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アコ様の秘密のメモ帳  作者: エシナ
ACT1 - A pianist's birth unknown episode.
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第2話 - 華麗なるへんt……隣人達 【前編】

 気付いたことがある。


 サイモンとトロイは親友のようだけれど、時々、トロイがサイモンを見る目が熱っぽい。

 カーチスは、じゃれる振りをしてアンセルムの肩やら腰やらを艶かしい手付きで触ることがある。

 食堂から出て行くグリフィスをじっと目で追っていたハイラムが、数秒後、視線を落として溜息を吐く。


 今日も目撃してしまった彼らの気になる動向を、わたしはメモ帳に書き付ける。




-*-*-*-*-*-*-




 遡ること、2日前。



「取り乱して申し訳ございませんでした。この通りですのでどうかクビだけは勘弁してください」

「クビ……? 解雇のこと? そ、そんなことしないから、ね! 立ってっ!」

 事務室らしき場所から、騎士棟の女中専用の宿舎にあるメリクールさんの部屋に、シュリの手によって放り込まれた後。

 正気に戻ったわたしは、上司となるメリクールさんに全力で土下座をしていた。

 思えばあの青髪美形青年は、室長とか何とか言っていたので多分偉い人だ。そんな人の胸倉を掴んで喧嘩を売ろうとしていたとは……放り出されても文句を言えない。

 けれど、怒り発動してからシュリに取り押さえられて部屋に連行されるまでの一部始終を見ていたメリクールさんは、しゃがみ込んで、床へとへばり付くわたしの肩をそっと掴んで起こしてくれた。

 鳶色のおさげ髪。同じ色の瞳。

 少し面長の彼女の顔が、にこりと笑みを浮かべる。

「あれはジークベルトさんが悪いわ。女性の年齢をきちんと確認しないであんな事を言うなんて。だから、気にしないで、ね?」

 わたしは彼女を女神様かと思った。後光が差しているようにすら見える。

 こんな人が上司だなんて、わたしは幸せかも知れない。

 わたしは感動しながら、促されるまま立ち上がった。

「あたしはメリクールよ、メルって呼んでね。なかなかハードだけど、今日から宜しくね」

「はいっ、宜しくお願いします! アコと申します!」


 今日は諸々の説明や制服のサイズ合わせ、顔見せなどをするだけで、実際に業務に入るのは明日からとのこと。

 騎士棟について、わたしはメルさんから説明を受ける。


 騎士棟には6つの宿舎があり、第1~第5宿舎までは一般騎士、第6宿舎は立場のある騎士が利用している。

 宿舎は各隊毎に区分されていて、要するに、第1宿舎を利用しているのが第1部隊。全部で5つの部隊があるということだ。

 各部隊はおよそ200名前後で構成されていて、そのうち第6宿舎を利用する隊長・小隊長格の人を除いても、ひとつの宿舎にはおよそ180~190名程度の騎士が居る。隊長格の人達を合わせれば、その数およそ千。

 そんな騎士棟の掃除、洗濯、食事の後片付け手伝い、起床号令、その他細かい雑用などを、11名の女中スタッフで回していたらしい。わたしを入れても12名。メルさんの言葉通り、なかなかハードそうだと思った。

 わたしとメルさんは、主に第5宿舎を担当することになるとのこと。

 5つの部隊の中で最も若者達の集まる……要するに、一番経験の浅い下っ端部隊ということだ。ちなみに、基本的には部隊の数字が若くなるにつれて経験も実力も上になっていくらしい。


「各隊は幾つかの小隊で編成されていて、小隊長が各隊に9名。その上に隊長。5つの部隊を統括するのが、総隊長のサー・アルノルト様ね」

 アルノルトという聞き覚えのある名前に、わたしは数時間前の出来事を思い出した。

 厳つい、けれども穏やかな眼差しの、灰色の髪と瞳の中年男性。そんなに偉いお方だったとは。

 メルさんは説明をしながら、既に準備していたという女中の制服を手渡してきた。彼女も着ている、落ち着いたクラシックメイド風の服。それにしても、本当にここの人達は仕事が早い。

 サイズを合わせるというので、わたしはもそもそと着替えを始めた。

「それにしても、貴女、シュリさんの知り合いだったの?」

「知り合いというか……昨日、ちょっと危ないところを助けて頂きまして。働き口探してるって相談したら、こちらを紹介してくれたんです」

「そうだったの。貴女のこと随分気に掛けているようだったから、特別な知り合いなのかしらって思ってたの」

 特別……というか、特殊ではあるだろうけれど。わたしをこの部屋へと放り込んだあと何処かへ行ってしまったシュリの顔を思い浮かべる。

 そういえば。

「シュリって、隊長って呼ばれてたみたいなんですけど、騎士隊の隊長さんってことなんでしょうかね」

「あら、本人は何も?」

「は、はい……」

 あらあら、と、メルさんは口許を押さえて少し驚いた様子を見せる。

「5つの部隊とは別隊でね、11名の騎士で編成される“アルス・ノーヴァ親衛隊”っていう部隊があるの。国の親衛隊の名を冠するだけあって、完全に実力主義で構成されていてね。宿舎ではなく城内に個室を与えられていて、位置的にはアルノルト様の直属っていうことになってるけど、様々な権限も与えられているのよ」

 とてつもなく嫌な予感がした。

 予感というか、もはや確信というか。

「……えっと、要するに」

「シュリさんは、そのアルス・ノーヴァ親衛隊の首席。隊長なのよ」

 さあっと血の気が引いていく。

 要するにわたしは、この国一番の騎士……権限的にはナンバー2? の胸倉を掴んで揺さぶって脅迫したという訳か。

 ……う、打ち首になったりしないでしょうね……

 背中に嫌な汗が流れるのを感じながら、制服のブラウスのボタンを掛けていく、と。

 ぐいぐい。

 いくら引っ張っても届きそうもない。

 仕方がない。背や肩幅に合わせて服を選ぶと、大概こうなる。

「メルさん」

「ん?」

「ブラウスのボタンが閉まりません……」

 あらあら、と、メルさんは先程よりも大きく目を見開いてわたしの胸元を見た。

 胸元の開いたロングタイプのワンピースは丈も含め丁度良いサイズだけれど、中に着るブラウスの第二ボタンがどう頑張っても掛けられない。

 メルさんは自分の胸とわたしの胸をまじまじと見比べ……わたしの胸に、下からそっと手を添えた。

「まあまあ」

 彼女は微妙に楽しそうな表情で、私の胸を持ち上げたり揺らしたりする。

「随分と立派なものをお持ちで。正直、わたしも最初は貴女のこと未成年だと思っていたけど、これで未成年は流石に無理があるわねぇ」

「は、はぁ……あの、もう少しサイズの大きなものは」

「大丈夫よ、他の丈はぴったりだから、明日までには直してあげるわ」

「お手数お掛けします」

 メルさんは未だわたしの胸を弄んだままだ。触ってそんなに面白いものなのだろうか。


 コンコン。

 丁度その時、部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。

「はい、どうぞ」

 メルさんがほぼ無意識的に返事をする。

 いえ、あの、ブラウスの前ががっつり開いているうえにメルさんに胸触られてるままなのですが。

 なんて思ったけれど、遅かった。

 ガチャリと扉が開かれ、開いた状態のまま、部屋を訪れた人物が硬直する。

 野生的な緋色の髪と、同じくらい真っ赤になった顔。部屋を訪れたのは、よりにもよってシュリだった。

 下から胸を揺らす手付きは止めないまま、メルさんが「しまった」というような表情を作る。そこまで夢中になっていたというのか。

 シュリは硬直していた視線を不自然に横に泳がせて、ずりずりと後退し始めた。

「わ、悪ぃ。邪魔はしねぇから、終わったら呼んでくれ、ここに居るから」

 ぱたん。

 扉が閉じられる。

 終わったらって、何が。

「ご、ごめんなさいね。つい夢中に……」

「い、いえ……」

 ほほほ、と、ばつが悪そうに笑うメルさんを前に、わたしは素早く元の服へと着替えた。

 それを確認してから、メルさんは慌てて扉へと駆け寄り、開く。

「大変失礼致しました」

「お、おぅ、もう良いのか……?」

「ええ、大丈夫です。何かありましたか?」

「ああ、ちょっと、アコ借りて行っても大丈夫か?」

「一通りの説明は済んでいるので、夕方まででしたら」

「そうか。じゃあ、アコ、ちょっと行くぞ」

「え? う、うん」

 首を傾げつつも、メルさんに行ってきますと告げて、わたしは付いてくるよう促すシュリに従って部屋を出た。



 城へ来た時のように、彼の斜め後ろにくっついて歩く。

「あ、あの、隊長殿」

 緊張しながら恐る恐る声を掛けると、シュリはちらりと振り向いた。

「なんだ、もうバレたのか」

「はは、あの、本当に昨日から重ね重ねご無礼を働きまして申し訳もなく」

 もしかしたら本当に打ち首とかかも知れないと思い、とりあえず謝ってみる。

「今更だろ」

 笑ってそう返してくるシュリに、わたしは内心安堵した。とりあえず、罰則とかの類では無いらしい。

 女中さんの宿舎を出て、城内へ戻って。

 わたしの記憶が正しければ、どうやらシュリは、城の入り口の方へと向かっているようだった。

「どこに行くの?」

「ああ」

 入場した時と同じように門番さんへ軽く挨拶して城門をくぐり、跳ね橋を渡る。

「お前、何も持ってないんだろ。買い物だ」

「買い物って、わたしお金……」

「気にすんな」

「いやそういう訳にもですね」

「買い物させられることもあるだろうから、場所教えんのも兼ねてんだよ」

「……じゃあ、お金は出世払いとして……シュリ」

「何だ」

「親衛隊隊長殿って、暇なの?」

 ぴたり。シュリは足を止めて振り返り、目を眇めてわたしの鼻を軽く摘んだ。

「ふひゃ、あにすんろよ」

「俺は、一応、今日まで休暇なんだよ。暇な訳じゃねーの。判ったか」

「わ、わあったはら、はなひてよ!」

 ふん、と息を吐いて、シュリはわたしの鼻を解放して軽く弾いてから手を離す。

 全く、低い鼻が更に潰れたらどうしてくれるのか。

 わたしは鼻を擦りながら内心毒づいて、すたすたと歩き出した彼の後に再び続いた。

「シュリ」

「何だよ」

「ありがとう」

「おう」




-*-*-*-*-*-*-




 シュリは自分が休暇であったにも関わらず、城の者がよく利用する店舗を中心に、城下を軽く案内してくれた。

 その際、衣類やら生活用品やらも一通り買って貰う。無理矢理出世払いを取り付けたとはいえ流石に気を遣って、必要最低限だけれど。

 ……勿論、約束の飴は買って貰った。

 その後、夕方頃に城へと戻ったわたしは、仕事の早いメルさんが既に直してくれていた女中の制服に着替えて、女中の先輩方と顔合わせ。

 皆良い人そうで時間さえあれば色々教えてくれて、翌日から実際に就業して、本日で就業2日目。


 ぱたん。

 わたしはメモ帳を閉じて、万年筆のようなペンと一緒にポケットにしまい込む。

 このメモ帳もペンも、シュリに城下へ連れて行って貰った際に買ったものだ。元の世界で使っていたものよりは紙の質が悪くてざら紙のようだけれど、わたしの観察記録を書き込むのに、紙の質など関係無い。

 ちなみに、わたしの人生の必需品のひとつであるポケットサイズのメモ帳に関しては2冊。日記用にノートサイズのものを1冊買って貰った。

 メモ帳は1冊が仕事関係のことを書き込む用で、もう1冊が、先にも述べた通り観察記録用。

 わたしの密やかな趣味である、人間観察にて収集した情報を書き込む為のものである。


 騎士団の宿舎は男の園。

 汗臭い。汚い。騒がしい。

 掃除をしていれば綺麗にした傍から汚す。

 際どい格好で部屋から飛び出してくる。

 酔っ払って絡んでくる。

 ちっちゃいちっちゃい言われ撫でくり回される。

 それに、食事は調理担当のスタッフが別に居るけれど片付けは女中がするので、洗わなければならない皿の量は半端ではなく、洗濯物の量も然り。水仕事が多いので手も荒れるだろう。実際、年季の入った方の手はガサガサだった。

 騎士棟の女中は希望者が少ない、もしくは騎士という単語に夢を抱いて意気込んで来てすぐに幻滅して辞めてしまうという、他の女中さん達の話も頷ける。

 まだ就業2日目だけれど、わたしは1日目にして悟った。

 何か娯楽でも見つけなければやっていられない。

 主に、ち……ち、ちっちゃい、という禁じられた単語の連呼に耐えられない。


 そこで、兼ねてからの趣味でもある人間観察という訳である。

 わたしの観察記録の事細かさは、元の世界でも、友人に「よくやるわね……」と呆れられたほどだ。そうして収集した情報で、色々と想像するのがまた楽しい。

 妄想を実現しようとすれば犯罪者と呼ばれることにもなろうけれど、頭の中に留めておくだけならば自由だ。

 あくまで本人に指摘もしないし、気付いた動向を書き留めておくだけで、詮索もしない。

 我ながら崇高な趣味である。人に理解されたことは無いけれど。

 ちなみに騎士棟は男の園なので、メモ帳の内容は男達の怪しげな動向ばかりになる。妄想も自然、ソッチ系に。

 特にソッチ系が好きという訳では無かったけれど、妄想するだけなら、それはそれで楽しいものだ。


 そうして観察をしていて、気付いたことがある。

 騎士達の動向を窺うかのような、見守るかのような、静かな視線を注ぐ主の存在に。




 戦争のような朝食後の後片付けを終えた後、わたしは今日の洗濯物がたっぷりと積まれた大きなカゴを抱えながら第5宿舎内を歩いていた。

 朝食後、騎士達は屋外鍛錬や講習会、城下の見回りなどに出掛けてしまうので、宿舎内に騎士の姿は無い。

 洗濯物は、カゴを腹の辺りで抱えて前がぎりぎり見えるくらいの量だ。汗臭さが鼻をつく。

 ちなみに200名近い若者騎士達の洗濯物の量がこんなカゴ1個分な訳もなく、屋外の洗濯場と宿舎内の洗濯物置き場を何度か往復しなければならないので一苦労である。

 と、宿舎から出た辺りで、食指が動く光景に遭遇した。

 宿舎の外壁の端に張り付いて身を隠し(こちら側からは丸見えだけれど)、向こう側を息を潜めて窺っている人物を発見。

 洗濯物を置いてそっと近付き、その人物が見ているであろう光景を目で追ってみる。

 どうやら屋外鍛錬へと向かう途中らしい2名の騎士。片方はハイラムで、彼が緊張気味に話し掛けているのがグリフィスだ。会話の内容までは聞こえないけれど、話し掛けられたグリフィスは気さくな笑顔を返しながら応答している。

 遂に勇気を出して声を掛けたのか。内気と鈍感の組み合わせっぽかったので心配していたけれど、良かった良かった。

 メモ帳を取り出してペンを走らせながら、わたしはその光景に夢中になっている人物に話し掛ける。

「ハイラムさん、よく勇気を出しましたね。見守る方はハラハラものでしたが」

「そうなのよ。もう、じれったくてじれったくて。グリフィスも鈍感だから視線に全く気付く様子も無いし」

「今朝もじっと見てるだけでしたもんね」

「ほぼ毎朝あんな感じだったのよ。けど、ようやく……って、えええええぇぇえぇ!?」

 ぴゃっ、と肩をそびやかして、その人物……メルさんは驚愕の表情でわたしを見た。

 自然に応答していたけれど、わたしの存在にはたった今気付いたご様子。それほどまでに夢中になっていたらしい。

 赤くなったり青くなったりしているメルさんに、わたしはニヤリと笑みを向けた。


「気付いていましたよ。メルさんが騎士達へ向ける熱い視線に。貴女……彼らを観察して妄想するのが大好きでしょう!」


 びしっと指を突きつけて宣言する。

 そう、あれは決して騎士に対する憧れだとか、気になる人がいるだとか、そんな青春的な匂いのする視線では無かった。憧憬で続けられるほど生易しい職場でも無い。

 言わばわたしと同種。崇高なる観察趣味の持ち主の眼差し。

 自信を持って断言出来る。


 メルさんは衝撃を受けてふらりと数歩後退した。

「そ、そんな……来て数日の貴女に見破られるなんて……私……」

「いえ、傍から見ればそれほど判り易くは無いでしょう。わたしが見破ることが出来たのは、恐らく、同類だったからに他なりません」

「ど、同類?」

 YES同類。

 わたしは真摯な眼差しを、メルさんへと向ける。

 彼女はわたしの視線と言葉の意味を一瞬で理解したようで、その表情がきらきらと希望に満ち溢れたものへと変化していった。

 わたし達は歩み寄り、がっしりと右手を組んで頷き合う。深い絆が誕生した瞬間であった。

「貴女の観察眼に期待しているわ」

「はい。時々情報交換しましょう」

「勿論よ」

 理解も早ければ切り替えも早い。我が盟友に相応しきなかなかの猛者のようだ。

 けれども現在は仕事中のため、お互いの成果について語り合うべき時では無い。午後の休憩中か、同室なので夜か……機会は沢山あるだろう。

 わたし達は気合を込めた視線とジェスチャーでお互いを励まし合い、それぞれの仕事へと戻った。




 メルさんは宿舎内の清掃当番で、わたしは洗濯物当番。

 基本的にはひとつの宿舎に女中2名しか付けないため、午前中はその2つの業務をそれぞれが受け持つ。広さが広さ、量が量なので、それらの作業をしているだけで午前中はだいたい潰れる。

 お昼少し前から昼食の準備を手伝って、昼食時間を切り抜けたら片付け、食堂の清掃。

 それが終われば、特に申し付けられている雑用が無ければ夕方まで休憩。

 夕方からは洗濯物を取り込んで畳み、湯殿の準備をし、その後は夕食の準備を手伝い、片付け。

 女中の1日の業務の流れは、だいたいそんな感じだ。

 ちなみに食堂も洗濯場も宿舎ごとに用意されている辺り、人数の多さと広さが判る。

 昨日は午後の休憩中、メルさんに騎士棟を中心に城内を色々と案内して貰ったけれど、当然ながら1日そこそこで把握し切れるような広さでは無かった。


 第5宿舎用の洗濯場に備え付けられた大きな桶に洗濯物と洗剤をぶち込み、井戸から汲んだ水を入れる。

 洗濯機なんて無いから無論手洗い……もとい踏み洗いだ。

 気合を入れてスカートの裾を膝上まで捲くって縛り、素足で桶に足を入れる。一通り軽く踏んだだけで汚れが滲み出て水が濁った。

 これを何度か繰り返して綺麗にしていくのだけれど、気候も暖かいのでなかなか清々しい気分になれる。

 冬場だと厳しそうだけれど、そういえば、そもそもこの国に四季はあるのだろうか。


「頑張っているようだね」

 そんなことを考えながら洗濯物を踏み付けていたら、遠くから声を掛けられた。

 顔を上げた視界に入って来たのはくすんだ銀色と緋色。総隊長アルノルトさんとその後ろへと従うシュリが、こちらへと近付いてくる。

 通りがかりにたまたまわたしが居たので話し掛けましたという雰囲気。総隊長や親衛隊隊長がこんな場所を通ることもあるのか。わたしは慌てて佇まいを直そうとしたけれど、そのままで良いと促された。

「まだ2日目だがなかなか機敏に動いてくれるので助かると、他の女中諸君も言っているよ。結構なことだ」

「あ、ありがとうございます」

 桶の中に立ったまま、わたしはぺこりと頭を下げる。

 得意分野を褒められるのは、純粋に嬉しい。

 と、わたしの足元へと視線を落としたアルノルトさんが、何故か頬を赤らめた。

 恋する乙女のように狼狽してもじもじする総隊長。先程までの厳格な雰囲気は何処へやらである。厳ついおっさんに一体何が起きたのか。

 内心ちょっと引いていると、今度はぐりぐりと頭を撫でられた。

「うむ、うむ。この調子で頑張りたまえよ。何か困ったことがあったら私に言うのだぞ」

「は、はぁ……」

 気が済むまで頭を撫でたアルノルトさんは、はっはっはと笑いながら去っていく。

 若干乱れた髪を撫で付けながら、わたしは困惑した。

「えっと……? どうしたの、総隊長は」

 去って行くアルノルトさんを目で追っていた呆れ顔のシュリに話を振ってみる。

「あー……」

 半眼の表情はそのまま、シュリは総隊長、わたしの足元、わたし、の順に視線を巡らせ、言った。

「あのおっさん、最近色気付いてきた娘に先に風呂に入らないでだの洗濯物を一緒に洗わないでだの散々言われてるみたいだからな。同じ年頃のお前がおっさんの洗濯物洗ってくれてたから、嬉しかったんだろ、多分」

 なるほど、この世界にも父と娘の悲しいエピソード的なものは存在するのか。

 多分まさに今わたしが踏んでいる下着辺りが総隊長のものだったのだろう。何となくおっさんっぽい柄だし。

 何故第5宿舎の洗濯物に総隊長のものが混ざっているのかは謎だけれど、上層の人達の物は当番で各宿舎へ回されるとか何とか女中の誰かが言っていたような気もするし。

「構ってくれない娘とわたしを重ねてしまったのね。ちなみに娘さんって幾つなの」

「じゅうさ、ぶっ!」

 言い終える前に、わたしは総隊長のものらしき洗いかけの下着をシュリの顔面に叩き付けた。




 そそくさと逃げてしまったシュリに注ぎ切れなかった怒りを洗濯物へとぶつけながら、洗濯を終える。

 広い物干し場にずらりと洗濯物が並んだその光景はなかなかに壮観で、やり遂げたという充足感もあった。

 額の汗を拭い、井戸の近くへと置いたカゴの回収へ向かう。


 その時、視界に何か輝くものを捉えた。わたしは眩しさに目を眇める。

 きらきらと輝くそれの正体が人間の髪だという事実に気付くのに、少し時間が掛かった。

 アルノルトさんの灰色がかったものとは違う、正真正銘の銀髪。

 その持ち主は井戸の縁に上品に腰を降ろして、穏やかな表情でこちらを見ている。

 深い深い紅の瞳と目が合うと、銀髪の持ち主でる彼女はにこりと微笑んだ。優しさの中に艶やかさの混じったその笑顔に、同性だというのに心臓がどきりと跳ねる。

 ゆっくりと、これまた上品に立ち上がった彼女は、修道女……いわゆるシスターさんを彷彿させる服を纏っていた。

 足首まで長さのある質素な黒のローブ。だというのに、女性らしい彼女の身体のラインがはっきりと判って、妙な色気を湛えている。

 胸も恐らくはわたしより大きくて、女性にしては背も高かった。

 そのうえ見たことも無いような美人。女性の理想形と言っても過言では無いとすら思える。

 静かに歩みを進める度に揺れる長い銀色の髪は、さらさらと音が聞こえてきそうな程に滑らかだった。

 そんな光景に見とれているうちに、彼女はわたしの目の前まで歩み寄ってきて、ぴたりと足を止める。

「初めまして、騎士棟の新入りさん」

 微笑んで少し首を傾けた彼女の声は、涼やかで大人の女性的な魅力があって、彼女の外見に良く合っていた。

 壮絶な光景に、心臓のざわめきが収まらない。

「は、初めまして!?」

「わたくしは王国客員魔術師のサリアと申します。貴女のお名前は?」

「あ……亜己と申します」

「まあ、可愛らしいお名前」

 心臓を落ち着かせる努力をしながら答えるわたしに、サリアさんと名乗ったその女性は再びうっとりするような微笑みを浮かべた。

「お見掛けした時から、ご挨拶がしたくて機会を伺っていましたの。宜しければご一緒にお茶でもいかがですか?」

 こげな美人がわたしなんかにわざわざ挨拶とは、奇特過ぎる。

 折角なのでご一緒したかったけれど、生憎ながら、これから昼食の準備手伝いに取り掛からなければならない時間だ。

「えっと、ごめんなさい、まだ仕事が……」

 まあ、と言ったサリアさんは、非常に残念そうな表情を作る。

「お昼の仕事が終わったら、休憩が取れるかも知れないんです。そ、その時でも良ければっ」

 胸を衝いた言い得ぬ罪悪感に、わたしは思わずそう答えていた。サリアさんは嬉しそうに表情を綻ばせる。

 ……いちいち心臓に悪い人だ。

「では、その頃にお迎えに伺いますわ。楽しみにしていますので」

 そう言って一礼し、サリアさんは何処かへと去っていく。

 それを見送ってから、わたしは重ねたカゴを抱えて第5宿舎へと戻っていった。

 準備がてら、休憩中にお茶の誘いに乗っても良いかメルさんに聞いてみよう。そんなことを考えながら。

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