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アコ様の秘密のメモ帳  作者: エシナ
ACT1 - A pianist's birth unknown episode.
14/26

第5話 - 伝説の初任給 【中編】

「まだ買うんですか~……」

「あんまり頻繁にも来れないだろうし、最初に買えるだけ買っておきたいの」

「それそろ腕が千切れそうなんですが」

「千切れないように日々鍛えてるんじゃないの、親衛隊員」

「俺が鍛錬をするのは国民を護る為であって、決して荷物持ちの為じゃありません」


 荷物が増える度にそんなやり取りを繰り返しながら、わたし達は買い物を続ける。

 そのような文句を言いつつも、両腕に紙や帳面がやたらと詰め込まれた袋を提げ、更に顔の辺りまで積み上げられた色とりどりの表紙の本を抱えたグレンは、まだまだ余裕がありそうな様子だった。

 シュリより細そうなのに。この子も細マッチョ属性か。

 ささやかな制裁のつもりが、あまり意味を成していないようで悔しい。

 しかしながらそろそろ見た目が可哀想になってきた。道ゆく人達にもじろじろと見られているので、開放してあげようと思う。

 ジークベルトさんに教えて貰った雑貨屋さんはひととおり回ったし、お昼に差し掛かるので、帰るにも丁度良い時間だ。

 グレンに持たせている紙という紙の他に、使い勝手の良さそうな筆記用具を多数。

 今日のメインのひとつである贈り物たち。

 それから屋台のようなお店で売っていた美味しそうな食べ物などなど、彼ほどではないにせよそれなりの荷物を抱えているわたし。

 半日をかけて、ひととおり目的のものもそうでないものも買うことが出来たので、大満足である。




 跳ね橋を渡って、本に埋まりそうな勢いのグレンに呆然としている門番さん達に挨拶をして、すれ違う度に門番さんと同じ理由でこちらを凝視してくる城内の人達をやり過ごして。

 ようやく、わたし達はわたしの執務室へと辿り着く。


「この大量の帳面は、どこに置きますか?」

「じゃあ、そこの執務机の上と周辺に、適当に置いて貰えるかな」

「了解です」

 全てを積み上げれば明らかにわたしの身長よりも高くなる紙の荷物を、グレンは指定の場所に丁寧に置いてくれた。

 何だかんだ、見た目通り親しみ易くて、誠実で良い子である。

 選抜に性格まで関係あるのかは判らないけれど、流石は親衛隊員だ。

「お疲れさま。重いのに、ありがとう」

「このくらい平気ですよ……って、何食べてるんですか」

「屋台フード!」

「いや、そんな凄く良い顔で言われても」

「おいしいよ?」

 わたしが手にしつつもそもそと食しているのは、笹船のような形の紙箱に入れられた、たこ焼きのような食べ物である。

 城下での買い物中に鼻腔をくすぐるソースの香りに惹かれ、思わず衝動買いしたものだった。

 だって、お腹が空いた頃合に屋台でたこ焼きが売っていたら買うでしょう?

 お腹が空いていなくても買うでしょう?

 見た目がたこ焼きに似ているそれは、細かな野菜の練り込まれた生地の外側はサックリで中はもちもちトロトロ、中の具はたことイカの中間くらいの食感で、甘辛いソースが何とも絶妙に絡み合っている。

 未だ充分な熱が残るそれを短い串で刺して口の中へと放り込み、はふはふと言いながら食す。

 うーん、美味。幸せ。

 かつおぶしと青のりがあっても美味しいだろうになぁ、このたこ焼きもどき。

 いや、何か別の名前だった気がするけれど、わたしはたこ焼きと呼んでやる!


 今度、かつおぶしや青のりと似たような食材が無いか、宿舎の料理人のおばちゃんに聞いてみようかな。

 そんなことを考えながら幸せに浸っていると、頭上から溜息が聞こえてきた。

 大量の荷物を降ろし終えてくれたらしいグレンが、幸せに浸るわたしをじっとりとねめつけている。

「随分と美味しそうデスネ」

 抑揚の無い声で彼は言った。まあ、荷物の片付けをさせておきながら、傍らでひとりたこやき中という暴挙に腹が立つ気持ちは判らないでもない。

 けれど、たこ焼きの熱は待ってはくれないのだ。はふはふしながら食べることこそ醍醐味。冷めないうちに食べてしまわないと。

 本当は、買ったその場で食べるのが一番美味しかったのだろうけれど。ここまで食べるのを我慢していたのは、荷物に埋まっていたグレンに対するわたしの優しさだ。だからわたしは悪くない。ツッコミなんて受け付けない。

 と、そんな個人的真理を説いても、苛立っている彼には通じないかも知れない。

 仕方が無いので、わたしはグレンにも幸せを分けてあげることにした。美味しいものでも食べれば、きっと、苛立ちも収まるだろう。

「まあまあ、君もひとつ食べてごらんなさい」

「あ、いただきます……」

 串に刺してずいっと差し出すと、グレンは存外素直に口を開いた。たこ焼きの力って凄い。

 ひとりっ子なので本来どんなものなのかは判らないけれど……何となく、弟が出来たようで。そんなところが可愛いと思ってしまう。

 ぱくり、と、わたしが手にする串に刺さったたこ焼きが、グレンの口の中へと吸い込まれ。

 直後、少しだけ屈むような体勢で串を咥えたままのグレンが、不自然に硬直した。


 お口に合わなかった……とかでは無いようで。けれども、いよいよ顔を青ざめさせて冷や汗まで流し始めたグレンは、身動きも出来ないまま一点を見ている。

 首を傾げつつ彼の視線を追うと、開けっ放しだった執務室の入り口には……


 異様なほどの冷気を纏ったジークベルトさんが、静かに、静かーに佇んでいた。


 ジークベルトさんから漂う冷気に含まれているのは、多分、怒り。もしくは蔑み。

 すうっと細められた彼の視線は主にグレンへと向けられているので、わたしに対してのものじゃない気がするけれど。あくまでも冷え冷えとしたその気配は、ある意味今朝のシュリよりも恐ろしい。

 わたしの視線に気付くと、ジークベルトさんは、表情はそのままに執務室内へと静かに入ってきた。

 ごくん。

 青ざめたグレンが、口に入っていたものをそのまま飲み下した音が聞こえてくる。

 あぁ、せっかくのたこやきが……

「おかえりなさい。ご無事だったようで、何よりです」

「あ、ただいまです。ジークベルトさんの地図のおかげで、色々と良さそうなものが揃いましたよ。ありがとうございます」

「いえ、地図がお役に立ったのでしたら良かった」

 わたしは卓子の上にたこやきを置いて、ジークベルトさんから預かったお金の残りと、領収証の入った袋を渡した。

 この世界では、買い物をする時にレシートのたぐいを渡す習慣は無いけれど、会計の時に希望すれば領収証を発行してくれる。こうした公的なお金での買い物に領収証が必要なのは、この世界でも変わらないらしい。

「領収証ください!」は一度は言ってみたかった憧れの台詞だったので、憧れをひとつ消化することができた……と、そうではなく。

 普通の会話をしているはずなのに、ジークベルトさんの表情には翳りが差している。冷え冷えとした気配もじわじわと放出されたままだった。

 えっと……どうしよう?

 ちらりとグレンを振り返ると、彼は青い顔を左右に振る。

 俺に振るなってことだろうか。けれどもわたしだって対処法が……なんて思っていたら、ジークベルトさんは益々冷気を強めた。

 アルス・ノーヴァは年中秋晴れの気候のはずなのに、ここだけ真冬だ。

「短時間で随分と仲良くなったようですね」

 微笑しながら、ジークベルトさんはぽつりと言葉を漏らす。但し、その微笑は絶対零度。しかも今度はわたしに対して、その冷気は向けられている、気がする。

 仲良くなった、って、グレンのことを言っているのよね。立場ある親衛隊員と軽々しく仲良くなるのって、何か問題があることなんだろうか。そうでもなければ、ジークベルトさんの怒りの原因が思い浮かばない。

「えっと、何か、問題でもございましたでしょうか」

「……いえ、特に問題はありませんよ」

 そう言いながらも、彼の冷気は和らいでくれなかった。

 こういう時は、あれだ。

 土下座を発動するしか。


 ふらりと後退して床へと這いつくばろうとするわたしを、けれども、ジークベルトさんはわたしの両肩を掴んで制止した。

 流石は土下座への遭遇経験者。わたしが何をしようとしたのか、一瞬で見抜くとは。

 それを制止したということは、そんなことでは許されないとでも仰りたいのでしょうか。

「そんなご無体なぁ……お怒りの理由が判らぬのなら、せめて謝らせておくんなせぇ」

「いえ、あの……こちらこそ、済みませんでした」

 土下座しか無いわたしが半泣き状態で弱々しく拘束を振りほどこうとしていると、そんな言葉と共に、あっさりと冷気が弱まった。

 拍子抜けして顔を上げると、ジークベルトさんはばつが悪そうにわたしから視線を逸らしている。

「貴女が謝るようなことなんて、何も無いんですよ。私の問題なんです」

 彼は自嘲気味に笑って、わたしの肩を掴んでいた手を離した。

 更に「済みません」と重ねて謝罪してくる。

 そうは言われても。わたしの何かが、温厚な彼に怒りめいた感情を抱かせたという事実は消えない。

 シュリといい、今日は人を怒らせてばかりだ。

 何と言えば良いのかは判らなかったけれど、何かを言わなければならない気がして。わたしは、浮かんできた言葉を細々と口にした。


「グレンは、何ていうか、弟みたいで」

「弟、ですか?」

「はい。弟というか、後輩というか、舎弟というか、パシリというか……」

「ちょっと待ちやがってください」

 本音を吐露すると、ようやく正気に戻ったグレンからびしりとツッコミが入る。きっちりと手によるツッコミも添えてある、完璧なる正統派ツッコミだ。けれども、わたしは構わずに言葉を続ける。

「わたし、ひとりだから。そういうの、嬉しくて」

 言ってから、これじゃわたしの気持ちを述べているだけで、ジークベルトさんの怒りの理由とは結びつかないことに気付いた。

 それでも、彼はふわりといつものような微笑を浮かべて、わたしの頭を撫でてくる。

 自発的に収めてくれただけなのかも知れないけれど。ともかくもう怒ってはいないようなので、安心した。



 帰城したという話を耳にして、お仕事(残金の引き取り)がてら様子を見にきただけです、というジークベルトさん。それも済んだのでと立ち去ろうとする彼を、わたしは引きとめる。

 落ち着いたところで、今日のメインイベントを決行しようと思ったのだ。

 今日、わたしが個人宛の贈り物を購入したのは、全部で4人分。

 その中には、ピアノのために現在進行形で色々と奔走してくれているジークベルトさんも、勿論含まれている。


 卓子の上に置いていた紙袋から、彼用の贈り物を取り出す。微かに首を傾げるジークベルトさんの前に、わたしはそれを差し出した。

 目を瞬かせながら、彼は差し出されたそれを受け取ってくれる。

 簡単な包装が施されているそれは、手のひらよりも少し大きな横長で、若干の厚みがあった。

「初任給をいただいたので。わたしにとって今日は、お世話になった人に感謝をする日なんです」

「これは私に、ですか」

「はい。ジークベルトさんには特にお世話になっているので。大したものじゃないですが、何か形のあるものを贈りたくて」

 わたしは佇まいを改めて、深く、ジークベルトさんに頭を下げる。


「得体の知れないわたしを雇ってくれて、大好きなピアノに触れられる位置まで押し上げてくれて、ありがとうございました」


 言葉にしなければ伝わらないことは沢山あって、感謝の言葉もそのひとつ。

 だから、積極的に言葉で伝えなさい、と。おばあちゃんから引き継いだ持論を反芻する。

 勿論、普段からなるべく口に出すようにしてはいるけれど。こうして改まって伝えるのも、自分の気持ちを確認するうえでも大切なことだ。


 僅かばかりの照れくささを感じながら顔を上げる。

 と、彼は……甘やかで優しげな、目を逸らしたくなるあの微笑を浮かべていた。

 ……ま、眩しい。

 思わず後ずさりしそうになる身体を、わたしは必死で押し留める。

 この微笑との遭遇回数はそんなに多くはないけれど、これまでの中でも一番威力が高い気がした。浄化されてしまいそうだ。

「こちらこそ、ありがとうございます」

 そう言ったジークベルトさんは、こちらが身を引く暇もないうちに、わたしの耳元へと顔を寄せてくる。

 思わず肩をそびやかして硬直すると。


「ただ、感謝をしていただけるというのなら、もうひとつ。今後、私のことは『ジーク』とお呼びください」


 静かに、けれども腰に響くような声で、そんなことを囁かれた。

 気のせいか、直接言葉を吹き込まれた耳に何か柔らかいものが触れたような感触がしてから、彼は身体を離す。

 一拍置いてから、ざわりと肌が粟立つのを感じた。

 元の位置に戻った彼は、僅かばかり顔を赤くしながら、まだ“あの笑顔”を浮かべている。

「……っ、い、忙しいのに引きとめて済みませんでした! どうぞ通常業務にお戻りください!」

「まだ、中身を確認させていただいていませんが」

「いいんです! 後でこっそり見てほくそ笑んでください!」

 プレゼントの中身はその場で確認して感想を言うのが礼儀だとか、そんなことに構っていられる余裕は無い。むしろ今の状態でそれをやられたら、多大なる精神的ダメージを受ける予感がする。

 居たたまれなくなって、わたしは思わずジークベルトさん……ジークさんを執務室から追い立てた。

 ぐいぐいと背中を押して。ほぼ無理矢理に。



 ぱたん。

 閉じた扉を背にして一息つき、額に滲んだ冷や汗を拭う。

「ふー、危なかった……」

 何が、とツッコミが入りそうなところだけれど、本能的にそう思ったのだから仕方が無い。危なかった。とにかく危なかった。

 とりあえず危機が去ったところで、たこ焼きの残りを堪能しようそうしよう。

 そう思って顔を上げると、わたし以上に精神的ダメージを受けたような表情を浮かべたグレンが、卓子の傍らで硬直していた。どうりでツッコミが入らない訳だ。

 近付いて、彼の目の前でひらひらと手を振ってみる。そうすると、グレンははっとして硬直を解いた。何にダメージを受けていたのかは知らないけれど、流石は親衛隊員。立ち直りも早い。


「どうしたの、若人わこうどよ」

「え、ああ……アコさんって何というか、凄いですね」

「なにが?」

「第一行政室長があんな顔してるの、初めて見ましたよ」


 汗を拭う仕草をするグレン青年に、どういうことなのか聞いてみる。

 ジークさんは、成人して城へ上がった頃からその才能を如何なく発揮し、武官の出世頭であるシュリと同格視されるほどに、文官としてスピード出世を果たした才人なのだそうだ。

 その理由は、普段の静謐せいひつな様相からは想像もつかないほどの、仕事へ対する厳格にして情熱的な姿勢にある。

 彼がまだ地位の無かった頃に行ったという、徹底的なまでの業務の流れに関する無駄の排除。不正行為者の摘発。目上の者に対してすらその論拠を追求し意見を述べる、無謀ともとれる勇敢さ。その他諸々、文官達に憧れを抱かせるような経歴を、彼は持っていた。

 普段は僅かばかりぼんやりとしているものの、仕事中の彼は常に厳しい表情を湛え、近付き難い雰囲気をまとっている。

 表情を緩めることなど、旧知であるシュリと話しているときくらいのもので……それでも、微かに目許口許を緩める程度なのだとか。


 言われてみれば、と、ジークさんに会った当初を思い出す。

 あのときはバリバリと目前の仕事をこなしながら書類を差し出され、彼は視線をこちらに向けることすらしなかった。無駄の排除といえばそうなのだろうけれど、確かに、近寄り難い雰囲気はあったのかも知れない。

 けれど、それ以降は。意外と表情豊かで、優しくて。近寄り難さを感じたことは無い。

 人間が違えば、受ける印象も変わる。

 それは当然のことで、わたしに見えているジークさんと、グレンを含め他の人に見えているジークさんの印象は違うのだろう。



「でも、なんでそれが凄いに繋がるの?」

「そんな室長に、あんな表情をさせられるのが凄いって意味ですよ」

「色々と相談に乗ってもらったりもしてたからね。わたしに対して苦労したぶん、感謝された時の感動もひとしおだったんじゃない?」

「俺はそうは思いませんが」

「わたしはそれ以外思いつかないよ」

「はぁ。何というか、隊長も室長も苦労しますねこれでは」

「確かに苦労を掛けてる自覚はあるけども。パシリにそんなこと言われたくない」

「パシリじゃありません。まあ、言っても理解できなさそうなのでもう良いです。そのうち嫌でも理解する日が来ますよ、きっと……」


 痺れを切らした隊長達の手によって、と。

 そんな風に、グレン青年は締めくくる。

 何だかシュリが怒った理由について話していた時と似たような流れだ。少々腹が立ったけれど、屋台フードが美味しいので、わたしもそれ以上は追及しないことにする。

 わたしがたこ焼きを食べ終えて手を合わせ「ごちそうさまでした」と呟くと、グレンもちょうど食べ終えたようで一息ついた。

 たこ焼きのみならず他にも色々と。調子に乗って買いすぎてしまったので、お昼ごはんと称して消費を手伝ってもらいながら話を聞いていた訳だけれど。話をしながらでも、グレンが食べた量はわたしのおよそ3倍。さすがは親衛隊員。その食物が筋肉へと変わるのだと思うと恐ろしい。


「さて、グレンはまだわたしに付き合える?」

「多分平気ですけど、また出掛けるんですか?」

「ううん、お礼の品を配り歩くだけ」

「それって俺が付き合う必要あるんですか」

「ある。大いにある。主に護衛という意味で」

「はぁ……」

 むしろ居てくれないと非常に困る。

 椅子から立ち上がり、片付けをしながら説得とも言えない説得をしてみると、どうやら彼は渋々ながらも付いて来てくれるようだった。

 いざとなったらパシリ券を消費しようとすら思っていたけれど、その必要はなさそう。

 さり気なく片付けを手伝ってくれたグレンは、またさり気なくお礼の品が詰められた紙袋を持ってくれた。


 本当、ええ子や。

 だというのに、わたしはこれから彼を酷い目に遭わせようとしている。

 ……ごめんよ。

 本日何度目とも知れない彼への謝罪を、わたしは心の中で呟く。


「とりあえず、まずは安全なところ……じゃなくって、メルさんのところへ行こう」

「メルさんって……騎士棟の女中の、メリクールさんのことです、か……?」

「うむ」

 騎士棟の女中は休憩時間なので行っても大丈夫なはず。と、後片付けを終えてグレンを振り返ると、彼は僅かに目を泳がせて頬を紅く染めていた。


 ……おや、これはもしや?




-*-*-*-*-*-*-




「これ、私に? ……ありがとう!」

 にっこりと優しい笑みを浮かべたメルさんの手には、開封された包装紙と、その中に入っていたモノが大切そうに包まれている。

 当然のことながら最もお世話になった四天王としてわたしに認定されているメルさんには、ハンドクリームと髪留めなどの小物を贈らせてもらった。水仕事の多い女中にとって、ハンドクリームは必須アイテムともいえる。消耗品なので最後までどうしようか悩んでいたけれど、喜んでもらえて良かった。

「ささやかな感謝の気持ちです」

「ささやかだなんて。ちょうど、今使っているものが切れかけていたの。嬉しいわ」

 メルさんは更に笑みを深くする。

 つられてわたしも笑うと、横からわたし達を見ていたモニカがほうっと感嘆の息を漏らした。

「先輩方の美しき絆……! 感動ですねっ!」

「ほっほ、羨ましいかね?」

「はいっ、わたしも早くおふたりのように深い絆を築きたいですっ!」

「あら、属性が違うから駄目かも知れないわね」

「あー、ノーマルでは駄目だね」

「ええっ!? 何でですか属性って何ですかっ! 私とも仲良くしてくださいよ~~っ!!」

 ちょっと暑苦しいのでからかってやると、モニカは涙目で迫ってくる。

 昨日少しだけ指導したのが原因で初めは警戒されたけれど、少し話して打ち解けてみれば、彼女は人懐っこくて良い子だった。からかい易いのも美点だと思う。

 そんな彼女の手のひらに、わたしはぽんっと小さな包みを乗せる。

 他の女中さん達に配る用に幾つか準備した、焼き菓子の包みだ。

「今日は皆に感謝する日だから、モニカにもあげる」

「あっ……ありがとうございますっ!!」

 モニカは焼き菓子の包みを割れない程度にぎゅうっと抱き込んで、先ほどよりも多くの涙を目に湛え喜びを露にする。

「大切に取っておきます!」

「いやいや食べてもらうためにあげたんだから、食べておくれ?」

 本当にささやかな気持ちなので、そこまで喜ばれると何だか逆に申し訳ない気持ちになってしまう。

 モニカのあまりの感激っぷりに、メルさんも苦笑していた。


 ちらり。

 そんなやり取りの合間を縫って、わたしは背後に立つグレン青年を観察する。

 緊張気味な面持ちの彼は、やはりと言うか、メルさんの動向を目で追っていた。その頬は、メルさんのところへ行くことを告げた時よりも明確に、紅く染まっているのが判る。

 予想が確信へと変わったことに対して思わずにんまりと口許を緩めると、メルさんがグレンへと視線を向けた。


「グレン君、お久し振り」

「は、はい! ご無沙汰しています」

「親衛隊に行ってからは初めてね。元気にしてた?」

「はい。そ、それだけが取り得みたいなものですから」

「そんなことは無いわよ。良いところ、沢山あるんだから自信を持ってって言ったじゃない」

「あ、ありがとうございます……!」


 緊張のため焦って目が泳ぎ気味なグレンと、穏やかな態度を崩さないメルさんとのやり取り。

 にやにやしながら距離を取り見守っていると、こそこそとモニカが近付いてくる。モニカは耳打ちをするようにわたしへと身体を近付け、囁くような声で話し始めた。

「グレンさんが親衛隊入りしたのはアコさんが来る2ヶ月ほど前のことらしいんですが、それまでは第5宿舎に居たようなんです。メルさんとは随分と仲が良かったというか、その頃からずっと、グレンさんはメルさんに対する憧れを抱いていたみたいなんですよー」

「ほほう」

「メルさんも、彼に対してはまんざらでも無さそうな優しげな態度を取ってたみたいですよ」

「それは面白い……というかモニカ、入ったばかりなのに詳しいのね」

「はいっ、リサーチしましたので!」

 モニカは得意げな表情を浮かべて胸を張る。

 リサーチって……一昨日まで城と接点の無かったはずの子がどうやってそこまで詳細に。しかも、職場リサーチの域を超えている気がする。もしかしてこの子、こっちの道の筋が良いのか……恐ろしい子!


 そんなことを考えながらふたりの様子を伺っていると、会話が落ち着いたらしいメルさんがこちらへと向き直った。

 グレンはどことなく幸せそうな雰囲気を纏っている。良かったね、若人。

 きりも良いところで、名残惜しさを感じつつも、わたしはそろそろ移動することにした。後も控えているし、昼食へと向かうところだったメルさん達をこれ以上引きとめておくのも申し訳ない。

 けれど、その前にひとつだけ確認しておきたいことがある。



 メルさんへと顔を近付けて、わたしは率直に聞いてみた。

「随分とグレン君を気に入っているようですね?」


「ええ。今日ずっと一緒に居たなら判ると思うけど、彼、あの性格でしょう? 観察対象として、何だか目が離せなくて」


 少し照れたように笑いながら、メルさんは答えてくれる。

 ……やっぱり、そっちの意味でのお気に入りでしたか。


 頑張れグレン青年。

 メルさんに、彼が向けるものと同じ意味での意識を持ってもらうための険しい道程を予想して。

 騎士棟の他の女中さん達や宿舎食堂の料理人のおばちゃんに焼き菓子を配りながら、わたしは彼に対してひっそりとエールを送ることしか出来なかった。

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