一話
僕が友達を誘って、その雑木林を探検していた時、僕たちは初めてその未知の生物と出会った。
そいつは、「キィキィ」とまるで猿のような鳴き声を発して、僕たちを威嚇して来た。
僕たちは、少しビビった。なぜならその生物は、身長は100センチ位だが、真っ白な顔をしていて銀色の全身タイツを着ている。
何が怖いかって、今でも思い出すとゾッとする。
そいつには、真っ黒い目のような物が顔中いくつもついていて、ギラッとこちらを睨んだのだ。
その日は、兎にも角にも逃げた。
後ろを振り返ることなく逃げに逃げた。
ただ一目散に…。
薄暗い山から逃げ出した時、辺りはすっかり夕方になっていた。
「なんだったんだ?」
「ああ、ビビった~!」
二人がやっと口にした言葉だった。
それ以上何もしゃべろうとはしなかった。
あの未知の生物が、追いかけて来るのではないかと用心したのだ。
あれから、10年が過ぎ、僕は大学生になった。
大学の図書館で、なんとなく手にした本を読むでもなく、ペラペラとめくっていた。
昼過ぎの図書館は、お腹も満たされて、うつらうつらと眠くなった。
僕は知らぬ間に、眠ってしまっていた。
誰かが、窓を開けたのだろうか、秋の台風崩れの風が、僕の髪をかき乱した。
顔を上げると……。
「な、何なんだ……!」
僕が、先程めくって、そのままにしていた本が、風にめくられて、あるページを開いていた。
「ううっ。」
「こ、これは……」
風のいたずらか、めくられたページには、あの日見たあの未知の生物が、載っていたのだ。しかも、何匹も……。
僕は、ぞっとした。
忘れかけていたあの日の出来事をすっかり思い出してしまった。
―地球に昔から住みついているらしい未確認の生物、古くは、古事記、日本書紀にも記載されていたが、なぜかその項だけ、真っ白になり、現在、裏話として語りつがれているだけである。一説に、因幡の白うさぎの皮を剥いで食べていたとか……。
当時の人は、この生物の事を八十目妖怪とか、八十目白サルと呼んでいた。―
昔の人が、子供を怖がらせていたずらをしないように、作り出した妖怪伝説の一つである。と、最後に付け加えてあつた。が、
僕たちは、確かにあの日、こいつと出会ったのだ。
僕は、図書館を出た。
すぐさま、あの日一緒に、あの山に行った友に、連絡を取ろうと携帯を取り出した。
「良輔、今いいか?」
「なんだい?久しぶりじゃないか。」
「実は、あの怪物(僕の中では、怪物になっていた。)さっき図書館の本の中に載ってたんんだ。」
「はあ~?怪物?」
「子供の頃に山で会った、目玉だらけの怪物さ。」
「……。」
「おまえ、忘れたのか?」
「いや……。」
「……実は、俺も、ずっと忘れようとしてたんだが、この前、あの山の事が気になって、登り口まで行ったんだが、一人では、どうも登れなかった。」
「そうか」
「もしよかったら、一度行ってみないか?」
僕は、行きたかったが、すぐには返事出来なかった。
「ううん。今、大学のゼミで忙しいから、また電話するよ。」
「わかった。電話待ってるよ。」
少し、また出会うと思うと、怖かったのだ。危害は加えて来ないにしても、子供の頃の恐怖がトラウマとなっていた。
「ハル。ねえ、ハルったら、何考えてるのよ。」
最近付き合いだした、彼女のルイだ。
「ハル?」
ルイは、茶髪の長い髪を揺らしながら、僕の顔を覗き込んだ。
「ねえ、今度の連休に帰省するの?だったら、私も一緒に行きたいな。だめ?」
ルイは続けて言った。
「ハルの生まれた町って、すごく田舎なんでしょ?特急も停まらないの?コンビニは?携帯の電波入んなかったりして……。」
「田舎だけど、特急は、一日に2本停まるよ。というか、線路が単線だから、駅の中で下りの列車待ちしてるんだけど……コンビニは、自転車で15分も走れば、一軒あるよ。携帯は、道路に出れば、入る所もあるよ。最近、道の駅が出来て公衆トイレだって出来たよ。」
質問攻めだったルイが、何も言わなくなった。
「海……行く?唯一の自慢!」
「行く。行きたい。」
やっとルイの瞳が輝いた。
僕は、最近、あいつの事ばかり考えてしまう。
ルイ、では無く。例の怪物だ。
あいつの写メを撮れたら、世紀の大発見!ではなかろうか。
捕まえたら、博物館?!いやいや、有名大学の研究室?
俺は、発見者!
いや~でも待てよ。
あいつらは、何匹いるかも解らない。
襲われたら、どうする?
宇宙人かもしれない、連れ去られて実験材料にされたら、たまったもんじゃない。
あの日の事は、誰かが、先に山にいて、僕たちを驚かそうとして、後で笑ってたかもしれない。
色々考えてしまう
ルイは、赤いブラウスに白いスカートをはいて、満面の笑みで、手を振っていた。
今日は、ルイを連れて、久しぶりの帰省だ。
大学のあるS市から、僕の家までは、まず、隣のM市まで20分急行電車に乗り、そこから、各駅停車の鈍行と呼ばれる汽車に乗り換え約3時間、無人駅で降り…。
説明するより、早く急行電車に乗らないと、その後の汽車の時間に遅れると、2時間後にしか、次の汽車が来ない。
「ハル、この服かわいい?」
ルイとの会話は、いつもこの質問から始まる。
「かわいいよ。」
僕もいつもの返事を返した。ルイは、納得した顔で、スカートの裾をヒラリとしてみせた。
女の子は、ちょっとめんどくさい。
「15分発の急行に乗るから、急ごう!」
僕は、ルイの手を取って駅の方へ走った。急いでいるのに、ルイが悠長な事を言っているから、咄嗟にルイの手を握ってしまったが、この時初めてルイと手を握った。
発車の合図が鳴る中、僕たちは急行に飛び乗った。
「間に合ったね」
頬を少し赤く染めたルイが、息を切らしながら言った。
僕は、ルイを空いていた座席に座らせて、その前に立った。
朝の電車は、連休の割には空いていた。
電車の揺れにつり革も揺れているのが、少し可笑しく思った。
やがてM市の駅に着いた。
「汽車の時間まで26分あるから、コーヒーでも飲む?」
「ハルの妹さんに、ケーキのおみやげを買いたいわ」
僕には、中二の妹がいた。
「いいよ。気を使わなくても」
「私が食べたいのよ。駅の構内にあるお店のケーキが、おいしいって友達が言ってたんだもの。」
女の子は、甘い物になると、歩くスピードが速くなる。
ルイは、三人で食べるには多すぎる数のケーキを買った。
嬉しそうにケーキの箱を抱えて、僕の側に戻って来たルイの後ろの方から、僕を呼んでいる声が聞こえた。
「おーい。おーい。春樹」
良輔だ。
「お前も、帰省するのか?」
「ゼミで忙しいとか言いながら、このこの~」
「うるせいな」
「はじめまして、風谷良輔です。よろしく」
「ルイです。こちらこそよろしくお願いします」
「ルイさんって日本語上手だね」
「私、日本生まれだから」
「おい、汽車の中で話そうよ」
「えっ、いいのか?折角のデートを」
「平気。平気。ねっハル?」
僕たち三人は、汽車に乗り込んだ。
「8時28分発~各駅停車~金井度行列車発車しま~す」
なんとも長閑なアナウンスが流れ、最後に
「プオオオ~ン」
気の抜ける音の後に、ガッチャン!!と駅中に響き渡る音を立ててドアが閉じた。
それから、10秒して、やっと汽車が動き、と同時に、
「ピンポンパンポ~ン」
最後のポンの音が、少し音を外して間伸びしている。
「この列車は、終点金井度に到着するまで、各駅にとまりま~す。只今より車掌が回りますので、お席に着いてお待ち下さい。きっぷを拝見いたします~ピンポンパン」
ええ?ポンは?なんか抜けている所が、何度も聞いてきたけど、なんだか家に帰る気分にしてくれるんだよな。
僕が、久しぶりの帰省の感傷に浸っている間に、良輔と僕の隣に座っているルイは、すっかり会話がはずんでいた。
「なあ、春樹。こんな機会は滅多にないから、あの山に行ってみないか?」
「あの山?」
「ルイは、危ないからだめだ!」
「なぜ?」
「宇宙人がいるからさ」
「おい、おい、良輔!」
「宇宙人?」
「ルイ!良輔の言ってる事を信用するな。こいつは、時々変な事を言うからな」
「でも、春樹もこの前電話して来たじゃないか。お前も気になっているんじゃないのか?」
「宇宙人。私も会いたい。山に行ってみたい」
「小学生の時だったから、会えるとは限らないけど、ルイちゃんもこう言ってるし、なあ、行こうぜ。行ってあの宇宙人の真相を確かめに行こうぜ」
「……」
3時間の汽車の旅が、長く感じた。
走り出してから、もう三つ目の駅に停まり、そして走り出した。
乗客は、僕たちの他には、誰も居なくなった。
「まだ宇宙人とは、決まっていないし…」
「じゃあ、なんだっていうんだよ。宇宙人に決まっているさ」
「あんな恰好をした生き物は、地球上にはいない。お前もそう思っているんだろう?」
「まあ、金井に着いたら行ってみようよ」
今更、山に行ったところで、あの化け物が居るとも限らないし、なにしろ10年も過ぎて、宇宙人なら、宇宙に帰って行ったかもしれない。
たまたま、あの時だけあの山にいたんだろう。
「なら、昼間の明るい内に山に行く事にしよう。登り口が、草で覆われていたり危なそうだったら止めにしよう」
「ああ、そうしよう」
良輔も了解した。
ルイは、二人の話をにこにこしながら聞いていた。
汽車は、駅が見えて来るたび毎に停まり、だんだんと山奥へと進んで行った。
窓から見える景色は、畑と田んぼと山ばかりで、たまに木の葉っぱが、きれいに真っ赤に色づいているのが見えると、すごい!と感心するだけである。
「ルイ、疲れただろう?」
「うううん。大丈夫」
「なにかのむ?」
僕が、ルイを気遣っていると、いつもの車内販売が来た。
「おせんに、キャラメルいかがですか?オレンジジュースにサンドイッチもあります。おみやげに合わせ餅はいかがですか?」
ワゴンに一杯に荷物を積んだ車内販売のおばちゃんが、来た。
どうしたら、ここまで物を詰められるのかと思うくらいワゴンの前にも横にも、お菓子やおつまみをぶらさげ、ワゴンの上には箱入りのおみやげからサンドイッチからコーヒーを入れるポットや、缶ビールまで所狭しと乗せてあった。
「コーヒー3杯とサンドイッチひとつ」
「はい、900円になります」
おばちゃんは、100円のおつりをエプロンのポケットに手を入れると、硬貨をジャラジャラ鳴らし手さぐりで、ひとつ100円を探し当て、僕に渡した。
この芸当だけは、いつみてもすごい。
「コーヒー熱いから気を付けて下さい」
白い紙コップに、ポットからコーヒーを注ぐと僕たち三人に渡した。
汽車が少し揺れた。おばちゃんは、前に右足を少し開き踏ん張った。
「サンドイッチは、ここに置きます」
と言って、手を伸ばし窓わくの真ん中に置いた。
「春樹、すまないな。戴くよ」
「いただきます」
「どうぞ」
サンドイッチは、相変わらずマーガリンを塗り薄いハムを挟んだだけの簡単な物だった。が、これが汽車の中で食べると美味しかった。
「ルイちゃん、今から行く金井って、どうして(かない)と言うのか知ってる?」
「うううん、判らない」
「か・な・い……判らない?」
良輔は合コンとか女の子との話に詰まると、いつもこの話題を持ち出す。
「逆さまから読んでみて」
僕が話に割り込んで言うと、良輔はチェツと舌打ちした。
「い・な・か?」
「そう、正解!つまり僕たちの家は田舎にあるって事」
「へぇ~おもしろい」
「終点の金井度は?今と同じ方法で読むと?」
「ど・い・な・か?キャキャッ」
ルイは、ツボにはまったように暫く笑っていた。
「今からトンネルをくぐります。金井駅に着くまでに幾つあるでしょうか?」
良輔が、また新しい質問を出してきた。
「分かんない…三個くらいかな?」
「数えてみる?」
今まで、田んぼや畑ばかりだった景色が、急にトンネルに入り暗くなった。
良輔は、慌てて少し開けていた窓を閉めた。
左右にパチンと挟む金具が付いていて、それを押しながら開けたり閉めたりできるのだ。
「ひとつ」
ルイが数えた。
トンネルを抜けると、明るくなった。
「サル、サルが汽車の音に驚いて山に逃げていく」
「わっ」
ルイが、物珍しそうにサルを見ていた。
一日に、四回しか汽車が通らないので、サルたちものんびりと、畑を荒らしていたのだろう。
「ふた~つ」
二分もしない内に、またトンネルに入った。そして、出たと思ったら、すぐ次のトンネルだ。
「みっつ」
それからは、トンネルを入ったり出たりを繰り返した。
「十三。あつ、海が見えた」
短いトンネルの間に海が見えた。
「もうすぐ着くよ」
「えっ、今いくつだった?」
「次の停車駅は金井~金井。お降りの方はご用意下さい」
「トンネルは、十八だよ。さあ着いた」
無人駅なので、改札は自由に出られる。改札跡のような所に空き缶がおいてあり、その中に乗車券を入れるのだ。
駅の外に出ると、良輔は言った。
「じゃあ、ありがとな。後で連絡するよ」
「ああ、」
僕は、右の道、良輔は左の道を行くと家があるからだ。
「ルイ、びっくりしただろう?すごい田舎で!」
「ここに人家あるの?」
「こっちだよ。僕の家は」
ルイが驚くのも無理はない。
駅を出たら、目の前は森が広がっているからだ。
普通、駅前は商店があり、タクシーがいて…、自動販売機すら無いのだから。
前に、ルイにコンビニがあると言ったのは、隣町の事だった。道の駅は、村外れに出来たが、車でだいぶ走った所だ。
「さあ、ルイ行こう。こっちだよ」
「そっちは、森の中じゃないの?」
「森の中の道が一番近いから、と言うかこの道しかないんだよ」
ルイは、何も言わなくなった。
森の中の一本道を歩きながら、僕がこの道で高校生の頃、熊に出会った話をしたら、ルイは、僕の手を握った。幾分、二人は早足になった。
やがて集落が見えて来た。
「ここ?」
「うううん。もう少し奥」
僕の家は、海の見える小高い丘の上に建つていた。
「まあ、春樹。帰ってくんなら帰って来るゆうてこんしゃい」
僕の母親だ。
「あっれ、彼女さん?おっとうさ~ん」
母は、家の裏の方へ走って行った。
「兄ちゃん!おかえり」
母に声に、気づいたのか妹の紀子が家の中から出て来た。
「こんにちは」
紀子は、にこにこしながら、僕の顔を覗きながらルイに挨拶した。
「こんにちは」
「お~い。上がれ。上がれ。疲れたろ」
親父も、にこにこしながら裏から回って来た。
「これ、よかったら食べて下さい」
ルイは、紀子にケーキを渡した。
「紀子、全部食うなよ。俺たちも食べるんだから」
「うわっ~どれもおいしそ。皿に入れてくんだけだから」
「紀子に渡すとロクな事ないぞ」
「ハルも、ケーキ食べたかったの?」
ルイが、まるで子供ねと言わんばかりに、僕を見てそう言ったので、思わず僕が、
「いや、いや、そうじゃないんだけど……」
まるで、甘えん坊のように答えてしまい、皆に笑われた。
「お前のせいだからな!」
紀子を睨んだが、紀子は、どのケーキがおいしいか、どれを食べようかとルイと、相談していた。
ケーキの甘味が、旅疲れの体を癒した。
「ルイさんとは、大学で知り合ったんかね?何処の国のお人かね?」
「大学でゼミの教室が、判らなくて教えてもらってからハルさんと、お付き合いさせて頂いてます。私の父はスペイン人で、母は、日本人です。でも、私は父に似ていて、よく外国人だと言われます。私は、日本で生まれて日本で育ってます。」
「そうかえ、最初会った時ゃ、びっくりしただよ。英語やないと通じなかと、思ただよ」
母は、なるべく金井の方言を使わないように気を使いながら話した。
「今日は、泊まってお行きなはれ。紀子の部屋で寝るといいわな」
「お袋、ルイにも都合が……」
「いいのですか?」
「ルイ!」
僕は、紀子がルイに何を話すか心配になった。
「家に電話だけさせて下さい。携帯が電波入らなくて」
「外に出て、桜の木の所まで行くと電波あるよ」
「じゃ、掛けて来ます」
僕も一緒に外に出た。ルイが、泊まって行くなんて考えてもいなかったから、ルイに聞いた。
「本当に泊まるの?」
「だめ?私、海にも行きたいし、山にも行って宇宙人さんとも会ってみたいから、一日じゃあ足りないでしょう?」
「う・宇宙人さん?!」
「汽車の中で、良輔さんが言ってたでしょ?」
「あの山は、ルイは止めた方がいい」
「どうして?」
「危ない!」
「大丈夫。私こう見えても強いんだから、空手習ってたのよ。パパに、泊まるって電話するね」
ルイは、桜の木の下で電話を掛けた。
「本当。ここは繋がるわ。あっ、もしもしパパ?今日ね、ハルのお母さんが泊まっていきなさいって、うん、迷惑掛けないようにするから、じゃあまた掛けるね。お母さんにも伝えておいてね。バイバイ」
「パパが、ハルのご両親によろしくって」
スペイン人のパパは、物分りがいいのか。娘を信じているのか。
僕の携帯が鳴った。良輔からだ。
「おい、明るい内に山に行こうぜ」
「ああ、でも……。ルイも行くってきかないんだ」
「大丈夫さ、あれから何年も経っているし、危なそうだったら引き返せばいいさ。ルイちゃんも一緒に行きたければ、三人で探検だ。今から登り口まで行って待ってるから」
「分かった」
「ルイ。山に行こうって良輔から言って来たけど、いやならここに居てもいいよ」
「行くに決まっているじゃん」
「分かった。でも、そのスカートじゃあ、そうだ紀子に服を借りよう」
紀子にジーンズとスニーカーを借りて、ついでに僕のキャップを被ったルイは、少年のようだった。
「何だかウキウキするね」
ルイは楽しそうだった。
山は、僕の家からはそう遠くなかった。家から少し降りて右に曲がり、集落の奥に登り口がある。
「宇宙人さん、いるかな?」
ルイは、僕の顔を下から覗き込んでそう言った。
僕は、何だか複雑な顔をしていたと思う。
「ハル?怖いの?顔色が悪いよ」
「怖くなんか無い。ルイが、山に一緒に行く事が心配なんだよ」
「宇宙人さんに、連れ去られるとか?―無い無い!私、紀子ちゃんにこれ借りて来たから」
そう言って、ジーンズのお尻のポケットから、水鉄砲を出して笑った。
何処かで見た事のある水鉄砲だった。
「それ、僕が子供の頃無くした水鉄砲じゃないか。どうして、紀子が持ってるんだ?」
「紀子ちゃん、いつもハルに、これで水を掛けられて頭来たから、隠して持ってたらしいの。山に行くから洋服借りた時、紀子ちゃんが、山で危ない目に合ったら、これを使ってと、押し入れから出してくれたのよ」
「紀子のやつ」
ルイは、バンバンと撃つマネをして、きゃっきゃっと笑った。
「お~い。遅いぞ春樹」
赤い折りたたみ自転車にまたがり、良輔が手を振っていた。
背中に黄色いリュックを背負っていた。
「何だい?その荷物?」
「これか?いざという時の道具さ」
「なんだ、ルイと同じじゃないか」
「ええ?ルイちゃんも何か持って来たの?」
「うん、これ」
と言って、例の水鉄砲をだした。
「あはははは。ルイちゃん、すごいね」
僕だけ手ぶらで、来ていた。なんだか少し気まずかった。
山の登り口には、いつの間にか立て看板が建っていた。
<避難路>と書いてある。
「地震が、最近起こったから、各地で津波の時の避難場所を作っているとは聞いたけど、ついに我が村役場も作ったんだな」
避難路に指定されているだけあって、階段は整備され、手すりも作られ、下草もきれいに刈られていた。
これなら、ルイも足元を気にしなくても、登れるだろう。
「あいつが居た雑木林は、確かこの辺だったよな」
「なんだか、あの頃と様子が変わってしまって、判り難いな」
「ハル、見て見ろよ。この木、確かクヌギの木だろ。この木にクワガタ虫が居たんだ。あの宇宙人に驚いて逃げ出す時、クワガタがこの木に居たのを覚えているよ。大きなクワガタで、採りたかったんだけど、宇宙人は、怖いし…で、結局逃げたんだけど」
「じゃあ、この木の近くに居るかも」
しかし、辺りを見回しても、薄暗かった雑木林は、クヌギの木一本だけ残して、辺りは明るく、避難してきた人が集まれる位の広場が作ってあった。
「あいつ、何処かに行っちゃったかな」
良輔が、そう言った時である。
「キィキィ」
と、サルのような鳴き声が聞こえた。
「うっ」
サルのようだが、サルじゃない。なぜなら、サルなら木の枝を揺らしたり、大抵逃げて行く音がするものだ。
「もしかして…」
僕と良輔が、息を凝らして顔を見合わせた。良輔は、すぐさまリュックを降ろして、ファスナーを開け、中からデジカメを取り出した。あいつを撮影しようと言うのか、それと、何とバナナも一本出した。
「あいつは、サルのような鳴き方をするから、きっとバナナが好物だと思うんだ」
「マジか…」
あんなに張り切っていたルイは、僕の後ろに隠れていた。
やっぱり、怖いんだな。
「どうする?」
「とにかく、鳴き声のする方へ行ってみるか?」
僕たちは、ゆっくりゆっくりと、足音をたてないように近づいた。
「確かこの辺りだったと思うけど…」
クヌギの木の後ろ側に回ると、小さい倉庫のような建物が建っていた。
「こんなものあったっけ?」
「何の倉庫だ?」
「まだ新しいよな」
良輔がそう言った時、ガサガサと音がした。
僕たちは、一瞬身を縮めた。と言っても、隠れる所も無い程、きれいに草は刈られていた。
倉庫の前までゆっくりと進み、倉庫の陰に隠れようとした時、倉庫の扉が少し開いているのに気付いた。
「誰かいるのかな?」
倉庫には、防災非常用倉庫と書いた看板が掲げてあった。そして、その横に非常用食料、飲料水、毛布、担架、…と、倉庫の中に備えられている物が書いてある四角いプレートも付けられていた。
僕は、扉の隙間から中を覗いた。そして、びっくりして、しりもちをついてしまった。
「あ、あ、あ」
声にならない声を出して、中を指さした。
良輔も続いて、中を覗いた。すぐさま
「わあっ」
三歩程のけぞった。ルイも、中を覗こうと身を乗り出したが、僕はルイの上着をひっぱった。
何と、倉庫の中には、あの日見た未確認生物が、ぞろぞろと何匹もいたのである。
「良輔、カメラ!」
「バレないか?」
「音を立てない様に撮れ」
カシャ!
「音を立てるなと、言っただろ!」
「キイキイ」
カメラのシャッター音に気付いた奴らが、一斉にこちらを見た。
「やばい!逃げろ!」
僕は、ルイの手を取り、倉庫からなるだけ遠くに逃げた。と言っても、ルイの足の速さを気遣って、少し速度を緩めながら……。
良輔は、前を逃げていた。途中、僕たちの事が気になったのか、後ろを振り返った。
「あああっ!!」
「どうしたんだ?良輔!」
僕は、後ろから奴らが追い付いて来たのかと怖かったが、走りながら振り返ったら……、な、何と、僕がしっかりと手を握っていたのは、未確認生物の化け物ではないか!
「わあああああ」
僕は、手を振りほどき、山裾へと走った。
「あっ!」
僕は、大声を出した。ルイがいないのだ。
後ろを振り返ってもついてきていない。
「良輔!ルイがいない!俺、探してくる!」
良輔も、止まった。そして、
「俺も行く」
と言った。
ルイが、アイツらに掴まったんじゃないかと心配でたまらなかった。
何処か、宇宙の星まで連れ去られて行ったらどうしょう?
アイツらの、実験材料になっていたら……。
悪い結果ばかり浮かんで来る。
「良輔、お前がこんな所へ誘ったからだぞ!」
「……。とにかくルイちゃんを助けるんだ!」
僕たちは、登り道など気にならない如く走りに走った。
「ルイ~!ルイ~!」
僕は叫んだ。
「ルイちゃん~」
良輔も叫んだ。アイツらに見つかったってもういい。ルイを助けなくてはならなかった。
クヌギの木の所まで来た。ルイは、いない。という事は、反対方向に逃げたのか?ルイは、この山は勿論、この村に来たのも初めてである。道に迷ったのかもしれない。
「倉庫に行こう!」
良輔が、そう言いながら走って行った。
良輔は、中高と陸上部だったので、走るのが速い。
僕は、中学で美術部。県のコンクールで金賞を貰った事もある。
高校は、隣町との統合で、生徒数も増えたので、バスケット部があり、学校一背の高い僕はバスケット部だったが、あまり強いチームではなかった。
そんな訳で、ちびのくせに足の速い良輔は、もう倉庫まで着き僕を振り返った。
「はあ、はあ、はあ、」
僕は、肩で息をして、良輔の頭越しに扉に手を掛け、一気に開けた。
「ルイ!」
「まあ、ハル。良輔君も…」
ルイは、奴らの真ん中に座っていた。
「ルイ、逃げろ!」
僕が、そう言ったがルイは、立たなかった。立てないのか?
何か、妖力でも掛けられているのか?
「ルイ」
僕が、ルイに近づこうとしたとき、
「キイキイ」
奴らが、一斉に牙をむいて吠えた。僕は、少しひるんだが、ルイを助けようとルイの方に手を伸ばした。その時気付いたが、さっき奴らの一匹と、手を繋いでいた方の手の平が、なぜかベタベタとしていたのだ。僕は、ズボンで手の平を拭き、もう一度手を伸ばした。
「キイキイキイ!」
奴らが、吠えたて僕の足元まで来た。背の高さは、みんな一メートルぐらいだが、無数に目があるので気味が悪い。どの目で見ているのか判らない。よく見ると手のような物はあるが、指は三本のようだ。足は二本だが、しっぽのような物が、着いていた。
鼻も無ければ、耳も無いようだ。あの図書館で見た本の怪物とそっくりだ。
僕は、奴らに取り囲まれていた。
その時、良輔がリュックからバナナを取り出し、部屋の奥へと投げた。
怪物たちは、みんなバナナの方へと駆け寄って行った。
「やっぱり、サルだな!」
良輔は、そう確信した。
「今だ、ルイ」
そう言うと、ルイの肩を抱き抱えて立たせた。そして倉庫の外に出ようとした。
目の前にいきなり、怪物の内の一匹が立ちはだかった。そして、何か喋っているようだ。
なぜなら、今まで聞いた、キイキイと聞こえる声ではないからだ。
「何を言おうとしているのだ」
良輔が言った。
僕は、そんなのお構いなしに、その怪物を蹴ろうとした。何と説明したらいいのか、蹴ろうとした瞬間、青く光って消えた。そして、すぐさま少し右側に出現した。
「おおお、」
僕は驚いた。
「こいつら、やっぱり宇宙人だ!」
良輔が、僕の後ろから叫んだ。僕たち三人は、入口を塞がれ、後ろにも囲まれ、行く手を阻まれた。
どうしょう?僕が、思案を巡らしていると、突然ルイが前にいる怪物に言った。
「Hola, Buenas tardes」
オーラ、ブエナス タールデス?と聞こえたけれど、ルイはこいつに向かって
何を言っているんだ?
「スペイン語よ。こんにちはっていったの、ハル達が来る前、宇宙人さんたち、私の周りに集まってオーラって言って来たから、スペイン語なら通じるかと思ってね」
すると、入口にいた一匹も、
「オーラ」
と言った。
「ほらね」
ルイは怪物にニッコリとほほ笑んだ。
「オーラっていうのは、友達になった時の挨拶よ。宇宙人さんたち、友達になりたいんだと思うわ」
「友達?」
僕と良輔は、変に高い声で言った。
「どうやって、友達になるんだというんだよ」
僕が言うと、ルイはまた怪物たちと、話始めた。スペイン語か何か解らないけど、さっぱり解らなかった。ただ最後に、
「Adios」
アデイオースと聞こえた。確かアデイオースは、さよならだ。
僕たちの前に、立ちはだかっていた怪物が、道を開けるように横にずれた。
僕たちは、その脇を通り抜けるようにして外に出た。
そして、足早にクヌギの木まで行き、後ろを振り返った。奴らは、着いてこなかった。
「ルイ、あいつらと何を話していたんだ?」
「ルイちゃん、あいつら何者?」
僕たちは、ルイに色々と質問をした。
「わか~んない」
なんだか呑気な返事だ。
でも、何事も無くてよかった。
僕たちは、今日の所は帰ることにした。何度か後ろを振り返ったが、山は静まり返っていた。
「じゃあ、また明日」
良輔と僕との子供の頃の挨拶である。
「明日?」
「あはは、また連絡するよ」
僕は良輔と登り口で別れ、ルイに質問の続きを始めた。
「ルイ、何もされなかった?」
「大丈夫よ」
「あいつらと、何していたの?」
「お話」
「どんな?」
「こんにちはって、日本語で言ったら分かんないみたいだったので、パパに教えてもらったスペイン語で話しかけたら、少し分かるみたいで、お話してたの」
「だから、何しゃべってたの?」
「ここに来る前に、スペインにいた事があるんだって…。あ、そうそうルイのお爺ちゃんくらいの年齢だって言ってたから、80才」
「80才?」
「あ、それから本当は、ルイ怖かったから宇宙人さんたちに、始め、水鉄砲を向けてバンバンって言ったら、傍に寄ってきて、水鉄砲を見せて欲しそうに首をかしげるから、見せてあげたら、それから友達になったのよ」
ルイも、少し興奮しているのか、話が支離滅裂だったが、思い出しながら色々話してくれた。
「やっぱり、宇宙人だったのか?」
「宇宙人さん、名前……何だったかな?名前教えてくれたんだけど……。うう~ん?忘れちゃった」
「また、思い出したら教えて」
ぼくは、ルイの肩にそっと手をまわした。
「うん」
「おにいちゃ~ん!ルイさ~ん!お帰りぃ~」
紀子が、桜の木の下から手を振っていた。
「ただいま~」
ルイも答えながら、手を振った。
「夕飯は、ちらし寿司だって」
「お客さんが来る時と、誰かの誕生日は、必ずちらし寿司なんだよ」
「こんな山奥の村では、ちらし寿司が御馳走なんだから」
ルイは
「楽しみね。何かお手伝いできる事ないかしら?」
と、言った。
「じゃあ、鳥小屋で卵を三個取ってきて、本当は私が、お母さんに頼まれたんだけど」
「オッケー。三個ね」
「大丈夫か?」
「大丈夫。まかせて」
ルイは、庭の鳥小屋の中に入って行った。鳥小屋は、大人が立って入れる高さで、広さも六畳ほどで広かったが、中には、ニワトリが10羽、烏骨鶏が6羽、ウズラが5羽ほどいた。
「キャーキャー」
ルイの悲鳴に驚き、いきなりの来訪者に、鳥たちは騒ぎ、鳥小屋を所狭しと走り回った。
「ハル、助けて!」
「ほら、言ったことじゃない。出ておいで」
ルイは、ピョンピョン跳ねながら、小屋から出て来た。鳥は苦手なようだ。
「僕が、取ってくるよ」
そういうと、僕は隅の卵を3個取って来た。
「飼い主には、おとなしいのね」
「ルイが騒ぐからだよ」
卵は、錦糸卵となり、ちらし寿司の上に海苔や蒲鉾と一緒にふり掛けられていた。
「いただきま~す」
僕とルイと紀子は、声を合わせて言った。
田舎寿司は、にんじんや椎茸や牛蒡やさやえんどうといった野菜が沢山の寿司飯の上に、錦糸卵と赤い蒲鉾細く切った海苔、ピンク色のデンプが掛けられ、紅しょうがが、隅に乗せてある簡単なものであるが、彩良く御馳走らしく見えた。
ちらし寿司の時は、吸い物も付いた。秋は、マツタケの吸い物だ。山の秘密の場所に出ると、親父が言っていたが、なかなかその場所は、教えてくれない。
贅沢にも、大きなマツタケが、お椀からはみ出さんばかりに、鎮座している。
「すごい!マツタケ!いい香り、美味しいわ」
ルイは大事にお椀を両手で持って、吸い物をすすった。
「沢山、お食べ。寿司のお代わりもあるで」
お袋が、ニコニコして言った。
「ニワトリは、怖かったけど、卵は美味しいわ。ハルのおうちは、何でもお料理の材料が揃っていいわね」
みんなは、笑った。