表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

アカシアの雨が降り注ぐ。

作者: 鷹真

春の風が温かく喜びを分ち合うが如く体を包み込むように、ふわりと纏わりつく。

ひらり。舞い落ちてきたのは、戯れる春風に揺らされた桜の花びら。

僕は、似合いもしないネクタイにちょっと指をかけて緩め、ほっと息を吐く。

朝から参列されられた式で長々と説教じみた祝辞を聞かされ、うんざりだった。

そんな、長い式を終えてやっと解放され、安堵したのもつかの間。その後の先輩方のサークル、クラブの勧誘の方が疲れた。

大小さまざまな人に囲まれ、ビラを渡され、勝手に肩を組まれたり・・・。勘弁してほしい。

どうにかこうにか振り切って、人気のない裏手まで逃れてきたのが今し方。

ぶわっ。

ひと際強く風が乱舞した。

「きゃっ。」

小さな悲鳴に吃驚して振り返ると、長い髪を手で押さえて細い肩を窄めた彼女がいた。

ひらり。ひらり。

ゆっくりと舞う桜の花びらが彼女の周りをゆっくりと舞う。

僕は、言葉なくその姿を見詰めた。

この世に舞い降りた天女・・・・。

そんな莫迦らしい事を考えてしまった。

彼女の長いまつげが徐々に上を向き、黒い大きな瞳が僕を見上げた。その瞬間にびくりと彼女の肩が震えた様に見えた。

暫くの間・・・、いやほんの刹那の時間だったかもしれない、僕たちは見詰め合う。

喧騒が掻き消え、温かく柔らかい花の舞だけが僕たち二人を取り囲んだ。

僕は無意識に手を伸ばして、彼女の黒髪についた花びらを摘まんで、手を広げる。

その花びらは、また風に攫われてふわりとどこかへ飛んで行ってしまう。

その間、彼女は呆けたように無言だった。

・・・ただ、頬が桜と同じ色に染まって、とても可愛らしかった。


あっという間に日々は過ぎるもので。桜の木が仄かなピンク色から緑色に取って代わっていた。

この二週間、彼女に会うことはなかった。同じ科目を履修していないのか、そもそも学科が違うのか。

僕はちょっと残念に思いながらも、日々を淡々と過ごしていた。

相変わらずに勧誘の声は煩いが、なけなしの愛想で断り続けている。

その日も執拗な勧誘をどうにか振り切り、図書館へと足を運ぶ。

独特の古紙の匂い、インクの匂い、そして何より静かな空間が僕の心を落ち着かせてくれる。

時計塔にもなっているこの大学のシンボルともいえる図書館。

窓際によると、疎らな家々とその奥には総合病院の建物が見える。

のんびりとした田舎には、似つかわしくない冷たい印象の病院。近代的な建物が浮いて見える。

僕は、窓から離れ早々に出された課題を片付けようと、目的の本棚までいく。


ぱらり・・・。

ページを開くが、そこに書かれている文字はあまり頭に入ってこなかった。

僕は、文字を目で追ってはいたが、実際に頭の中には桜の下で出会った少女を思い出していたからだ。

なぜだろうか。彼女の事を思い出すと淡く仄かに胸がチクリと痛む。

自分の感情に振り回されるということは、これまでに無かった。

まして誰かを思い出す事なんて。

はぁ。

ぱたん。と僕は本を閉じる。

自分の集中力のなさに溜息をつきながら、課題を進めることを早々に諦めた。


外の景色を遮っていたカーテンを開けると、眩しいくらいに良く晴れた青空が視界いっぱいに広がる。

眼下には、家々の屋根が疎らに見える。そして、少し離れた奥の小高い丘の上に見えるのは・・・・。

赤レンガを惜しげもなく使ったちょっと古めかしい学び舎。シンボルのような時計塔が目を引く。

あの時計塔の周りには、数十の桜の木々があって・・・・。

今はもう新緑の色に取って代わってしまったのだろう。

ふう。

桜の舞う、あの日の光景が未だに離れない。

目を瞑ると鮮明に思い出せる。ちょっと驚いた顔で振り向いた、冷たく整った相貌。

柔らかそうな髪はやや茶色がかっていて、瞳の色も色素が薄くまるで繊細な硝子のようだった。

本来ならば、自分も赤レンガの学び舎に通い、もしかしたらあの人の隣で講義を受けれたかもしれないのに。

・・・仕方がない。

私は受験を前に倒れ、病院に運び込まれた。

それまで病気ひとつした事もなく、元気に跳ねまわっていたのに。

はじめは通院していた。しかし、とうとう入院する事になってしまったのだ。

こんなに大変な病気だとは思わなかった。

病院の先生も両親もはっきりとは言ってくれない。けれど、やっぱり察してしまう。

私は・・・・・。

せめて、残りの時間をあの人と過ごせたら、どんなに幸せだろうか。

その姿を思い出し、私は熱を出した時のように顔が熱くなるのが解った。

カーテンをそのままにベッドに戻って、視線だけを赤レンガの学舎に向ける。


覚悟はしていた・・・、していたつもりでいた。

でも、やはり・・・・怖い。

先ほど深刻な顔の先生に呼ばれて、両親とともに診察室に向かった。

そして、告げられてしまった。

とうとう・・・。告げられるだろうことは、察していた。解っていた。

母は泣き崩れるのを我慢していたのだろう、ガタガタと肩が震えていた。その肩を支える父の手も。

私に残された時間は、あと僅か・・・。

その僅かな時間でいい、あの人の傍に居たい。

徐々に丸くなってきた月を見上げて、祈るように手を握り締めた。

神様、私の最後の我儘を聞いてくれますか?


まだ暦上は春だというのに、日差しは容赦なく照りつける。

午後の講義が休講になったために、学食で安く昼食を済ませ帰途に就いた。

住んでいる下宿は、学校とあの近代的な病院の間くらいだ。

ちょっとした児童公園の前に差し掛かった時、僕はふと視線を公園に向けると・・・。

あ、僕は駈け出していた。そして、傾く彼女を咄嗟に抱きとめた。

彼女が見えたのだ。公園の木陰に佇んでいたかと思ったら、ぐらりと体が傾いだ。

彼女が完全に倒れてしまう前にどうにか彼女を抱きとめることができた。

抱きとめた彼女に視線を移す。

ふわり。

彼女の甘い香りが僕をドキドキとさせる。

「・・・大丈夫ですか?」

彼女がゆっくりと目を開けて、僕を見上げる。

真っ黒な瞳が僕を捕えると、一瞬、吃驚したように見開かれて伏せられた。

見る見るうちに彼女の頬は、春の桜色を通り越して真っ赤に染まった。

「あ・・、ありがとうございます。すみません・・・私。」

そう言いながら、視線をそらして僕の腕からすり抜けようとしていた。

思わず・・・、そう、思わず両腕に力を込めてしまった。

その時、背後から足音と誰かを探している声が聞こえてきた。

僕は呼ばれているのが彼女だとわかった。

彼女は、病院から抜け出してきたのだ。カーディガンを羽織った下は、パジャマだった事で明らかだ。

ここは、病院から少し離れているのだが、彼女はここで何をしていたのだろうか。

「まあ、病院から抜け出すなんて。・・・そちらの方は?」

彼女の母親だろうか、僕をチラリと見て気にするそぶりを見せる。

「あ、僕はそこの大学に通う・・・。」

僕は自己紹介をしながら、彼女からゆっくりと手を離した。

「貧血で倒れそうになったの。それを助けていただいて・・・。」

彼女は、真っ赤になりながら説明する。

倒れたというところで彼女の母親は、眉をしかめて心配顔になった。

「だ、大丈夫よ。ちょっとはしゃぎすぎちゃった・・・から。ごめんなさい。」

最後は、しゅんとなって謝る彼女に母親が促すように彼女の背に手を添える。

ありがとうございました。そういって、病院に帰っていく後ろ姿を見送った。

僕は、ぎゅっと手を握る。彼女を抱きとめた感触を閉じ込めるように。


僕は彼女に会いたい思いで病院を訪れた。

公園で聞いた名を言って、部屋を確認する。彼女の病室は、五階の一番奥にあった。

緊張気味にドアをノックして、来訪を告げる。

ドアを開いてくれたのは、彼女の母親だった。少し驚いた様子だったが、すぐに笑顔になって室内に招いてくれた。

窓の外を見ていた彼女がゆっくりと振り返る。とても驚いていたけれど、微かにうれしそうにも見えた。

ちらりと見た窓から僕の通う学舎の時計塔が見えた。


それから僕は講義の終わった後に病院に行くのが日課となった。

彼女が笑ってくれるから。

彼女の病名は知らない。けれど、彼女が退院したら一緒にいろいろな所へ行きたい。

彼女の笑顔をずっと見ていられるように。

無気力だった僕を変えてくれた彼女。

愛おしさを教えてくれた彼女。

僕は彼女が退院するその日に彼女に告白をしようと決心した。

いつまでも彼女の笑顔を大切にしたいと、強く思ったんだ。


毎日病院を訪れてくれる彼。

あまりおしゃべりじゃないけれど、沈黙も心地よくて。

うれしくて。うれしくて。

楽しい時間は過ぎてしまうのが早すぎて。

刻々とタイムリミットは迫る・・・。

未だ、彼には告げられなかった。

言わなきゃいけないと思いながらも・・・。

怖い。

夜にひとりになると、とても怖い。

だから、自分の体をきつく両手で抱き締めて、あの人を思い描く。

すると、怖さが薄らいでいくの。

ずっと一緒に居たかった。

もっと、もっと生きて・・・。

二人で一緒に年を重ねて行けたなら・・・・。

ぎゅっ。

きつく目を閉じて、瞼にあの人を思い描く。


ピピッ・・・。ピピッ・・・。

静まり返った室内では、無機質な電子音だけが響いて・・・。

僕は徐々に冷たくなっていく彼女の手をどうにか温めようと、両手でしっかりと包み込む。

彼女の両親は、僕の行動を咎めようともせずにただ静かに見守っていた。

ピピッ・・・。ピピッ・・・。

「・・・」

微かに彼女の口元が震え、声を発しようとしていた。

母親が彼女の口元に耳を傾ける。

酸素マスク越しの言葉に目を見張り、顔を歪めて泣くのを堪えた。そして、僕の握っていない方の手を父親とともに握りこむ。

彼女は僕の方をゆっくりと振り向く。微かに頬笑みながら。

僕も彼女に顔を近づける。彼女の声を聞くために。

彼女は震えながら言い終えると、彼女は静かに目を閉じた・・・・。


僕の耳には、もう何の音も聞こえない。


・・・ありがとう。貴方に出会えて・・・うれしかった・・・。


僕は黒いネクタイを無造作に振りほどく。

僕を見下ろしていた青い月が雲間に隠されて、しとしとと冷たい雫を零しはじめた。

まるで泣いているかのように。


僕の頬にも雨粒が落ちてくる。

熱い、熱い雫が頬を伝って落ちていく。


こんなにも・・・、こんなにも愛してしまったのに。

彼女は永遠に僕の腕の中には、戻ってこない。


さあああああ。

雨風に煽られたアカシアの花が降り注ぐ。


僕はひとり――――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ