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アコ様の秘密のメモ帳  作者: エシナ
ACT1 - A pianist's birth unknown episode.
21/26

第8話 - アルス・ノーヴァのピアニスト 【Ⅱ】

「アコ先生、どうしたの? ぐあいがわるいの?」

「ええ、ちょっと精神を病んでおりましてね……」

「まあっ、たいへんだわ! おねえさま、お医者さまをお呼びしなければ!」

「心配なんてしなくても大丈夫よ、ローザ。アコのそれは自業自得の結果なのだから」

「じごうじとく、ですか?」

「ええ、そうよ。言い付けを守らない悪い子は、そういう目に逢うの。ローザも気を付けなければ駄目よ?」

「はい、おねえさま。先生、言い付けは守らないとだめですよ?」

「……今後は充分に注意させていただきます……」


 ううっ、リーゼ様め……人が言い返す気力も無いのをいいことに、幼子に好き放題吹き込みおって……

 そうは思うものの、わたしは力なくピアノへ寄り掛かった状態から復活することが出来ない。

 自業自得なのも本当だから、言い返すことも出来やしないってのが真相なんですけどね!


 昨日。

 シュリにとっ捕まえられたわたしは、所用で一度城へ戻るところだったのだという彼に強制送還させられ、ジークさんに引き渡されてしっかりと説教を喰らった。

 表情は笑顔だというのにその淡々とした口調に、やけに圧迫感のある気配に。ジークさんが怒り心頭なのだということをひしひしと思い知らされながら正座で耐えること数時間。精神も疲弊しまくるというものである。いっそ一思いに止めを刺してくれと何度思ったことか……


 そんな恐怖体験を振り返っていると、くすくすと笑いながらエリアスさんが近付いてきた。

 この人もリーゼ様同様、昨日のわたしの事情を知る人である。

 何せ、正座で縮こまって容赦なく精神攻撃されるわたしを、ふたりして助けもせずに遠目で眺めて笑っていやがりましたからね……ううっ、畜生……


「これでステージの外に音が漏れないようになったから、練習してみるといいよ」

「……ありがとうございます」


 ピアノへ寄り掛かったままでは練習も何も無いので、わたしは何とか立ち上がって鍵盤の方へと向かった。

 気を取り直して適当に鍵盤を押すと、その音は、なかなか綺麗に周囲へと響く。

 これならば本番の時も、問題なく会場全体へとこのピアノの綺麗な音を届けてくれるだろう。


 現在わたしは、リーゼ様、ローザ様、エリアスさんと一緒に、本日の晩餐会会場である城内ホールのステージ上に居た。

 昨日のうちにピアノは運搬してもらっていたので、これからリハーサルも兼ねて練習という訳である。

 エリアスさんが同行しているのは、会場内の魔術的な警備の最終調整がてら、わたし達の護衛をする為だ。城内であれ、今は国外の人々も頻繁に出入りしているので、念には念をということらしい。

 ちなみにステージ上に防音の魔術を施したのは、晩餐会会場準備にあたる人達の邪魔にならない為だ。

 今夜の準備の為、ホール内のステージ下には数多くの女中さんや厨房スタッフさん達が慌しく行き交っている。そんな中、ステージから突然聞いたこともないような音が……音楽が聞こえてきたら、気が散って仕事の手が遅れてしまうだろう。

 ステージ下を見ると、王女様おふたりと客員魔術師様のお姿が気に掛かるのか、ちらちらとこちらへ視線を向ける者はあれど、仕事の手を止めるまでには至らない。本当にこちらの音は聞こえていないようなので、これならば安心して練習が出来るというものである。


「じゃあ、ローザ様から。一度最初から通して弾いてみましょうか」

「はいっ」


 緊張を含むもののやる気溢れるローザ様の返事を皮切りに、わたし達は練習を開始した。






 午前中いっぱいを練習とリハーサルに費やした後は、昼食を取る。

 今日はローザ様のご提案により、リーゼ様とわたしと三人での食事だ。

 平時はなるべく一緒に食事を取るようにしているという王族一家。今日は女王様や彼女達のお父様はお忙しいらしく時間が合わなかったので、三人だけだったのは助かったのだけれど。庶民体質なわたしは、普段は一緒に食事をしているジネットさん達に給仕をされながらというところに、何とも居たたまれなさを感じてしまった。

 まあ、食事は美味しかったし、美人に囲まれてもいたので、目もお腹も満足ではある。



「アコは午後はどうするのかしら?」


 食後のお茶を頂きながら歓談していると、ふいに、リーゼ様がそんなことを口にした。

 午後は、夕方から晩餐会用のお着替えなど準備があるだけで、それまでは自由時間ということになっている。

 城下でも色々と催しがあるらしいし、出来れば見物にでも繰り出したいものだな、と。

 そんなことを考えていたら、わたしの正面へと座っていたローザ様が、テーブルに両手を突いてこちらへと身を乗り出してきた。


「もしご予定がないのでしたら、わたしたちとご一緒にお出かけしませんか!?」

「ローザ。少しはしたないわよ」

「ご、ごめんなさい、おねえさま」


 リーゼ様に軽く咎められ、きらきらと輝いていたローザ様の表情がしゅんとしぼむ。

 けれど、元の位置に着いてからも、わたしの返答を窺うかのように上目遣いでこちらに視線を向けてきた。ほんのりと頬まで染めて……どうしたもんだろうか、この可愛らしさ。

 しかしですね。


「お出掛けって、どちらへ?」


 正直、王族関係の催しならば遠慮したいところである。

 率直に疑問を投げると、王女様おふたりは一度顔を見合わせてから、悪戯っ子のような眩しい笑顔を一斉にこちらへと向けてきた。






 そんな訳で。

 現在わたし達は、観光客やら商売人やらで賑わう城下街を歩いている。

 わたしの右側に並んで歩くのはリーゼ様。わたしの左腕を取りながら、嬉しそうに催し物についてなど様々な説明をしてくれるのはローザ様。

 両手に花とはまさしくこのこと。後ろにでっかい付き人がふたりも付いていなければ、完璧なのだけれど。


「……昨日みたいに護衛を振り回さないでくださいよ」


 付き人その一がぼそりと呟いた。

 まるで昨日のわたしを見ていたかのように。どうせ赤毛隊長殿から釘を刺されていたのだろうけれど、付き人その一……グレン青年に言われると、何だか腹が立つ。

 本日彼は、わたしの動向に合わせて護衛の任務などにも着けるよう、城内勤務をしていたらしい。

 グレンの言を要約すると、わたしの護衛に慣れていると判断されて白羽の矢が立ったのだとか。何とも貧乏くじ……いやいや。王女様達の護衛も兼任できるのだから、王国親衛隊としては光栄なことに違いない。


「万が一無茶な行動をしたらお仕置きするから、そのつもりでね」


 穏やかな口調でそんなことを口走った付き人その二は、リハーサル時から継続してエリアスさんである。

 彼はわたしというよりは、王女様達のお目付け役兼護衛として、今日一日付き添うことになっているらしかった。

 夕方からはまた、わたしも込みでの晩餐会会場全体の警護任務にあたるようになるのだとか。イベント中は自由な時間も殆ど取れないようで、なかなか大変そうである。サリアさんも他の方の護衛などをメインに、昨日からずっと奔走しているようだ。

 お陰でサリアさんに絡まれないのは幸いなのだけれど、今日はほぼずっとエリアスさんと一緒か……彼が護衛の筈なのに、何やら身の危険を感じてしまう。

 彼のお仕置きとか恐ろしくて想像もしたくないので、一緒の間は絶対に無茶などしませんとも。恐らく貞操の危機ですからね、ええ。


「まあ、エリアスさま。おしおきだなんて、アコ先生にあまりひどい事をしてはだめよ」


 ローザ様がわたしの腕を掴んだまま振り返り、エリアスさんの言に対して抗議の声を上げる。なんて心優しいんだ、この子は……

 そんな純粋にわたしを庇ってくれる幼子に対し、彼はにっこりと神々しい笑顔を向けた。


「痛いことはしませんよ。むしろ気持ち良いと思いますので、ご心配には及びません」

「おしおきなのに気持ちがいいの?」

「ええ、ロザーリエ様も大人になればきっと判る時が来るでしょう」

「まあ……アコ先生、どのようなおしおきなのかしら?」

「ごめんなさいローザ様。わたしには全く理解出来ませんし、彼の言葉に耳を貸してはいけません」


 良い笑顔で幼女に一体何を吹き込むのだ、この男は。

 ローザ様には清らかで優しいお心のまま育って欲しいという、わたしのささやかな願いを打ち砕くつもりなのだろうか。

 成長を阻害する変態を視界に入れないようにと。ローザ様に前を向くよう促しながらちらりと右側に視線を遣れば、清らかな精神的ご成長をなさらなかった彼女の姉は、視界に彼女の琴線に触れる男同士のドラマ的光景を発見したらしく、瞳をきらきらと輝かせてそちらを凝視している。

 もう、リーゼ様は好きなように生きたらいいと思う。


 ちなみに王女様達の我侭が発端であるらしいこの城下見学は、いわゆるお忍びというやつである。

 そのため、彼女達は元より、エリアスさんもグレンも、一応わたしも一般市民風に変装をしていた。

 一般市民風と言っても……

 王女様達は良家のお嬢様っぽいワンピース姿で、唾の広めな帽子を被っていても、隠し切れない上品さと美しさを漂わせている。

 グレンも市民風の普段着を纏って髪型を変えているけれど、腰には剣を穿いているし、城下のおばちゃん方に人気のある彼のことだ。見る人が見れば、城の関係者だと一目で判るだろう。

 エリアスさんに至っては、城下に殆ど足を運ばないらしく、服装を変えただけである。彼は魔術師の特徴も手伝って、非常に目立つ。何せ黙っていればそこに居るだけで神々しいのだ。

 ……要するに、全然忍べていない。

 わたしを除く全員が、周囲の目を引きまくっている。

 何せ4人とも美形ですからね! きらっきらとしたエフェクトを放ちまくっていますからね! 特に王女様達とエリアスさん!!

 平凡なわたしが混じっていても、緩和などされよう筈もない。

 まあ、流石にレベルが高すぎて、声を掛けてくるような猛者は居ないようなのが幸いだけれども。注目されまくっているというのがなんとも居たたまれないのだ。庶民精神の持ち主としては。

 当の本人達は全く気にも留めていないご様子ですけどね!

 ちなみにわたしは一般的な街娘の服を着て、普段はツインテールにしている髪を下ろしている。

 わたしひとりだけなら、絶対に市井の風景に溶け込める自信があるのだけどな……


 と、哀愁を漂わせている場合ではなかった。

 わたしは、前方を指差して一生懸命に催し物の説明をしてくれるローザ様へと意識を向け直す。


「騎士の祭典なので、騎士に関係するおみやげが多いの。伝統的なものは、盾や剣の形の置き物や装飾品。あとは、各国の旗のかべかけなどかしら」

「ほうほう」


 説明に相槌を打ちながら周囲の出店を見ると、確かにローザ様の仰る伝統的なお土産品を売っているところをよく見掛ける。

 実に雑多な出店があるけれど、伝統的なもの以外では、やはり食べ物の出店が多いようだった。

 屋台フード好きの血が騒ぐ。

 けれど、王女様達もご一緒だし、何よりエリアスさんのお仕置きを受ける訳にはいかないので、この騒ぐ血を開放することは出来ないであろう。

 幸いなことにお昼ごはんを食べたばかりだったので、何とか抑制出来そうだった。非常に残念だけれど。

 ……残念だけれど。


 そんな風にして歩いていると、ふと、足元が目に留まる。

 色とりどりの花びらが、何だかやたらと落ちているような気がするのだ。

 そういえばそこかしこに、籠を片手に道ゆく人に一輪の花を配っているお嬢さんが居る。

 何なのか訊ねようとしたら、丁度良いタイミングでローザ様が説明を始めてくれた。


「それから、アルス・ノーヴァでは毎年“花流し”が行われるの。今年は、合同えんしゅうの日に合わせて行われることになったのよ。色んなところで、お花をくばっているでしょう? あの花にお祈りをこめて、水路や川に流すの」

「花に、祈り……?」

「ふつうは、身近なひとのしあわせや、自分のゆめが叶うように、お祈りするわ。けど、どんなお祈りでもいいのよ」


 アルス・ノーヴァは水の豊かな国で、城下街の各所に大小様々な噴水があり、水路が引かれている。

 世界的に辺境以外はほぼ上・下水道環境は整っているけれど、整備が一番進んでいるのがこの国で、それゆえにいつからか“花流し”のお祭りが催される風習が出来たのだそうだ。

 かつては故人を悼み弔うために行われていたのが、時代が進むにつれ、明るい方向へとその趣旨を変えていったのだとか。

 今年は合同演習の日程と重ねたために、例年よりもたくさんの花が配られ、流されているらしい。

 言われて意識的に水路の方を見れば、正に花を投げ込んでいる人々の姿が目に入る。水路にも、水面を埋め尽くさんばかりの花が浮かべられ、ゆるやかな流れに運ばれていく。

 あの花のひとつひとつに誰かの祈りが込められているのかと思うと、なかなか見事な光景だった。

 ふと。

 わたしは自分の世界の、灯篭流しの風習を思い出す。

 今は意味合いの違うらしい花流しだけれど、かつての意味合いは、灯篭流しと通ずるところがあるこの行為。


 ……例えば世界が違っても、おばあちゃんの魂送りをすることが出来るだろうか。



「アコ?」

「ほうわっ!?」


 ぼんやりとそんなことを考えていたら、いつの間にか目の前にエリアスさんの顔があって、驚いて飛び退いた。

 ……筈だったのに、たいした距離を開けられないまま、腰が何かにぶつかって退却を阻害される。

 どうやら斜め背後に立つエリアスさんに後ろから顔を覗き込まれ、かつ彼の腕が腰に回されて逃げられないような状況にあるらしかった。


「どうしたの? ぼんやりして」

「いやー、素敵な風習だなとですね!」


 とりあえず自分の両手を顔の前に差し出して簡易的な壁を作ってはみたものの、緊張で変な汗が滲んでくるのが判る。

 けれど、緊張するわたしを余所に、彼の表情には普段のセクハラ時のような意地の悪さは含まれていなかった。


「悼みたい人でも、居る?」


 ほんの微かに首を傾げながら、エリアスさんがそんなことを聞いてくる。

 わたしは思わず、中途半端に口を開いたままぱちぱちと目を瞬かせた。

 どうして、考えていたことが判ってしまったのか。そんなに表情に出ていただろうか。

 空恐ろしさを感じながらも、決して不快では無い。

 けれども、折角のおめでたいイベントの時に、故人の話をして気分を盛り下げさせることもあるまい。

 わたしは曖昧な笑みだけを返して、たいして強くも無かった拘束の中から、するりと抜け出す。

 と、いつの間にか離れてしまったらしいわたしの左手を追い掛けて、ローザ様が小走りで駆け寄ってきた。なんてお可愛らしい……!

 再びわたしの手を取る彼女に笑みを向けると、ローザ様も嬉しそうに満面の笑顔を返してくれる。

 こんなに可愛くて大丈夫か。誘拐とかされないだろうな!

 ローザ様に手を引かれ、きっと締まりのない笑みを浮かべているのであろうことを自覚しながら、わたしは城下街の通り見物を再開した。






 わたし達が向かっていたのは、円形闘技場の方面である。

 ゆっくりとした歩みで城下見物をしながらとはいえ、一時間もしないうちに、昨日も訪れたその場所へと到着した。

 この場所では、今日もとあるイベントが行われている。

 二日目のこれが、合同演習のメインイベントなのだというその内容は、各国の精鋭騎士による闘技会だ。

 昨日も集団での型や技の披露は行われたけれど、今日のこれは、純粋なる強者決定戦。一対一での対決で勝ち進んだ者同士が戦っていくという、いわゆるそういうイベントである。


 円形闘技場へ足を踏み入れると、既にトーナメントも後半へと差し掛かっていたようで、会場の熱気も最高潮だった。

 耳をつんざくかのような声援や雄叫びが、会場中のそこここから上がっている。

 わたしはその雰囲気に多少気圧されながらも、二階の貴賓席近く、通路の一番前を陣取った。昨日と同じように、手すりに掴まって寄り掛かることが出来る。

 ちなみに王女様方とエリアスさんは、貴賓席の方での見物だ。

 わたしも誘っては頂いたけれど、他国の重鎮の方々もいらっしゃるようだったし、やはりと言うか何と言うか……

 しょ、庶民体質なので勘弁してくださいというやつである。

 その代わり、壁を隔てて貴賓席というすぐ近くに居るよう申し付けられたので、この場所という訳だ。帰りもご一緒することになっているので、あまり勝手な行動も取れないのである。

 こんな守りにくい場所で、と、わたしの護衛担当のグレン青年が隣でぼやいているけれど、そんなもんは黙殺だ。



「まあ正直、俺も貴賓席で護衛なんて緊張して居たたまれなかったでしょうけどね」

「なら文句を言いなさるな、若者よ」


 ぶちぶちとぼやいていたくせにそんなことを言いなさるグレン青年に、一応ツッコミを入れておく。

 それから会場へと視線を落とすと、どうやらこれから誰かの試合が始まるところらしかった。

 ごつい全身鎧で槍を構える人と、銀色の比較的軽そうな鎧で長剣を構える人。どちらも他国の騎士なのだろう。拡声器を使って進行の人が呼び上げたその名前は、知らない名前だ。

 尤も、アルス・ノーヴァの騎士の名前くらいしか知らないのだけれど。


 今日の闘技場の会場中央には、四角くて平らな石の舞台が設置されている。

 詳しくは判らないけれど、さきほどの他国の騎士さん二名がその中央で得物を構えていることから、舞台の上で戦って落ちたら失格とか、多分そんなところなのだろう。

 そして舞台の下には、進行役のお兄さんと、救護班らしき装いの集団が屯するテントと、もうひとり……


「あれ? あそこに居るのって」

「ああ、団長ですね」


 わたしが思わず指差して問うと、グレンから明瞭な答えが返ってくる。

 やっぱり。試合が行われる舞台に一番近いところに立っているのは、アルノルトさんだった。


「何であんなところにいるの?」

「審判も兼ねて、試合に収拾が付かなくなった時に備えて待機しているんですよ」

「……ほわっと?」

「試合は真剣で行われるうえに、中には自尊心の高い人や血の気が多い人も居ますからね。死人が出たりしたら流石にまずいですから、ああやって待機して、万が一の時に止めに入ったり出来るように、実力のある人を配置するんです」


 なるほど……なんて感心している間に、目の前の試合が開始される。

 観衆の声を切り裂くかのように幾度も打ち鳴らされる剣戟の音。全身鎧を着ているにも関わらず、高速で行われる身のこなし。石の舞台をも打ち砕かんばかりの、繰り出される一撃の重々しさ。

 風の唸りを伴うそれをわたしなんかが喰らったら、一発で頭が三個くらい吹っ飛ぶこと請け合いだろう。

 ……に、人間の動きじゃねぇ。

 明らかに自分の世界の常識などでは測ることの出来ない光景が、そこでは繰り広げられていた。

 普段の騎士達の鍛錬ですら、稚拙な感想ながら、凄いもんだなぁと感心しながら見ていたというのに。

 ここで試合を行うのは闘技会を勝ち抜いてきた強者揃い。要するにレベルが違うということだろうか。

 そして、そんなおよそ人間の行うものではない試合を止めに入ることの出来るアルノルトさんって……


「アルノルトさんって、凄い人なんだね……」

「だから、以前からそう言ってるじゃないですか。信じてなかったんですか?」

「いや、あの……君なら判ってくれるでしょ?」

「まあ……先日も久々に自宅へ帰って一番風呂に入ったら、娘さんに一週間口をきいて貰えなかったらしいですけど……」

「それってわたしにリークしても良い情報だったのかな!?」

「……今更ですし」


 一瞬だけ、やっちまった的な表情を浮かべたグレンだけれど、すぐに開き直ってきた。

 まあ、確かに。今更その手の情報がひとつふたつ増えたところで、本当に今更ではある。

 そんな訳で、その情報をそっと取り出した観察用メモ帳へと書き記しつつ、わたしは話題転換を試みることにした。


「グレンは試合には出ないの?」

「各国の、本当に上位の騎士達の戦いですからね。親衛隊と言っても末席の俺では、まだ出る幕も無いですよ」

「そっか。早く出れるようになると良いね?」

「そうですね、目標ではあります。目標といえば……次はもしかして、隊長の試合なんじゃないでしょうか?」

「シュリ?」

「はい。あ、ほら……」


 決着が着きましたよ、と。グレンが言うが早いか、会場中から歓声と拍手が沸き起こる。

 舞台に膝をついているのは、全身鎧の騎士さんの方だった。

 全身鎧とは思えない身のこなしで、わたしには彼の方が強そうに思えたのだけれど。軽装の騎士さんは、そんな一撃が重そうな全身鎧の彼の攻撃を上手く往なして、小回りの利く動きで追い詰めていったようである。

 見た目では判らないものだな、と感心していると、全身鎧の騎士さんが立ち上がって、軽装の騎士さんと握手を交わした。

 歓声と拍手の音に見送られて、ふたりはそれぞれ逆方向へ。別々の出入り口へと退場していく。

 一拍置いて、彼らが消えていった出入り口から入場してきたのは。

 褐色の肌の騎士さんと、見慣れた緋色の騎士……シュリだった。

 褐色の騎士さんは、昨日も見掛けたどこかの国の正装らしき上半身鎧を身に着け、対するシュリは、普段の勤務中に着ているような服の上から胸当てだけを装備するという、非常に軽装である。

 髪も訓練中の時のようにターバンで上げて……と。よくよく見れば、シュリが今装着しているのは、わたしが献上したものではないか……

 何だか、心臓の辺りにむず痒さを覚える。

 そんな中、舞台で対峙するふたりへと送られる、先ほどよりも圧倒的な歓声、拍手。そして黄色い声援。

 褐色の騎士さんも、少しきつそうな印象はあるものの精悍で整った外貌をしているので、女性人気が高いのだろう。どこの国の方なのかは、わたしには判らない。進行の人が国名と名前を呼び上げたけれど、会場の熱狂的な音という音に掻き消されて、はっきりとは聞こえなかった。

 シュリの人気に関しては、言わずもがな。

 けれども、そんな熱狂的な音も、審判であるアルノルトさんが試合開始直前の合図をしたことにより、鳴りを潜める。


 褐色の騎士さんが長剣を正面へと構えて腰を落とすのに対し、シュリは抜き身の剣を右手に、自然体で立つ。

 ふたりの中心で掲げられていたアルノルトさんの右手が振り下ろされると、次の瞬間には、ふたすじの閃光が舞台の中心で衝突していた。


 わたしなんかの動体視力では、今行われている試合の動き全てを追うことなんて、とてもではないが出来はしない。

 ただ、それは……とてもとても、綺麗だった。

 シュリに出会った翌日の光景を思い出す。

 現実離れした、演舞のような剣戟。

 銀色の閃きを従える、緋色の主。

 相手である褐色の騎士さんの実力も相当なものだということは、流石のわたしでも判ったけれど。シュリの操る変幻自在な剣閃は、余裕をもって相手の鋭い攻撃を受け流している。

 その、狭くはない舞台全体を駆使した綺麗な攻防が、目にも留まらぬ速さで行われているのだから……もう、見入ることしか出来なかった。

 ちらりと。横目でグレンを見遣れば、見たこともないような真剣な眼差しで、舞台上の攻防を見つめている。

 その全ての動向を、記憶に焼き付けようとでもするかのように。

 本当に、真摯に憧れているのだということを実感させられるような表情だった。

 気持ちは理解出来る。

 会場中が息を呑んで見守る攻防。その主導権を握る実力者であるシュリは、剣技で高みを目指す者にとって、目標として然るべき存在なのだろう。


 褐色の騎士さんとの、準決勝戦。

 そして続いて行われた、前の試合で全身鎧の騎士さんに勝利した比較的軽装な騎士さんとの、決勝戦。

 熱気に包まれる会場の中で、優勢で試合を進め勝利するシュリの姿を。

 わたしは只々、脳裡へと焼き付けていた。

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