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第九話 理由

 どうして話す気になんかなったんだろう。それは多分、兄貴の腕の中があまりに暖かくって俺はほだされていたんだと思う。

「父ちゃんが死んだ時、俺は8歳だった。」

俺には人には言いたくない秘密がまだまだ沢山有ったんだ。


 喧噪の中、ひどく大人のその人たちは汗を飛び散らせていた。パン、パン、パンとリズミカルにパンチングを繰り出す音。リング越しに怒声を放つおっちゃん。ボクシングジム。普通の子供は近寄りもしないだろうけれど、俺にとってそこは遊園地だった。

「ゆーりちゃん、ゆーりちゃん。」

オーナーが俺を呼ぶ。

「今日も可愛いな、ゆーりちゃん。大きくなったら、ここのジムのマスコットになるんだよ。」

すると父ちゃんが大きく頷く。

「そうだ、そうだぞ、遊里。お前は父ちゃんの自慢の子だからな。」

「うん。」

「大きくなったら、ここのジムを宣伝して盛り立てるんだぞ。」

「うん。」

 父ちゃんは白い歯を見せて笑った。14オンスのグローブが似合っていた。

 父ちゃんはボクシングが大好きだった。今じゃ目を悪くしているけれど、昔はプロをしていた事が有ると言う。だから今でも時々こうやってアマチュアのジムで遊ばせてもらっていると言っていた。そんなカッコいい父ちゃんが大好きだった。

 通って来ている人達はみんな父ちゃんの事を

“先輩”

と呼んで、隣りにいる俺の頭を撫でてくれた。

「いい子だね。ボクシング、好きかい?」

もちろん答えはこうだ。

「うん、大好き!!大人になったらボクシングの選手になるんだもん!」

みんなに笑われても恥ずかしくなんか無かった。

「そんな良い子の遊里ちゃんに、良いものをあげようね。」

そう言われて受け取ったのは見た事も無いほど大きなチョコレートケーキで。どうやらジム出身の選手がプロの初戦で勝った記念に貰ったものらしい。

 父ちゃんは祝賀会が有ったから、俺は一人飛ぶように家に帰ってもらったケーキを母さんに見せびらかした。

 その晩父ちゃんは死んだ。ジムの友人達と飲んだその帰り、酔っぱらいのけんかを止めようとして入ったその先で、軽くこずかれもつれた足下の小さな縁石に足を取られ、帰らぬ人になった。


 てこの原理。そんな事だ。

 したたかに打った頭蓋骨。

 病院搬送直後に死亡確認されたと言うから、人の人生って何だと思う。

 父ちゃんもかなり飲んでいたと警察の人は言った。広川と名乗るそのお巡りさんはひどく申し訳なさそうに話した。

「双方、酒に酔っていたようです。」

 少しずつ大人になりながら、双方の“双方”って誰のことを言っていたんだろうと時々思い出す事が有る。 

 けんかしていた人たちか?それとも、父ちゃんか??と。


 俺と絵里子さんに残されたのは、3冊のアルバムと楽しかった思い出だけだった。

 いつしか、絵里子さんは夜の街に働きに出るようになる。いわゆる、母子家庭だ。お酒の飲めなかったはずの絵里子さんは気がついたらザルと呼ばれるようになっていた。朝になるといつの間にか隣りで寝ている、ひどくむくんだ顔の母さんに水を飲ませてから学校に行くのが俺の生活になった。


 だから


「夢にしがみついて、ナニが悪い。」

俺の声は震えていた気がする。


「父ちゃんと俺を繋ぐものはボクシングしか無いんだよ。」


 ジムのオーナーは俺を実の子供のように可愛がってくれた。時代の流れか健康ブームでボクシングの人気が高まり、沢山の人がジムに出入りしていた。学校帰りから深夜まで俺はそこにいた。だってそこには俺の居場所が有ったから。


「基には、こんな話、しないでくれ。」

ほとんど懇願に近い形で俺は呟いた。兄貴にだからこそはなせた話なんだ。

「あいつにこんなしみったれた話なんか聞かせたくない。」

本当は誰にも話したくなかった。

「こんな女々しい俺は、本当の俺じゃないんだから・・・・・」

本当の俺は、もっと強いんだ。決して誰にも負けない。俺は泣いたりするもんか。泣いたって勝てやしないんだから。


 気がついた時、俺の携帯が鳴っていた。

「もしもし。」

声の揺らぎが相手に伝わらないように囁く。


 マスターからだった。時間は11時を少し過ぎたばかりだ。

 今晩は雨降りで客の入りは少なかったと言う。そのせいで彼女は常連さん相手にピッチを早めてしまったらしい。

「今、行きます。」

俺は明るい声で返事をした。店のオーナーはいい人で俺達を大切にしてくれているんだから、つまらない心配なんかかけたくない。

 不意に兄貴が車を 発進させた。

「お母さん、迎えにいくのか?」

「うん。」

「こんな夜はタクシーだってすぐ捕まらないから、濡れないように送っていってあげよう。」

その声に同情とか哀れみなんか無くて、ただ物静かな兄貴がいた。

 隣りにはありがとうさえ言えない俺がいた。

 

 俺達をアパートまで送ってくれた兄貴は帰りがけに言った。

「インターハイまでは全力を尽くしなさい。でもそれが終わったら今度は君自身の人生を生きるんだ。今の君を否定しているんじゃない。でも今しか出来ない事もある。学生だからこそできる勉強や、学校での生活とか。だからもう少し自分に甘くなりなさい。力を抜いて。君は一生懸命すぎるんだ。一人で何もかも背負う事は無い。重すぎる荷物は人に預ける事も必要なんだ。基に相談できなければ、僕でもいい。いくら頼ってきてもかまわないから、もし話を聞いてほしいと思ったら、その時は連絡をくれないか。」

 名刺を一枚手渡された。また泣きだしそうになる俺を見ずに兄貴は去っていった。

 どうしてこの人は基の兄貴なんだろう。

 どうして神様は俺にもこんな兄貴を授けてくらなかったんだろう。

 俺にも基の兄貴みたいな人が欲しかった。

 その時の俺はボクシングのベルトよりもっと大事な事が有るって気づいてしまった気がした。

 

                  Left Alone  つづく

              

 



ゆうりの名前がややこしいとお感じだと思います。勇利・遊里・優里 すべて“ゆうり”とお読みください。どうして表記が違うのか、後半で出てきますのでお待ちくださいね。

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