第4話 - わたしにできること 【後編】
状況が落ち着いてきたところでジークベルトさんが前へと進み出て、重鎮達に対し今後の協力を申し出る。
概ねは連名で提出した提案書の通りだが(わたしはその提案書の内容は知らないのだけれど)委細は追って決めていきたいという彼の言葉を拒む者は居なかった。
女王もそれを了承してから、小さな王女と凛々しい文官男性を伴って退室する。
また、聞かせて欲しいと。
嬉しくなるような言葉をわたしに残して。
わたしはというと、その場に残った重鎮のおじさまやおじいさま方に色々と質問攻めに遭い、休憩時間が終わる直前くらいにようやく開放されて、夕方から夜の業務に戻った。
色々と質問され過ぎて拙い言葉で回答することに必死になり過ぎて、何を聞かれたのかはもはや覚えていない。
開放され騎士棟へと戻る前に、ジークベルトさんから明日以降のことについて説明があった。
色々な準備が終われば連絡しに来るので、それまでは女中の業務を担当して欲しいとのこと。
そうか、音楽家として召し抱えられる(……多分)ことになるのなら、もう女中の仕事が出来なくなるかも知れないのか。
そのことに今更気付いて、少しだけ、寂しさを覚えた。
「どうだったの?」
洗濯物を取り込みながら、メルさんが聞いてくる。
「成功、して、受け入れて貰えたんだと思います。今後も、今日のことに関するものに時間を充てることになる、かも」
わたしは何と説明したら良いものか判らずに、曖昧な笑みを浮かべながら答えた。
明日以降わたしの立場がどうなるのかは、まだはっきりとは判らない。
それに、聞いた話によると、メルさんを始め城内の殆どの人は音楽はまだしもピアノの存在については全く知らならしいのだ。色々な手続きや連絡を担当してくれているジークベルトさんから何かあるまで、話さずにおいた方が良いのかも知れない。
「良かったわね」
そんな意図も込められた曖昧な対応だったというのに、一言だけそう言って、メルさんは自分のことのように嬉しそうに笑ってくれた。
わたしが濁した部分が気にならない訳じゃ無いのだろうに、それ以上深くは追求してこない。
本当に出来たお方だと心底思ったので、敬意を払って拝んだら、ちょっと引かれた。
翌日、午後。
お昼の片付けがおおよそ終わった頃に、ジークベルトさんが第5宿舎の食堂へと現れた。
彼は、第一行政室で見掛けたことのある文官さんと、癖のある栗色の髪をポニーテールにした背の高い少女を伴って、カウンターの近くに居たこちらへと近付いてくる。
わたし達はぺこりと一礼して彼らを迎えた。
「アコさん、貴女の執務室の準備が整いましたので、ご案内致します」
「……!?」
突然の予想外発言に、わたしは手にしていた台ふきんを思わず取り落とす。
今、貴女の執務室とか言ったか。言ったのか。
「え、わたしの?」
「はい、貴女の執務室です。あちらへ着いてから今後について詳細をご説明します」
やっぱり言ったのか。
呆然とするわたしの後ろで、メルさんと調理スタッフのおばちゃんが、あらあらとかおやまぁとか言っている。恐らく言われた本人が一番驚いてますがね!
とりあえず着いていって、我が身がどうなったのか説明を受けるしか無い。
わたしがメルさんに目配せすると、メルさんはにっこりと微笑んだ。行ってらっしゃい、と言ってくれているのだろう。
「よ、宜しくお願いします」
ぺこりと一礼して、わたしはジークベルトさんの傍らへと歩み寄った。
「では、こちらへの説明はお願いします」
「はい」
ジークベルトさんは伴っていたもうひとりの文官さんにそれだけを言いつけて、わたしに付いてくるよう促す。
わたしはメルさん達へ向けて軽く頭を下げてから、彼の後へと続いた。
わたしの執務室とやらへの道すがら、ジークベルトさんが色々と説明してくれる。
曰く、この国に残されているのは音楽家と呼ばれる存在が過去に居たのだということと、幾つかの国で保管されている楽器のみで、音楽というものの内容に対する知識が全く無いのだそうだ。
楽器とか遺物とかしか言わないなと思っていたら、彼らは何とあの楽器がピアノという名前だということすら知らなかったのだとか。
教本の一冊すら残されていないだなんて、本当に徹底した排除っぷりである。
そのため、わたしが持つ音楽に関する知識を、基礎的な部分から悉く提供して欲しいのだそうだ。
女王様も似たような言い回しをしていたなぁ、と、昨日のことを思い出す。
執務室が与えられたのは、王国付きの音楽家という立場になって、知識提供に専念して欲しいからだとか。
彼らには知識が無いので提供方法はわたしに任せたいとのことだったけれど、確かに、まずはわたしの持つ知識を徹底的に書面へと記していくことから始まるだろう。膨大な時間が掛かる。
そうなると、やっぱり。
「わたしはジョブチェンジってことになるんですかね」
「じょぶ……?」
「女中のお仕事は、もう出来ないってことですか?」
「ええ、兼業出来るような内容でもないでしょうし、何より音楽の知識と技術を持つのは貴女だけですから。こちらに専念して頂きたいと思っています」
「じゃあ、さっきの女の子は、わたしの代わりってところですか」
「はい。なかなか見所がある方でしたよ。早速今晩からメリクールさんの元へ付いて、女中の業務に入って頂く予定です」
そうですか、と、わたしは小さく呟いた。
わたしに不可欠なものに毎日触れられるのは嬉しいけれど、唐突に訪れた別れのような変化は、少し寂しい。
我侭だなぁ、なんて思って、自分自身に苦笑した。
「音楽家としての業務は時間的な縛りがある訳ではなく、貴女のペースで進めて頂いて構いません。同じ城内に居るのですから、女中スタッフと会えなくなるということは無いですよ」
わたしはそんなに考えが顔に出易いのだろうか。
正に心配していたことを否定されて、嬉しくなる。
メルさんは城へ来てからの1ヶ月近く、本当によくわたしの面倒を見てくれた人のひとりだ。先輩のような、姉のような……
そんな大切な人と唐突に会えなくなるとかでは無くて良かった。
そんなことを考えていると、ジークベルトさんが足を止める。
わたしも倣って彼の視線の先を見ると、青碧色の大きめな両開きの扉があった。
場所は城の2階……と言っても日本で言うところの3階から4階程度の高さに相当するけれど……兎も角、2階の、入城してすぐの階段を上ったところにある謁見の間から、王族の棟方面へと抜ける通路の途中辺り。
行政棟の真上辺りに当たるだろうか。城内の配置全てを知っている訳では無いので、詳しいところは判らないけれど。
勿論、こんな場所へ足を運ぶのは初めてだ。
ジークベルトさんが扉を押してその部屋を開放する。
中は想像していたものよりも随分と広かった。
メルさんとふたりで使っていた女中の宿舎の部屋の、多分3倍以上の広さ。
しかもわたしの目が確かであれば、まるでリーゼ様の部屋の如き豪華な内装。
ふさふさの絨毯、高級そうな、執務用らしき机。こちらも高級そうな、空の書棚。
そして……地下の保管庫にあった筈の、ピアノ。
本当にこんな部屋使っていいんですか、なんていう口から出掛かっていた言葉は、ピアノが視界に入った瞬間に何処かへ行ってしまった。
ふらふらと室内へ入って、ダークグリーンの布が掛けられた状態のピアノに触れる。
間違いなく地下にあったものだ。
「どうやってここまで運んだんですか、これ」
わたしは近付いてきたジークベルトさんを振り返り、思わずまじまじと訊ねる。
立派な胴体のコンサート・グランドは、恐らく重量500キロを超えるだろう。そのうえこのピアノにはキャスターも付いていないのだ。
「騎士達に依頼して、人力で」
ジークベルトさんは涼しい顔でさらりと述べる。
騎士何人で運んだのかは知らないけれど、地下のあの部屋からここまでは、長い階段なども随分とあった筈だというのに。
……その間、鍛え上げられたむっちむちの筋肉達に取り囲まれ続けていたという訳か。
そう考えると何となく汗臭いような気がしてきて、素直に謝意を感じることが出来なくなってきた。
いや、大変だったのだろうけれど。
「平らな通路に関しては、脚車の付いた荷台を取り付けて、それで運ばせて貰いました。慎重に運びましたので、傷などは付いていない筈ですよ」
「あ、アリガトウゴザイマス」
外傷は無いけれど、恐らく筋肉に取り囲まれぐいぐいと攻められたことによる心の傷が刻まれ、筋肉から分泌された汗やら汁やらが付着していることだろう。
ありがたいのだけれど、複雑な気分だった。
わたしは思わず、慰めるように布の上からピアノを撫でる。
「……? 兎も角、こちらの部屋が貴女の執務室、そしてこの奥が私室になります」
ジークベルトさんは説明を始め、入り口から見て右奥の壁にある一般サイズの扉へと近付いていった。
扉の色は、入り口のものと同じ青碧色だ。
ジークベルトさんに誘導され、私室という単語に驚愕しながらその扉をくぐる。
その部屋はメルさんと使っていた部屋と同じくらいの広さで、最低限の調度品類が置かれていた。但し、そのどれもに高級感が漂っていて、ベッドもゆうに2人は眠れそうなほどに大きい。
「そして反対側の扉の奥が、浴室と化粧室になります。何か足りないものなどがあれば、遠慮なく仰ってください」
冷や汗が背中を流れていくのを感じた。
何だろうこの悪意を感じるほどに素晴らしい待遇は。
「アコさん? もし不安があるようでしたら、専属の女中をお付け致しますか?」
「ひいっ!? いやいやいや、大丈夫です! 充分すぎです! ピアノが汗臭くてもお釣がきます!」
心配そうにわたしを覗き込むジークベルトさんに両手を突き出して、わたしは身振り手振りを加えて全力で拒否した。
一般庶民魂の迸るわたしにこれ以上の高級待遇が付与されたら、心労で死んでしまう。冗談ではなく。
過剰反応を示すわたしに、そうですか、とだけ言ってから、彼は説明を続けた。
「今日の夜から、アコさんが使用していた女中の部屋を先程の方に充てる予定ですので、その前に荷物をこちらへ運んで頂くことになります。その他細かい生活に関する事項に関しては、これからこちらへ来る者に説明を受けてください」
「は、はい」
なかなかのハードスケジュールだな、と脳が理解したちょうどその時、執務室の入り口の方からノックの音が聞こえてくる。
私室からそちらへと戻ってみると、開け放たれたままの執務室入り口前に見慣れた顔が立っていた。
ワイン色の綺麗な髪と、表情の崩れない涼しげな美貌。
リーゼ様の専属女中、ジネットさんだ。
彼女はわたしとジークベルトさんの姿を確認すると、すっと洗練された所作で一礼してくる。
「では、後は彼女から説明を受け、夜までに荷物の運搬をお願いします。待遇や手続き関連で何かある場合は、遠慮なく私に仰ってください。……日に何度か、顔を出しますので」
そう言って微笑を浮かべたジークベルトさんの顔は、昨日より更に疲れているように思えた。
説明者交代のためにジネットさんと短い会話を交わして去ろうとする彼に近付いて、そっと顔に手を伸ばす。
彼は若干身体を強張らせて身を引こうとしたけれど、構わずに彼の目許へと触れてそっと指で撫でた。
やっぱり、うっすらと昨晩は無かった筈の隈が出来ている。
「わたしのために色々動いてくれるのは嬉しいです。けど、それより自分の体調を気遣ってください」
ただでさえ忙しい人なのに、と。
わたしは眉根を寄せて、少し咎めるような口調で彼に言った。
折角綺麗な顔に隈まで作って。彼が体調まで崩してしまったら、心苦し過ぎて素直に喜べない。
ジークベルトさんはしばらく目を瞬いていたけれど、やがて、ふっと微笑を浮かべた。
わたしは思わず身を引きそうになる。
その表情が……昨晩見せてくれたものよりもずっとずっと甘やかで、優しげで、これまでに垣間見たことも無いようなもので、間近で直視することに酷く抵抗を覚えたのだ。
彼は目許に触れるわたしの手を外側からそっと握り込んで、微かに、顔をすり寄せる。
「大丈夫ですよ。この程度、苦労とは思いませんから。ご心配ありがとうございます」
「さっ、左様でございますか!?」
手のひらに彼の唇の端が触れて吐息が掛かったことに驚いて、わたしは肩をそびやかして反射的に反対側の手を離してしまった。
微かに苦笑めいたものを浮かべ、ジークベルトさんはわたしの手を解放する。
「また貴女の演奏を聴かせてください」
そう言ってジネットさんに目配せだけをすると、彼は今度こそ立ち去っていった。
わたしは不自然に手を虚空へと差し出したままの格好で硬直する。
セクハラ的な色気が漂うエリアスさんとはまた違った雰囲気だったけれど、今のジークベルトさんからも充分過ぎる色気がむんむんと漂っていた。
多大なる精神力を消耗した気がする。
セクハラをするような人種では無い筈なので、故意では無かったに違いないけれど。
脅威が去ったことで硬直を解き、俄かに滲んでいた冷や汗を拭って一息つく、と。
「第一王女の専属女中は見た……」
何も無い虚空を無表情で眺めたままのジネットさんが、家政婦は見た的なノリでぼそりと呟いた。
わたしは飛び上がる勢いで驚いて後ずさる。あまりにも無表情無反応だったため、彼女の存在を忘れるところだった。
「これは盟友とリーゼロッテ様にご報告差し上げなければ」
「盟友って誰!? ってか何かご報告差し上げるようなやり取りが展開されていましたでしょうか」
「あら嫌だ、自覚が無いだなんて。アコはなかなか小悪魔なのですね」
「そんなばかな」
彼女は一体何を見たというのか。ジークベルトさんの色気のことを言っているのだろうか。それなら納得できるけれど。
ふふふ、と、無表情なジネットさんにしては珍しく楽しそうに、彼女は笑った。
立ち話も何なので、と、わたしは執務室に備え付けられていた2人用の卓子の椅子を勧める。
「では、食事等の日常生活についてご説明させていただきますね」
卓子を挟んでわたしの正面へと腰を落ち着けてから、彼女は説明を始めた。わたしはお仕事用のメモ帳を広げながら聞く体勢を取る。
「私からのご説明は主に食事や清掃などの日常面についてです。王族風フルコースとその他のコースがありますが、私のお奨めの王族風フルコースのご説明で宜しいでしょうか」
「……はい?」
「ご肯定ありがとうございます。こちらのコースは、朝昼晩の食事は王族の方々と共にしていただき、身の回りのお世話は私達王族担当女中が起床から入浴からナニから就寝まで持ち回りでお世話をさせて頂くことになります。もれなく王族気分が味わえる究極のコースになりますが、こちらのコースをご選択で宜しいですね?」
待てマテ待て。
わたしは僅かばかりも肯定なんてしちゃいない。
王族の方々と同席して食事とか、わたしの胃にどれだけ負担を掛けるつもりなのか。
それにナニって何だ。正体不明過ぎて恐ろし過ぎる。
そもそも庶民派にそんな高級待遇したら死んでしまうと先程から申しておるというに。口には出していないけれど。
「宜しくありません」
至極無表情のまま一気にご説明くださったジネットさんのフルコースを、わたしは至極真剣な表情で拒否した。
ジネットさんは微かに残念そうな表情を浮かべる。
「……お奨めコースですのに」
「庶民派コースでお願いいたします」
そんな捨てられた仔犬のようなオーラを全身から放出したって、駄目なものは駄目です。わたしだって命は大事なんです。
頑ななわたしの態度に折れたのか、ジネットさんはオーラを放出するのを止めて小さく舌打ちした。
……舌打ちしおった、この人。
あれですよね。その様子だと、王族風フルコースとか言って傅かれて狼狽えるわたしを見て遊ぶ気満々でしたよねそれ。
淡々と真面目にプロのお仕事をこなす洗練された美しさを持ったお姉様メイドという、これまで彼女に対して抱いていた高潔なイメージがはらはらと儚く崩れ去っていく。
変人王女の専属女中は、やはり変人じゃないと務まらないということなのだろうか。
ジネットさんが最初に説明してくれた王族風フルコースというのも、一応は本当にわたしへ対する待遇の案として挙がっていたものなのだそうだ。
わたしが望みさえすれば、本当に採用される予定のものだったのだとか。
それだけ音楽家という存在が希少で、国にとっても重要視されているのだろう。
けれど、雇われる身であるからには自分の世話くらいは自分でしたいというのがわたしの考えだ。
ただでさえあんな立派な執務室やら私室やらを用意して貰ったというのに申し訳ないし、正直、どちらかというと世話焼き気質だったわたしが世話をして貰うなんていう状況も想像できない。
そのため、あの後ジネットさんに説明して貰ったのは、清掃用具に関することと彼女達の食事の時間帯についてのみだった。
清掃用具に関しては、執務室の一角に備え付けて貰えることになり。
食事に関しては、王族の専属女中の時間帯に合わせて、ジネットさん達と一緒に取らせて貰えることになった。
大概は他の人達の食事の準備や片付けなどが終わってからになるため、女中の食事の時間帯は通常よりも遅くなりがちだけれど、騎士棟でも似たような時間帯に取っていたため特に問題は感じない。
そんな簡単な説明を受け終えたわたしは、少ない荷物を新しい私室へと移動するために、騎士棟の女中の宿舎へと向かっていた。
ジークベルトさんのことだからどうせメルさんに対しての説明なんかも終えているのだろうけれど、まだ休憩時間帯のはずなので、出来れば挨拶なんかもしたい。
そんなことを考えながら、私室と呼べるのが今日で最後になる部屋の扉を、一応はノックする。
中からは、入室を促すメルさんの声が聞こえてきた。
「おかえりなさい、アコ」
「お、おかえりなさいっ!」
穏やかに微笑むメルさんの表情に、迎えてくれるその言葉に、深い安堵感を覚える。
迎えてくれる声はもうひとつ。室内にはポニーテールの……今日からわたしの代わりに第5宿舎の女中を務めてくれる少女の姿があった。
少しだけそばかすの浮いた、そこそこ彫りが深いながらもあどけなさの残る顔立ちの彼女は、既に女中の制服に身を包んでいる。
「ただいま。あと、初めまして。さっきは挨拶も出来なくてごめんなさい」
「いえっ! こちらこそ! 今日からお世話になります、モニカと申します!」
「亜己と申します」
少女が素早く立ち上がって勢いのまま頭を下げると、癖のある栗色のポニーテールも一緒に空を切る。
なかなか攻撃力が高そうなそれは、勢いをそのままに彼女の顔面に直撃していたようだけれど、大丈夫なのだろうか。
本人もメルさんも特に何も言わないので、とりあえずスルーしてみる。
「メルさん、急で済みません。わたし……」
「良いのよ。驚いたけど、急に居なくなる訳でも無いみたいで安心したわ。貴女は貴女に出来ることを、頑張って」
「はい……!」
「そして環境が変わったところで、別の視点から見える何かがあったらまめに活動報告しに来るのよ? こちらのことは、私に任せて」
「それは勿論」
わたしはメルさんが本当に出来たお方だということを再確認した。
……そして、抜かりが無いということも。
わたしとメルさんはその道を往く者が持つ光を瞳に宿し、視線で意志を通じ合わせた。主に、後半の会話について。
騎士棟の気になる人間関係の今後については、彼女に情報収集を任せておけば大丈夫だろう。新しい職場でどれほどわたしの観察眼を発揮する機会があるかは未知数だけれど、彼女の盟友として恥ずかしくないようにだけはしなければなるまい。
そんな同類にしか感知出来ないやり取りが行われていることなど知らないモニカさんは、胸の前で手を組んで瞳を輝かせ、新境地へと旅立つ後輩へ送る先輩の激励に聞こえないこともないそれに対し、感動を露にしている。
なかなか素直な子のようだ。そのままの貴女でいて欲しい。
「わっ、私も、未熟ながらアコさんの後続に恥じない仕事が出来るように頑張りますので!」
少し額を赤くしたモニカさんは、瞳を潤ませてがっしりとわたしの手を取った。やっぱりさっきのポニーテールアタックは顔面に命中していたのか。
メルさんがスルーしていたことから察するに、もう何度か同じことを繰り返し、心配するだけ損だと悟った後なのだろう。
良い子そうだけれど所謂ドジっ子属性なのかな、なんて分析していると。
「後のことはお姉さん達に任せて、新しいお仕事を頑張ってくださいっ!」
モニカさんは、わたしの瞳を真っすぐに見てそんな台詞を口走った。
笑顔を貼り付けたままのわたしの周辺の空気が凍る。
ついでにそんなわたしの気配を察したメルさんが緊張を走らせる。
前言撤回。
少しばかり性格を矯正する必要があるようだ。
わたしは笑顔のまま殺気を迸らせ、モニカさんの顔を両手でがっちりと掴む。
彼女は戸惑って若干怯んだようだけれど、そんなモン知ったこっちゃない。
「モニカさんはお年は幾つかな?」
「はえっ!? じゅ、15ですが……!?」
「そう、若いって良いデスネ。でも若い故の過ちっていうものがあるということも、知らなくちゃ駄目デスヨ。どちらかというとわたしの方がお姉さん。人生の先輩。オーケィ?」
「え、えっ? ええええええええええぇぇえぇええぇぇぇぇ!!?」
ありえない、という文字が顔から飛び出す勢いで驚愕するモニカさん。
何だその露骨な反応は。
警告だけで済まそうかと思っていたけれど、どうやら彼女は完全にわたしの怒りスイッチをONにしてしまったようだ。教育的指導が必要である。
わたしは彼女の尻尾を掴み、スパーンと彼女の顔面目掛けて投げ付けた。
はうっ、と短い声を上げるモニカさんに、わたしは右手の指先をびしっと突き付ける。
「ちょっとそこに正座したまえッッッ!!」
「せ、セイザ!?」
「正座も知らんのか最近の若者はーーー!! わたしの後続を名乗るのなら正座と土下座は必修スキルだってのよ!! ハイ膝を付く、足先を伸ばす、足の甲を床に付ける! 尻をかかとに据える! 背筋を伸ばす! そう、それがジャパニーズの基本姿勢である正座よ!! オラもっとしゃきっと背筋伸ばせんのか!!」
「あ、アコさん、この体勢なかなか辛いですううぅぅ」
「わたしのことは亜己先輩とお呼び! ほんの数秒でへこたれてんじゃないわよ! その姿勢を一時間キープ! そしてその後引き続き土下座習得のための修行に移行するわよ!!」
「アコ先輩、足がっ、足が痺れてきましたっ! 一時間とか無理ですぅっ! あとドゲザって何ですか!?」
「ホホ、痺れきったところで足の裏をつついてあげるから覚悟しなさい! 土下座っていうのはねぇ……もがっ」
「なーにやってんだ、お前は」
折角ノッってきたというのに、わたしは背後から何者かに口を塞がれ、拘束された。
犯人の片腕で腕ごと身体を抱き込むようにして持ち上げられてしまったので、床に足が着かない。そのうえ口を塞いでいる方の手が邪魔をして振り向けないけれど、こんな力技を行使してくる筋肉質はひとりしか居ないだろう。
わたしは全力で身体をうねらせて暴れてみた。勿論、犯人はびくともしない。
くっ……悔しいいいいいいぃぃぃ!!
「むがー! むあー!」
「ハイハイ、後で聞いてやるから大人しくしてろって。もうすぐ騎士棟女中の休憩終わりなんだから一時間とか無理だろ。メル、悪いがアコの荷物まとめてくれるか。取り押さえとくから」
「はい、只今」
「むぁむむんむむむむむむあーー!!」
メルさんの裏切り者ーー! と叫びたいのに、叫びたいのにいいいぃぃ!!
まだ後輩の指導が済んでいないというのに、何故こんな筋肉質を手引きしたのか!
そんなことを考えながらじたばたと無駄な抵抗をしているうちに、メルさんはてきぱきとわたしの荷物をまとめ終えてしまった。こんな時まで仕事の早さを発揮しなくても良いのに。
犯人……シュリはわたしを左脇へと抱え直し、右手でメルさんから袋に詰められた荷物を受け取った。
「離せ筋肉! わたしの指導はまだ終わっちゃいないのよ! それに何で乙女の部屋に勝手に入ってんのよ!」
「ちゃんとノックしたしメルに許可取ったっての。お前が暴走してて見てなかっただけだろ。荷物を今日中に移すって聞いたから手伝いに来てみたらこれだ」
「暴走ではなく教育的指導よ!」
「じゃあな、メル。色々と急で悪ぃが女中の仕事とそっちの後輩のフォローは頼んだ」
「お任せください」
「待ちなさいよ! なんでわたしを無視して話進めてんのよ! みんな敵か! 敵なのかあああぁぁっ!!」
口だけは開放されたので叫んでみるけれど、わたしの魂の叫びも虚しく、シュリはわたしを抱えたまま踵を返して退室してしまう。
閉まっていく扉の奥に、冷や汗を流しながらも手を振るメルさんと、床に四つん這い状態のまま足の痺れと格闘するモニカの姿が見えた。
ともあれ、そんないきさつを経て、わたしは音楽に触れられる日々を手にしたのである。