まれ人生がどう変わったか。その事で今までの自分を振り返りどう思っているのか。淡々と、それでいて当事者じゃなきゃ語れない言葉で書いてあった。決して感動で泣いてしまうような文じゃない。でも心に何かが残る事は確かで。その文末には、文責 木下肇 とあった。
そのおばちゃんは、妙に感情のこもった口調で兄貴の文を読んだ。
それ書いたの、俺の恋人だよって自慢したかったけど言えなくって。
どうせ
“嘘だぁ”
って笑われるって思った。
その事を思い出し、苦笑いがこみ上げて来る。
本当は、嘘、だったのかも知れないって。
あれから丁度6日経ち。病院から帰るバスを待っていて救急車で運ばれて来る人を見た。若い女性で頭から血を流し。側には恋人らしい男に人が付き添って、叫んでいた。
「死ぬな!」
と。
救急隊の人の
“ 交通外傷 ”
という声が聞こえてきて、こんな風に引き裂かれる恋人同士もいるんだって思うと、自分はまだましなのかもしれない、少しそう思った。
だから一度だけチャンスをもらおう。不意に思い立ち、携帯を取り出した。5回。自分に言い聞かせた。5回で出なかったら、もうそれでお終い。
震える手で数字を押して。
言いたい事はひとつだけ。
『会いたい。』
それだけで良かった。それで通じなければ、もう諦めようと。
最後にオンフックを押そうとした、その時だ。携帯が鳴りだし俺は慌てた。兄貴?でも違う。見慣れない番号。名前が出ないから知り合いとは思えない。それから聞こえてきた声は基だった。
『聞こえているんだろう?勇利。この前のメッセージ、受け取ったから。俺からもサヨナラ言いたくてさ。俺、もう家出たし。二度と会えなくなる。二度と俺たちの人生は交わらない。哀しいけど、全部呑み込むから。済まなかった。元気で。それだけ。』
しばらく電話の切れた音を聞いていた。
電話を握りしめたたずみ、画面に落ちた雫で泣いているって気がついて。周りの人が心配そうに見つめていた。
「目に、ゴミが・・・・。」
そう言ってごまかし、携帯をしまった。
俺は自分が嫌いだ。利己的で、我がままで。
あいつの声を聞いてやれば良かったのに。あいつだけが苦しむ事なんて無かったのに。分かっていた事なのに。最後ぐらい、二人で話さなければいけなかったのに。
週末は母さんの最後の仕事になった。母さんは来週から近くの新聞屋さんで働く事に決まった。朝の3時から7時。休憩をして、12時から4時。広告なんかを折る仕事だ。昼夜が逆になる。もちろん収入は減るけど、春になれば俺もバイトを始める。
「お祝いだね、退職祝い。」
俺は12時で帰って来ると約束していた絵里子さんを、家中をピカピカに掃除し、彼女の好きなチューリップを飾って待った。それからチーズケーキを焼いた。母さんは沢山の花束とプレゼントを抱えて帰ってきた。でもほとんどしらふだった。
「ねぇ母さん、チューリップの花言葉、知ってる?」
母さんは知らないと笑った。
「“愛情”って言うんだってさ。母さんにぴったりだ。」
二人で懐かしい話しをした。俺が保育園に通っていた頃、大好きだった大輔君が引っ越すと聞いて一日中泣いていた事。小学校に入った年、友達のバレエの発表会を見に行き将来はプリマになるとだだをこねた事。初めての遠足が嬉しくって夜に眠れず、結局寝坊しておやつを忘れた事。何もかも昨日の事のようだ。
それから母さんは思い出した様に、俺に友達から連絡が有ったかと聞いた。首を振る俺に、
「そうなの。」
と言ったきり、黙ってしまった。
その晩、寝しなにホットミルクを作ってくれた。
Left Alone つづく




