第二十話 卒業エキシビジョン
日が経つのなんてあっという間。
卒業式は午前中で終わり、俺は友人達とではなく来てくれた絵里子さんと昼食を食べた。
この歳になって親と食事をするのが嬉しいなんておかしいかもしれないが、俺は本当に嬉しかった。
母さんと一緒に外食するのは小学校以来だ。最後に食べたナポリタンの味をまだ覚えていて、この日も思わず同じものを注文していた。ファミレスのランチがこんなに美味いなんて正直思いもしなかった。
その上今日の夜、彼女は仕事を休んだ。家に帰ってからお祝いしてくれると言う。昨日何が食べたいと言われ、思わず、
「赤飯が食べたい。」
なんて事を言ったから、きっと今晩作ってくれるんだとわくわくした。
それはもしかしたら、これから基と決別しなければいけないっていう重たい気持ちを無理矢理ごまかしていた事なのかもしれない。
午後は部の用事があるから7時過ぎには家に帰ると約束し、絵里子さんと別れた。
ボクシング部には恒例の行事が有る。それは卒業生を送るエキシビジョン。2年生が階級関係なしの総当たり戦をして、3年がそれに賭ける。
一対戦1ラウンドオンリー。3分勝負。相手の様子見はいっさい無し。とにかく連打が条件。今年の選手は9人。午後2時開始のお祭りイベントだ。OBや観客も沢山集まり、ヤジを飛ばす。
Rush!! Rush!! ラッシュ!ラッシュ!責めやがれ!
これが結構キツい。
500メートルの全力疾走インターバルを8回やる。こんな感じじゃないかな。
下手すると20キロを90分で走るくらい次の日にへたる事請け合いだ。だからこそやるのだが。試合も最後の方は泥仕合になる。それがまた面白い。
Rush!! Rush!! 頭真っ白!!止まるな!手を出せ!!
みんなが踊る。
Rush!! Rush!! その瞬間は、死ぬ気で連打!!
去年は危うく出させられそうになりえらい目に合った。おもしろがる先輩や基を男子マネージャーの幸治が止めてくれた。
いくら何でも本気のスパーは無理だ。まあ、他にやる女子がいて、女同士でやるのなら乗るけどね。俺より本質的に重い男の拳をもらうのはいくらおふざけでも頂けない。
今年の優勝候補は主将の菊池と副将の山下。主将の方が一階級軽い。でも彼は粘り強い、なんて3年同士で話しながら賭けになる。現金を賭けるんじゃない。景品を持ち寄るんだ。提供品は一人何品でオッケー。賭けに勝ったヤツから選んでいく。そして大会選手も同様にもらって行くと言うシステムで、欲しい物がバッティングしたらジャンケンだ。
とは言ってもむずかしことじゃない。しかも外野まで参入し、最後は適当にみんなで分けきってしまう。
ある意味学園でも有数のエキシビジョン。
女子マネの京子と俺は、女で有る事の利点をフルに生かしものすごい景品を準備した。
部の男子の意中の女の子をリサーチして、その子達の写真を撮って来たのだ。
もちろん使用目的をはっきり言って。だから写真を撮らせてくれた子は、少なからずボクシング部の誰かに興味が有るってことははっきりしていて。それを広げた時のみんなの顔ときたら。それぞれが一点で釘付けになり、まるで
“関係のある物同志を線でつなげ”
状態だった。俺と京子は顔を見合わせてにやりと笑った。
結局この景品は一番人気になりそうだった。
「はい、もう一人。」
俺は京子に流し目をくれ、栄に向かってソレを取り出した。インターハイの時に撮った京子の上目遣いが可愛いジャージ姿。でも、場所が悪い。布団の上。栄が真っ赤になった。
「そう来ると思ってた。」
彼女もにやりと笑うと、基に向かって一回り大きいフィルム袋を取り出した。
そこにはTシャツ一枚の俺が気持ち良さそうに寝ていた。しかもブラ半分透けてるし。
「それ、反則!!」
俺は真っ赤になっていたに違いな。
「ネガもよこせ。」
基の一声で周りが静まり返った。でもその後持ち前のチャーミングな笑顔を振りまくと、誰ともなくくすくす笑いが起こった。
「すんげー夫婦愛。」
「当たり前だろ、馬鹿。自分の女房を他の男にさらしてたまるか。」
結局基は当たり前のように俺の写真を手に入れ、ちょっと拝む様に持ち上げてから鞄にしまった。それを見てまたみんなが笑う。彼はこういう空気を読める男だ。
俺はオークレーの帽子、ミズノのシャツを手に入れた。まるで俺にしつらえたようにぴったりで嬉しかった。
それから胴上げだ。
みんなでぎゃあぎゃあ言いながら、めちゃくちゃな高さで3年が宙に舞う。何しろ全員軽いから。
最後から2番目が俺って流れらしく、かなり照れくさかった。
でもそれ以上に俺はジェットコースターとか駄目なたちで、コーヒーカップとか見ているだけでも目が回るから、正直怖くって。
誰かに足を取られた瞬間、俺の右手を基がつかんだ。
「夫婦だもんなぁ!」
外野が冷やかかし、あっという間に俺たちは放り投げられていた。
「うぁぁああぁっ!!!」
落下の瞬間の怖さに思わず悲鳴をあげてしまう。絶対俺が一番高く放られて、一番低くキャッチされているって思った。
硬直する俺の手を基がぎゅっと握りしめた。ヤツをみるとしっかりと目が合い、左頬にえくぼを浮かべながら大きな声で笑っていて。
今の俺たちは対照的だった。
降ろされてからもガクブルで引きつっている俺の腕を持ち上げ、ポーズまでとらせやがって。挙げ句に基は俺の顔をがしっと両手で掴むと、
「ぶちゅっ!!」
みたいなキスを額にしやがった。
後輩達まで、腹を抱えて笑っていた。
全てが終った部室を後にし、送っていくという菊池と話しながら歩いていると、追い越して来た基が声を掛けて来た。
「預けておく。明日7時。待っているからな。どうせ今日は親と一緒だろ。写真は明日返すからさ。」
それだけ言うと小さい金属を俺の手のひらに押し付け
「今日だけはお前に譲るよ。」
と訳の分からない事を言い、他の男連中と去っていった。
「勇利先輩、それって?」
「ああ、これね。」
俺はその固まりを指で摘んだ。見慣れたその形。でもキーホルダーはついていない。多分スペアキー。
「基んちの鍵。」
菊池が息を呑んだ。
「やっぱ、勇利先輩と基先輩、付き合ってんだぁ。」
「いや、そう言う事ではないのではないかと。」
俺は無造作にそれをポケットに押し込んだ。
明日。明日にははっきりさせないといけない。もういい加減、付けを払おう。不良債務は雪だるま状態だ。
そうならない様頑張ったいたはずなのに気持ちが落ち込んだ。
お互い躯だけの関係だって割り切って始めたはずじゃないか。
基が畠山に言われた事で動揺したからこんな事になったんじゃないか。
俺の事信じていてくれたら、あんな事言い出さなかったんじゃないのか。そんな責める言葉と同時に、関係を続けた優柔不断な自分が嫌になる。
明日。長過ぎた季節にさよならだ。
その時菊池が見つめている事に気づいた。こいつとは入部して来た時から気が合う。第二の基のようだった。基すらも菊池を俺のツバメとからかった。そいつが訳知り顔で微笑んだ。
「勇利先輩の好きな人って、誰ですか?」
思ってもいなかった質問に俺は狼狽えた。目の前をよぎる柔らかい微笑み。その影に動揺した。
ああ、嫌だ。不意に会いたくなるこの気持ちをどうすればいいんだろう。もう二度と会わない方がいい、そう自分に言い聞かせていたはずが、今日はずっとその姿を探していた。もしかしたら基の保護者として来てくれているんじゃないかと期待した。
一目会いたかった。
そのくせ視線が合うのが怖かった。挙げ句の果ては基に兄貴は来ないのかとさえ聞いていた。
「さっきまでいたよ。でも急な取材が入ったからって帰った。」
「お前の兄貴、薄情だなぁ。」
気づかれるのが怖くって笑ってごまかした。
黙り込んだ俺に菊池は、
「卒業式の時、探していた人ですか?」
と言い放った。思わず俺は顔を背けた。今の俺の顔を見られたくなかったからだ。
「上手くいくといいですね。」
彼の声はからかってなんかいなくって。
「卒業しても部には顔見せに来てくださいよ。」
「ああ、もちろん。」
うつむきながら、それさえも気まずいと思った。
校門の前では沢山の女の子が基を取り囲んでいて、彼は俺達を見ると不満げな顔をした。その嫌そうな顔と言ったら。
「ざまあねぇなあ。」
俺と菊池は顔を見合わせて笑った。基は子供じみた所が有るせいか、女の子に騒がれるのが嫌いだ。しかも嫌いなタイプの
“ちょいアダルト系”
に人気がある。
“女って何考えてるか解かんねぇ。”
彼の声が聞こえるようだ。
かくいう俺もそこそこ女の子に人気があったりするのだけれど、所詮女同士だからこういう特別な日には至って静かだ。
反対にいつもは基の剣幕に遠慮し、遠巻きで見ている女の子達の方は本気モード全開で、さすがの彼も振り切れそうにないらしい。可愛らしい花束と、リボンにリボンを重ねたプレゼント。腕にしがみつく細い腕に、有り得ない事にキスしてくる女の子。カメラのフラッシュ。通り過ぎる他の男連中もその様子を呆れてみていた。
そんなばつの悪い状況でも基はいつもの基のまま。そして俺たちは別れた。
Left Alone つづく
ぼちぼち盛り上げていきます♪