やまなし/あおもり/いみなし(前編
「このあと無茶苦茶せっ――」
手をわきわきさせる魔術師。
妖狐はこんな状態であるにも係わらず極めて楽しそうだ。
ナタリーの服を剥がそうと手をかけようとして――
「す、す、す、すまない。ナタリー殿。形だけでも嘘でもなんでもいい。我が薔薇騎士団に入ったことにしてくれ。そうしないと私は彼らの暴走を止められそうにない」
慌ててエルがその間に割って入る。
エルはナタリーに目配せして魔術師の暴走を止めようと図った。
「わ、分かった! だが形だけだからな。薔薇騎士団に入ったことにしよう。そ、それでいいのか?」
ナタリーは勢いに押され肯定の発言をする。
どうせ口約束だ。あとでどうにでもなるだろう。ナタリーは思う。
――それに入ったふりをして、もし2重スパイなどができるのであれば薔薇騎士団の貴重な情報を入手でき、隙ができた隙に逃げればオーストロシアに持ち帰ることができるのではないか、何らかの刑には処せられるかもしれないがそれでもオーストロシアのためになるのではないか、と。
「えー。これからいいところだったのにぃー」
「ちっ」
ぶーたれる妖狐に、魔術師はその頭を撫でた。
あまりにもあっさりすぎる魔術師にナタリーは違和感を覚えたが、とにかく我が身が助かったことに安堵する。
「ふふ。やっぱり、こんな女よりヨーコの方がかわいいよ」
「ぐぬぬ。面白イベントが流れたことは面白くないけど、オーカが良いなら良いのです」
「こらそこいちゃつかない。まったく。あの強大な力を持つ魔術師でなければ、我らが剣を捧げる主君の婿でなければ、ひっぱたいているところだ」
「えへへー」
その後自分を無視して繰る広げられる目の前の痴態を無視してナタリーは考える。
いままでここでおきた事を。
・オペレーション『蜂の罠作戦』。
・目の前の『ヒストリカル・ブラック』であろう強大な力を所持する魔術師。
・その魔術師が薔薇騎士団の主君の婿であるという事実。
・魔術師を駆動させる『くっ…、殺せ』というキーワード。
・それによっておきた事象。
どれも持ち帰るに十分な特A級の情報なのではないかと。
「さーて、じゃぁめでたくナタリーが騎士団になってもらったことだし、彼女には視察にいってもらっちゃおう!」
「いやいや、なぜにいきなり視察?」
エルは妖狐の発言に突っ込みを入れた。
「だってほら、エアーズの岩砦は今回破壊したでしょう? でもここから先オーストロシアに攻め込むには、薔薇騎士団には有機カリの森が立ちはだかるのです!」
「そうだな。エアーズの岩砦を陥落させたからといって、戦術的な勝利であるだけで戦略的な勝利ではない」
魔術師の言葉にエルは頷く。
アーカンソーからオーストロシアの首都キャンベルクワに行き降伏させるために聳え立つ2つの軍事的な拠点。
・一つは人工要塞「エアーズの岩砦」
・そしてもう一つが、とその先にある天然要塞「有機カリの森」
これを突破しなければならないのだ。
「でも、それがすでに崩れ落ちていたとしたら? 見てみたくない? ナタリーちゃん」
小悪魔的な笑顔の妖狐。
「ば、ばかな……」
だが逆に言えば、その軍事拠点さえなければオーストロシアの首都、キャンベラクワとはもはや目と鼻の先。狼に対して柔らかな腹を晒した赤頭巾ちゃんに出てくるおばあさんのようになってしまう。
「ほら、ナタリーちゃんもそれを見てしまえばもはや真の意味で薔薇騎士団に屈服せざるを得なくなる、よ?」
ちらちらとナタリーを観察してくる妖狐。ナタリーの絶望がそんなに楽しいのだろうか。
もはやナタリーにはこの妖狐を、いたずらっ娘の女の子ではなく、凶悪な邪悪を有する魔人としか見えなかった。
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時間は戻る。
スペインの無敵艦隊並に難航不落といわれた無敵のエアーズの岩砦。
そのさらに北に聳える有機カリの森。
それは『ラーミート』と呼ばれる魔物が住んでいる。
彼らは小柄ではあるが羊のような灰色のもこもことした毛皮を持ち、オーガーのように強靭な腕力を有する一族だ。おだてなくても簡単に木にも登れる。
彼らの特徴としては、彼らの主食が人族には有害である有機カリの木の葉であることだ。むしろ有機カリしか食べない。彼らは当時この地に自生していた岡桜の木を1本1本引き抜き、代わりにこの木を受けることで繁栄を勝ち得ていた。
オーストロシアからの彼らの評価は、なまけものが多いため攻撃には向かないが、防壁の盾の用途には足る存在というものである。
なぜならラーミート以外にとってこの有機カリの木は有害であるのだ。ラーミート以外にとっては通るだけでも特殊な装備が必要になる。そしてその装備には薬草から作られるエアフィルターを空気口に装着する必要であり、かつそれは希少であった。そしてそれは、出先の防壁であるエアーズの岩砦のエアーズの名の由来でもある。
そんな有機カリの森の南の入り口に、魔術師と妖狐の2人の姿があった。
「誰も警戒していないねー」
「ラーミートが怠け者というのは本当なのだろうねぇ」
「こんなに近寄っているのに……」
ラーミートはだいたい1日のうち18から20時間を眠るか休んで過ごし、最も活動的になる時間は夕方か夜、または早朝の夜行性である。
そもそも彼らが住む有機カリの森の前にはエアーズの岩砦があったのだ。その岩砦はいままで一度として落ちたことがない。これではたとえこれがラーミート達でなくても油断するなというのは酷なことだろう。
「しかし、邪魔な山か……」
「山をガタガタにさせるのであれば、ヤマガタケン?」
「いや、あってもしょうがないのであれば崩そう」
魔術師はヒストリカル・ブラックである黒の歴史書を懐から取り出すと、その魔導書からさらなく魔力を引き出した。
それは、四十八都道符拳が一つ。
「山梨 拳!」
短い詠唱によって導かれる事象。
あたり一体の有機カリの森、その山全体が伝家のホウトウによる魔術によって、まるで練った小麦粉をてきとーにざっくりと切った白い極厚麺を味噌や野菜で煮込んだかのようにぐつぐつと崩壊していった。
そこ一面に広がるのはラーミートといった魔物の姿はもはやなく、単なる平地だ。
一瞬にして山無しになったのだ。
「でもこんなに一度に平地にしたら、オーストロシアからバレバレなんじゃない。奇襲できなくなるよ?」
「それもそうかな?」
やっぱりヤマガタにしておけば良かったのでは、と続ける妖狐に、魔術師はさらなる魔術をもって答えた。
「青森拳!」
先ほどとまったく同じ姿が復元される。だがしかし、生息しているものが有機カリではなく、こだわりのある青い青森スギの森だ。一瞬にして杉がにょきにょきと成長して現れる。生えスギである。
ちなみにこの青森には6箇所に村がある。
その間わずか5分。
オーストロシアの首都からはそれに気づかれることはなく。
静かにラーミートも全滅していた――