第4話 - わたしにできること 【前編】
「明日の午後、女王の前で演奏していただきます」
わたしが幸福感と大失態を味わったあの日から5日後の夜。
深夜に近い時間帯だというのに珍しく騎士棟女中の宿舎を訪れたジークベルトさんが、わたしに向かってそう言った。
じょおうって……女王様ですか。この国の最高権力者のことですか。
嫌な汗が背中を流れていくのを感じた。
宣言通り楽器の使用許可を取るために色々してくれているらしいので、その流れの一環なのだろうけれど。一体何故そのような事態に。
半開きのドアを挟んでジークベルトさんと対峙した状態のまま、わたしは硬直する。
と、心情を察してくれたらしいジークベルトさんが、表情に申し訳なさを滲ませながら説明してくれた。
「実際に貴女の演奏をお聴きになってから、楽器を解放するかどうか審議するそうです。近日だと時間の調整が明日の午後しか取れず、急で申し訳ありません」
「い、いえあの。じょ、じょ、女王様がしがないメガネメイドの演奏を聴きにわざわざご足労を……?」
「めがね……? よく判りませんが、貴女の演奏ならきっと大丈夫ですよ」
いやいやそういうことを突っ込んでいる訳ではないのです。
そう思ったけれども、ジークベルトさんが疲れた顔にわたしを励ますかのような微笑を浮かべるのを見て、何も言えなくなってしまった。
わたしに対して決して多くは言わないけれども、シュリ、ジークベルトさん、エリアスさんの3人が国有の楽器を身元不明ないち個人へと開放するために文字通り奔走してくれていることを、様々な情報源を通じて、わたしは知っている。
特に文官であるジークベルトさんは、それに関する細かい申請やら処理やらの殆どを請け負って動いてくれているらしく。元々忙しい人で基本的に時間外労働なうえに輪を掛けて時間外労働をしているような状態なのだそうだ。
有り難さと申し訳なさに涙が出そうになる。
「うっうっ……若ぇのに、苦労掛けちまって申し訳ねぇ」
「いえ、若さならアコさんの方が上では……? 兎も角、明日の午後、ちょうど貴女方の休憩時間に差し掛かった辺りの時間になりますので。早めに準備をお願いしますね。では」
夜も遅いので、女性の部屋の前に長時間居る訳にもいかないと思ってのことだろう。ジークベルトさんは、用件だけを述べて立ち去ろうとした。
その服の裾をちょっと摘んで、わたしは彼を引きとめる。
不思議そうに振り返る彼の手を取って開かせ、わたしは夜着のポケットから取り出した飴を握らせた。手を離すと、透明な包装紙がかさりと微かな音を立てる。
手のひらの飴をまじまじと見つめるジークベルトさんが、少し可笑しかった。
「疲れているときは甘いものが良いと言うので。こんなことくらいしか出来なくて、ごめんなさい」
しかもシュリからの貰い物の飴でごめんなさい。
お礼も兼ねて、わたしは深めに頭を下げる。
すると、ふわりと。何かが柔らかくわたしの頭を撫でた。
顔を上げてみると、握らせた飴に負けないくらい甘やかな微笑を浮かべたジークベルトさんの顔があって、少し驚く。
「応援していますので」
「……ありがとうございます」
頭を撫でられるとか。これはやはり、子供扱いされているのだろうか。
この間、わんわん泣いている現場を目撃されたうえに慰めてもらっているしなぁ……それに疲れたら甘いものという思考も、少し安直過ぎたように思う。
けれども微かに髪を梳くその手の暖かさと言葉を、わたしは素直に受け取っていた。
こんな風に撫でて貰ったのなんて、いつ以来だろう。
子供の頃。当時のわたしにとっては大きかった、おばあちゃんの手を思い出す。
「では、失礼します」
感慨に耽っているとするりと手が離れて、ジークベルトさんは部屋の前から立ち去っていった。
静かに離れていくその背中に慌ててもう一度頭を下げてから、わたしはずっと半開き状態だった部屋の扉を閉める。
と、いつの間にか起き上がってベッドの縁に腰掛けているメルさんとばっちり目が合った。
眠っていたようだったので、ジークベルトさんから見えないように気を遣って扉も半開き状態にしていた訳だったのだけれど。
しかも何だか、若き騎士達に向ける観察眼の中に故意に冷やかしを含ませたかのような視線を向けられている。
「深夜の逢瀬?」
「いえただの業務連絡です」
口許に手を添えにんまりと笑いながら言ったメルさんに、わたしは即座に突っ込みを入れた。
起きていたのなら会話も聞こえていただろうに。一体何を聞いてそう解釈したのやら。
そもそも貴女、親衛隊長×第一行政室室長派じゃなかったんですか。わたしはどちらかというと攻め受け逆な気がするけれど。
「女王様がどうとか言っていたようだけど、何かあったの?」
問われて、どう答えれば良いものか迷う。
寝過ごして夕方の業務を放り投げるという大失態をやらかした後、わたしは謝り倒すことに必死で、ご迷惑を掛けたにも関わらずメルさんに諸々の事情を説明できずにいた。
メルさん自身も深い事情を聞いてこなかったし、そうこうしてタイミングを逃しているうちに「楽器の件は決定するまであまり大っぴらにするなよ」とシュリから釘を刺されたのである。
「あったと言えばあったのですが、自分でも何が何だかよく判らないと言いますか……」
迷った末、わたしの口から出たのは自分でも呆れるくらい曖昧な言葉だった。
ふぅん? と、メルさんは特に嫌な顔もせず首だけを傾げる。
「明日になれば色々判明する筈なので、ごめんなさい」
「あっ、責めている訳じゃないのよ! 気にしないで。よく判らないけど、明日、頑張ってね」
申し訳なくなって頭を下げると、メルさんは慌てて制してきたばかりか応援までしてくれた。
「はい!」
嬉しさに破顔した顔を上げて、わたしは相変わらず良い人全開のメルさんを見上げる。と、笑顔のメルさんによしよしと頭を撫でられた。
……やはり、子供扱いされているのだろうか。
翌日わたしはメルさんと共に早朝に起床。
朝食の準備を手伝い、あらかた準備が終えたところでフライパンとすりこぎを持って出動。
ガンガンと大音量でフライパンを打ち鳴らしながら、四階建ての第五宿舎内を練り歩く。時々「朝ー」「清々しい朝ですよー」「さっさと起床しましょうねー」などといった台詞を交えることも忘れずに。
通った傍からバタバタガタガタと室内が喧しくなり、何処かで誰かがベッドから落ちたような音まで聞こえてくる。寝覚めの良い人なんかは部屋から顔を出しておはようの挨拶をしてくたりするので、挨拶を返しながら起床号令を続行した。
ひと仕事終えた汗を拭いながら食堂へ戻ると、起き抜けの騎士達がぼちぼち朝食を摂りにくる。
学校給食みたいに並んで食事を取っていく彼らの配膳を手伝い、順次食事を終えることにより溜まっていく食器をやっつけ……無論、食器洗浄器なんて無いので手洗いだ。
週が変わっているので、終われば今度は宿舎清掃。
これでもか、これでもか! とほぼ無人になった宿舎の埃を特製はたきで落としていると、廊下の窓からシュリが顔を見せる。
これまでも仕事ついでに通り掛った時は声を掛けてくれていたけれど、親衛隊員が宿舎まで来るような用事などほぼ無いので前回宿舎清掃だった時はそれも無かったというのに、ここ5日間はこうして毎日だった。
宿舎の壁を挟んで行われる彼とのやり取りは、他愛の無い短い会話で終わる。
今日はそれに、午後の件に関する応援が入った。
彼も暇ではない筈なので、わざわざここに足を運んでまで言いに来ることもないのに、なんて思ったけれど、案じてくれているのは素直に嬉しいので口には出さずに見送る。
ついでにアルノルトさんも、爆睡事件の後わたしの体調を心配してくれているらしく、毎日わたしの許を訪れては大変じゃないかとか何か手伝おうかとか言って纏わり付いてくるのだけれど、正直そろそろうz……総隊長の方がお仕事が大変な筈なので、きっちりと断ってお帰りいただいた。
そうこうしているうちに昼前に。
朝と同じように準備を手伝い、片付け、昨夜の会話を聞いていたメルさんが気を遣ってくれて、今日は少しだけ早めに上がらせて貰う。
あっという間に、その時間はやって来た。
場所は覚えていたので、自らの足であの場所へと向かう。
扉が開放されたまま放置は出来ないということで、エリアスさんが再び魔法による施錠を施したらしいので、あれ以来この場所へと足を運んではいなかったけれど。
青い照明に照らされた薄暗い階段を降りていくと、青銅色の扉は開け放たれている。
中央に置かれたピアノの前には、既に誰かが立っていた。
薄青い、淡い光の中でも映える銀糸の髪が振り返った拍子にさらりと流れて、表情に、深紅の瞳の目許に、ゆるりと笑みを浮かべる。
この場所の閑寂な神秘性をも取り込んだエリアスさんの微笑みは、戦慄するほどの美しさがあった。
以前は悪魔的だと思っていたけれど、逆に天上人だと言っても差し支えないほどに。服は黒だけれど、牧師風であるし。
その彼の背景がピアノというのが、何ともよく似合っていた。
ダークグリーンの布を外して上蓋が開かれていたら、きっともっと似合うのに。
そんなことを考えているうちに、目の前まで距離を詰められる。……油断していた。
「早かったね、アコ」
「えっ、エリアスさんこそ」
「おれが封印を解いておかないと。誰も入室出来ないからね」
「そ、それもそうですね」
わたしの為に色々奔走してくれている恩人のひとりなのは判ってはいるけれど。慰めてもらった記憶もしっかりとあるけれど。何となく構えてしまうのは仕方のないことだろう。何せセクハラ前科……何犯だ。もはや覚えていないレベルだ。
「そろそろ、準備が始まる頃だと思う。アコも演奏の準備を始めた方が良いんじゃないかな」
「は……はい」
以前までならこのくらいのタイミングで挨拶とばかりにセクハラが飛んでくるところだけれど、エリアスさんはそれだけを言ってホールのようなこの空間の隅へと移動し、石壁に背中を預ける。
彼に会うのは初めてこの場所へ来た時以来だったので、きつい挨拶が飛んでくると想定して構えていた筈が。思わず拍子抜けしてしまったけれど、自重する気になってくれたのであれば、良い傾向だ。
わたしはピアノの前へと進み出て、ダークグリーンの布をするすると外した。
相変わらず綺麗な黒い胴体。
布を簡単に畳んで傍らに置き、上蓋を開いて固定。鍵盤の蓋も開く。
すうっと鍵盤を撫でるわたしの顔はきっとにやけていただろう。
鍵盤を指でなぞる行為に夢中になっていると、クスクスと微かな笑い声が聞こえてきた。
顔を上げてみると、壁へと寄り掛かったまま穏やかな表情でわたしを見ているエリアスさんと目が合う。
そ、そんなに変な顔してたのだろうか。
何となく気恥ずかしくなって、わたしは雰囲気の転換を試みた。
「そういえば、前回ピアノの状態を戻してくれたのって」
「ああ、おれだね。そうした方が良いような気がして」
「ありがとうございます。眠っちゃってそのままだったから気になって」
「どういたしまして」
「……」
会話が終わってしまう。
準備という準備も終わってしまったので、この居たたまれない状況をどうしようか。練習しても良いのだろうか。
ほんの数瞬、逡巡していると、上の方ががやがやと煩くなってきた。
と思って入り口の方を見ると、椅子を持った若い文官らしき人が数人、慌ただしく空間へと入ってくる。
そのうちのひとりが、ピアノの傍らへと立つわたしに近付いてきた。
「椅子はどのように設置すれば宜しいでしょうか」
「えっ? ええと、こちらを正面と捉えて置くのが良いかと」
「了解致しました」
聞かれたので思わず蓋が開いている方を正面にするよう身振り手振りを加えて答えると、文官さんは椅子を持った仲間の方へと戻っていく。
計5名の彼らは、わたしが指示した通りの向きで前列に3脚、後列に2脚の椅子を並べてから慌ただしく立ち去った。
……と思いきや、すぐに再び戻ってきて今度は後列に椅子を足していく。
その行動はもう二回繰り返され、計20脚の椅子を並べると、呆然とするわたしと優雅に立つエリアスさんに一礼してから去っていった。
折り畳み式パイプ椅子なんていう安くて便利な代物は無いので、ひとつひとつがそこそこ重そうで、高価そうな皮貼りの木製椅子。
前列の一脚だけ色の違う皮が貼られ宝石があしらわれていて、更に高級感が漂っている。
……これは一体、何事。
わたしは女王様の前でだけ演奏するのではなかったのだろうか。
まさか女王様が20人も居るとかそんなオチの訳もないだろうし……いやいや変態国家なので判らんけれど。
嫌な汗が流れていくのを感じながらぐるぐるとそんなことを考えていると、今度は見慣れた顔が降りてきた。
よく見るツーショット。シュリとジークベルトさんだ。
わたしはダッシュでふたりへと詰め寄ってシュリの胸倉を掴み上げ(……いや、相変わらず上がらないけれど)、キッとジークベルトさんを睨む。
「女王様って20人も居るんですかっ!?」
「ああ、女王の予定に合わせて時間を取れる限りの重鎮を集めさせて頂きましたので。急遽決まったことなのでご説明出来ませんでしたね」
「普通に説明せんでください!!」
「それよりお前これ、胸倉掴む相手間違ってるだろ」
「うっさいこの共犯者がっ!! この荒ぶる緊張感をどうしてくれるううぅぅぅ!!」
「あー、はいはい。また飴買ってやるから落ち着けって」
「重鎮揃い踏みとか聞いて落ち着けるものかあぁっ!! 飴はいただくけれども!!」
殆ど涙目になりながら訴えると、よしよしとシュリに頭を撫でられた。
その様子を見て、エリアスさんが苦笑する。
「では申し訳ありませんが、アコさん。そろそろ待機をお願いします」
「うっ、うっ……失敗したら呪ってやるからな……」
やんわりとシュリの胸倉を掴んでいた手を外したジークベルトさんに半ばエスコートされながら、わたしは再びピアノの傍らへと立った。
ジークベルトさんはそのままわたしの隣に立ち、シュリは壁に寄り掛かるエリアスさんの方へと向かう。
せめて背筋くらいは伸ばそう。
そう思って丸まっていた背を伸ばし真っすぐに立つと、腕組みをして壁に背を預けていたエリアスさんが腕を外し、佇まいを正した。
ゆっくりと、ゆっくりと。
階段の方から、上品な足音が近付いてくる。
緊張感が増すのを感じながら見守っていると、美しい壮齢の女性が降りてきた。
綺麗に編み込まれた金糸の髪に、菫色と碧のオッドアイ。
釣り目気味の気の強そうな面差しを見て、黒と灰色のドレスを纏ったその女性がリーゼ様の親類……女王であろうことがすぐに判った。
女王のすぐ後ろには、目の色は女王とお揃いだけれどリーゼ様を小さくしたかのような少女が続き、壮齢の凛々しい雰囲気の文官らしき男性が続き。
その後にもぞろぞろと、こぞって位の高そうな老人やらおじさまやらが降りてくる。
中にはアルノルトさんや城へ来た初日にシュリと話していた騎士風の人など、見知った顔もあった。
ジークベルトさん達があまりにも自然な動きで頭を垂れるのを見て、わたしも慌てて頭を下げる。
前列の中央、豪華な椅子の前に立った女王がすうっと手を前に差し出すと、ジークベルトさん達は頭を上げた。わたしも倣って上げたけれど、慌てたのと緊張で少しばかり動きがぎこちなくなってしまう。
「アコ、と申すそうだな。失われた技術を再現する音楽家だと聞き、私は今日という日を待ち侘びていた。手並みを拝見させて貰おう」
凛々しい声で、口調で、女王は言い放った。
ひいぃぃ待ち侘びるだなんてそんな恐れ多過ぎる……!!
わたしは心の中で悲鳴を上げる。
「き、恐縮の至りです。拙い弾き手ではありますが、ほんの僅かなお時間、お付き合いいただければ幸いです」
心中が大荒れの割にはまともな言葉が出たので安心した。
うむ、と頷いた女王は、自分の隣に立つ少女を真ん中の豪華な椅子に座らせ、後ろへと並ぶ家臣達にも座るよう促す。女王が少女の右隣の椅子に腰を降ろすと、凛々しい文官男性がその左隣に座り、家臣達も腰を降ろした。
シュリとエリアスさんも、後列の空いている席へと着く。
それを確認してから、ジークベルトさんが一礼して話し始めた。
「お集まり頂き、深く感謝致します。委細については事前にお配りした資料の通りになります。これから行われる演奏を実際にお聞きになり、我々が提出した内容を受理するかどうかを決定して頂きたい」
彼の良く通る声を頷きながら聞く者、訝しがる者。弾き手がわたしのような小娘だと思っていなかったのかどうかは知らないけれど、重鎮達の反応は勿論、興味の持たれ方も様々なように思う。
「アコ、お願いします」
「はい」
最後にわたしへと短く声を掛けてから、ジークベルトさんは後列の端、ひとつだけ空いている席へと向かい腰を降ろした。
わたしは深く、深く一礼してから、ピアノへと向かい合う。
重鎮揃い踏みと聞いてから感じていた焦燥も、緊張も、今は感じない。
女王が自分の娘へと向けた親らしい愛情を垣間見たからだろうか。
同じ人間なんだなぁと、そんな風に思わせられたからだろうか。
上手く言葉に出来ないけれど、音楽を知らないという彼らがそれを知れば。聴いて貰うことが出来れば。
彼らもきっと、好きになってくれる。
何となく、そう思ったのだ。
鍵盤に指を添える。
次瞬、鳴り響くのは、高尚で洗練された小さな鐘の音色を模した音。
リストの、パガニーニによる大練習曲第3番嬰ト短調 ラ・カンパネラ。
6曲から成る『パガニーニによる大練習曲』の中のひとつで、パガニーニのバイオリン曲、通称『鐘のロンド』の主題を用いてリストが生み出した5つの『ラ・カンパネラ』のうち、最後に作曲された曲だ。
この曲以前のラ・カンパネラの演奏難易度が高すぎたために、他のピアニスト向けに難易度を落として編曲されたものだけれど、以前のものも含め最も美しく鳴り響く鐘の音を全面に押し出したこの曲は、多くのピアニスト達に愛奏されている。
2オクターブを超える音の跳躍に、軽快な速度の演奏。
オクターブ和音の連続に、煌びやかなトリル。
沢山の難しい技巧が必要とされる曲だけれど、わたしはこの曲の美しさと躍動感が好きだった。
わたしのこの気持ちは、伝わるだろうか。
最後までその想いを込めながら。自然、笑顔を浮かべながら。鐘の音を模したロンドを、大切に、大切に、わたしは奏でていった。
5分ほどの演奏が終わり、鍵盤から指を離す。
不自然なまでの静寂が広がる中、わたしはゆっくりと立ち上がって重鎮達へと向き直り、始まりと同じように深く一礼した。
顔を上げてみれば、この件で最もお世話になった3人が笑みを浮かべているのに対し、それ以外の方々はこぞって呆然としている。
な、な、何かやらかしたのだろうかわたしは。
若干焦りが生じ始めた頃、女王がゆらりと立ち上がった。
そうしてから、上品な長手袋の嵌められた手をぱちぱちと打ち鳴らす。
……拍手だ。
女王の行動で我に返った重鎮の面々も同じように立ち上がり、わたしに向けて拍手を送ってくれた。
じんわりと、色々なものが胸の奥からこみ上げてきて嬉しくなる。
やがて、女王がわたしの元へと歩み寄り、両手を彼女の手で包み込むようにして取られた。
「素晴らしきものよ。かつて我々が失わせてしまったものが、これほどまでに感動を与えてくれるものだとは知らなかった。よくぞ、この国へとその技術を運んでくれた」
「いえ、聞いて貰えて、一緒に好きになって貰えたら……それだけで、わたしは嬉しいんです」
たったそれだけを、心の底から思う。
真意を聞いた目の前の女王が穏やかに笑うので、わたしも笑みを深くした。
「嬉しきことよ。問うが、今のような……曲は、幾つもあるものなのか?」
「はい、この場では説明しきれないほどの沢山の素晴らしい曲があります」
そうか、と、女王は短く応えてわたしの手を取ったまま振り返り、前列に立つ凛々しい文官男性と目配せして頷き合う。
再びわたしへと視線を据え、女王は告げた。
「アコよ。お前にこの楽器を開放し、国の音楽家として迎え入れたいと思う。応えてくれるか」
開放して貰えるという事実は、今すぐ踊り出したいほどに嬉しい。けれど、く、く、国の音楽家として……!?
笑みを貼り付けたまま、わたしは内心で非常に狼狽える。
「お前の持つ知識や技術は、今となっては誰も知る者の居ない希少なもの。素晴らしきもの。開放する条件と言ってしまえばそうなるが、お前の持つそれらを、この国へと提供しては貰えないだろうか」
わたしが、伝える。
世界から潰えた、音楽を。
身の丈に合わない要求のように思う。
わたしが伝えられることなんて、音楽が、ピアノが大好きだというこの気持ちだけだ。
けれども、女王の真摯な眼差しが。
受け入れてくれようとしているその想いが、嬉しい。
嬉しい。
女王に手を取られたまま少しだけ身体を離し、可能な限り深く腰を折って頭を下げる。
「身の丈に余る、光栄です」
答えると、再び拍手の音が聞こえてきた。
女王に顔を上げるよう促されたので、顔を上げて重鎮達を見渡す。
彼らは一様に笑顔を浮かべたり頷いたりしながら拍手を送ってくれていて、拒まれなかったことに安堵すると共に、更なる喜びが沸き上がってきた。
作中に登場する曲、相変わらず
下記アドレス(自サイト)にてMIDIを試聴可能です。
気になった方がいらっしゃいましたら、是非。
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