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アコ様の秘密のメモ帳  作者: エシナ
ACT1 - A pianist's birth unknown episode.
17/26

第6話 - 衣装道楽 【後編】

 翌日、午後。

 とても残念なことに、嫌な予感は的中した。


 朝食、昼食とも食事の場へと姿を見せなかったジネットさんが、少しやつれさせた顔を引っ提げ、やり遂げたかのような表情でわたしの目の前へと立っている。

 いや、表情は相変わらず無表情なんだけれど、何というか纏う雰囲気が。目の輝きが。

 どうだ見たまえ、とでも言わんばかりなのだ。

 それもそうだろう。

 彼女の横には業務用ばりの長さのハンガーラックが3つほどあり、それぞれにびっしりと様々な衣装が掛けられているのだ。

 ……まさかこれを僅か1日ほどで準備したとでも言うのか。

 唐突に目の前に現れたものに衝撃を受けまくったわたしは、執務机の上にペンを取り落とした。

 その拍子に、紙の上にインクが飛び散る。

 まあ、相変わらず下書き用の安い紙なので、大した被害では無いけれど。

 コロコロと机の上を転がっていくペンが床に落ちる。今日は落ちる前に救済することが出来なかった。助けてやれなくて済まぬ、トルヴェール(ペンの名前)よ……


「ちょっと権力や脅迫という名の秘密の武器を活用しただけですわ」


 ずらりと並んだラックと衣装を挟んでジネットさんの反対側に立っているサリアさんが、女神様のような笑顔でそんなことを口走った。

 いやいや確かに何で1日でこんなん準備出来るのとか思ってはいたけれど、そんな回答を欲していた訳ではなくてですね。というか人の心を読まないでいただきたい。

 わたしはトルヴェール(しつこいようだがペンの名前)をふさふさの絨毯から救出して執務机の上に置き、とりあえず現実を見据えてみた。


「一応確認しておきたいんですが。その衣装ってまさか全部わたし用ですか」

「当然です」


 そこはかとなく自慢げな、けれども淡々としたジネットさんの返答が即座に返ってくる。

 わたしは頭を抱えてその場に蹲りたい衝動に駆られた。実行に移さなかっただけ、わたしの忍耐力もまだまだ捨てたものではないと思う。


「アコ様、宜しければ手に取ってご覧になってみてくださいませ」


 にっこりと穏やかな微笑を浮かべたサリアさんがそんなことを言うので、わたしはとりあえずそうしてみることにした。

 手段はともかくとして折角用意して貰ったのだ。見もせずにどうこう言える訳もない。

 広いはずの執務室内を縦断するかのように並べられたラックへと近付いて、端からひととおり確認する。

 何だか丈の短いスカート類が目立つけれど、思っていたよりは普通に可愛いと思える衣装が揃ってることに少し驚いた。

 ……けれど、前向きに受け取れる意外さに少しときめいたのも束の間。

 確認を進めていくにつれて露になっていく、コスプレ紛いの際どい衣装の数々。

 ナース服っぽいもの、チャイナ服っぽいもの、婦警さんっぽいもの、ゴスロリっぽいもの、ミニスカメイドっぽいもの、露出度が高すぎるもの……って、何でこの世界に存在しないはずの職業や民族の衣装があるの。雰囲気が似ているってだけで、どこか違うといえば違うけれど。

 そしてなぜ悉く丈が短いのか。謎は深まるばかりである。

 一通り目を通し終えたわたしは、無言でジネットさんを見た。その時のわたしの周囲には、さぞ哀愁が漂っていたことだろう。


「あの……一部返品は」

「不可です」


 わたしの視線と要望を受けたジネットさんが、笑顔を浮かべてきっぱりと告げた。

 うわぁい……彼女が笑うところなんて初めて見たよ!

 初めて目にしたその笑顔は、綺麗だというのに恐怖しか感じない。断ったら一体何が起こるのか。予測すら不可能な領域である。

 それでもわたしは彼女の目をまっすぐに見据え、視線だけとはいえ、僅かに足掻いてみた。

 けれど。


「全てアコ用のサイズで用意しているのですから、返品されても処分に困ります。他に着れる者もいません。それでも無慈悲に返品を望みますか? 私達の努力と温情を、踏みにじるというのですか?」


 あくまで淡々と、ジネットさんが告げる。

 そんなに良心の呵責を煽るような言い方をしなくても良いのにと思う。

 ……どうやら、返品という道筋は潰えてしまったようだった。


 けれども、まあ。7割ほどは普段着に出来そうなまともな衣装なのだから、恐らくサリアさんが発案であろうアヤシイ衣類の分を差し引いても、嬉しいことに変わりはない。

 アヤシイものは封印しておけば良いのだ。

 ここはご厚意に甘えることにして、わたしはふたりの顔を見てから頭を下げた。


「わたしの為にこんなに用意してくれて、ありがとうございます」


 言ってから顔を上げると、女神さまのような微笑を湛えたサリアさんと、どこか生き生きとしているジネットさんが視界に飛び込んでくる。


「女性を着飾らせることは私の生き甲斐ですから」

「気に入っていただけたのでしたら、嬉しいですわ」


 そう言ったふたりの様子はとても嬉しそうで、ふたりが喜んでくれるのなら、わたしも嬉しかった。

 ……まあ、だからと言ってアヤシイ衣装にまでは手は伸ばさないけれど。

 つられて浮かべた笑顔の下で内心を吐露していると、サリアさんが続けて口を開く。


「それから、某匿名希望の方の協力により、小物なども沢山準備させていただきましたのよ。こちらも併せてお受け取りくださいませね」

「匿名希望……!?」

「ええ。わたくし達がアコ様への衣装を準備していると聞きつけ、材料や人材、その他諸々の手配に協力してくださったのです。執務を宜しく頼むと仰っていましたわ」


 匿名希望って誰……!!


 協力者とやらに心当たりも無く驚愕していると、ジネットさんが無言で自分の背後を指し示した。

 沢山の衣類に阻まれて見落としていたけれど、靴やら下着やらアクセサリーやら……実に沢山のオプション品が上品な箱や袋に入れられ、積まれている。

 促されたので恐る恐る近付き、手に取ってみた。

 そのどれもが外装以上に品が良く綺麗だったり可愛かったりするものばかりで(下着類の中に際どいものも混じっていたけれど、見なかったことにしようと思う)、どうやらサイズもぴったりのようで……相変わらずなぜ計測もせずにサイズが判るのか。特に下着とか若干引く。

 それに関しては主催者に変態が混ざっているから仕方ないと無理矢理納得することにして。封印されたシスター服を作った時の、事前情報もあるのだろうし。

 ともかく、衣類だけでも大層な量だというのに、この小物の数々。勿論嬉しいけれど、根が庶民体質なのでどうにも恐縮が勝ってしまう。

 けれど、折角わたしの為に用意してくれたというのだ。遠慮することも憚られる。

 労働で返せるだけ返そう、と決心して、わたしはそれらをありがたく受け取ることにした。


「本当に、ありがとうございます……!」


 申し訳なさも込めて再度頭を下げながら言うと、サリアさんは笑みを深くし、ジネットさんも嬉しそうな気配を濃くする。

 その嬉しそうなジネットさんが、気配はそのままにさらりと仰った。



「では、アコ。お着替えしましょうか」



 わたしは頭の位置を中途半端に戻したままの状態で停止する。

 嫌な汗が一筋、つつっと背中を流れていった。


「えっと……?」

「まあっ、それは素敵ですわっ! アコ様、是非試着してみせてくださいませ!」

「いえ、多分貴女方の変態的な感性のおかげでサイズは合っていると思いますので、必要ないかと」

「いいえ。微調整が必要かも知れませんし、似合うかどうかも確認しなければ安眠できません。私を殺す気ですか?」

「そこまで!?」

「ええ。ですから、私の安眠の為に協力してくださいますね?」


 言いながらじりじりと近付いてきたジネットさんに、がっちりと両肩を掴まれる。

 これらを準備するためにやつれてしまった彼女の顔をずいっと目の前に寄せられれば、わたしにはもう、拒否することなど出来なかった。

 毎夜眠れずやつれていくジネットさんに恨まれるなんて、きっと、お着替え以上に耐えられない。






 鼻血で衣類を汚すから来てはダメ、とサリアさんに言い付けたジネットさんは、幾つかの衣装を手に、わたしと一緒に奥の寝室へと進んだ。

 どこからか櫛やら化粧品やらを取り出した彼女は、かなり生き生きと輝いている。いや、表情は無表情なのだけれど。

 本当に好きなんだな、こういうことが。

 わたしはそんなことを実感しながらジネットさんに弄ばれ、着替えては執務室へと戻ってサリアさんへお披露目するという行為を何度も繰り返した。




「素朴な中にも上品な色気があって素敵ですわっ!」


 シンプルながらも品の良い白のブラウスに、タイトな膝上丈の黒スカート。襟元には赤いリボン。

 何だかピアノの先生っぽくて良いかも知れない。充分に普段着に出来そう。


「愛らしく清楚ながら、意外と高い露出度! 素敵ですわっ!」


 これまたタイトな黒のシャツとミニスカートの上に、白のふんわりとしたチュニック。

 チュニックの背中が結構大きく開いているけれど、散りばめられたオレンジの刺繍がかわいい。


「あぁっ……そろそろ鼻血を抑えるのが厳しくなってきましたわっ……!」


 装飾があまり多くないミニスカートのゴスロリ風衣装。小さなクラウンのヘッドドレス付き。

 これはどっちの趣味なのか……ガーターベルトだし明らかに変態か。普段着には出来そうにない。


「その強調された胸元が、ふわりとした衣装に隠された下半身を妄想させますわっ!」


 胸元が雫型に開いた、ノースリーブのアオザイ風衣装。胸元が開いていない色違いのものもある。

 衣装自体はかわいいと思うけれど、そろそろ変態が何を言っているのか判らなくなってきた。




「あぁん! 我慢の限界ですわっ!!」

「駄目です。鼻血が付きます。貴女は近寄らないでください」

「そんなっ! こんなお可愛らしいアコ様を目の前にして、いかがわしいことをしては駄目だなんて! 酷いですわっ! 生殺しですわっ!!」


 これで変態の前に出るのはどうなんだろう、というミニスカチャイナドレス風の衣装で執務室へと戻った瞬間、何かが切れたらしいサリアさんが、わたし目掛けて飛び掛ってくる。けれど、戦闘態勢のサリアさん以上に衣装を守ることに闘志を燃やすジネットさんによって、餌食になることは阻止された。

 ジネットさんが防衛モードである限り、変態との接触は免れられるであろう。良かった。心から。

 わたしは安堵の息を吐くけれど……

 それにしても、この少し屈んだだけで下着が見えそうな極ミニスカートは、本当に心許ない。

 例によってタイトなので、身体のラインも丸わかりだし。

 恥ずかしいのでさっさと着替えよう。

 そう思った瞬間。


 ずっばーん、と。

 えらい勢いで唐突に執務室の扉が開いた。


「ア・コーーーーー!!!!」

「ほわっと!?」


 扉の方を見やる間もなく、音と共に執務室内へと突進してきた人物は、勢いをそのままにわたしへと抱き付いてくる。

 予想通りリーゼ様だったその金髪美女は、昨日飛び込んできた時よりも随分と興奮した様子で、ぎゅうぎゅうと抱きしめたわたしに頬擦りしてきた。

 サリアさんから抗議の声が上がるけれど、わたしを含め全員が無視する。


「アコ、聞いてちょうだい! 貴女にピアノを教わる許可を、お母様からいただいたわ!」

「えっ! ほ、本当ですか! 早かったですね!」


 わたしに抱き付いたまま嬉しそうに話し始めるリーゼ様を、わたしはその細腕の中から見上げた。

 オッドアイの綺麗な瞳は、歓喜に揺らいでいる。

 頬も上気してほんのり桜色に染まり、心から喜んでくれているのだな、と。隠すことのないリーゼ様の本心が伝わってきて、わたしまで嬉しくなってしまった。

 興奮気味なリーゼ様は、更に続ける。


「それに、私だけじゃないのよ。妹のローザ……ロザーリエにも、教えて欲しいのですって。アコの演奏を聞いて、あの子、随分と感動していたらしいの」


 妹。

 わたしは、女王様の前で演奏をしたあの日、女王様に連れられていた幼女版リーゼ様を思い出した。

 勝手に第二王女だと思い込んでいたけれど、これで、やっぱり第二王女だったのだという確証が得られたことになる。


「アコ。私達ふたりの先生になることを、引き受けてくれるかしら?」


 妹君について考えていたわたしをどう捉えたのか、リーゼ様が少し不安げに首を傾げながら聞いてきた。

 大好きな音楽を受け入れようとしてくれている人達の願いを、わたしが拒否する訳が無い。

 嬉しさがこみ上げてきて、わたしはこれまでに無いと自覚するくらいの、満面の笑みを浮かべた。


「もちろんです。王女様だからって、手は抜きませんからね?」

「ふふっ。お手柔らかにね」


 わたしが了承の返事を返すと、リーゼ様もわたしにつられるようにして、満面の笑みを浮かべる。

 普段は気の強い印象を与えるリーゼ様だけれど、こうやって柔らかく笑うと、年下の少女らしい可愛らしさがあるな、と。早速、今後の彼女達への講義内容について頭の中で展開しながら、わたしはそんなことを考えた。


「教わる日程や時間については、他の講義との調整があるので、委細が決まったら連絡するわね。ああ、楽しみだわ!」

「はい、宜しくお願いします。わたしも楽しみです!」

「なるべく早く調整させるようにするわね。それはそうと……」


 リーゼ様は表情を普段のものに戻し、ぎゅうぎゅうに抱きしめていたわたしから、少し、身体を離す。


「これが、貴女の音楽家の衣装になるのかしら?」


 わたしの顔から足の先までをしげしげと観察して、リーゼ様が言った。

 今のわたしの格好と言えば……

 屈めば下着が見えてしまいそうな、ノースリーブのミニスカチャイナドレス風衣装。赤を基調に複雑な模様を描く生地で作られたそれは、可愛いとは思うのだけれど。ミニスカなうえにギリギリの位置までサイドにスリットが入っているという、危険な代物である。

 髪はジネットさんに少しいじられてツインのお団子風、足元は白いポンポンの付いた底の浅いシューズ。

 この下にスカートか何かでも穿けば危険度は随分落ちて普段用にも出来そうだけれど、このまま普段に着用しろと言われれば、断固として拒否の方向だ。


「そんな馬鹿な。弄ばれているだけです」

「私としては、可愛いと思うわよ? この国の女性はあまり足を出さないけど、異国にはこういう衣装を着るところもあるらしいわ」

「そうでしょうそうでしょう。アコ様の身体の魅力は、体格からは想像も出来ない豊満な胸もそうですけれど、何といってもその美しく艶かしい足! 純白の下半身! リーゼ様もそれを判ってくださるのですわねっ!」

「まあ、昨日言っていた衣装が、随分と沢山完成したのね」

「ええ、久々の大仕事でしたので、つい気合を入れてしまいました」

「ふふっ、ジネットったら。貴女、本当にこういうことが好きね」


 何故か興奮して身体をくねらせるサリアさんを軽く無視したリーゼ様は、ようやく執務室を縦断する衣装の数々に気付いたようで、わたしから離れて衣装の方へと向かう。

 リーゼ様は数々の衣装を手に取りながら、衣装の良い点を挙げてジネットさんを褒め称えた。

 ジネットさんも満更でもないようで、相変わらず無表情ながら、リーゼ様の横で嬉しそうにしている。

 そこに、サリアさんが加わって……

 美女3人が並べば、衣装の感想を言い合っているだけというさり気ない光景も、何とも言えない美しい光景に早変わりしてしまった。

 若干1名が変態であるということは、この際置いておいて。

 わたしはその光景の眩しさに目を細め、感動してしげしげと見つめる。

 その所為で、不覚ながら、自分の身に迫る危険に気付くことが出来なかった。




「随分と良い格好をしているね、アコ」


 唐突に、耳に息が掛かる位置から声が聞こえて、ざわりと鳥肌が立つ。

 振り返って確認する間も無く、背後からするりと腕が伸びてきて、わたしの身体はその腕に肩周りを抱え込まれるような形で固定されてしまった。

 振り返りかけた視界に、さらりと流れてきた銀色の髪が映り込む。

 まあ、確認するまでもなく、頭っからこんなセクハラを働いてくるのはエリアスさんくらいしか居ないだろう。

 そもそも、未だ耳元に息が掛かる距離に彼の顔があるらしいので、恐ろしくて振り返ることも出来やしない。

 幸いにも拘束は片腕で行われているので、何とか脱出を試みるけれど。意外にも力強くわたしの肩を包むその腕は、ちょっとやそっとの抵抗ではびくともしなかった。


「あら、エリアス。アコ様の卑猥さを嗅ぎ付けてきましたわね?」

「この部屋の結界を調整がてら、楽器の魔術の解析を進めようと思って来ただけなんだけどね。どうやら良いところに出くわしたらしい」


 クス、と小さく笑ったエリアスさんが、空いている方の手をわたしの剥き出しの太股へと伸ばしてきて撫で上げる。

 わたしは鳥肌が増殖するのを感じると共に、悲鳴を上げつつ太股の手を払いのけ、脱出のために身体を捩った。


「ぎゃーーー!! それはセクハラだと何度言ったら理解して貰えるのか!! というかそこの乙女達! 見てないで助けてください!!」

「相変わらず、こちらが赤面してしまうほど仲が良いわね」

「本当ですね。羨ましい限りです」

「唐突に与えられる快楽に溺れていくアコ様だなんて……想像するだけで失血死してしまいそうですわああぁ」


 駄目だこの乙女ども、使えやしねぇ!

 特にジネットさん。絶対に羨ましいだなんて思っていない。その証拠に、一歩後ろに退きやがった。

 リーゼ様はセクハラ現場を何度か目撃しているというのに重大な勘違いをなさっておられるし、サリアさんなんぞ論外。

 彼女が妄想で身体をくねらせているその間にも、エリアスさんは再びわたしの太股へと手を伸ばし、背後から覆いかぶさるようにして、耳元へと唇を寄せてくる。


「それにしても……そそられる、ね」


 そう言ったエリアスさんは、更に唇を近付け……

 うおおおお耳を噛むな! 舐めるなあああぁぁぁ!!

 何なのこの人! 大人しくなったのかと思いきや、一昨日から全開なんですけど!!

 お礼の品か! お礼の品が何かを引き起こしてしまったのか!?

 エスカレートしていくセクハラ行為に嫌な汗が噴き出し、顔に熱が昇って目尻に涙すら浮かんできた。

 もはや声すら出せずに心の中で悲鳴を上げるも、聞き届けてくれる人などこの場には居やしない。

 あぁ……もう駄目か。駄目なのか。

 わたしの貞操はこんな観衆付きの場所で、訳の判らんうちに失われてしまうのか。



「何やってんだ、エリアス」


 わたしが人生を諦めかけたその時、執務室の入り口の方から、怒気混じりの声が聞こえてきた。

 一昨日散々耳にした不機嫌なものともまた違う、凄みのある声色。

 けれども聞き覚えのあるその声の主は、不快そうに表情を歪め、つかつかと執務室内へ入ってくる。

 特に焦った風もなくゆっくりと顔を上げたエリアスさんは、わたしを片腕で拘束したまま、入室してきたシュリと笑顔で対峙した。

 笑顔。そう、確かに笑顔なんだけれど。

 ふたりの間には、バチバチと弾ける火花の幻覚が見えそうなほどに、緊迫した空気が流れ始める。


『あのですね。エリアス様は、王国どころか世界一とすら言われるほどに、特に防衛の魔術に長けた方なんですよ』

『この国であの方とまともにやり合えるのなんて、同じ客員魔術師のサリア様か、騎士ではシュリ隊長かアルノルト様くらいのもんです』


 わたしは一昨日のグレン青年の言葉を思い出し、先ほどとは別の意味を持つ汗が流れていくのを感じた。

 このふたりがやり合ったら、一体どうなってしまうのか……

 ごくりとわたしの喉が鳴るのと同時に、少し遅れて執務室へと到着したらしいジークさんが、一触即発の様子を察してびくりと肩をそびやかす。


「あ、室長コンニチハ。セクハラ現場はこちらです……」


 修羅場鑑賞モードに突入したらしい乙女達は使いものにならないので、わたしは何とかこの場を和ませようと、そんなことを口にしてみた。

 しかしながら、そんな拙い言葉ひとつで状況が打開出来る訳も無く。

 それどころか、ジークさんまでもが、剣呑さを含んだ視線をエリアスさんへと向け始める。

 ……せめて死人が出ないと良いな、と。

 無力感に苛まれていると、ふと、肩に廻された腕の力が緩んだ。

 同時に頭上から降ってくる、小さな溜め息。

 この場は、セクハラを諦めてくれるということだろうか。


「ふたりして揃って、何か用事? あんまり怖い目をしたら、女性達が怯えるよ?」


 エリアスさんが言うと、シュリの殺気めいた気配が少しだけ抑えられる。

 いや……リーゼ様もジネットさんもうきうきと鑑賞モードなうえに、サリアさんなんて全く動じていないどころか早く戦闘おっ始めろ的な視線をびしばしと向けてきているのだけれど……

 心の中でツッコミを入れながら、わたしはゆっくりと、ゆっくりと、エリアスさんの緩んだ腕の中から脱出を試みた。

 その間にも、彼らの会話は続く。


「あぁ、合同演習についてアコに関わる提案があってな」

「晩餐会の催しに、アコさんの演奏を交えてみては、という意見が複数挙がっています。我々としては賛成ですが、本人にも打診しようと思って来ました」

「まあ、それは素敵ね! あの演奏はもっと多くの人の耳に触れさせるべきだわ! アコ、引き受けなさいよ!」

「は、はぁ……晩餐会ですか」


 シュリやジークさんが用件を述べると、鑑賞モードだったリーゼ様達も会話に混ざり始めた。

 わたしは腕から脱出することに精神力を傾けていたので、気の無い返事だけを返す。


「合同演習では各国の重鎮達が大勢集まります。音楽を広める意味でも、それを受け入れる我々の意志を示す意味でも、アコさんの参加は大きな意義を持つでしょう」

「もうほぼ決定の方向で話が進んでるから、打診というよりは報告に近いんだけどな。悪いが引き受けてくれるか」

「は、発表会みたいなモンですよね? 音楽が広まるのは嬉しいし、決定で話が進んでるなら、わたしに断る理由は無いですよ」

「そりゃ良かった。ありがとうな」

「いえいえ……色々と恩義もありますから」

「晩餐会。ということは、ドレスが必要になりますね。腕が鳴ります」

「ドレス姿のアコ様……素敵ですわっ! 今から演習の日が楽しみですわっ!」


 会話が進む中、ようやくエリアスさんの腕から脱出することに成功したわたしは、一息つく暇すら無く即座に別の腕に絡め取られた。

 わたしの腰へと片腕を廻し引き寄せたのは、シュリだ。

 急なことでバランスを崩したわたしは、その筋肉質な胸板へと顔面から衝突してしまう。

 抗議の意味を込めて、ぶつけた鼻をさすりながら視線を上げるけれど。表面上は会話に集中しているらしいシュリは、ちらりともこちらを見やしなかった。

 それでも、わたしの腰に廻した手を離す気は無いらしく、今度こそ脱出不可能な力が込められている。

 折角、頑張って脱出したのに。

 わたしは小さく諦めの溜め息を吐き出す。それと共に、徐々に顔に熱が昇ってくるのを感じた。

 一昨日の、密着状態と。

 身を焼かれると。心臓まで射られるかと錯覚するほどの、凄艶な光を宿すシュリの瞳の色を、思い出してしまったのだ。


 だ、だ、脱出しなければ。


 何故かそんな気分になって、あわあわとひとり慌てる。

 と、ふいに、びくりとシュリが身体を震わせ、腕の拘束が緩んだ。


「おっま……何て格好してんだよ」

「えっ、今更……」


 軽くツッコミつつ、わたしはシュリの腕の中からするりと脱出する。

 ジークさんも言われてようやく気付いたようで、肩をそびやかすと、赤面して視線を彷徨わせた。

 セクハラ紛いの行為はするくせに、生足は直視出来ないのか……


「わたくし達でアコ様に衣装を誂えたので、試着中でしたのよ。白く柔らかなおみ足が眩しくて素敵でしょう?」


 ふふっ、と天使のような笑顔を浮かべ、サリアさんがずらりと並んだ衣装を手で示す。

 野郎共の意識も、わたしからそちらへと向いたようだった。


「へえ、本当に、随分と沢山用意したんだね」

「服なんてあんまり持ってなかったんだろ。良かったな、アコ」

「で、ですが、あの衣装では少し露出が高すぎでは……」

「あら、ちゃんと露出控えめで想像を掻き立たせるような衣装も、沢山ご用意してありますのよ?」

「ねえっ、アコ! これなんかも可愛いんじゃないかしら」

「ああ、アコ、おれはこれが好みだな。おれの時はこれにしてよ」

「エリアス、お前な……」

「何、その目は。親衛隊長だって興味はあるんだろう? ねえ、室長。室長はどれが好みなのかな?」

「わっ……私に振らないでください……っ!」

「アコ様! アコ様ー!! わたくしの時は是非これをっっ!!」


 衣装ラックの前に集まり物色し始める皆様を、わたしは遠い目で眺める。

 リーゼ様が手に取ったのは、清楚な雰囲気のワンピースだけれど……エリアスさん、貴方が手にしているのは衣装ではなく下着です。それもヒモパンです。

 おれの時ってどういうことでしょうかね。わたしには理解不可能です。

 そしてサリアさん……鼻血を滴らせながら黒い下着を振り回すのはやめてください。

 わたくしの時とか、それ、あり得ませんからね。絶対。


 わたしは半眼でその光景を眺めたまま、そっと寝室へと引き返し、元の女中の衣装へと着替えた。

 とりあえず今日のところはこれで良い、うん。


 再び執務室へと戻ると、ご一行は未だ衣装を物色しながら白熱した会話を繰り広げている。

 手に負えない気配がむんむんとするので、わたしは心の壁でそれらの会話をシャットアウトして、執務机に着いた。

 リーゼ様達の教本なんかも作らなければならないし、わたしは忙しいのだよ。

 わたしはトルヴェール(ペンの以下略)をそっと手に取り、執務を再開する。


 結局、あまりの煩さにわたしがキレて追い立てるまで、ご一行の熱戦は続いた。




 ちなみに、頂いた衣装の殆どは、ありがたく活用させていただいたけれど。

 サリアさんが携わったらしきアヤシイ衣装の数々が封印されたのは、言うまでもない。

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