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アコ様の秘密のメモ帳  作者: エシナ
ACT1 - A pianist's birth unknown episode.
7/26

第3話 - 大好き。 【後編】

作中に登場する曲がどんなもんか気になる方がいらっしゃいましたら、

下記アドレス(自サイト)にてMIDIを試聴可能です。

宜しければ、是非に。


http://queen.s18.xrea.com/original/aco/co.html

 全速力で逃走すること数分。

 わたしは肩で息をしながら、薄暗い通路の壁に背中を預ける。

 元々運動は得意ではない方だけれど、こちらへ来てから全力で走る機会に恵まれているので、体力が上がってきている気がした。

 ……尤も、嬉しくも何ともないが。

 一息ついて額の汗を拭う。

 息が落ち着いてきたらもう少し遠くへと逃げないと、恐らく逃げ切れないであろうことくらいは学習している。

 何せ奴は変態だ。

 今のところ周囲に気配が無いとはいえ、音も無く近付いてくるのだから油断は出来ない。


 しかし、ここは何処だろうか。

 きょろきょろと周囲を見渡す。

 恐らく行政棟の管内の通路を適当に曲がってきたとは思うけれど、初めて来る場所だ。

 こんなところで逃走中に迷子だなんて洒落にならないなぁ、なんて思いながら、自分が居る場所の先を見る。

 近寄っては駄目だとメルさんに教わった、騎士棟内にある地下牢へと続く通路以外では、地下へと続いていそうな場所を見るのも初めてだった。

 わたしが背を預けているのは、その階段を少しだけ降りた辺りの壁。

 階段の手前の通路は窓からの光を浴びる明るい世界だけれど、階段からこちらは薄暗い闇の世界。

 階段は結構な長さがあって、折り返し地点である踊り場以降の壁には、点々と青い光を放つ照明が設置されている。

 この世界には電気なんて無いので、照明と言えばランタンや松明……の筈が、青い光を放つそれは、そのどちらとも違うようだった。

 魔法の力を使った何かだろうか。幻想的にゆらゆらと揺らめくその光を見て、ぼんやりとそんな風に認識する。

 夏の夜の風物詩のような、どこか恐怖すら感じさせる階段の先の光景。

 ホラーやオカルトが苦手な普段のわたしであれば、絶対に近付こうとは思わなかっただろう。


 それなのに、何故だろうか。

 わたしは導かれるように、ゆっくりと薄暗い階段を降りていた。

 この先に何があるのか、妙に気に掛かる。

 行かなければならないような気さえする。


 折り返し地点の踊り場まで来て、わたしは青い光に照らされるその先の通路を見た。

 今降りてきた分の倍以上の長さがある階段の先に見えるのは、重厚な青銅色の扉。

 城内の他の場所よりも階段の幅も広いけれど、その扉も、一度だけ通り掛ったことのある女王への謁見の間へと続くものと同じくらい、大きいように見える。

 一歩一歩、踏みしめるようにして、わたしは階段を降りた。

 ゆらゆらと動く自分の影が、扉へと映り込んでいる。

 影が目の前へと迫り、わたしは遂に、扉の前へと立っていた。

 扉の高さはわたしの身長の3倍くらいはあって、両開きであろうその幅も、両手を広げても全然足りないほど。

 青銅色のその表面には、細く複雑な紋様が一面に描かれている。

 きっちりと閉じられた重そうな扉は、封じられているかのような印象を与えてきた。

 開く、のだろうか。

 緊張しながら、そっと触れてみる。


 瞬間、わたしが触れた部分を中心に、青い光が紋様をなぞるようにしてはしった。

 驚いて思わず手を引っ込める。

 ほんの一瞬の出来事だったけれど、これも魔法の力的な何かが働いているような気がした。

 当然ながら、わたしは魔法なんて使えないし魔力なんてものも持っていない。と、思う。

 けれど、青い光は明らかにわたしが触れた瞬間に発生した。

 け、警報装置とかだったらどうしよう。

 もしくは、脳内の不純度に反応して光る仕組みになっているとか。

 だとしたら結構な光っぷりだったのでこれも日々の脳内妄想の賜物と言える。

 そんな馬鹿なことを考えていると、重厚な軋み音を立てながら、ひとりでに扉が開いた。

 半端に開いたところで止まってしまったので、中は見えない。

 少し恐怖心が湧いてきたので、帰ろうかとも思ったけれど。ここまで来ておいて、中を見ずに帰ることも出来まい。

 わたしは思い切って扉を押し広げた。

 開く音は見た目通り重そうであるものの、押した感覚は、思っていたよりもずっと軽くて。一押ししただけだというのに、わたしの手を離れてひとりでに開いていく。


 徐々に明らかになっていく扉の中の光景に、わたしは目を奪われた。

 青銅色の扉が全開に近いほどに開いていく軋みが、やけに遠くに聞こえる。

 意外に広くて天井も高いその場所は、階段の壁に設置されていたものと同じような照明の青い光で満たされていた。

 その中心に、ぽつりと。

 ダークグリーンの、光沢の少ないベルベット生地の布に隠されるようにして。何かが、置かれている。

 高い天井の中心にも照明がある所為か、その場所は、淡いスポットライトを浴びているかのようだった。

 それ以外には何も無いこの部屋は、それのためだけに作られた場所なのだろうか。

 ゆっくりと、ゆっくりと。

 中心に向かって歩み寄る。

 自分の靴音がやけに響いているのを感じながら、わたしはそれの前に立ち尽くした。

 それが何なのか、なんて。

 布の下から覗く三脚の黒い脚を見た瞬間に判ったけれど。

 自分の願望や妄想ではないことを確かめるために、ベルベットの布に震える手を伸ばす。

 少し引いただけでするすると床へと落ちていく、手触りの良い布。


 その中から姿を現したのは、一台のグランドピアノだった。

 黒塗りの艶やかな胴体。

 全長が3メートルほどある、コンサート・グランド。

 自分の鼓動が、どくどくと速くなっていくのを感じる。

 ピアノの本体には触れないまま、わたしはぐるりとその周囲を一周した。

 願望でも妄想でもない、実物が目の前にある。


 短い期間とはいえこれまで見掛けることすら無かったので、半ば諦めていたけれど。

 あったのだ。この世界にも、楽器が。

 しかも、わたしの半身と言っても過言ではない存在、ピアノ。

 嬉しくない訳が無い。

 ……触れずにいられる訳が無い。


 わたしはゆっくりと、鍵盤の蓋を開いた。

 元の世界では見慣れた、白と黒の88鍵。

 鍵盤の表面をそっと撫でる。表面の素材は本物の象牙ぞうげ黒檀こくたんだろうか……そもそもそれらの素材がこの世界にもあるのか。判らないけれど、人工的な素材では無い気がする。

 音を出す前に、右側面へと回って上蓋を開いてみた。

 どうやら構造もほぼ一緒の様子。きちんと弦が張られていることを確認してから、支え棒で上蓋を固定する。

 そうして再び正面へと戻って、鍵盤を叩いた。

 懐かしさすら感じる音が響く。

 深みのある綺麗な音。上質なピアノだ。

 コンサートホールのように音を響かせるこの場所も、音質を高めるのに良い効果を発揮しているのかも知れない。

 わたしは左端の低い音から順に、一音一音の響きを確かめるようにゆっくりと弾いていった。

 不思議なことに、調律は狂っていない。

 長い間誰にも触れられた形跡が無かったし、道具もあるようなのでチューニングからしなければならないかと思っていたけれど。

 右端の最高音まで確認し終えて、チューニングの必要は無いことを確信した。

 次いで、黒い布の張ってある同色のベンチタイプの椅子に腰を降ろす。

 両側のハンドルで椅子の高さを調節して自分に合わせ、ピアノのペダルを踏んで動作を確認。3本とも、問題は無さそうだった。


 ピアノを前にしてこんなに緊張するのなんて、いつ以来だろう。

 初めて、かも知れない。

 まだ一ヶ月も経っていないけれど、これまでで最も長い間、離れていた所為だろうか。

 いつも以上に背筋が伸びる。

 ようやく触れられることへの歓喜による震えが治まってから、わたしは両手を鍵盤に添えた。




 冒頭だけ独立しているかのような、本編とは関連の薄い、ユニゾンで始まる序章。

 次いで、第一主題へと入る直前の和音。

 メジャーな出版社の出す楽譜ではなく、わたしは不協和音を奏でる原典版の方を愛奏している。


 ショパンの、バラード第1番ト短調Op(オーパス).23。


 バラードの語源は“物語”を意味する言葉で、この作品も、劇的に展開されるスケールの大きな大曲になっている。

 大概は作曲の動機となる物語があって、この曲にもそれは存在するようだけれど、某詩人の詩にヒントを得ているらしいこと以外は未だ特定はされておらず。そもそも、作曲家の特性上、音によって具体的な表題性を表現しようとはされていないようだった。

 なので、抽象的な音楽として。純粋に、音を聞いたときに感じたイメージを大切にしながら、表現していく。


 ためらいがちに奏でられる第一主題は、どこか陰鬱としていて不思議な趣があって。けれども単純な旋律。

 捉えどころの無いそれは、この世界に来た時のわたしの心境とよく似ていた。

 久し振りに奏でる曲としてこれを選んだのは、そんな風に思わせられたからなのかも知れない。

 次いで、技巧的な経過を経て登場する第二主題。

 第一主題とは変わって、明るくて、美しくて。青春の息吹を感じさせる、聴き手の心に素直に響いてくる旋律だ。

 この2つの主題は交互に登場して、中盤。

 ふんだんに盛り込まれたピアニズムと共に爆発的に盛り上がる第二主題。

 再び技巧的な経過句が挟まれ、登場する第二主題、第一主題。

 そうして、終盤を飾る劇的なコーダ。

 難所であり、この作品の最大の聴かせどころでもあると思う。


 わたしはそれを、夢中で弾いた。

 自分の指と連動して空間を満たしていく音だけに集中して、曲を表現する行為だけに没頭する。

 頬を伝っていく温かいものになど、気付かないままに。




 時間にして、およそ9分。

 重厚な和音を奏でて、曲が終わった。

 わたしは名残惜しげに鍵盤から指を離して、ぼんやりと自分の両手を眺める。

 ……終わってしまった。

 けれども、ようやく触れられたという充足感。

 当たり前だったことが、こんなにも大切で。愛おしい。


 カツン、と。

 誰かの足音が響いたのは、そんな時だった。

 驚愕に肩を震わせて立ち上がり、足音の聞こえた入り口の方を見る。

 そこにはわたし以上に驚いた表情を浮かべて、3人の人間が立ち尽くしていた。

 シュリ、ジークベルトさん、エリアスさん。

 何故この3人なのかは判らないけれど、きっと、上の方まで音が聞こえたので降りてきたのだろう。

 悪戯が見付かった子供のような心境のわたしは、彼らを正面に見据えてじりじりと後ずさりをした。

「あ、と……」

 後ずさるわたしを引き止めようとしたのか、中途半端に伸ばした手を、シュリが所在なさげに自分の後頭部へと持って行く。不自然に途切れた言葉。何と言って良いのか判らないとでも言いたげな雰囲気だった。

 それは、わたしも同じで。

 触れてはいけないものだったのだろうか。3人とも沈黙してしまったので、余計に不安になる。


 張り詰めた沈黙を静かに破ったのは、エリアスさんの声だった。

「アコ、もう一度問う。君は、何処から来たんだ?」

 探るような、けれども敵意は含まれていない真摯な眼差し。

 今度は先程のような適当な誤魔化しなど通用しないであろうことは明白だった。

 どうすれば良いか困り果ててシュリを見る。

 シュリは少しだけ逡巡して、溜息を吐いた。

「アコはこの世界の人間じゃない。多分な」

「……どういう、ことですか?」

 おもむろに発せられた言葉に対し、エリアスさんと似たような眼差しをわたしへと向けていたジークベルトさんが問う。

「俺がこいつを拾ったのは、城に連れてきた日の前の日だ。鍛錬中、視界の端の空に唐突に現れた何かが川に落ちた。何なのかを確認しに行ったらアコだった」

 それは、わたしも初めて聞く話だった。

 シュリは、バス事故に遭ってから意識を取り戻すまでのわたしが言った言葉を説明し終えると、わたしへと視線を向けて、苦笑する。

「そんな現れ方でもしてなきゃ、俺はお前の話なんて信じちゃいなかったよ。実際に現れ方を見ててすら半信半疑だった。……今の今まではな」

 そう言って神妙な表情を作り、シュリは再び沈黙してしまった。

 今になって信じる気になったのは何故なのか。

 言葉を続けにくそうにしているシュリの様子に、問い掛けても良いものか迷っていると。口許に手を当てて何事かを考え込んでいたエリアスさんが手を外し、口を開いた。

「アコ。君が弾いていたそれは、大昔に弾き手を失った遺物だ」

「遺、物……?」

 鸚鵡返しに問うと、彼は頷く。

「この国……世界には、かつてそうした遺物の弾き手、音楽家と呼ばれる者達が沢山いた。しかし、当時最大の覇権を握っていた王が、大規模な音楽家狩りを行った。それにより、音楽家と呼ばれた者達も、楽器と呼ばれるそれらの遺物を扱うための技術も……失われてしまったんだ」

 どうして。

 あまりにも信じ難い内容に、言葉も出ない。

 けれど、わたしの表情から思考を汲み取ったのか、エリアスさんは言葉を続けた。

「掲げられた理由は“音楽には魔力があり、人々を惑わし背徳の道へと誘う”というもの。当時、その王と対立していた権力者が音楽家だったことや、音楽家にはおれのような魔力持ちが多かったことが理由として挙げられている」

「……まぁ、今では、自分を害す可能性のあるモンをまとめて排除するための、単なるこじつけだという見解で落ち着いてるけどな」

「実際そうであったからこそ反感が生まれ、当時の王は淘汰され、アルス・ノーヴァが建国されるに至ったのでしょう。現在、持ち主を失いながらも辛うじて残された幾つかの遺物は、各国に振り分けられ……そこにあるもののように、厳重に保管されています」

 3人ともが、慎重に言葉を選びながら説明してくれる。

 会ったこともないその王とやらに、敵愾心てきがいしんが湧いてきた。

 自分の覇権を守るためだけに、ただ音楽を愛しているだけだったかも知れない人達まで巻き込んで……あろうことか、歴史から消し去ってしまったというのか。

 許されて良い話では無い。

 目の前にその王が居たら、絶対に鼻わりばしを喰らわせてやるのに。

 けれど、そのような歴史があったのなら。


「……触っちゃ、いけなかった?」

 恐る恐る、わたしは訊ねた。

 話を聞く限り、音楽家自体が悪とされる時代は終わっているのだろうけれど。国で大切に管理していたのなら、無断で弾いてしまったのはまずいように思う。

 3人は顔を見合わせ……意外にもそれぞれが柔らかい表情を作って、わたしを見た。


「その楽器の音、初めて聞いたけど。いい音だな」

「演奏……と言うのでしたね。アコさんの演奏も、素晴らしかったです」

「この部屋の封印が解かれたのも、何かの巡り合わせなんだろうね」

 穏やかに染み込んでくる言葉に、わたしを咎める響きを含むものは無い。

 けれども言葉達が導く結末を上手く呑み込むことが出来なくて、わたしは狼狽うろたえた。

「アコさん、貴女は、その楽器を弾き続けたいですか?」

 そんなの当たり前だ。

 上手く言葉が出ない代わりに、わたしは首を縦に振ることでジークベルトさんの問いに答える。

 何度も、何度も。

 自分でも何回振ったか判らなくなるほど振っていたら、苦笑してやんわりと制止された。

 そうして、柔らかい笑みを深くして。ジークベルトさんは言う。

「でしたら、貴女にこの楽器を解放するよう、私達で上へと掛け合いましょう」

 その言葉を、わたしは瞬時に処理することが出来なかった。

 わたしがひとり呆然とする中、彼らは更に言葉を繋げる。

「折角弾き手が現れたってのに、ただ置いといたら楽器だって可哀想だし、勿体無いしな」

「驚いたけど、アコの演奏技術はもっと万人の目に触れさせるべきだ。曲がりなりに、城内でもそれなりの地位を持つ者3人の連名。何とかなると思うよ」


 どうしよう。

 ……嬉しい。


 ようやく思考が感情に追いついてきて、色々なものが込み上げてくるのを感じた。

 わたしの半身。

 これまでの記憶の中心にあって、これからもそうあって欲しいと切望していたもの。

 おばあちゃんから教わったことを表現出来る、唯一のもの。

 わたしとおばあちゃんが生きてきた証であり、理由。

 離れたらきっと生きていけない。


「……ほんと?」

 声が震えた。

 滲み、歪んでいく視界の中で、彼らが笑ったのを捉える。

「ほんとに、弾けるようにしてくれるの? 触っても、良いの?」

「あぁ。任せとけ」

 きっぱりと断言されて、遂に、わたしの涙腺が決壊した。

「ふ、ふえええぇぇ……」

 ぼろぼろと涙が溢れてきて、子供のような嗚咽おえつが漏れる。

 彼らからは動揺するかのような気配が伝わってきたけれど、ややあって、やれやれ、とでも言いたげな苦笑を浮かべながらシュリが近付いてきた。

「おっ前、割とよく泣くよな」

 そんな事言ったって、嬉しいんだから仕方がない。

 そもそも涙腺決壊の決定打は最後のシュリの断言なのだから、むしろ責任を取るべきだ。

 まともに喋れない代わりに、心の中で反論しながら。

 止まってくれない涙を一生懸命拭っていたら、シュリは落っこちそうになっていたわたしのめがねを外して、後頭部に手を添えてやんわりと彼の胸へとわたしを引き寄せた。

 これはあれですか。お兄さんの胸で幾らでもお泣きなさいと。

 悔しいけれど、そんなことをされたら涙腺が更に緩むことなんて必至だ。

「あっ、汗臭いっ」

「うるせぇな。文句あんなら鼻でもつまんでろ」

「でっ、でもっ! うれしいっ、あっ、ありがとおおぉ」

 シュリの背に両腕を回して、服を強く握る。ぼろぼろと溢れる涙やら何やらが、顔を押し付けた部分へと染み込んでいく。

 落ち着かせるように、彼はゆっくりと後頭部を撫で続けてくれた。

 そうしながら、ぽつりと呟く。

「……好き、なんだな」

 それはピアノがという意味か。

 だとしたら、そんなの当たり前だっ!!

「好き! 大好き……!!」

 ぎゅうぎゅうと彼にしがみ付きながら、力いっぱい答える。

「わっ、わたしっ、これが無いと生きていけないのおおおおぉぉぉ!」

「おま……色々と誤解を招く言い方はやめとけ」

 言いながらも撫でる手を止めずにいてくれるシュリは、きっと呆れた顔をしているのだろう。けれど、事実なんだから突っ込みなんて受け付けない!


 シュリとそんなやり取りをしている間に近くまで来ていたジークベルトさんとエリアスさんを含め、何とも豪華な顔ぶれの3人に慰めて貰いながら。わたしは随分と長い間、止まってくれない涙に大苦戦した。




 そうしているうちに、わたしは泣き疲れて眠ってしまったらしく。

 途中で意識が無くなって、気付いたら自室で目が覚めただなんて……本当に子供みたいで恥ずかしい限りだ。

 そのうえ、夕方から夜の業務の時間が終わっていて、わたしが目を覚ましたらメルさんが寝るところだったとか。人生最大の大失態である。

 メルさんひとりであの大量の洗濯物取り込んで畳んで戦争のような夕飯の準備と片付けの手伝いもしているという恐怖映像が瞬時に浮かんで。

 眠りに落ちる前の幸福感の反動のような、何とも言えない嫌な感覚に支配されることとなった。

 起きてそのことに気付くなり引責の念に駆られたわたしは、無論、床を舐める勢いで彼女に土下座したことは言うまでもない。

 あまりの謝罪っぷりに、若干引かれたほどだ。

 ことこちらの世界へ来てから、わたしの土下座姿もなかなか板についてきた気がする。

 このままセミプロでも目指そうか……

 と、わたしのスキルアップなどどうでも良く。

 そんな大失態を笑顔で許してくれたメルさんは本当に寛大な人だと、改めて思わせられた。


 後で知ったことだけれど、わたしが眠ってしまっている間、心配した騎士棟の他の女中さん達や、何故かアルノルトさんまでもがメルさんに手を貸してくれていたらしい。

 ……総隊長、暇なのだろうか……

 そのことによって、メルさんの精神に多大なるダメージを与えてしまっていないかどうか心配だが。

 兎も角、彼らにもお礼を言わなければと心の中で誓う。




 そうして、後日。

 シュリ、ジークベルトさん、エリアスさんの3人は、連名で国有の楽器の使用許可を提言してくれた。

 任せろ、と言ってくれた彼らの言葉通り、思っていたよりもずっと早く、条件付きでわたしへの楽器の使用許可が降りることになる。

 更に、様々な経緯を経た後、わたしは元の世界宜しく音楽漬けの日々を送れるようになるのだけれど……

 それはまだ、もう少しだけ先のお話。


 今はただ、様々な人達へ感謝を捧げながら。

 自分の半身と再会出来たことへの喜びの余韻に、浸る。

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