第二十七話 病院と検査と同情と
怪我などに関する生々しい描写が有ります。苦手な方は回避願います。
案内のカウンターにいくと可愛い女の人がぎょっとして俺を見た。
『大丈夫ぅ、大げさだなぁ、顔の傷は血が多く出るようになっているからさぁ。見た目よりひどくないんだよぅ。』
そう言って、納得してもらって。
えらく体格のいい看護師さんにどこかへ連れて行かれた。
受付手続き、やったっけ?
血がついているからと言われ、代わりに
“ 検査着 ”
とか言う薄っぺらい服に着替えさせられ肩からタオルを被せられた。脱いだシャツのボタンが無い事に気づいて欲しくなくて、こっそりと丸める。服の前が嫌になるほど開いてて、
『寒いれすね。』
ってバスタオルを前でかき合わせうつむいた。そんな俺を、側で付き添ってくれている看護師さんが舐めるように見ているみたいで怖かった。
小さな個室で先生が待っていた。穏やかな顔のおじいちゃん先生だった。
『何だかおおごとっぽくってスイマセン。ちょっと転んだだけれすよぅ。』
俺、呂律が回っていない?そんな事無いよね。それに先生が聞いて来る質問に少し遅れて答えている気がする・・・・。まるで酔っぱらいみたいだ。
先生はあっかんべをさせたり、瞼をひっくり返して俺を見た。
頭?打ったかな?意識は、ええと、少しだけ無くなった気がします。気持ち悪いです。いえ、吐いてはいません。ご飯?食べました。牛乳とパン。朝の6時半かな。それから、ミルクティを飲みました。美味しかったです。
なんだか、泣きそうだ。
「胸の音を聞かせてくださいね。」
そう言われ、バスタオルをそっと持ち上げられ、俺にやんわりと目隠しをした。先生の目に何が映っているのか、俺には見えていないけれど、分かるから。
「違います。」
そう思わず弁解し、聴診器を耳にしているから聞こえないって後から思った。
タオルが降ろされた後も、先生の表情は変わらなかった気がする。
それより、傷の手当、しないの?あ、でもやっぱり血、止まってるじゃん。ほら、心配なんか要らない。
「ご家族は?」
その一言で俺はやっと目が覚めて来た気がした。
「大丈夫ですから、私は。母は自宅にいるとは思いますけど、でも、忙しい人だから呼ばないでもらえますか。心配かけるのも嫌だし。保険証は後で自分で持ってきます。私、怪我なれているから。」
やっと笑えた。そう、この感じ。いつもの自分がやっと戻ってきた。
先生は同情する様な顔つきで俺を見た気がした。それからいろいろな所に電話をかけた。
「検査はしないと。幸いCTの空きがあって予約を取れたから。少し時間がかかりますよ。それと、他にいくつか検査があってね。怪我をした女の人には必ずするようにこの病院では決まっている事だから。悪く思わないでくださいね。あなたを守る為だから。」
検査を待つ間に消毒をしてもらった。形成の医師だと名乗るその人は、顔の傷は浅く縫う必要は無いからセロテープみたいなもので止めておくと言った。やっぱりね。
「なにで怪我をしたかは分かるかな?」
まるで答えを期待していない様な声でそう聞かれた。
ぼんやりと俺の記憶の目の前をかすめて通り過ぎる物が有った。多分、アレだ。リビングの食器棚の上。埃を被り、見捨てられていたインターハイの第八位の盾。
「プラスチック。」
何の変哲も無いプラスチック。でもあの中には俺たちの3年間が詰まっていたはずだった。
「多分、プラスチックですから。」
ため息と、トキソイドという声が聞こえた気がした。
「まれにケロイド体質という人がいて、治りが思わしくない人がいる。それだけは気をつけないと。」
それからぶしつけなほど俺の躯を見た。
「女性としての栄養状態が悪い人ほどそうなんだよ。傷が熱を持ったら要注意だ。」
後で分かった事だけれど、結局俺はそう言う体質だったらしい。
どうしておしっこの検査なんかするのかとコップを渡され文句を言った。その上初めて内診台ってのに乗せられた。
「大丈夫よ。」
最初の看護婦さんがずっと尽きっきりで手を握ってくれていて。
「たいした事ないのに大げさだなぁ。」
でも優しい顔をしたその人は困った顔で俺を説得した。
「ご免なさいね。そうだとは思うけど、病院の決まりなの。すぐ終わるから、我慢してね。」
体の中に入ってくる金属は、本当に冷たかった。
絵里子さんがやって来たのはCT室から戻る途中だった。その頃にはもうすっかり体調も戻っていて、化粧すらしないでそこにいる母さんに驚いた。連絡するなって言ってたのに。
「遊里!!」
母さんは抱きついてきた。泣きながらその手に力を込めた。
「大丈夫だよ、母さん。何ともないから。友達んちの階段でこけてさ。」
思いついた言葉をとにかく口にした。少ししてからその嘘は現実味を帯びて自分の中に落ちて行った。
「なんだか頭ぶったみたい。でも、もう平気。ピンしゃんしてるよ。念のための検査って、先生は言ってた。ご免ね、心配かけて。」
こんなの怪我のうちには入らないよ。
「わざわざ来てもらう事無かったのに。それより仕事、大丈夫?」
その言葉に彼女は表情を変えた。苦虫を潰したようなって言うのはこういう顔の事を言うんだろうな。でもなぜ?心配いらないって言ってんのに。俺は大丈夫なんだから。
そう思いながら俺は絵里子さんを抱きしめた。絵里子さんはいつも女の人の香りがする。お化粧の粉の匂いだ。今日はスッピンなのにいつもと変わらない。そう言えば昔からこの香りだった。父ちゃんと3人で行った水族館でも、小学校の授業参観の時でも。
「心配ないから、母さん。それにしても、腹減ったなあ。朝からずっとなんにも食ってない。今何時だよ。」
“ ミルクティを飲みました ”
その言葉が不意に浮かんだ。俺の手のひらで揺れる、甘くて温かい、
「ミルクティ・・・・」
絵里子さんがびっくりした顔で俺を見つめた。俺は泣いていた。
「ホッミルクが飲みたい。」
ご免ね、母さん。心配かかけたりして、駄目な娘だね。
「ちっちゃくても、怪我は怪我なんだね。へへっ、気が弱くなってるみたいだ。なんだかさ、久しぶりに母さんのホットミルク飲みたくなった。変だね。昨日お赤飯食べ損ねたから、今日は帰ったら作ってよ。それなら簡単でしょう。ねぇお願い。もの凄く、飲みたいんだ。」
俺の手を握る絵里子さんの手もとても温かかった。
結局俺は一日入院が必要という事になった。
あてがわれたベッドで着替えをした。絵里子さんは先生から話しが有ると言われ、ここにはいなくてかなりほっとした。途中若い看護師の卵だという人が入院のパンフレットを持って来てくれて、ついでにと手伝ってくれて躯を拭いてくれた。本当は独りでやりたかったけど、こびり付いた血は拭き取らないと気持ちが悪いし、でも自分でやるには限界があった。
20歳ぐらいのその人は好奇心一杯の目で俺の胸元のキスマークを見ていた。その上には基に掴まれた時の跡が痣になって残っている。
病院の服を着るとそのキスマークが必要以上に目立った。襟を掻き合わせる俺に彼女は待っているように言い、しばらくして何かを手に戻ってきた。
「あなたも、覚えとくといいわよ。」
それから手にしたものをかたかた振った。
「彼氏、激しそうな人だから。」
俺の顔を覗き込むおかしそうな顔に俺もつられて笑ってしまった。
彼女は濃い色のファンデーション、できたら夏用のウオータープルーフがいいって教えてくれた。それを使うと絆創膏より自然に隠せるって。
「でもさあ、それを常備しているお姉さんも、凄いよね。」
俺は軽口を叩いていた。彼女は真っ赤になって、
「馬鹿っ。」
って俺の肩にげんこつを当てた。
「君の彼氏ってどんな人?」
「秘密。いい男だよ。」
俺は都合の悪い事を全部忘れて、兄貴の温かい腕を思い出し赤くなった。
兄貴の体温、囁き声、抱きしめる腕の心地よさ、見つめる瞳。そしてあの香り。その全てに心が震える。
看護師さんが、
「惚気てる?」
って俺の顔を見て笑った。
それにしてもおかしいの。俺、病院に入院しているよ。しかも、看護師さんとじゃれてるし。
昼の出来事は幻覚だったって思えてきそうだ。
Left Alone つづく