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釣り上げられた人魚姫  作者: 桔梗楓
番外編
8/15

珍客、あらわる。

 サカナビト族。彼らにはどうやら独自のネットワークがあるようで、オトヒメは一応親御さんと連絡を取り合っているようだった。

 俺はその事を本人から聞いていたので、さほどオトヒメの家族事情についてつっこむことはしなかったが、多少は離れ離れになって寂しいだろうなと考えたりもする。しかし、俺はオトヒメを手放すつもりがハナからないし、オトヒメも俺の傍にいることを望んでいる。それなら、何も無理を強いてまでオトヒメと両親を会わせようとしなくてもいいかな、とのんびり気楽に考えていた。

 そんな俺は色々と見通しが甘く、うかつで、短絡的だったのだろう。


 事態はもっと迅速に、めまぐるしく進んでいたのだ。


 いつものように大学の講義を終え、書店のバイト先からアパートに帰る。

 ただいまー、と狭い玄関で声をかけたが、いつもの可愛い声が聞こえてこない。またトイレか、それともうたた寝してるのかなと深く考えずにミニキッチンを通り過ぎ、6畳のリビングに入ると、異空間が俺を待ち受けていた。

 

 カツオとタイがいる。

 ……繰り返そう。カツオとタイがいる。


 な、なにを言っているのか、俺にもよくわからないが、とにかくカツオとタイがいるのだ。リビングに。もっと詳細を述べればコタツテーブルのすぐ傍でカツオとタイが二匹並んで浮かんでいる。


「えっと……どちらさまでしょうか」


 ぽりぽりと頭を掻きつつ。俺も随分と未知なる出会いに耐性ができてきたようだ。100%オトヒメが原因だが、最近はもう魚が宙を浮いてる程度ではさほど驚かなくなっている。

 恐らく、いや間違いなく、オトヒメ関連のサカナだろうし。

 そんな俺の予想はやはり当たっていたらしく、コタツテーブルの奥からヒョコッと見慣れた彼女が現れた。


「あのあの、おかえりなさいですの、光秀様」

「うん、ただいまオトヒメ。……えっと、一応説明をもらえると助かるんだけど」

「はい、勿論ですの。ええと――」


 オトヒメが言葉を続けようとした所で唐突にカツオがヌッと動く。コタツテーブルの上までふよふよと移動し、俺とオトヒメの間を立ちふさがるように正面で浮かんだ。


「……私は、オトヒメの父だ。娘が世話になっている」


 それは。

 びっくりするほど美声の低音。映画の吹き替えなんかで聞いたことがあるバリトンボイスでカツオが喋った。

 そして、そんなカツオの隣にタイが並ぶ。


「はじめまして。わたくしがオトヒメの母ですわ。サクラとお呼びくださいませ」


 ……サクラ。もしかしてそれは、サクラダイから取った名前なのか?いや、まさか。

 一人戸惑いに言葉を失っていると、俺の沈黙に構わずカツオ、いや、オトヒメの父が軽く後ろに体を向け、オトヒメに話しかける。


「オトヒメよ。今一度確認するが、本当に良いのだな。人間を伴侶とする覚悟は生半可なものではない。時に命をかけるものだ。……それでも?」

「はい、オトヒメは光秀様を選びましたですの。光秀様以外の殿方に心変わりするなど、ありえませんの」

「……全く、頑固な所は母譲りだな。お前には苦労のない幸せを得て欲しかったが」


 ふぅ、とカツオが溜息をつく。カツオが溜息をつくなどという衝撃的映像、誰にも見せれたものではない。

 そして、そんなカツオの隣でころころと笑うタイも。……めでタイ?ああだめだ、俺、頭が沸いてる。


「オトヒメは昔からこうと決めたら曲げない子でしたからね。大移動の時にはぐれたのも、そして人間の青年に出会ってしまったのも、全てこの子の運命だったのでしょう」

「運命、か。そうだな、オトヒメが今まで誰にも心許さなかったのも、全てはこの青年に出会う定めにあったからなのだろう……しかし」


 チラ、とカツオが体をひねって俺を見た。


「何も、こんな海の中で1時間も持たないような男をな……。しかもひ弱そうであるし」

「普通ニンゲンは海の中で一時間どころか5分もアヤシイですけど」

「どうして私が用意した御仁では満足できなかったのだ。シェドという男など、歯はシャチのように鋭く尾ひれはタチウオのようにピンとまっすぐ尖って、なかなかに美丈夫であったのに」

「お父様、オトヒメは何度もジェドは嫌だと申し上げたですの。だってあの方、見た目がよくても思いやりが足りないですの、ねえお母様」


 カツオのぼやきに俺が、そしてオトヒメが返す。更にはオトヒメに話をふられたタイが「そうですねえ」と娘に賛同するように溜息を吐いた。


「初対面早々、『タマゴを産め』はありませんわね。わたくしも少々呆れましたわ。恋沙汰に順序はつきものですのに、女性を思いやれない男など例え美丈夫でも願い下げです」

「むぅ……仕方がないな」


 本当に渋々といった風にカツオが改めて俺に体を向けてくる。しかし、俺はどうでもいい事に思考を巡らせていた。

 オトヒメはタマゴを産むのだろうか。そういえば、サカナは産卵するイキモノだ。て、事は俺とオトヒメの場合どうなるんだろう?……。


「御仁、御仁よ」

「えっ、は、はい」


 思考の渦に陥りそうになった俺にカツオが話しかけてくる。慌てて恐ろしい想像にフタをし、顔を上げると、妙に迫力のある雰囲気でカツオが俺を見ていた。いや、真正面のカツオ、結構怖い。


「御仁、名を名乗られよ」

「あ、俺ですか?勇魚光秀いさなみつひで、ですけど……」

「ふむ、光秀殿、か。オトヒメから馴れ初めは聞かせてもらったが今一度問わせてもらおう。御仁、そなたはオトヒメを選んだ。それは娘と添い遂げる覚悟があってのものなのか?」

「……」


 神妙な面持ちで問い質す、カツオ。いや、オトヒメの父。

 しかし突然のシリアスな雰囲気に俺の脳がついていかない。なんだろうこの流れ、まるで俺がオトヒメと結婚でもするような感じじゃないか。

 でも……まてよ?俺は、オトヒメを幸せにしたいって決めたわけだし、それはいつまで?って問われたら、まぁ普通に考えたら一生なのかな、とは思う。

 という事は、ケッコン、なのか?

 ええ……俺、まだ20歳なんだけどいいのか?結婚なんて、大学卒業して職について落ち着いてからの話かなーとか思って、ものすごく何も考えてなかった。

 だが、オトヒメを親の元に返さなかったのは間違いなく俺の意思。つまり、オトヒメの親御さんにとってみれば、俺は愛娘を取った男という立ち位置なんだ。

 そう考えると確かに、その神妙な面持ちも、シリアスな問いも理解できる気がする。


 今が覚悟する時、なのかもしれない。


「はい。オトヒメが俺を選んだように、俺が選んだのもオトヒメですから」

「光秀様……」


 ぼうっとした様子でオトヒメがふよふよとコタツテーブルの奥から近づいてくる。俺が手の平を広げると、彼女は大人しく俺の手に乗ってきた。


「オトヒメ、俺、決めたんだ。おまえを幸せにするって。つまりそれって、やっぱり結婚の事だろ?」

「……うれしい、うれしいですの。光秀様」


 まるで頬ずりをするように、オトヒメが目を瞑って小さな体を俺の手の平にこすり付けてくる。くすりと笑って反対側の指の腹で彼女の頭をなでていると、カツオが厳かに声を上げてきた。


「すでに覚悟を決めていたようだな。ヒト族とサカナビト族。もう二度と交わることはないと思っていたが、もしかするとオトヒメがオトヒメの名を持って生まれたのは運命だったのかもしれぬ」

「そうですわね、あなた。……光秀様、この日本という国ではかつて、気が遠くなるほどの昔、ヒト族とサカナビト族は一度、結ばれ事があったのです」


 タイ。つまりオトヒメの母親が昔話をし始める。はるか昔、この国でサカナビトの女性と人間の男が恋に落ちたそうだ。とある漁師の男が浜辺で石を投げられていたサカナビトを救い、お礼にサカナビトが住む国に男を招待したのだと言う。


「ですが、幸せは長く続きませんでした。私達の先祖は、ヒト族が太陽の元で暮らさねば生きて行けない生き物であることを知らなかったのです。男は海の底でみるみると衰弱して行き、周りのサカナビト族は命の危険を感じました。……そして、とうとう二人は別離させられる事になったのです」


 男は衰弱し、体が白く痩せ細っていったが、愛したサカナビトの女と離れる事は拒んだ。どんなに自分がこの海の底になじまない体だったとしても、離れるよりはましだと抵抗した。だが、当時のサカナビトは互いに適した場所で生きるのが一番の幸せだと考えた。

 泣き叫ぶ二人の間を裂き、男は陸へ、そして女は海の底に囚われた。


「……結局、ヒトの男はサカナビトの女と離れた辛さのあまり、若い身空で老人のようにやつれ細り、髪も白くみすぼらしいものに変わってしまい……そして、サカナビトの女は哀しみに絶望し、命を絶ちました」


 思っていたよりハードな昔話に俺の表情が強張る。

 それってつまり、あれだよな。昔何度か読んだ覚えのある、有名な「むかしばなし」……だよな?

 タイは軽く目を伏せて少し黙ると、やがて体を上げて穏やかに俺を見上げてくる。


「それから時が流れ、ある時、サカナビトの一人が陸のヒト族に捕らわれてしまいました。ですが、その時は恋などに落ちることはなく、サカナビトは殺されてしまいました」

「どうやら陸のヒト族の一部で、サカナビトの肉が不老不死を与えるという噂が横行したようでな。身の危険を感じた我らは国を捨て、旅に出る事にした。我々は本来暖かい海を好む種族。季節によって皆で大移動をし、決してヒトに見つからぬよう密やかに、そしてのんびりと生きてきたのだ」


 しかし、オトヒメはその大移動からはぐれてしまったサカナビト。それが、どんな縁を結んだのか、俺が釣り上げてしまって、そして……恋に落ちてしまった。まるで大昔に出会った漁師の男といじめられていたサカナビトの女のように。

 昔話を終えると、カツオが厳かに、かつ渋い声で俺に話しかけてくる。


「……光秀殿よ。オトヒメの人魚姿を見た事はあるか?」

「あ、ありますけど」

「そうか。あれが本来、我々の姿であるのだが。実はな光秀殿、サカナビト族は、その名の通りヒトの姿にもなれるのだ。つまり尾ひれがなく、そなたのような二本の足を持った姿だな」

「えっ……そうなんですか?」


 オトヒメは金魚の姿と人魚の姿、ふたつしかなれないと思っていただけに少し驚く。しかし話には続きがあるようで、カツオは俺の驚きに頷くと、話を続けた。


「儀式をすませば、オトヒメもヒトの姿になれる。だが、オトヒメは足を手に入れる代わりに声を失う」

「……何ですか、それ。人間のような足のある姿になれば、喋れなくなるって事ですか?」

「そういう事だ。御仁がここへ帰る前にオトヒメにも同じことを言ったが、オトヒメは……光秀殿が望むのなら、声を失ってもかまわないと答えた。光秀殿、どうするかね?」


 突然の質問に面食らう。

 オトヒメに人間と同じ足ができれば、できる事が増えるだろう。よく通っていた居酒屋に行って大将にオトヒメを紹介したり、時々大学にもつれていける。デートだってできるだろうし、オトヒメだって外に出る楽しみができると思う。

 ……だけど、その代わり喋れなくなるなんて。オトヒメの可愛くて鈴のようなころころとした声が二度と聞けなくなるなんて。――そんなのは、嫌だ。嫌に決まっている。

 あの何でも語尾に「ですの」をつけてしまうオトヒメのおかしな話し方は、俺が彼女に惚れた要素の一つでもあるんだ。それを失うなんて、ありえない。


「オトヒメの声がなくなってしまうなら、人間の姿になる必要はありません」

「ほう?オトヒメが人間の姿を手に入れればできる事も多いのに。足はいらぬと申すか?」

「ええ。確かにオトヒメが人間の姿になれたらしたい事、やりたい事、沢山あります。でもそれは、オトヒメが話せてこそしたい事なんです。一緒に笑って、楽しい事を楽しいって言い合えないなら、全て意味のない事になってしまいます」


 そうして俺は、手の平に乗るオトヒメを見つめる。彼女もまた、つぶらな黒い瞳を大きく開いて俺を見上げていた。


「ごめんな、オトヒメ。だけど俺、おまえが喋れなくなるのは嫌だ」

「光秀様……」

「これからも俺が外出中はアパートから出られなかったり不自由させてしまうけど……でも、俺がいる時は、できるだけ外に行って色んなもの見せてやるよ。バイクに乗ってさ、オトヒメでも外が見れるようにいくらでも工夫はできるから。いろんな所に行こう?」

「うっ……みつひでさま……っ」


 うるうると瞳が潤み、オトヒメが感極まった表情をする。そして、彼女が俺の顔に向かって飛んできた時――俺の鼻ッ面にすげえ硬いものがドガァッとぶつかってきた。


「ッいでぇっ!何っ、なに!?」

「婿殿ぉぉぉーーッ!婿殿、そなたこそ、オトヒメの婿にふさわしいっ!私は感動のあまり、うおうっ!」

「あなた、落ち着いて」


 俺の鼻に体当たりしてきたのはカツオだった。カツオのド硬い頭が俺の鼻にクリーンヒットしたのだ、ものすごい勢いで。正直鼻血でも出そうなほどに痛い。というか俺、鼻の形変わってない?大丈夫?今すげえ鏡見て確認したい。それくらい痛い!!

 思わず蹲って鼻を押さえて震える俺の肩に、オトヒメがおろおろと胸ヒレをのせてきた。


「光秀様、大丈夫ですのっ?光秀様……」

「ら、らいりょーふ……はなちててない?おれ」

「鼻血は出てませんの!大丈夫ですの!」

「婿どのぉうおあーっ!」

「ごふぉ!?」


 鼻を押さえて膝をついた俺の下からカツオが再び体当たりしてくる。顎をアッパーカットされたようにひっくり返った俺の顔のあたりをオトヒメがおろおろと飛びまわった。


「光秀様、光秀様!!」

「婿殿!度重なる無礼な言動をお許し頂きたい。試すつもりはなかったのだが、どうしても婿殿の意思を確かめておかなければならなかったのだ。大丈夫だ婿殿、オトヒメは声を失ったりはしない」

「っ……く、……え?」


 よろよろと起き上がると、俺の鼻っ面に突撃食らわせて顎をアッパーカットした事については何とも思ってなさそうなカツオがバッと胸ヒレを広げ、ぴちぴちと尾を跳ねさせる。


「大昔は声を失わなければ足を手に入れられなかったようだが今は違う。我らサカナビトに代々伝わりし人化の秘術も日々進化を続けているのだ。オトヒメが『成人の儀』を遂げれば、いつでも人間の足を手に入れられよう」

「そうだったんですの、お父様。ですけど、どうして私にまでその話をしたんですの?オトヒメは一杯悩んだですの。ですけど、光秀様が望まれたのならって覚悟しましたのに」

「うむ、すまなかったな、オトヒメ。お主の覚悟もまた、聞いておかねばならなかったのだ。しかし、そこまでふたりが固い絆で結ばれておるのなら問題はない。さっそく『成人の儀』を行う事としよう」


 くるくるとカツオが回り、タイがそんなカツオの隣に控える。

 俺は手の平にオトヒメを乗せたまま、何となく次のカツオの言葉を待った。すると、カツオが厳かな声で『成人の儀』とやらのはじまりを告げる。


「カミコトリとサクラの子、オトヒメよ。サカナビトの定めに従い、成り人を意する儀式を執り行う。これは、心より愛するツガイが存在してこそ可能となる秘術。オトヒメよ、ムコになりし光秀よ。双方よろしいか?」

「は、はい」

「……はいですのっ!」


 戸惑う俺と、気合一杯のオトヒメ。そんな俺達にカツオが超カッコイイバリトンボイスで静かに声を上げる。


「では、婿殿よ。オトヒメを『成人』にするがよい。さぁ、チッスをするのだ」


 ……。

 …………。


 えーと、どこからつっこめばいいだろう。そうだな、まずは、気になるあの単語からだな。


「その、カツオ……じゃなくて、カミコトリさん?あの、チッスって何ですか?」

「カミコトリではなく義父と呼ぶといい。チッスはチッスだ。婿殿も男であるなら判るであろうが。さぁ、ぶちゅっとやるのだ」


 チッスの次はぶちゅっときた。なんだろう、このカツオからは中年オッサンの匂いがする。声は、声だけは俳優並に格好いいのに。

 戸惑いつつもオトヒメを見下ろすと、彼女は彼女で『チッス』は初耳だったらしく、かちこんと手の平で固まっていた。


「あの、お、お義父さん。なんで、それを?それが、成人の儀なんですか?」


 チッスとは死んでも口に出せない。それならキスとか接吻とか言えばいいのかもしれないが、それもなんか口に出すのは憚れる。

 俺の問いにカツオは「うむ」と臆面もなく頷いた。


「古来より、チッスは往々に使われてきた神聖なる取り交わしの一つ。言うなれば魔法だ。眠りの呪いにかけられた哀れな娘を救うのもチッス、毒の果物により魂をなくした娘に再び命を与えるのもまたチッス。そして、サカナビトにヒト族の足を与える秘術もまた、チッスにより成立する魔法なのだ!」

「悪い、お願いだからそのチッスって言い方やめて。チッスがゲシュタルト崩壊しそうだから、俺」


 結局言ってしまった。だって、もうチッスチッスうるさい。

 しかし……ここで、いきなりするのか?オトヒメと?……曲りなりにも、両親の目の前で?


「まじかよ……」

「光秀様、ごめんなさいですの。変なことに巻き込んでしまって」

「いや、別にいいけど。オトヒメは知ってたのか?成人の儀の事」

「いいえ、知りませんでしたの。成人の儀というものがある、という事しか知らなかったですの」


 俺の手の平で不安そうに見上げてくるオトヒメ。そんな彼女を見下ろして、カリコリと頬を掻く。


「……知らなかったのか。それなら仕方ないけど。えっと、とりあえず、していいのか?オトヒメは」

「っ、あの、……はい、ですの!」


 かぁっと朱色の肌をさらに色づかせて赤くなりつつも、しっかり頷くオトヒメ。

 成る程。覚悟の強さで言えばどちらかと言うとオトヒメの方が上だったらしい。俺は、親御さんの前でそういう行為をする事に対しての照れとか、まだその段階じゃないだろとか、色々ごちゃごちゃ考えてしまっていたけど、オトヒメはもうとっくに覚悟を決めていたのだ。

 俺が望むのなら、声と引き換えに足を手に入れてもいいと考えたオトヒメ。それに比べれば、キスをするなんて本当に些末な事だ。

 そっと手の平を上げて俺の目線までオトヒメを持ってくる。カツオとタイはそんな俺達をじっと見守っていて、やはり若干の照れを感じながらもそっとオトヒメの小さな唇にキスを落とした。

 小さな、小さな唇。手の平サイズの金魚なんだから当たり前だが、冷たいと思っていた彼女の朱色の唇は、どこか温かかった。

 触れ合いは一瞬で。キスの仕方がよくわからなかった俺はすぐに唇を外す。

 照れくささは最高潮で、オトヒメを見下ろすことができなくて視線をそらすと、コタツテーブルの上でカツオとタイがまるでまな板の上で跳ねる魚のように悶えていた。


「おおっ……なんと甘酸い、初々しいチッスなのだ……見ているこちらが照れてしまう!」

「頼むからやめて下さいそういう感想的な事言うの。あとチッスはもう口にしないで下さい」

「ふふ、よかったわね、オトヒメ。こんなに純な御仁に見初めてもらえて」


 カツオより一足早く悶え状態から回復したタイが起き上がってオトヒメの顔にこつんと自分の顔を当ててくる。オトヒメは恥ずかしそうに胸ヒレで顔を隠しながらも「はい」と小さく頷いた。


「ふぅ……。これで成人の儀は終了だ。つがい同士のチッス」

「チッス禁止」

「……つがい同士が唇と唇と重ね合わせる事により、秘術は完成する。これでオトヒメは晴れて成人の仲間入りとなった。いつでも望めばヒトガタになれるが、一つだけ要点を。海水に少しでも触れるとたちまち人魚の姿に戻ってしまうのでな。ゆめゆめ海水には気をつけるのだぞ」


 カツオはキスとか接吻という言葉を知らないのか。それはともかく、オトヒメが海水に触れると人間の姿から人魚の姿になってしまうのは決して無視できない重大な要点だ。海岸なんかは特に気をつけよう。


「さて、成人の儀も終えた事だし、これから忙しくなるな、サクラよ」

「ええ、そうですわね。まずはオトヒメの身辺を整えなければ。この国で生きていけるよう、様々な手続きもしなければなりませんし、お世話になっている弁護士さんをお伺いしましょう」

「え、なんですか、それ」


 聞けば、この日本の国に何人か人魚であることを隠して人間として生活しているサカナビト族が存在しているらしい。その同志達に頼めば本来戸籍を持たないサカナビト族も住民票を手に入れ、日本人として生きることができるそうなのだ……って、なんだそのミラクル弁護士。おかしいだろ。普通弁護士はそんな犯罪的な事はしない。

 ……だけどまぁ、サカナビト族って存在自体がミラクルの巣窟みたいな感じだし、何を可能にしてもおかしくはないが。もしかしたら日本の戸籍システムってザルなんだろうかって心配になってしまうけど。


 しかし晴れてオトヒメは何も失わずに人間の姿を手に入れた。これは僥倖だろう。色々な所につれて行けるし、オトヒメ自身だって近所に出かけて買い物をすることもできる。

 そうだ、服とか、靴とか……色々買ってあげなきゃな。冬休みの短期バイト、ちょっと増やそうかな。


「オトヒメの身辺が終わったら挨拶をせねばな」

「そうですね、私達も身づくろいして、挨拶に備えましょうね」


 挨拶。

 それが何を意味するのか俺はうかつにも問い質す事を忘れ、その時は暢気にオトヒメはどんな服が似合うかなぁと思いを馳せていた。

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