第十話 青春の終わり
真夏のインターハイはあっけなく終わった。
ボクシングは総体全体の一番最後の日程で、蝉が地鳴りのように鳴いていた事を覚えている。
そう、何もかも終わった。俺はうなだれる基の腰を抱き引き寄せた。
「いい顔しろよ。」
それから控え室の方へ足を向けると、応援席にいた友人達に大きく手を振った。カメラのフラッシュが真っ白い旗のように翻る。俺は拳を突き上げ、歯をむき出して笑った。基にかけた腕に力がこもる。そこでようやっと彼が顔を上げた。
呆然とした、やるせないような顔。
俺は無償に腹が立った。基には全力を尽くしたと言う自信が無いのだろうか。あれほどまでに出し尽くしたのだ。勝てなかった事に価値が無い訳では無いのに。泣き言を呟く基を蹴り倒したいほどだった。可愛さ余って憎さ百倍というヤツだ。
俺は中途半端な慰めの言葉をかけようなんて思わなかった。
少なからず俺はやった。基の為、ボクシング部の為、何より自分自身の為、この2年と半年全力を尽くす事ができた。その結果がたとえ他人には不本意だったとしても、俺は堂々と胸を張っている事ができる。
「俺にとってお前はスーパースターなんだよ。」
インターハイベスト8。それを人はなんと評価するだろう。
“緩い(ぬるい)”なんて言うヤツがいたら俺がぶっ飛ばしてやる。
そして2学期が始まり、生活は別の忙しさを見せ始めた。
ボクシングにかまけていて手つかずだった諸々が押し寄せてきたんだ。さすがに進路の希望も具体的になる。体育祭もあり、学祭もあり、目白押しだ。部の引き継ぎも思ったより大変だった。
今まであまりに自分一人で背負い込みすぎていた事をさすがに反省した。あの時言われた兄貴の言葉を思いだし、ともすればため息が出そうになる。その引き継ぐ内容をまとめる為に土曜日だというのに登校し、やっとの事で一段落つける事ができた。あとは新しい主将とマネージャーで仲良くしているライバル校に挨拶に行くだけだ。その帰り道、基が
「久々に勇利の飯が食いたいなあ。」
なんて言い出した。この1ヶ月ほど基の家に行っていなかった。
「もう減量の必要も無いからさあ、たまには肉が食いたいなあ。第一さ、お前が夏休み中毎日まともな飯作るから、食えなくなると辛いんだよ。」
基は男のくせによく口が回る。
「作んねえぞ。」
俺は笑った。
インターハイも終わり俺達の関係も一段落つくはずだった。話し合ったことは無かったが、距離を置き始めていたし、暗黙の了解だと思っていた。
「頼むよ女房殿。俺達さぁ最近ろくなもの食ってないんだよな。脚気になりそう。」
“俺達”が誰を指しているかすぐ分った。今日は休みの日で兄貴が家にいると言う事だろう。
あれ以来基は兄貴と俺に気を使っていて、俺に向かって兄貴をかばうような事を言う。
「兄貴も勇利の事、気にしているんだぜ。」
などと。でもそんなこと分っていた。離れていても兄貴は俺の事心配してくれているって知ってた。
「しゃあねえなあ、今日だけだぞ。」
さすがに兄貴のいる家で基も手を出してこないだろうし。それにもう寝たくない事をはっきり告げて、決着をつけたい気持ちも有った。
俺達はスーパーに寄り基の家に向かった。
兄貴はいなかった。何となく騙された気もするが、とにかく飯を作る事にする。
基はダイニングテーブルノートに参考書を広げ勉強しようとしているかの様に見えたが、思いついた様に床に転がりストレッチを始めていた。
俺はそれを漫然とした気分で見ていた。
彼は大学進学希望組で、しかもかなりレベルの高い所をねらっているから、本当はもっとがつがつ勉強しなければいけない身分のはずだ。
いったい何をやっているんだろう。そんな余裕は無いはずなのに、と。
インターハイで穫ってきた盾は飾られる事も無く、リビングにあるゴージャスな食器棚の上の耐震用の突っ張り棒の横に置かれ、埃を被っているようだった。
親友としての基に迷いが有るって事を俺は感じていた。
俺の方はというと専門学校が希望でそこまでする必要は無い。ま、奨学金とるにはいい成績とらなきゃいけないんだけど。
いつもの習慣で俺は作った食べ物の情報をノートに書き残していた。カロリーや栄養バランス、味の特徴を記録しておきたかったから。
3年後鍼灸師の専門学校を卒業し就職したら、お金を貯めて通信の大学に行きたいと思っていた。そこで栄養学の単位を取り、いつか本当のトレーナーになりたかった。さすがに大学に行くほどの余裕は今の家には無い。だからいつかそうなりたいと思う、その気持ちを込めて書いていた。
プレートに今日のメインのミートローフの固まりを乗せる。それからトマト、カボチャ、ジャガイモ、パプリカも加え、表面を油で掃いた。オーブンにそのプレートを入れ扉を閉めた瞬間、そのガラス越しに、いつの間にか背中に立っていた基と目が合った。
彼は唇を噛み締めていた。
ああ、来る。そう思った。
ゆっくりとオーブンのスイッチを入れる。もう、話さなければ・・・・。
「もと・・・・」
言いかけて、後ろから抱きしめられた。
Let Alone つづく
昔、勇利・アルバチャコフ というボクシングの選手がおりまして、彼のボクシングが大好きでした。とにかくそのスタイルがクール!!
無駄な動きがなくて、的確で、軽やかで。クロスカウンターって天才の武器だって思いましたね。あはんっ。
拳を突き上げて“ノープロブレム!”ってのもかっこ良かったぁ。
この話に出てくる”俺たちのガッツポーズ”は二人が彼のスタイルを意識していたとういオタクな暗示なのですが、さすがに”ノープロブレム”と言わせたらボクシング大好き様達から嫌われると思い止めました。←ながっ