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釣り上げられた人魚姫  作者: 桔梗楓
番外編
12/15

光秀、家にかえる 4

 みゃあみゃあとウミドリが鳴く中、島に唯一ある漁港には数々の船が停泊している。父親の漁船も通りかかったが想像に反して誰もおらず、こっちじゃなかったかな?と首をかしげながら歩いていると、漁港の先に見慣れた後ろ姿があった。

 黒いレザージャケットに、同生地で仕立てられた細身のパンツ。ジャケットの襟や袖、パンツの裾のあたりには銀色の鋲がいくつも取りつけられていて、足に履いているものは下駄。およそ50を過ぎた男がしていい格好ではないと思うがあれは父の趣味でも何でもなく、母が本島に買い物に出かけた際にバーゲンセールで買って来た売れ残りの赤札品だ。

 俺が都会で大学に通っている間にどうにか駄目になって別の服を着ていてくれと密かに願っていたけれど、あの上下二千円の黒レザーセットはいまだ健在らしい。父は服を拘らない人間だ。身を包めば何でもいいと思っているらしく、母親はいつも安売りの中でも更に追加値下がりされたダサい売れ残りばかりを買って来る。

 ちなみに、この黒レザージャケットの下は何も着ていない。今のような真冬でもだ。この男の肉体は鋼か何かで出来ているのだろうかと時折思う。後、下駄だけはかなりいいもので、ここ10年履いているが時折鼻緒を直すくらいで何一つ壊れる事なく父の足に納まっている。

 ざざーん、ざざーん。波がたゆたう聞きなれた音と、ウミドリの鳴き声。父は黒いボラードに足を乗せ、レザーパンツのポケットに両手をつっこみ煙管をふかしていた。

 ……父は煙管派なのだ。なんかの映画を見て影響を受けたらしい。


「――光秀か」

「ああ。タダイマ」


 返事をすると父がボラードに足を乗せたまま振り返ってくる。レザージャケットの下は何も着ていない。何度も繰り返すが、今は真冬である。1月の冬休みだ。こんなくそ寒い日に、しかも海からくる北風にあおられながら裸ジャケット。ありえない。俺の父は変態としか思えない。

 年中陽に焼けている浅黒い肌、180を超えるタッパ、筋肉隆々の大男。勿論レザージャケットの下に見える胸板は逞しく、腹はぱっきりと6つに分れたシックスパック。髪だけは年を感じさせる白髪交じりだがツンツンに立てていて豆しぼりの手ぬぐいでハチマキをしている。

 俺が絶対なりたくない大人の姿の一つだ。義兄さんは俺の父を「格好いい人だよねえ」と言うけど、俺はそこだけは全く同意できない。理解しかねる。

 父はぷかりと煙管をふかすと、俺の隣でチョコンと立つオトヒメを見やった。


「えらい別嬪だな。光秀がヨメさん連れて来ると聞いていたが……こいつぁ、驚きだ。フッ」

「お願い父さん、その芝居がかった喋り方マジやめて。誰の影響受けてんの?またなんか変な映画見たんだろ」

「正月に名作映画がテレビでやっていてな。フッ……ユウジローは俺にとって永遠なる星だぜ。スター」


 もういや。もういや……!どうして俺の家族ってこうなの。格闘でコミュニケーション取る母と姉に、すぐ昔の映画とかの影響受けてしまう厨二病の壮年親父。まともなのが義兄しかいないという悲しい現実。これに加えて俺、義両親がカツオとタイって、どんだけ酷い星の元に生まれてきたんだよ!まぁ、後半は俺が選んだ道だけど、道だけど……!俺が選んだのはオトヒメであってあのデバガメ根性丸出しのカツオととタイではない。

 げんなりする俺の隣でオトヒメがぱぱっとコートの裾を払い、ふかぶかとお辞儀をする。


「あのっ、はじめましてですの。わたくし、オトヒメともうしますの。よろしくお願い致しますですの!」

「ああよろしくな。フフ、光秀もやるじゃねえか。なぁ?」

「うるせえ知らねえ。昼できたから、さっさと来いってさ」

「はいはいよっと。家でゆっくり話でも聞かせてもらおうかねえ」


 あくまで芝居染みた喋り方は止める気がないらしい。この男は……と思いながら下駄をカラコロ鳴らせて歩く父の後ろに続くと、少し強めの風が海から流れてきた。

 ――ヤバイ。


「オトヒメ、そこ、波が……当たる、かもっ……」

「え?――きゃっ!」


 強風に波が大きくうねり、波止場のへりにパシンと当たる。それはしぶきとなって宙を舞った。慌ててオトヒメの手を引いて庇うが、一歩遅く――。

 コートの裾から伸びた彼女の白い脚に波の飛沫が僅かにかかる。

 あっと思った時には全てが遅く、オトヒメの足は朱色の尾ひれに戻ってしまった。


「ヤバッ!」


 大地を支える足がなくなって波止場に伏すオトヒメに、俺は慌てて自前のコートを脱ぎ、尾ひれにかける。周りに誰もいなくてよかった。こんな僅かな水滴でも彼女の足は元に戻ってしまうんだ。


「どうしよ。これって、乾いたら戻るのか?」

「た、多分、ですけど。あの……光秀、様」


 震える声でオトヒメが俺の名を呼ぶ。だが視線は俺に向いていなくて……もっと先を見ている。嫌な予感を感じて恐る恐ると振り返ると、そこには煙管を口に咥えたままの父が俺達を見下ろしていた。


「……っ!と、父、さん。これは……っ」


 どう、どう言えばいい?この状況。どう説明する?背中に冷水がかかったみたいに体中が寒くなり、戦慄く。咄嗟にコートで隠したけど見られただろうか。それとも、見ていない?妙な墓穴を掘るよりは先に聞くべきか。それとも適当に誤魔化しながら時間を稼ぎ、オトヒメの足についた波の飛沫が乾くのを待つべきか。それとも……たたかう?

 ゆっくりと父の下駄がこちらに向かう。俺はオトヒメを庇うように座ったまま両手を広げ、父を睨み上げた。


「父さん」

「……。まぁ、威嚇するな。何もしない。確認するだけだ」

「確認って何を……!あっ、ちょっ!!」


 俺の目の前でしゃがむなり、父がオトヒメにかけられた俺のコートをめくる。そこにあるのはまごうことなく朱色に輝く、オトヒメの長い尾ひれ。

 流れるような父の動きに全く対処できなかった俺はとりあえず拳を握る。

 これは、記憶がなくなるまで……殴るしか。いや、でも俺、父親に喧嘩で一度も勝てなかった気が。いやしかし、オトヒメの為ならあの鋼みたいな胸板にもヒビくらいは入る、かも!


「父さん!20年世話になったけど、それを見てしまったら仕方が無い。ここは一つ俺達の未来の為に記憶を失え――!!」

「何をごちゃごちゃ言っている。確かに人魚なんて久々に見たが、騒ぐものではない。成る程、伝説の通りだな。とりあえずその足を戻すといい。他人に見られては面倒だからな」


 ペチッと蚊を叩いたような音が聞こえたが、一応俺の渾身のパンチが父の胸板に繰り出されたのだ。しかし父は俺が殴った事すら気にも留めていない……というか気付いてないらしく、ごそごそとレザーパンツの尻ポケットからしわくちゃのハンカチを取り出した。

 戸惑うのは俺とオトヒメ。父が早くしろともう一度口にした時にハッと我に戻り、オトヒメの尾ひれをしわくちゃハンカチで満遍なくぬぐうと程なくスゥッと尾ひれが消え、魔法のように二本の足が現れた。

 ようやくほう、と二人で溜息をついていると、父親が立ち上がる。俺は困ったように彼を見上げ、疑問に首をかしげた。


「なんで、普通にしてんだよ。驚くところだろ?ここって」

「初見なら驚いたかもしれないが、俺は人魚を見たのが初めてじゃないからな」

「そうなのか……って、え!?初めてじゃないってどういう事だよ!」


 慌てて聞けば、父は一度自分の網にかかった人魚を助けたことがあるらしい。そんな話は初耳だったから驚いたが、彼はまだ映画の影響が続いているらしく芝居がかった仕草で煙管の葉を落とすと、近くにあった手ごろな石に片足を乗っけて遠くを見た。


「お前がまだ鼻タレボウズの頃だったかなあ。俺の網にかかった人魚はたいそう顔が美しく、金の髪をしていた。そう、オトヒメちゃんみたいな別嬪さんだったよ。フッ」

「もうその芝居いいから。で、なんで助けたんだよ。いや、そりゃ助けた方がいいのは判るけど、全然そういう話なんかしてくれなかったじゃないか。いつもアレが捕れたこれが捕れたって漁から帰る度に自慢話してたのに」

「そりゃあ決まってる。人魚は食えないからだ。人間の糧にならねえ海のモノは海に返す。それが漁師の掟ってものよ」


 クッと笑い、アゴに指を添えて笑う父親の芝居かかった仕草が一々鼻につくが、頭のどこかで成る程と納得した。

 父親は魚馬鹿なのだ。そして食べられない魚と食べてはいけない魚は海に返す。そういえばそういう人間だった、と思い出す。


「それになぁ、この島には伝説があるのさ」

「伝説?」

「ああ、人魚伝説っつってな。古いもので今やじーさまばーさまくらいしか知らねえだろうが、人魚は豊漁を与える神サマなんだとよ。もし見つけたら海の恵みに感謝せよって、昔はよく言われていたんだ。確かにその日は稀に見る大漁で、沢山の魚が捕れてなあ。だから伝説は本当だったのかって思ったもんさ」

「そんな伝説があったのか……」


 そういえばこの島にはいくつか祠や石碑があるけど、人魚に関するものもあるのだろうか?

 しかし俺も人魚姫に関する伝説はいくつか聞いたことがある。だけどそれはどれも、どこかグロテスクで、そして決して人魚という存在を神聖視はしていなかった。肉が不老不死をを与えるという話は聞いたことがあるけれど、それも結局は人間側にとって都合がいい存在にすぎず、人魚を大事にせよという伝説なんて聞いたことがない。

 しかし、父はニヤリと笑い、頭に巻いたはちまきをクイッと上げる。


「きっと、お前がオトヒメちゃんをつれて来たのは運命だったんだろうぜ。なんせ俺の家には海にちなんだ代々伝わる家宝があるからな」

「海にちなんだ家宝?」

「ああ。お前も聞いたことがあるはずだぜ?その家宝は、玉手箱って言うんだからな」


 ――玉手箱、だって?その名前を知らない日本人はいないのではないだろうか。

 俺とオトヒメは驚愕し、呆気に取られた顔で互いを見つめた。

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