第十二話 会いたい人
記憶に有る限り元旦の朝は必ず晴れる。どうしてだろう。
俺は薄暗がりの中で夜明けの匂いを嗅ぎ取っていた。
昨夜は皆さんスパークしたらしく、お店の床は紙吹雪やらワインの栓やら紙でできた帽子やらでぐちゃぐちゃに汚れていた。
ぐっすり酔いつぶれている絵里子さんを起こさないようにそっと床を掃く。今日はお湯で床を洗い流した方が良さそうだった。本当は洗剤を直接ぶちまけたかったけどさすがに絵里子さんにキツいなあ、なんて考えてやめた。
あの夏の日以来基との距離は保たれたままだった。つい6時間前、ボクシング部恒例の初詣で会った時には少し顔が丸くなっていて笑えた。
3年生は全員絵馬を書いてきた。
“希望大学に合格しますように”
と癖のある字で書き込む基を尻目に、
“世界平和”
と書き込む。
「勇利はミスユニバースかよ。」
笑う部員に、
「世の中平和じゃなきゃ、いいタイトルマッチが巡んないだろ。」
と返すと全員がなるほどと頷いた。
隅っこで嫌にこそこそしている井ノ原の手元を基が覗き込み、一瞬表情を止め
「上手くいくと言いな。」
と呟いていた。
“彼女と幸せになれますように”
隠すように取り付けられた絵馬にはそう記していあった。
その帰り道、深夜2時。基が途中まで送ってくれた。こんな日だからこそなのか絵里子さんはお仕事で、俺はお迎えの為に待機しなければいけなかった。でもさすがにこの夜は交番に行く事もできない。交番も超のつくかきいれ時だ。いつもの週末なら担ぎ込まれて来る困ったちゃんの相手をしてやったりする物だけど、年末年始は様相が変わる。ヤバい事もある。
インターハイが終わった後、暇を持て余していた俺は最近家の近くに出来たジムに遊びに行く様になっていて、そこで知り合ったホストの駿ちゃんと仲良くなっていた。それで彼が先輩と共同生活している、母さんのお店に近いマンションで時間つぶしをさせてもらう事が多くなってきた。どうせ夜はお仕事だから彼らはいない。その間俺は部屋の掃除や洗濯といった事をして時間を潰していた。
でも基には話せない事情だから、何の説明もせずそこまで送ってもらった。
見るからに賃貸のベランダの無いマンション。
基もなぜそこに送ったのか聞かなかった。聞きたかったに違いない。彼の目は俺をにらみ伏せられた。
「じゃあな、受験勉強、がんばれよ。」
言い捨てて、基が何か言い出す前にエントランスを抜けエレベーターまで走った。
その事を思い出しながら、俺はお店の中で空き瓶を数え仕入帳にメモを残した。基の気持ちに応える事は出来ない。でも受験を控えた今の彼に言う事も出来なかった。
その時だ。店の外で車の止まる音がした。そのくせドアの開く音がしないから誰か道にでも迷ったのだろうかと俺は気になって外に出た。
そこにいたのは兄貴だった。
3ヶ月ぶり、かな。俺の胸がじんわり熱くなった。
疲れた顔に無精髭が浮かんでいた。いつもは飲んで酔っぱらっている時でさえエリートサラリーマンらしくしているのに、今日に限ってリストラされた会社員のように冴えない。
分かって来ているはずなのになぜか彼は俺を見て驚いた様な顔をした。声を掛ける気はなかったのかもしれない。ああ、不味い事したのかな、そう思って喜んでしまった事を後悔した。
そうだ、兄貴には俺と基が寝てる事知られているんだった。
それでも兄貴の態度から冷たさは感じられず、特に用はないと言う。
「たまたま帰る途中だった。」
の口調に俺はわざわざ会いにきてくれたって事を感じとった。嬉しくないはずが無い。だって、さっきは涙が出るかと思うぐらい感動したんだから。
期待を込めて寄って行く事を勧めた。汚い店内だけどかまわなかった。兄貴には既に知られている事だし、取り繕うのは柄じゃない。今度は何をつつかれるか正直びくびく物だったが、肝心の兄貴はさっさとこの前のソファまで行くとごろりと横になってしまった。
家まで送って行くよ。とそう聞こえた気がする。タクシーがつかまらないだろうからと。
兄貴がいると空気が変わる。文句無く仕事が楽しくなった。
兄貴が基の兄貴じゃなかったらいいのに。
基の兄貴じゃなかったら、ここに寄る事なんてないんだろう、そう分っちゃいるけど、でも、兄貴が純粋に俺の事を気にしてくれてここに来てくれた、そう思い込むのも正月ぐらい許してもらえるだろう?
Left Alone つづく
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