第2話 - 華麗なるへんt……隣人達 【後編】
「み、右よし……左、よし……」
ゼェハァと肩で息をしながら、わたしは柱の陰に隠れて周囲を窺う。
ここは行政棟の廊下辺りか。
文官達は必要最低限しか室内から出ないため、業務中であろう今の時間帯は、人影も無い。
奴らが追い掛けてきている様子も無いことを確認して、わたしはほっと息を吐いた。
それにしても酷い目に遭った……
まさかサリアさんが変態性癖の捌け口対象としてわたしを見ていたなんて思いもよらない。
一体わたしの何が食指を動かしたのか……めがねか? めがねなのか?
それに、エリアスさんまで。
サリアさんほどオープンで変態っぽい感じはしなかったけれど、一目でバストサイズ把握したり会って十数分でセクハラかましてきたりする辺り、明らかにアウトだ。
未だ、右耳に唇と吹き込まれた言葉の感触が残っている気がして、耳を押さえてげんなりする。
サリアさんはシスターのような服を着ていたけれど、エリアスさんは牧師というか、そんな雰囲気の黒い服を着ていた。勤務場所も聖堂。天の声を聞くとか言っていたし、この国で魔術師とは神聖視されるような立場なのだろうか。
服装などからの勝手な推測だけれど、そうだとすれば、この国の人達は奴らの中身にも目を向けるべきだ。
「あんまり全力で逃げられると、追い掛けたくなってしまうな」
ぞわぞわぞわ。
押さえていない方の左耳から、全身に寒気が広がる。
左の耳に吹き込まれた、この無駄に甘くて色気のある声。奴だ。
何で居るの何で背後から近付くの。つい今しがたまで何の気配も無かったのに!
わたしは後ろを確認もせずに全力でその場から離れた。
けれど、こちらは全力疾走しているというのに、一向に距離は離れず。奴は一定の距離を保ったままぴったりと背後から付いてくる。
確かにわたしは運動が得意ではないけれど、身長差ゆえのコンパスの違いというやつなのか。
憎い、長身の奴等が憎いっっ!!
というかお願いします誰か助けてください!!
と、祈りが通じたのか、前方に人影を発見した。
わたしの必死の形相に驚いたのか、その人物は目が合うと足を止めてちょっと身を引く。
けれど、真面目そうなこの人ならばきっと助けてくれるに違いないというか助けてくれなかったら末代まで祟ってやる!
わたしは渾身の力で猛ダッシュしてその人の背後へと回り込んで身を隠した。
「変態に追われているんです! 助けてください!」
「へ、変態……?」
運悪く通り掛ってしまったその人物、ジークベルトさんは、彼の背中にしがみ付くわたしと前方から近付いてくるエリアスさんを交互に見て困惑する。
「変態とは心外だなぁ」
ははは、と人を欺く爽やかな笑顔を浮かべながら、エリアスさんはジークベルトさんの少し手前で足を止めた。
「ええと、な、何をしていらっしゃったのですか?」
「アコが逃げるのでつい、ね。追い掛けていたんだ」
「は、はぁ。いつの間にかそのような親密なご関係になられていたのですね」
「親密じゃありません。突如降って湧いた変質者なんですその人」
「そんなに照れなくても良いのに。忘れ物を届けようと思っただけなのに、酷いな」
「忘れ物……?」
ジークベルトさんの背中にしがみ付いたまま、わたしはそろりとエリアスさんを覗き見てみる。
彼が手にしていたのは、女中の制服だった。そういえばあまりの状況に着替えてそのまま置き去りにしてきてしまったことを思い出す。
ということは、わたしはコスプレ紛いの色々とギリギリなシスター服のままそこら辺を全力疾走していたのか……か、かなり恥ずかしくなってきた。目撃者が居なければ良いけれど。
何故アコさんの服を、なんて言いながら、ジークベルトさんが顔を赤くしておろおろする。
どんな勘違いをしているのかは知らないけれど、恐らく想像しているような色気のある事情ではありませんですのことよ。
「……す、済みません。ありがとうございます」
忘れ物を届けてくれたのなら、最初からセクハラ紛いの声の掛け方なんてしなければ逃げなかったのに……いや、逃げたか。逃げたな。
なんて思ったけれど、ひとまずは助かったので謝意だけはきちんと述べて。わたしはエリアスさんと目を合わせないように、慎重に前へ出る。
と、受け取ろうと伸ばした手をぐいっと引かれた。
「またおいで、アコ」
ちゅっ、という軽い音が聞こえ、指先に触れた熱が離れていく。
一瞬何が起こったのか判らず、思考が停止していたけれど。
この人、人の指先にキスしやがりましたか?
わたしとジークベルトさんが衝撃のあまり硬直する中、当の本人はひらひらと手を振りながら元来た道を戻っていく。
ぞわぞわぞわぞわ。
時間差で、全身に鳥肌が立った。
何なの。何なのあの捕食者が得物を狙うかのような目付きは。
何でわたしが悉く変態的な存在に目を付けられなきゃいけないの。
やっぱりめがねか? めがねがいけないのか?
ぎち、ぎち。
何とか硬直が解れてきたわたしは、錆びたロボットのような動きで振り返って、未だ顔が赤いジークベルトさんを見た。誤解だけはせんように釘を刺しておかねばなるまい。
「言っておきますけど、あれは断じてセクハラですからね」
「せ、せくはら?」
「セクハラです。セクハラされたんです。この職場にはセクハラがあるんです! 人事手続き担当者としてそんな状況を放置してて良いんですかーー!?」
うわーんと半泣きになりながら、わたしは今度こそジークベルトさんの胸倉を掴み上げていた。
いや、身長差があるので上げるのは無理なのだけれど。
興奮しながら訴えるわたしを放置することは出来なかったらしいジークベルトさんに促され、わたしは城に来た初日に通された事務室のような場所の隣の部屋で、彼に先程の大惨事の話を聞いて貰っていた。
文官さん達の休憩室らしく、ソファとテーブルと、お茶を淹れる道具のようなものが置かれている。
最後まで静かにわたしの話を聞いてくれたジークベルトさんの表情は、若干引き攣っていた。
「そ、そうですか……客員魔術師殿達が。俄かには信じられませんが」
「しかし残念ながら、奴等がわたしに対し変態行為を働いたのは事実であります……」
げんなりした表情で、わたしは呟く。
「私は、第1行政室の室長ではありますが」
ぽつりと言った後、唸るように少し考え込んでから、ジークベルトさんは続けた。
「客員魔術師殿との契約については女王の管轄で、私がどうこう出来るような問題ではなく……力及ばず、申し訳ありません」
心苦しそうな表情を浮かべて、ジークベルトさんは浅く頭を下げる。
わたしは思わずソファから立ち上がって慌てた。
「い、いえっ、こうしてお話を聞いて頂けただけ、で……」
どっと冷や汗が浮き出る。
初めて会った時は必要最低限の会話しかしなかったこともあって、何となく冷たい印象を受けていたけれど。話してみればとても真剣にわたしの訴えを聞いてくれて、自分の権限との兼ね合いで対応できる問題なのか考慮してくれて。
真面目で、恐らくもの凄く良い人だ。
そんな人物に、わたしは。
殺気を叩き付けて目の前で暴れかけて。
胸倉を掴んで揺さぶって。
極めつけに、頭まで下げさせた。
我ながら、何という暴挙の数々であろうか。
急激に申し訳ないという感情ばかりが侵食してきて、ふらふらとソファから離れる。
わたしは床の絨毯が敷かれていない部分に立ち、ジークベルトさんを正面に見据え、這いつくばるようにして土下座した。
「!? あ、アコさん!?」
「これまでのご無礼と暴挙の数々、本当に申し訳ありませんでした。この通りですのでどうかお許し頂きたい所存であります」
ジークベルトさんが引いているのが判る。けれど、この程度で許されるとは思えない。
だというのに、ジークベルトさんは慌てて駆け寄ってきて、わたしに身体を起こさせた。
「うっ、うっ……どうか、情けなど掛けないでやっておくんなせぇ。貴方様のような方に、あっしはこれまで何てことを……」
「い、いえ、あの。こんなことをされても、逆に困りますので……」
半泣きで訴えてみるけれど、ジークベルトさんはわたしの両脇に手を差し入れて立ち上がらせてくれる。
何故かさっと顔を赤くして慌てて手を離した彼は、小さく咳払いをして体裁を整えてから、言った。
「兎も角、私に出来ることは限られていますが、何かあれば相談してくださって構いませんから。可能なことであれば、上にも掛け合ってみます」
ジークベルトさんの背後から、後光が差しているようにすら見える。
ええ人や。あんたええ人や。
「ありがとうございます……!」
申しわけの無さと感謝の気持ちとがない交ぜになって溢れてきて、わたしは深々と頭を下げる。
ついでに、脳内恩人認定欄に、ジークベルトさんの名前を書き加えた。
-*-*-*-*-*-*-
その後、2・3会話を交わしてから、ジークベルトさんは仕事へと戻っていった。
どうやら休憩中であったらしく、貴重な休憩時間を割いてまで話を聞いてくれたことに、殊更謝意を募らせる。
女中さん達から高評価を得ているようなので引き続き頑張ってください、というので、ひとまず自分に出来る女中のお仕事を頑張ろうと思った。
誰も居なくなった休憩室で女中の制服に着替えさせて貰い、わたしは騎士棟に向かって城内の通路を歩く。
如何わしいミニ丈シスター服は一応畳んで持ってきたけれど、どうしようか……返しに行くのも再び貞操の危機に陥りそうなので憚られるし。そもそもわたし用に用意したとか言っていたし。自室のクローゼットにでもそっと封印しておくしか無いだろうか。
そこでふと、今日サリアさんに案内して貰った聖堂までの道筋などをメモ帳に書き加えておこうと思い立ち、わたしは制服のポケットを探った。
メモ帳を取り出す。
あれ、と。違和感に気付いた。
仕事用のメモ帳とペンはある。
けれど、もう一冊の方が。マイソウルメイトが。要するに主に観察した騎士達の様子とちょっとだけ脳内妄想を書き込んである秘密のメモ帳が、無い!!
慌てて反対側のポケットやその他各所をまさぐってみるけれど、どこにも無い。
通路を振り返ってみても落ちていない。
落ち着け、落ち着くのよ亜己。
まずは今日自分が通った道筋を順に探してみましょう。
手始めに行政棟の休憩室まで戻って、騎士棟から聖堂までを探して……万が一聖堂内というかサリアさんの応接室なんぞに落ちていたらどうしようか。その場合、命を賭けなければならなくなる。
そもそも誰かに拾われたりなんてしていたら。中を見られたりなんてしていたら。
ひいぃぃ考えただけで恐ろしい……!
「そこの不審な動きをしている貴女。この帳面は、貴女のものかしら?」
通路の真ん中でおろおろうろうろしていると、何者かに声を掛けられた。思わず、びくりと肩をそびやかす。
涼やかで、けれども愛らしさの含まれた高潔な女性の声。
振り返ると……そこに立っていたのは、お姫様だった。
綺麗に編まれて結い上げられた長い金糸の髪。髪にあしらわれた上品な飾り。
整えられた、少女らしい愛らしさのある美しい顔の造形。
少し気の強そうなつり気味の目は、蒼と碧のオッドアイ。ふさふさの睫毛。
白くてきめ細やかな肌。細くてしなやかな肢体。それらを彩る、薄紫色の上品なドレス。
そんな同じ人類かと思うような美少女が、片手を腰に当て、もう片方の手に例のブツ……紛れもなくわたしのメモ帳を持って、ずばーんとわたしに向けて突き付けている。
「確かにそれはわたしのものですが……!?」
何でよりにもよって貴女のような高貴っぽい方が拾っていらっしゃるのでしょうか。
後半の言葉は飲み込んで答えると、ふうん、と言って、彼女はまだ数ページしか埋まっていないそのメモ帳をぺらぺらと捲り、書き込んである文章に視線を走らせ始めた。
ちょお、何してくれてんですか何プレイなんですかこれは。
だばだばと嫌な汗が大量に流れていく。
ひととおり目を通し終えると、美少女はぱたんとメモ帳を閉じた。
「ちょっと、わたくしと一緒に来て頂けるかしら?」
とびっきりの笑顔と共に放たれる言葉。
うわぁい死刑宣告が来たよ……!
メモ帳を片手で弄びながら上機嫌で歩く美少女に連れられて来たのは、城内でも足を踏み入れたことの無い区域だった。
まだ城に来て3日目なので、大半は足を踏み入れたことが無いんだけれど。
これまで目にしてきたものとは明らかに異なる、繊細な模様や彫刻がなされた高級感の漂う壁や扉、磨き抜かれた床面。
美少女はそのうちのひとつ、深みのある緑青色に金色で模様の描かれた扉の前へと向かう。
扉の前に立っていた衛兵らしき騎士が、美少女にすっと一礼して扉を開いた。
美少女はそれが当然のことのように特に何も言わず扉をくぐったけれど、こちらは妙に萎縮してしまい、通りがけに騎士へ向けてぺこりと頭を下げる。
室内は、それはもう豪華で眩暈がした。
絨毯はふさふさだし、調度品類はもう明らかに王侯貴族とかその辺の人達が使っていそうな雰囲気や高級感がむんむん漂ってくる。
何より、美少女が入室するなりしなやかに一礼して彼女を迎えた、室内へ控えていた女中さん。所作も洗練されていて、高潔な気配を纏っていて。同じ制服を着ているのに、明らかにわたしとは種類が違う生き物のような気さえする。
一つ、わたしの制服とはリボンの色だけが違っていた。
そういえば担当する棟や仕える人によってリボンを色分けして区別していると、騎士棟の女中さんの誰かが言っていた気がする。
ちなみに、わたしを含め騎士棟の女中のリボンは赤で、室内に控えていた女中のリボンは藤色だ。
美少女が室内の奥、窓際近くに設置されている2人用の小さめな卓子へと向かうと、女中さんは自然な所作ですっと彼女の為に椅子を引く。
どうぞ、と進められたので、わたしは座ることを憚られるような高級な椅子を自分で引いて座った。
美少女が女中さんに何かを指示し、女中さんが隣の部屋へと消えていってから、彼女は口を開く。
「貴女、つい先日シュリが連れてきたという方よね。騎士棟の女中として配属されたという」
「は、はい」
「お名前は何と仰るの?」
「亜己と申します」
「そう。わたくしはアルス・ノーヴァ王国女王オルガの第一子、リーゼロッテよ。是非、リーゼと呼んで頂戴」
女王の第一子。じょおうさまのお子さん。
要するに、本物のお姫様ですか……!?
嫌な汗の量がどっと増える。
そげな人に、あげなメモ帳の中身をガン見されたと申すのか……!
これは本当に死刑宣告を申し渡されるのかも知れない。わたしは諦観してどこか遠くへと思いを馳せた。
ああ、それなりに充実した人生だったなぁ。短い時間だけれど、別の世界に来てしまうなんていう普通では出来ないような経験も出来たし。
「この帳面だけれど、第一行政室の前辺りに落ちていたのよ」
すっと、リーゼ様はわたしのメモ帳を卓子の上に差し出してくる。
早速来ましたか。皆様どうかお元気で……
「左様でございますか」
「今後は落としたりしないよう気を付けなければ駄目よ。見付けたのがわたくしで良かったけれど」
「左様でございますね」
「それにしても、貴女、まだ務めて2日だというのにこと細かくて素晴らしい観察内容ですわ。わたくしと同じ趣味の方に出逢えるなんて思ってもみませんでした。特に、わたくし、騎士棟へあまり近付かないよう申し付けられているので騎士棟の殿方達のご様子を知る術がなくて。感動いたしましたわ」
「左様で……はい?」
「司法棟は年配の方ばかりですし、行政棟には若い方もいらっしゃいますのでそれなりに楽しめるのですけれど、殿方の絶対数で言えば騎士棟の方がやはり何かと想像のし甲斐がありますものね」
「…………」
うっとりとした表情を浮かべて、リーゼ様は言葉を続ける。
メモ帳の中身を見たうえで、同じ趣味。要するに、だ。
「リーゼ様、貴女」
「なんでしょうか?」
「殿方同士のうっふん妄想をするのが好きなのですか」
ふっ、と、リーゼ様は不敵に笑ってみせる。
「大っっっっっ好きですわ……!!」
片手で握り拳を作り、リーゼ様は勢い余って立ち上がった。
「わたくしは騎士と言えば親衛隊か隊長格くらいしかきちんとした面識がないので本質は図りかねますけれど積極性に欠ける者の多い文官に比べて彼等の方がより情熱的で親密な関係を築いているように思うのです! ああ勿論文官は文官で良さがあるのよ? 静かな内に潜む情熱というか絶対文官の方が責めに回ったらねちっこくていやらしいわ! けどそんな属性を持ってそうなのは本当少数しかいなくて基本内向的で観察してても進展が少ないのよね! そのぶん武道派の方が芯がまっすぐで瑞々しい反応や動向が期待できそうだし何よりさっきも言ったように絶対数が多いから人の数だけドラマがある筈なのよ! それなのに近付くことを許されないだなんてこの迸る想像力の前に多少の汗臭さなんて障害にすらならないというのに親衛隊や騎士の上層部の奴等が逐一邪魔し……」
立ち上がったまま、リーゼ様はどこで息継ぎしているのかすら不明な勢いで情熱的に語り続ける。
あまりの剣幕に、彼女の背後に具現化した炎とかが見える程だ。アツい。アツすぎる。
彼女の瞳は爛々と輝いていて、ついでに上品なお姫様言葉もはがれ落ちていた。
止めようのない彼女の勢いに気圧されていると、隣の部屋へと行っていた女中さんがティーセットを載せた銀盆を持って戻ってくる。
慣れているのか、女中さんは主であろうリーゼ様の様子には眉ひとつ動かさずに、卓子の上に静かにティーセットを降ろした。
「リーゼ様、王女の仮面が剥がれ落ちております」
「だってしょうがないじゃない! こんな好機に恵まれたのなんて初めてよ! 興奮もしようというものだわ!」
ぐわっと勢いをつけて詰め寄るリーゼ様にも、女中さんは動じない。
これがプロのお仕事というものか。見習わなくては。
「という訳だから、アコ。今後も同胞として仲良くして頂戴!」
女中さんの仕事っぷりに感心していると、王女様の興味の矛先がこちらへと向いた。
きらきらと希望に満ち溢れた瞳。表情。
そこまでわたしの観察眼の力が望まれているというのであれば、期待には応えねばなるまい。
正直、大国の第一王女様がいわゆる腐った女子の同胞とかどうなのこの国将来大丈夫なのとか思ったけれど、権力には逆らうべからずなのである。
わたしは出来得る限りのハードボイルドな表情を作って応えた。
「わたしでお力になれるのでしたら、何なりと」
「期待しているわ……!」
わたしとリーゼ様は握手を交わす。これで同胞としての誓いが成立という訳だ。
「騎士棟の女中はこのくらいの時間が休憩なのよね」
「何もなければ、そうですね」
「判ったわ。ふふ、楽しくなりそう」
ゆったりと腰を降ろし、優雅にティーカップを持ち上げて、リーゼ様は無邪気に笑う。
どうやら、もはやわたしの前で口調などを取り繕う気はなさそうだ。
わたしも倣って腰を降ろし、ティーカップを口に運ぶ。紅褐色のお茶。
初日にシュリが出してくれたものや、城へ来てから休憩中や自室でメルさんが出してくれるものと似た香りのするそれは、色の印象そのまま、飲んでみても紅茶のような味がした。
尤も、香りも味も普段口にするものとは違って、高級感が漂っているけれど。流石は王女様のお茶である。
日本茶や中国茶のようなものはこの世界には無いのだろうか。色々と探してみるのも良いかも知れない。
そんなことを考えていると、コンコン、と、誰かが扉をノックする音が聞こえた。
王女の私室を訪ねるくらいだから、身分の高い人だろうか。
「失礼しますわ」
ブーーーーッ!
リーゼ様に促されて入室してきた人物を見て、わたしは思いっ切り口に含んでいた茶を噴き出した。
輝く銀髪に紅い瞳。羨ましい程に整っていて穏やかな表情を浮かべる顔。モデルさんのような身体に纏うシスター服。
何で、サリアさんが、ここに。
「まああああぁ、どうしてアコ様がここにっ!」
ぱあっと表情を輝かせたサリアさんは、リーゼ様には目もくれず、腕を広げ一直線にこちらへと向かってくる。
いやどうしてってそれ聞きたいのはこっちですから!
身を引く暇すら無く、わたしはサリアさんの胸に顔が挟まる勢いで抱き締められた。
「あぁん、この胸にすっぽりと収まる小ささ、可愛らしさ! そして柔らかい抱き心地! 本っっ当に堪りませんわっ!」
「あら、サリア。貴女、アコと知り合いだったの?」
「ええ、今日お知り合いになりましたの」
挨拶もなく進み出てきたうえに心なしかハァハァいっている気がするサリアさんを咎める様子もなく、リーゼ様は普通に彼女と会話を繰り広げる。
わたしはびくともしないサリアさんの腕の中でじたばたともがいた。
「アコ、サリアもジャンルは違えどわたしと共に切磋琢磨する同胞のひとりなのよ」
「“も”ということは、アコ様もわたくし達の同胞になりましたの?」
「ええ。アコには騎士棟の状況を報告する役目を負って貰うことになったわ」
「まあ素敵。これからはこちらでもアコ様にお会い出来る機会が増えますのね」
視界というか顔面がまるごとサリアさんの胸の谷間に挟まれているため会話にも参加出来ない状況のわたしを差し置いて、不吉な会話が繰り広げられる。
まてまてわたしは自分を付け狙う変態の同胞になった覚えなどないぞ!
「そういえばアコはサリアがいつも言っていた“理想の妹”にぴったりとはまる容姿ね」
「そうなんですの! んもぅわたくし、アコ様を連れてきてくださった親衛隊長様に人生最大の感謝を捧げておりますのよ!」
わたしは下手したらその親衛隊長様を恨みそうです。
不意打ち喰らわせてやっぱり死刑宣告だなんて、流石、崇高な趣味をお持ちの第一王女様ですよハハハ。
いや趣味についてはわたしがとやかく言える立場じゃないし本当は言う気も無いけど! でも!
流石にこれはあんまりではないでしょうか。
泣くぞ! 泣くからなああああぁぁ!!
わたしはぎゅうぎゅうに抱き込んでくるサリアさんの神秘の谷間から逃れられない分、心の中で思いっ切り絶叫した。
-*-*-*-*-*-*-
その後数十分。
リーゼ様のこれまでの観察に関する成果の一部と人間関係構想についてのアツい語りを聞きながらサリアさんに視姦されまくったわたしは、リーゼ様の王族の嗜み的講義の時間が迫ったということでようやく解放されて、騎士棟内をふらふらと歩いていた。
サリアさんは送っていきますわなんて言っていたけれど、そんなことをされたら今度こそ微かに残されたライフポイントが0になりそうだったので、そこは全力で拒否。
残念そうにしていたけれど、何か用事があったらしく意外と簡単に引き下がってくれたので助かった。
それにしても、何だろうこの疲労感は。何だろうこの絶望感は。
今日一日で一生分の気力を使い果たしたような気さえする。
わたしは人目も構わず、その場へとへたり込んだ。
人目と言っても女中さんや騎士さんが2・3人視界に見える程度だけれど。この全身に襲い掛かる負の感覚には勝てやしない。
わたしがぺったりと床に座り込んで色々なものに打ちひしがれていると、すっと前方から影が差した。
「何してんだ、お前」
見上げると、そこにあったのはこの世界でわたしが一番見慣れた緋色とオレンジ。
この世界では最も気を許せる筈の存在であるシュリの登場に、通常であればほっとして愚痴でも聞いて貰って慰めてもらったりなんてするところなのだろうけれど。
生憎、今のわたしは負の感情に傾いていて、先程サリアさんが親衛隊長のお陰とか言っていたのを聞いていて、このぶつけどころの無いもやもやを少しでも解消できる方法を探していた。
……要するに、そんなところに現れたら、八つ当たりするに決まっている。
うっ、とわたしは顔を歪ませて両目に涙を浮かべた。
シュリはびくりと一瞬肩をそびやかしてたじろぐ。
「な、何だアコお前どうし……」
差し出された手をぱしっと払いのけて、わたしは自力でふらふらと立ち上がった。
そのまま、きっ、とシュリを下から睨み付ける。
「わたしは……」
どうして良いのか判らずにたじろぐシュリに、わたしは言い放った。
「わたしはシュリのせいで、大切なものを失いましたっっ!!」
シュリは中途半端にこちらへ手を伸ばした格好のまま硬直する。
それもそうだろう、はっきり言って言い掛かりだ。けれどこれは八つ当たりなので、そんなもんは知ったこっちゃない。
「シュリの人でなしいいいいぃぃぃ!!」
叫びながら、わたしは全力でその場を走り去った。
ようやく硬直が解けたらしいシュリの「待てお前誤解を招くような発言だけして逃げるなあっ!」などという叫びが遠くから聞こえるけれど、知ったことではない。
その後、親衛隊長は年端もいかない少女が好きだとか親衛隊長が年端もいかない少女に手を出したとかいう噂が城内を駆け巡ることとなった。