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釣り上げられた人魚姫  作者: 桔梗楓
釣り上げられた人魚姫
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1.本日唯一の釣果

 魚好きが高じて趣味が釣りになった、というのはよくある話だろうか。

 大学二年という、まぁまぁ行動に自由があって時間の余裕もあってバイト代が全て自分の為に使えるという有難いお年頃。俺は大学の先輩から海釣りを誘ってもらって以来、すっかり釣りの魅力にハマってた。

 

 少し肌寒さのある冬の初旬。オンボロの中古バイクに乗って、今日も俺は釣りに行く。


 車で一時間ほど北上すれば程なくたどり着く漁港の釣り場には何人かの釣人が糸をたらし、のんびりとしていた。

 天気は快晴。雲が少し出ていて長居すれば寒くなりそうだけど、天候的には上々の釣り日和だ。俺も釣人さんに習って波止場にアウトドアチェアを設置し、隣のおじさんに挨拶をしながらどっかりと座ると早速釣りの用意を始める。

 先日、大学の先輩と一緒に寄ったフィッシングショップで見つけた擬似餌。きらきらと虹色に光るのが綺麗で、遠目から見てツルッとした感じが気に入った。

 今日狙うメインはアイナメ。日中だから厳しいかもしれないけどカサゴも釣れたらいい。寒さに耐えられるようだったら夕方まで粘ってタチウオなんかも狙ってみたい。

 ポケットから液晶端末を取り出し、イヤホンを耳に嵌める。最近は音楽を聴きながらのんびり釣りをするのが好きで、こうやってのんびり釣り糸をたらして海を眺めているとあっという間に時間が過ぎていく。

 ……我ながら無駄な時間の使い方だな、と思わなくも無いが、俺は忙しい趣味がどうしても合わない。いわゆるスポーツ的に身体を動かしまくるようなものとか、ピコピコと操作するゲームとか、それよりも本を読んだり映画を見たり、釣りをしたり……ゆるやかに時が過ぎるような趣味が合っている。

 そういえば、大学の先輩に「おまえは隠居したジジイみたいだな」と笑われた事がある。確かに、釣りといってもスポーツフィッシングは興味がない。釣った数を競うのも好きじゃない。

 気の合った先輩や釣り仲間と一緒に糸をたらす。釣った魚は近所の居酒屋で捌いてもらって、日本酒片手に美味しく食べる。それが楽しい。誰が何と言おうとこれが俺の趣味の楽しみ方だ。じじくさいのは不本意だが、一応自覚はしている。


 しかし。


 ――釣れない。

 隣に座っている先客の釣人さんは2、3匹続けて釣り上げてるのに、俺のウキは一向に動いてくれない。周りを見ても魚がいるのは確実である筈なのだが。

 大体俺はそもそも魚を食べるのが好きで釣りを始めたのだ。ならばこそ、漁港に来たからには一匹くらいは釣り上げたい。漁港で魚を買ってトボトボ帰るのは最終手段にしたい。

 仕方が無いとリールを巻き、片付ける。アウトドアチェアを片手に移動した。

 あの場所は俺的に合わなかったのだろう。もう少し人の少ない所で糸を垂らせば釣れるだろうか。

 しかし、移動すれどもすれども、俺の釣運が最悪だったのか、全く釣れない。


 1m、2m。少しずつ波止場を横に移動する。青空だったはずの空は薄く茜色に染まり、賑わっていた釣り人達も何人かは片付けをして去りつつある。

 ……これは、最終手段コースだろうか。寂しく閉店間近の市場で売れ残りのサカナを購入するのはいいけど、せめて一匹は釣りたい。


 とうとう波止場に残されたのは俺一人になってしまった。

 だだ広く、白い波止場は夕暮れ色に染まっていて、どことなくノスタルジーな印象を覚える。しかし、そんな所で一人釣り糸を垂らす俺は相当寂しい子に見える。

 折角、フィッシングショップで綺麗なルアーを見つけたのにな。海中でも目立つだろうと思ったが、キラキラが目立ちすぎて魚が警戒したのかもしれない。

 見た目は良いけど実用性のない、いわゆるハズレのルアーだったのか。


 溜息を一つつき、リールをゆっくり巻き上げる。

 ――俺も帰ろう。そう思った矢先、突然ウキが沈み、ググッとロッドがしなる音がした。


「きた!!」


 思わず立ち上がって腰を落とす。中腰の体勢になって足に力を込め、ロッドをしっかりと握ってリールを素早く巻き上げる。

 重い。これは今日一日ボウズだった俺に対する、釣神様のお慈悲か。とてつもない重さにロッドがギリギリと音を鳴らし、釣り糸はピンと海中に向かって伸びている。

 もしかするとこれは、俺の釣り歴史上、一番の大物かもしれない。この重さ、体験したことのない感覚だ。

 懸命にロッドを上げ、なかなか動かないリールを無理矢理動かす。少しづつ魚影が見えてきて、その大きさに驚く。


 ……え、これ。でかすぎだろ。マグロかよ。ってマグロがこんな近海にいるわけないけど、それなら何なんだ、この魚。


 ぐりり、とリールを回す。その時パシャリと水面が跳ね、海中から魚が飛び出した。


「えっ、ちっさ!」


 あまりの小ささに驚く。それは小魚に等しい、一匹の金魚だった。


「――マテ。金魚?金魚が海にいるわけがない。なんだって金魚なんだよ。ていうか、あの魚影は何だったんだよ!」


 確かに海面から出てくるまでの魚影は大きかった。それに相応するほど、魚も重かった。なのに釣り上げてみれば手の平サイズの金魚一匹。

 ……何なんだこのオチ。


 釣り上げた金魚は口を開けたままくったりとしている。俺は釣り針をそっと抜き、手の平に乗る金魚をジッと見つめた。

 

「どう見ても金魚だよなぁ。金魚すくいなんかで見る金魚よりはちょっと綺麗だけど。なんて名前なんだろう。後で図鑑見てみるかな」


 果たして海に金魚が生息しているものなのか。あれは淡水魚だった気がするのだが、もしかすると金魚に似た海水魚なのかもしれない。

 何にしても本日唯一の釣果だ。ヘボいほどに小さいけど唐揚げにしたら意外と美味しいかもしれない。毒があるといけないから一度家に帰って調べようと、金魚みたいなサカナをクーラーボックスに入れ、ついでに閉店間近の魚市場で売れ残りのアジを数匹とアサリを買い、すっかり日の暮れた夜道に排気音を鳴らして走ったのだった。



「うーん、無いな……」


 困った。金魚みたいな魚の名前がわからない。

 地方から都内の大学を選んだ為、現在は一人暮らし。一応首都圏で1k3万という、事故物件かいわく付きだったのかと思うほど安いアパートは、値段相応のヘボさを誇っていた。

 格安マンスリーマンション顔負けの壁の薄さに、歩けばギシギシ音が鳴る6畳のタタミ。更に言うならこのタタミの上を靴下履いて歩くと足裏が藁だらけになる。現在はカーペットを敷いているので何とか藁の被害に苛まれる事はないが。

 狭苦しいユニットバスに、外付けの一口コンロがついたミニキッチン。キッチンについては俺の場合、せいぜいが湯を沸かす程度しか使わないので問題はない。

 カーペットの上には敷きっ放しの布団と、コタツ。最近は布団じゃなくコタツに包まったまま寝ることの方が多い。

 コタツの上に図鑑を広げ、ううむと唸る。

 もう一度、と索引から検索してみるが金魚みたいな魚が見つからない。熱帯魚に形は似ているけど、俺が釣った魚とは似ても似つかない。更にはスマホで検索もしてみたが、やはり俺が探す魚は見つからなかった。

 よもや、新種?

 もしかして俺、世紀の大発見に遭遇しているの?


「やべえ、こういうの何処の連絡したらいいんだろう。実家かな……?それとも大学?」


 コタツの上には洗面器も置いてある。中には海水が張っており、謎の金魚を入れているのだ。食べられる魚ならよく行く居酒屋に持っていって、唐揚げにしてもらおうと思っていたのだけど。

 誰も見つけたことのない世紀的発見なら、料理している場合ではない。


「それにしてもコイツ、全然動かないなぁ。死んでるわけじゃないと思うんだけど」


 ツンツンとつついてみる。

 普通死んだ魚は水面に浮かぶものだが、この魚は沈んでいるし、何よりエラが動いている。時々ぷかりと気泡が浮かび上がってくるし、生きてるのだろうとは思う。

 しかし、クーラーボックスから出しても全然動かない所を見ると、大分と身体が弱っているのだろうか。


「どうしよ。おーい……起きろよ。金魚モドキ」


 つんつん、つんつん。

 図鑑で調べて無いものはどうしようもない。とにかく動いてる金魚モドキが見たくて暫く指でつついていると、ふいに金魚モドキがぴくりと動いた。


「お?」


 ぴくぴく、ぴくぴく。段々と金魚モドキのエラがぱたぱたとせわしなく動き出し、フリルのような尾ひれがゆらゆらと動き出す。

 起きたのか。そう思った瞬間、ぱかりと金魚モドキの目が見開いた。


「きゃわっ!」

「えっ!?」


 海水を張った洗面器の中で金魚モドキがぱくぱくと口を動かす。明らかに――声は洗面器から聞こえてきた。


「こ、ここはどこですのっ!わ、わたし一体!きゃーっ海がピンク色ですのーっ!」


 ぱしゃぱしゃ、ぱしゃぱしゃ。

 狭い洗面器の中でぐるぐると泳ぎ、慌てたように尾ひれなどを動かす金魚モドキ。俺は驚きなのか、呆れなのか、それとも目の前の意味不明な出来事に脳がついていかないのか、ぽかんと口を開けて洗面器を凝視していた。すると、金魚モドキが俺の存在に気付いたのか、唐突に顔を上げると小さな目を大きく見開かせ、「きゃーっ」と叫ぶ。


「どどど、どなたですの!あなた、人間ですのっ!?」

「あ、ああ。まぁ人間だけど。えっとおまえは何なの?魚……なの?」


 日本語喋る魚なんて初めて見たけど。

 いや、おかしい。普通魚は喋らない。だとしたらコイツは魚のカタチをしたナニカなのだ。そうでなければならない。

 だって言葉を使う魚なんて……世紀の大発見なんて喜んでる場合ではない。何というか色々なものにドン引くレベルだ。きっとこの魚本体を持って行ってどこかの研究所に見せても頭オカシイってたたき出されるだろう。少なくとも俺ならそうする。

 だからきっと、この魚はそう、魚の形をした宇宙人かナニカ…。一気に話がSFっぽくなるけど、そっちのほうがまだ現実味がある。決してサカナと言ってくれるな。そう願いながら恐る恐ると問いかけると、金魚モドキはくるくると洗面器の中を泳いで、ふるふると身を震わせた。


「わたしは……あの、サカナビト族、ですの」

「……。……さかなびとぞく?」


 微妙なところだ。サカナなのかヒトなのか、名前だけでは判別しづらい。

 もう少し踏み込んで聞くべきか、と口を開けると、金魚モドキも同じタイミングで口を開けてきた。


「あのあのっ!海の中に住むヒト族なんですの。長年の時を越えて進化したと申しますか、確かリクに住む人間は、ニンギョと呼んでいるそうですの」

「ニンギョ?って、え、人魚!?」


 あれか?いわゆるマーメイド。人魚姫。日本で言うなら八百比丘尼伝説などで一応名が知られている。

 しかしあれは……。


「人魚って、普通下半身がサカナで上半身はハダカの女だろ。おまえ、全身サカナじゃん」

「あ、えっと、半魚姿にもなれますの。ですけど、大移動をする時は完魚姿になる事が多いんですの」

「……大移動?」


 はてな、と首を傾げると金魚モドキ……いや、人魚がご丁寧に説明してくれた。

 どうやらこのサカナビト族。本来は暖かい海に住むイキモノらしい。だから季節に応じて海の中で移動するそうなのだ。大潮という潮の流れに乗って。

 どうやらこの人魚はその流れからはぐれてしまったらしい。


「それで、おなかがすいてどうしようもなくて。この辺りの海には美味しそうな海藻が全く見つからなくて、途方に暮れていたんですの。その時、すごく美味しそうなイソギンチャクをみつけて……なのに食べた瞬間、硬くて鋭いモノが唇にひっかかったんですの。すごくいたくて、それで――気づいたらここにいたんですの」


 ですのですのと言うのは口癖なのだろうか。

 それはともかく、事情は何となく判った。恐らく、人魚の言うイソギンチャクとは俺の購入した新しいルアーの事だろう。内心ちょっと複雑だ。俺は擬似餌のつもりで買ったのにサカナ……いやこの場合サカナビトとやらだけど、そいつにはイカや小魚ではなくイソギンチャクに見えていたのだから。もう二度とあのルアーは使うまいと心に誓いつつ、ふむ、と唇に指を当てる。

 人魚が口にした『硬くて鋭いモノ』。すごく痛くて、気を失ってしまうほどだったモノ。

 ……それは。

 間違いなく、俺の釣り針だ。


 想像しなくても痛かったであろう事がわかる。唇にピアス穴を開けるようなものだ。痛いに決まってる。

 それも不本意で――。


「……悪い。その唇が痛かったのは俺のせいだ。俺が釣りをしていたから……。ごめんな。まだ痛むか?」

「えっ……?あ、あのその」


 クルクル、と洗面器の中を泳ぎ、挙動不審におたつく。何だろう、と思っていると人魚はしゅんとしたように下を向き、ふるふると身を震わせた。


「だ、だいじょうぶですの。もう痛くないですの。うっすらとですけど……貴方さまが優しく針を抜いてくれた気がしますの。だから気にしないでくださいですの」


 やっぱり気になる。語尾にですのは口癖なのか。

 だけどもう痛くないと聞いて心がホッとしたのを感じた。やはり、意思疎通ができる存在を傷つけたというのは心苦しいものなのだ。


「それにしても……どうしようか。おまえ、ひとりぼっちなんだろ?うーん……。とりあえずさ、好奇心なんだけど人魚って食べられるのか?」

「ですの!?」


 俺の言葉に衝撃を受けたように、人魚の頭の先から尾の端までぴちーんと直線になる。そしてぷるぷるぷると全面否定するように頭を左右させ、ぶるぶると洗面器の中で後ずさった。


「おっ、おいしくないですの!わたし、おいしくないですのー!」


 果たして魚は涙を流すのか。しかし人魚はまるで涙でもこぼさんばかりに震え、オドオドと俺を見上げてくる。その姿がどうにも可愛らしく、胸のうちにあるイタズラ心のようなものが刺激され、ついイジワルをするみたいに笑みを浮かべ、コタツテーブルに頬杖をついた。


「ほんとか?唐揚げにしたらうまいんじゃないか?かりかりって香ばしくてさ、フフ」

「香ばしくならないですの!た、たべたら絶対、おなかをこわしますのー!」

「そうかな。この辺なんかパリパリしておいしそうなのに」


 くすくすと尾ひれのあたりを指でつついてやる。すると人魚はみるみると震えだし、俺の指から逃げるように狭い洗面器の中を泳ぎ、端のほうで丸く身を縮こませてしまった。

 ……しまった。いじめすぎたかな。


「ごめんごめん、冗談だって。コトバ通じるやつを食べるほど悪趣味じゃないよ、俺。悪かった」

「……」


 ぷるぷると。人魚は震えたまま動かない。

 そういえばコイツは最初、俺を見てびっくりしていた。もしかするとサカナビト族というイキモノは人間を警戒視しているのかもしれない。……だとすると、割と冗談抜きで怖がらせてしまったのか。

 可愛い反応をされるとついいじめたくなってしまう性格。あんまり良い性格だと思っていなかったけど、ちょっとやりすぎたか。反省しよう。


「おーい、人魚ー。もう言わないって、ごめんな」


 しかしつついても頭を指先でナデナデしても人魚は何も答えてくれなかった。

 むぅ、怒らせてしまったか。

 まぁ今日はもう遅い。明日は大学だし、そろそろ俺も寝なければ。明日になってもへそを曲げていたら何か好物でもあげて機嫌を取ってみよう。……そんな風に考えつつ、コタツの電気を切るとスウェットに着替え、一応人魚に「おやすみ」と声をかけると早々に布団にもぐりこんだ。


 ……夢うつつに、時折パシャンと水面の跳ねる音が聞こえていた。

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