第二話 知られたくなかった過去
今でも良く覚えている。その日は昨日までの寒さが嘘みたいに無くなっていて、暖かい日差しに咲き初めの桜の花びらがきらめいた。それまでこれから始まる全く新しい生活に不安が有って、本当にこれで良いのかなって、自分の選択に迷いも有った。だからそんな祝福された始まりに高校生活は明るいんだ、なんて勇気づけられる気がした。
そんな入学式当日、整列の並びで近くになった木下基は初対面の私にためらい無く声を掛けてきた。切り立てのなじみの悪い髪型、良く動く瞳、えくぼの浮き上がるその笑顔に彼の第一印象は
“やんちゃな中学生が紛れ込んだ”
そんな感じだった。そのくせ36人いるクラスメートのうち仲のいい知り合いが女子しかいないと恥ずかしそうに頭を掻いた。
「正直、俺、さびしんぼなんだよなぁ。だからさ、仲良くしようぜ。」
私は女子では無いらしい。まあ、当然と言えば当然だった。私がその日着ていたのは、紺ブレにチノパンという、とうてい女子高生には見えない入学式スタイルだったのだから。しかも彼の着ているソレは正に私の着ている服そっくりで。ただ違うのは胸元のエンブレムぐらいなものだった。今思い出すと笑えるのだけど、紋章の作りは私たちの育ちを象徴するかのように天と地ほども違っていたことにその時の私は気がつきもしなかった。
15歳という未成熟な年齢は、同じ身長、同じ体型、同じ髪型、同じ服装の私たちを同じ性に見せていた。
だから勘違いは当たり前の事だった。
何しろ私は自分が女になんか見えてほしくなかったのだから。
城北高校は自由気質を重んじる私服の学校だった。私にしてみればこの学校にはボクシングのマネージャーをする為に入りたかったのだから、男ばっかりのボクシング部に早くとけ込む為にもこんな打鬱陶しい“女”という性を捨てるつもりでかかっていた。
名簿に載せた私の名前は
“山口 勇利”
なんて事は無い“ゆうり”は“ゆうり”でも
“遊里”
の“ゆうり”が本名だったのだ。
同じ呼び名でも全然違うその名前。
遊里、女遊びの色里、郭。常識で考えれば自分の娘にそんな名前つける親なんていないと思う。でも私の場合は違っていて。
「これじゃ“ソープランド山口屋”ってのと変わんないじゃないですか。」
合格発表の直後に私は城北高校の校長室に直談判に行っていた。
「本当は男の名前で“勇利”ってつけるはずが、女が産まれて来て慌てたもんだから、同じ音の“遊里”で届け出を出してしまったんです。」
“勇利”の命名の半紙も持ちだし必死に頼み込んだ。
「父親が尊敬していたボクサーから名前をもらったんです。ねっ?確かに漢字じゃ男名前になるけど“遊里”よりはずっとましでしょ?法的にきちんとした名前に改めるまで、お願いだからこっちの名前を使わせてください。“遊里”って名前を絶対、戸籍からも抹殺したいって気持ち、分ってくれますよね。こんな、色気違いみたいな名前、大っ嫌いなんです!高校に入ってまでその名前で呼ばれるのって、耐えられないんです!」
校長先生は頷いてくれ、それ以上追求しなかった。
そして正式な通称名として学校から認可された。
そんな私の名前を彼は
「するどく(利)も勇ましいかぁ、むちゃくちゃカッコいい名前だなぁ。」
と褒めてくれた。その一言で私は彼が自分の味方だって思った。
彼は中学でバスケットをしていたと言う。体が小さい割にはそれなりの大会に出ていて、花形とはいかないまでもそこそこだったと。
「でもさ、俺、自分が団体競技に向いていない気がするんだ。無理に協調性取り繕ってもなあってさ。しかも高一でこの身長じゃ先思いやられるし。そこで考えたのが、ボクシング。カッコいいだろ?俺、身長166センチで体重54キロなんだけど、いくら食っても太らない体質みたいなんだよな。だから、減量とかちょろいと思うのさ。ここのボクシング部って県下じゃ有名なんだって?ボクシングなら高校から始めても仕上がるだろ?そうしたら俺でもインターハイ、もしかしたら狙えそうじゃん?」
そう言ってブレザーを脱ぐと、ざわめき戯れる同級生達の片隅で袖をまくり上げ、マッチョな筋肉ポーズをとってみせた。
見事に、柔らかに膨らむ筋肉。贅肉が無く、太すぎず。緩んだ瞬間柔らかくほぐれる組織。
ははは、と笑う彼に我を忘れて見惚れた。
彼の売り込みは嘘じゃなかった。一目で分かるバランスのいい肉体。癖の無い骨格。有名中学でバスケをしていたという事は走り込みに耐えられる訳だから、持久力も有るはずだ。何よりバスケなら動体視力も期待できる。しかも普通は膝やどこかに故障が有るはずなのに、一つも無いと言う。
正に私の理想の体だと思った。
女はリングに上がれない。だから強い選手を育てて、自分の代わりに勝ってもらう事が長い間の夢だったのだ。
その放課後、小学校からのジム友、といっても1コ年上の武に連れられ部室に向かおうとする私に、つるし上げを食らったと勘違いした基がついて来た。
本当は怖かったと思う。身長は無いけれど周りのみんなはごつくって、何よりボクサー特有の“目”というものが有るから。それなのに彼はついて来た。
私が女だと知った後でも、友達としてのスタンスを崩さずに。
そんな彼を神様がくれた贈り物だと思った。自分はこいつの専属トレーナーになろう。そして二人でインターハイにいくんだ。
この時生涯の夢に一歩近づいた気がした。
結局私が説得する必要は全くなくて、彼は嬉々として入部した。
二人の仲は順調で、教室にいても部室にいても男とか女とかいった壁はみじんも無くふざけ合っていた。そして周りの誰もがそんな私たちを、まあいいかと見守っていてくれた気がする。毎日ボクシングに明け暮れ、とにかく楽しかった。基と一緒だと何もかもがハッピーで、この世のすべてが輝いて見えた。
私は彼の中で次々と開花していくその才能に目を見張り、こいつの為に生きるのが自分の青春だって信じて疑わなかった。
基は私を“女房”と呼び、私は彼を“だんはん”(旦那様)と呼んでいた。ふざけた話だった。お互いそんな気が全くなかったから言い合えた呼び名だ。
そんな関係が変化したのは、二年になった夏の終わり。
基は9月の地区の新人戦で準優勝し、私たちはそのあり得ないような勝利に浮かれまくた。拳を突き上げ吠えながらお互いを讃えた。一生の親友だと抱き合い、肩を組み、二人の絆が決して切れないものだと確信し合った直後の事だった。
中学の時の事だ。その頃の私には畠山孝之と言うパートナーがいた。それは高校に入ってからの基と私の関係に似ていた。ただ違うのは私が孝之に抱かれていたという事だった。
その事が基にばれた。
Left Alone つづく