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第一話 懐かしい顔

 はてさて、今日はセントバレンタインディ。私は定刻通りに終わった職場を後に、ボクシングジムに向かう道を急いだ。男女問わずお客さん達やスタッフからもらったおチョコは紙袋の中で軽やかに弾んでいて、私を何となく幸せな気分にしていた。

 2月の夕暮れは微かに雪をはらんだ空気の匂いがした。


 案の定そこには近くの東東あずまひがし高校の制服に身を包んだ女の子達が、きゃあきゃあとひしめきあっていた。自分にもあんな時代が有ったんだなあ、などと、嘘っぱちを呟きながら、

「寒いね。」

なんて声を掛けてみる。寒さが厳しくなると頬の傷が疼くから分かるんだ。

 彼女達の半数は私目当てだってのは分っているし、週2回しか来ないとはいえジムの人寄せパンダを買って出ている者としては、愛想が良くなるのは必然。人畜無害をイメージした笑い顔で紙袋を隠しながらそばをすり抜ける。すると最近見慣れたピンクのマフラーの女の子が綺麗にラッピングされた小箱を私の前に差し出した。

「あの、これ受け取ってください。」

中身はもちろん、というか多分チョコレート。

「ごめんね、気持ちは嬉しいけど、私、甘い物は口にしないんだ。」

とりあえず社交辞令で言ってみる。この子達の気持ちが何となく分かるから、絶対に嫌と言う気はないのだけれど。

「知っています。」

女の子達は胸を張るように口を揃えて言った。

「でも、ジムで誰が一番チョコをもらったか賭けをしているんでしょう。」

女の子の情報網って凄い。確かに私も一口千円で強制的に参加させられていた。

もちろん、ヴァーム5箱も捨てがたい。ライバルのホスト君達もかなり貰って

くる事だろう。

「私たち、優里ゆうりさんに勝って欲しいいんです。」

「受け取ってください。」

ご丁寧にもこれまた大きな紙袋が取り出され、一人一人私の顔を見つめなが

らその中に落としていく。こりゃどうやっても受け取るしか無いでしょう。

「お返しなんかいらないんです。受け取ってさえもらえれば。」

そう言われてもしない訳にいかないでしょ。

 最近の格闘技ブームでボクシングファンの女の子も増えていて、こうやってジムに来てくれているのだから、せっかくのチャンスだ。ぜひ生の試合を見てほしいと思う。3月の練習試合のチケットをお返しに贈ろうと考えた。多分、練習終わりにやって来る塾帰りの男の子達の分を併せればかなりの枚数のチケットが必要になるだろう。こして私の給料は消えていくんだなあと。でも、それも良い。

「ジムの他の人たちと分けてくださいね。」

彼女達は砂糖菓子のようにくすくす笑った。なるほど。他の連中はもらえないと踏んでいる訳だね。私は苦笑いを浮かべた。

 確かに、もらう奴はもらうが、そうでない男も実際の所かなりいる。

 結局

「ありがとう。」

って名前を確認しながら紙袋を受け取ったその時、

「相変わらず勇利ユーリは女にモテるなあ。」

とその声は聞こえた。高校時代の3年間呼ばれ続けていたその懐かしい響き。振り向いたそこにはきちんとしたスーツにステンカラーのコートを着た、柔らかな黒髪の見慣れない男が立っていた。

「おいおい、俺の事忘れたか。別れた“女房殿”にせっかく会いにきたってい

うのに。」

彼は少しうつむきしょうがないなと笑った。女の子達が声を落とす。

 誰でしたっけ、そう言えたらいいのに、なんて少し思った。姿形が変わって

も忘れられないんだ、そう知った事が少し悲しかった。

「久しぶり、もときがあんまりいい男で誰か分んなかったよ。」

携帯が鳴って、畠山からのメールが届く。

“木下がお前を捜している。悪いがジムの場所を教えた。”

悪い。

しかも、遅い。 


 私は肩をすくめた。どんな顔をして会えばいいのか解らない。正直二度と会うつもりは無かったから。

「勇利は変わらないな。ハンサムなままだ。」

その一言に思わず左の頬に指を這わせた。基の瞳が曇る。それでも私を見つめている視線を少しも逸らそうとはしなかった。

「少し、話を聞いてもらえないかな。」

その声は私が覚えている彼の声より一段と低く、でも確かに基の声だった。

 これからトレーニングの予定だし、その後ジム友に夕飯に誘われていた。明日は休みとはいえ早朝から町内会の大清掃だ。

 私には自分の“今”が有り“生活”が有る。

「嫌だ・・・・。」

遮るように彼はそのチャーミングな顔を歪めた。

「俺の一生のお願い、な。」

 それは私が抗う事の出来なかったあの笑顔。

 まさかまたあの間違いを犯すはずは無い、もう学習したのだから。私は自分にそう言い聞かせた。

 そうして私たちはジムに背を向けた。


 まだ早い時間の居酒屋はガラガラにすいていた。馴染みの大将にお願いし2階の座敷に上がる。そこなら静かに話せるはずだった。

 彼のくだけた雰囲気とは裏腹に、今晩は飲まない訳にはいかなくなりそうな予感がして気が重い。こいつとの複雑な関係を今まで誰にも話した事は無いし、打ち明けたいとも思わない。だからどんな用件でこいつがやって来たにせよ、今夜の私は酒に逃げ場を求める、そんな気がした。

 ビールのジョッキを軽くあわせたものの二人とも唇を触れさせただけ、飲んだポーズをとっただけだった。

 二人とも余裕をみせる振りをして、思いのほか緊張しているらしい。

「6年になるな。元気にしていたか?」

基が少し長い前髪を払う。私が覚えている基はいつも短い髪をしていた。当然と言えば当然だ。あの頃の私たちにとってボクシングが全てで、二人とも当たり前のように髪は短かったのだから。そして今の私は肩まで髪をのばし、それらしく後ろで束ねている。

「ああ、それなりに。基はどう?」

「まあまあって所か。俺は大学出てから東京で就職したんだ。弁理士っていう資格取って、特許がらみの仕事しているよ。毎日がディスクワークだけど、楽しいと言えば楽しくやっている。」

「よかったな。」

それからしばらく当たり障りの無い話をした。早く本題を切り出せばいいのに、そう思う反面、基が何を言いに来たのかまるで解らず不安で胸が苦しく、この再会を無かった事にしたいと思った。無性に咽が乾くからジョッキを一気に飲み干して、その勢いで話をつなぐ。

「俺の方は希望かなって鍼灸師になれたよ。今じゃボクシングジムのサポーターみたいな事やりながら、時々練習にも参加させてもらってるんだ。」

「俺はあれからボクシングをやめた。」

その事は風の噂で聞いていた。

「不思議だなあ。最近じゃ女がボクシングするのが流行ってるって言うのに、男のお前が辞めるなんて。」

基といると、なぜか昔の男口調に戻る自分がいた。

「勇利の言ったとおり、俺には資質はあっても、才能は無かったからな。」

ああ、そんな事まで覚えているのか。彼の記憶力のよさに脱帽だ。

「それに俺にはボクシングを続けるだけの情熱が無かったんだ。お前みたいにな。」

その言葉は私に向かっての皮肉というよりも、彼が自分自身に言い聞かせている、そんな風に聞こえた。


                   Left Alone      つづく



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