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釣り上げられた人魚姫  作者: 桔梗楓
釣り上げられた人魚姫
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4.金魚相手に不整脈

 書店のバイトを終え、ミラクルの巣窟になりつつある玄関ドアを開ける。「ただいま」と声をかけると、妙にくぐもった声で「おかえりなさいですの」と返ってきた。

 なんだろう……まるで、水の中から無理矢理声を出しているような、微妙に大変そうな声だ。


「おまえ何して……って!おまえ何してるの!?オトヒメ!」

「ふぁ?」


 何気なくリビングに入ろうとして、驚愕にその足を止める。

 そこはミニキッチンのシンクだった。もこもこと泡を立て、オトヒメがその泡に埋もれて尾ひれしか見えない。


「何って、お片付けをしていたんですの。お料理を終えたフライパンやお鍋を洗っていたんですの。ぷふぁ!」


 泡だらけの中から胸ヒレをぱたぱたと出し、口からぽこぽこと泡を出す。いやそれ、洗っていたのか?泡に埋もれ、右往左往していたわけではないのか?

 しかし彼女はしっかりと(?)スポンジを持っているし、あわあわシンクの中でごしごしと両手でフライパンを磨いているし……確かに、その姿は洗っているのだろう。だが!


「俺がやる……っ!狭いキッチンで使い辛いだろうけど、今後洗い物は溜めておいてくれ。リビングの洗面器で体洗ってきな」

「え、ですけど……」

「問答無用。ほら、タオル。寒いからお湯入れてやるよ」

「……。あ、ありがとうございます、ですの」


 体中を泡だらけにしながら、しゅんとした様子でタオルを受け取る。俺は洗面器に張っていた塩水を流し、ぬるま湯を新たに入れてから塩を溶かした。

 するとオトヒメはおとなしく洗面器に入って行き、ふよふよと泳ぎ始める。しかし、どこか申し訳なさそうな顔をして見上げてくるので、俺はそんな彼女の口元をツンっとつついてやった。


「何だよ。全く……泡で窒息する例もあるんだぞ。人間でもなるんだ。おまえみたいな小さいのが泡だらけになったら危ないだろーが」

「……しんぱい、してくださったんですの?」

「当たり前だろ。オトヒメは小さいんだから、間違っても排水溝の掃除なんてしないでくれよ」


 もし何かの拍子で排水溝に落ちたりしたら……想像するだけで恐ろしい。オトヒメは俺のいない間に軽く掃除をしているようだが、トイレ掃除も絶対させないようにしなければ。


「何だろうなぁ……。メシ作るだけなら兎も角、オトヒメは綺麗好きなのか?」


 フライパンの泡を流し、鍋を洗いながらブツブツと呟く。あの自称人魚はまるで俺のアパートにオカンがやって来た時の如く、あれこれあれこれと頼んでもいないのに率先して家事をやるのだ。助かってはいるが、危ないことをしていたならちゃんと止めてやらねば。


「だって……わたし、……じゃないから……。……少しでも……。……ですの」


 ぽつぽつとリビングから小さな声が聞こえてくる。ざあざあと流す水の音が煩くて、聞き取りづらい。


「今なんつったオトヒメー?」

「な、なんでもないですのっ!ご心配おかけして申し訳なかったですの」


 ぱしゃぱしゃと慌てたように水を跳ねさせる。そうか?と首をかしげて、残りの調理器具を片付けた。



 しかし改めて問い質してみれば、俺が肝を冷やすような行為をオトヒメはやりまくっていた。一番怒鳴りつけたのは、洗濯だ。あのぐるぐると回る洗濯機の中にもし入ってしまったら……という恐れも勿論あるが、一番怖かったのは洗濯物を干す時と取り込む時。つまり、狭いながらも一応あるベランダに出て作業してやがったのだ、コイツは。

 冬さながらの強風が吹きすさぶ中、洗濯物を干したり、取り込んだり……。注視してなかった俺も悪かったが、こんな小さな手の平サイズ、風に飛ばされてしまったらどうするつもりだったのだろう。


「いいかオトヒメ。確かに家の中で好きにしていいって言ったけど、危ないことは絶対にしないでくれ。あと、そんなに汚れ物が気になるなら、俺がやる。オトヒメが綺麗好きなのはわかったから、洗濯と食器洗い、トイレ掃除は俺がやるから。いいな、わかったな?」

「……はい。お手数を増やしてしまってごめんなさいですの。本当は、光秀様は家主らしく居間でゆるりとお寛ぎ頂かなくてはならないのに、わたしが至らないばかりで、申し訳ないですの」


 すっかり泡を落として、タオルで軽く水を切ったオトヒメが宙を浮きながらうなだれ、しゅんとした姿を俺に見せる。どうやら落ち込んでいるらしいが、彼女は随分と時代錯誤な思考を持っているらしい。

 ベランダで洗濯を干していたと聞いた時につい、大きな声を上げて怒ってしまった。その事で彼女が落ち込んでいるのかな、と指の腹で軽くオトヒメの頭を撫でてやる。


「本来は俺がすべき事なんだから気にしなくていい。それより外は危険がいっぱいだから心配なんだ。おまえは宙を飛べるから踏まれることは無いだろうけど、鳥とか、ネコとか、色々いるからな」


 実家には猫が三匹いるが、奴等のハンティング術は人間技を軽く凌駕している。割とすばしっこいゴキブリやハエだってジャッと一発必中。のんびりふよふよしているオトヒメなんか、奴等の格好の餌になるだろう。そして鳥も。俺の地元には場所柄海鳥が沢山いるのだが、奴等のハンティング術も並ではない。まさに立つ鳥跡を濁さずだ。もはや人間の目では目視できないほど素早く、かつ、優雅に獲物を狩っていく。ですの~とか言って暢気にクルクル回っていたら、オトヒメなんぞ悲鳴を上げる前に餌食になってしまうだろう。

 だから、と念を込めて切々に訴えた。


「猫と鳥は恐ろしいんだ。俺じゃきっと守れない。だから……な?頼む」

「光秀様……」


 ぽうっとして傍に寄り、手を出した俺の手の平に乗って見上げてくるオトヒメ。自然と俺も見つめると、彼女の小さな黒い目がきらきらと光り、まるでとろけるように潤んでいた。

 ……。可愛い……。


 しかし唐突にハッと顔を上げる。俺は、俺は、今何を考えていたのだろう。何かとても取り返しのつかない、考えてはならないことを考えていた気がする。

 慌てて首を振り、そうだと思い出したようにトートバックからがさがさと紙袋を取り出した。


「あ、あの、オトヒメ。これ……」

「?はい。なんですの?」


 首を傾げるオトヒメに、小さな紙袋から中身を取り出して見せる。それは、今日オモチャ屋で買ってきた人形用のエプロンだった。


「まぁ!可愛らしい……あの、……もしかして、わたしに?」

「うん。料理してる時とかさ、汚れるだろ?だから、エプロン」


 本当はこれをつけたら可愛いんじゃないかと、それが理由で買ったのだが、口に出して言うのは憚れた。パッケージを剥いてピンク色をしたフリルエプロンを取り出し、一緒についていたリボンのカチューシャも取り出す。まるでメイドさんが嵌めるような、可愛いオモチャのカチューシャだ。

 ふよふよと宙を浮かびながらオトヒメがわくわくした様子で俺を見ている。くすりと笑って、エプロンをつけてやった。少し不恰好だけど大きさはぴったりで、背びれの下あたりでエプロンの紐を結んでやり、頭にカチューシャもつけてみる。


「ど、どうですの?」

「ああ、いいんじゃないか?ユニットバスに鏡あるから見てこいよ」

「ちがいますの!その……光秀様は、私の姿を見てどう思いますの?」

「どうって……」


 目の前のオトヒメをジッと見る。金魚みたいな朱色の小さな体に、人形用のピンクのエプロン。思った通り、いや、それ以上に似合っている。くるりと回るとフリルのひらひらが舞って、頭にチョコンと乗ったリボンつきカチューシャもぴったりで――。


「……似合う、けど。か、可愛いぞ」

「本当ですの!?嬉しいですの!」


 俺の言葉にオトヒメが胸ヒレをぱたぱたさせて喜び「早速見てくるですのっ!」と言い残してぴゅーっとユニットバスに消えて行く。

 呆然として、リビングに座り込む俺は一人、額に手を当てた。

 

 なんだこれ、やばい。


 胸に手を当て、俯く。どきどきと胸打つ動悸が不規則で早くて、顔が熱くて、恥ずかしくておかしい。

 俺、どうかしてる。

 そうだ。なんで俺、人形用のエプロンなんか買ったんだよ。何の疑問も覚えず、ただ似合うだろうなって、それだけの思いでオモチャ屋で購入したけど、よく考えてみれば――。

 そんな想い、抱くはずがないのに。

 だって、相手は金魚だ。いや、厳密に言うと人魚なんだけど、俺はまだ上半身が人間だという半魚姿すら見ていない。それなのにこの胸の鼓動、切々と心に訴えてくる、感情。

 だけどそれは認めるわけにはいかない。何故なら……。


「光秀様ー!」

「えっ」


 ユニットバスに引っ込んでいたオトヒメがものすごい勢いで飛んでくる。戸惑いながらも彼女の突撃を胸で受け止め手の平に乗せると、オトヒメが興奮したようにパタパタと胸ヒレを動かし、目をきらきらとさせて俺を見上げてきた。


「すごいですの!可愛いですの!光秀様、こんな素敵なものを買ってくれてありがとうですのっ!!」

「あ、ああ……うん。いいんだ。や、安かったし、ついでだったし」


 否、ついでじゃない。わざわざバイト帰りにオモチャ屋に寄ったんだ。だけどその事実は胸の内に隠しておく。だってそれを口に出してしまったら、自分が取り返しのつかない場所に行ってしまう気がしたから。

 ここの最近の自分はおかしい。オトヒメを可愛いと思い、彼女のことばかりを考えている。だけど深く考えたらものすごいドツボにハマってしまいそうですごく怖い。

 だから無理矢理思考に蓋を閉じ、少し冷めた夕飯をオトヒメと取る。


 今日は鶏のつくね焼きとカボチャの煮物。大根と油揚げの味噌汁。相変わらず、不思議な程に美味しい。

 俺と同じコタツテーブルで、うまうまと日高昆布にかじりつくオトヒメ。

 その姿は――、やっぱり、可愛いかった。

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