幕間3 - その音の傍らで (SIDE:ジーク)
※ ジークベルト視点のお話です。
「この報告書の委細は、誠か」
場所は王族棟にある女王の執務室。
私を含め、シュリ、エリアス様の3名が呼び出され、入室するなりそう告げられた。
告げたのは、女王の夫でありアルス・ノーヴァ王国の総裁でもあるナザール様。執務机へと着く女王の傍らに立つ彼は、我々が連名で提出した報告書と提案書を手にしている。
「委細、相違ありません」
私はナザール様と女王オルガ様の目を見て答えた。
彼らは一様に小さく肩を竦める。
信じられない、とでも言いたげだった。
「その後遺物に施されていた魔術の解析も行いましたが、空間移転を行う為のものと見て良いでしょう。尤も、発動から時間が経っており、魔力残渣も微かなものでしたので、更に詳しいことが不明なのが惜しまれますが」
「異界から来た音楽家、か……」
エリアス様の説明を受け、ナザール様が呟く。
ふと、机上に肘をつき組んだ手を口許へと寄せていたオルガ様が、その手を机上へと降ろし、視線を上げた。
「我々は、再び音楽家を受け入れられると思うか?」
かつて人々を惑わすとされ世界から排除された音楽家。
排除した勢力を淘汰することによりこの国が成ったとはいえ、未だ、音楽家という存在自体にどこか排斥的な目を向ける存在が居ない訳ではない。
どのようなものか空想でしか知らないからこそ、その存在を恐怖するのだろう。
だが。
我々連名者3名は、ふと顔を見合わせて薄く笑った。
聴いた者ならば判る。
あの、えも言われぬ感動を。
決して、排斥されるべきものでは無いのだということを。
「オルガ様、ナザール様。アコの演奏を聴けば、俺達がここまでして遺物の開放を要請する意味が判ると思いますよ」
少し笑みを深くしたシュリが言う。
彼女のことを思い浮かべているのだろうことが一目で判る、穏やかな笑みだ。
「そうか。そうであれば、我々も実際に聴いてみたいものだ」
我々の表情と彼の言葉を、オルガ様は是と捉えたらしい。
「実際にこの耳で音楽というものを捉え、それにより遺物を開放するかどうか、お前達の提案を受け入れるかどうかを決定しよう。ナザール、明日の午後は?」
「片時ほどであれば、調整がつくかと」
「ではジークベルトよ。明日の午後、昼時分を過ぎた頃に演奏の時間を調整して貰えるか」
「心得ました」
「可能であるなら、各部副長以上の者も集めよ。過去に排除されたものがどのようなものであったのか。我々は恐れずに、知るべきだ」
「はい」
判断の早さ。物事を正しく吟味し、積極性を以って取り入れようとする姿勢。身分の違う我々とも顔を突き合わせて意見を交わし、意見を汲み上げようとする真摯な姿。
無論、他にも様々な理由はあるのだろうが、それらが今代の女王が慕われる最も大きな理由であろうと、私は考えていた。
もう夜も遅い時間であったこともあり、我々は退室を促される。
3人が揃って退室し、行政棟方面へ向かって歩いた。
明日を演奏の日とするなら、本日中にまだやるべきことが残っている。
行政棟内にある印刷室へと向かい、予め控えておいた報告書と提案書の内容を纏めたものを、印刷の為の器具に掛けた。
四角い翡翠色の魔石の上に紙を置くと、置かれた紙の中でもインクの乗っている部分を魔石が読み取り、鈍い輝きを経て魔石は印刷版へと姿を変える。
それに取っ手を嵌め込んでからインクを付け、他の紙に刷り移す。
数年前に第一王女の要望で客員魔術師のサリア様が開発したこの器具は、文官の間では重宝されていた。
何せ、石版のようなこの四角い魔石に魔力を送り込んでさえおけば、何度でも別な書面を読み取らせ再利用することが出来、永続的に使えるのだ。
魔力の消費量が微量とはいえ、魔力切れを起こせば使用できないという欠点はあるが。
そうして書類を配布すべき人数分を刷り終え、取っ手と原本を外した魔石が元の凹凸の無いものに戻ったことを確認してから、私はそのおよそ半分をシュリへと渡した。
エリアス様はもう少し深く遺物の魔術について解析したいと述べ、行政棟の途中で別れている。
開放されるとなれば、遺物は場所を移すことになるだろう。そうなった際に、解析出来る程の魔力残渣が残るかどうかが不明な為、今のうちに調べたいのだそうだ。
彼も随分と、熱心なことだと思う。
……尤も、人の事は言えないことは承知しているが。
「では、騎士棟方面へ配布をお願いします」
「任せとけ。あー、アコには」
「私が伝えに行きます」
「……そうか」
即答したことでシュリが微かに目を眇めたが、視界に入っていない振りをして自分の担当分の書類を揃えた。
そんな事をしなくとも、既に私がアコさんに抱き始めた想いになど気付いているのだろうが。
私もまた、気付いている。
様々な事柄に一線を引いて接していたエリアス様が、彼女に関しては自ら踏み込み、己の近くへと引き込もうとしていることにも。
幼少期より剣にのみ打ち込んでいたシュリが、祖父の死により見失っていた剣を掲げる理由に、彼女の存在を当て嵌めようとしていることにも。
全ては彼女と頻繁に話すようになり、彼女の動向を目で追うようになって気付いたことだ。
アコさんは容貌は子供のようでいて、礼節は弁え、酷く老成した側面をも見せる。
尤も、時折暴走もするが。
それすらも、均整の取れていない不可思議な彼女の魅力の一部なのだろう。
初めは、珍しくシュリが連れてきた人間という興味以上のものなど抱いてはいなかった。
だが、何故か客員魔術師殿達に追い掛けられる彼女の境遇に同情し、話を聞くうちに。彼女が頼ってくれることに、彼女が見せてくれる笑顔に、並々ならぬ喜びを感じるようになっていった。
惹かれ始めていることに気付いたのは、偶然にも彼女の演奏を耳にする機会に恵まれた時だろう。
あの時の、遺物へと向き合う彼女の姿。心の奥の奥まで響いてくる美しき演奏。静かな、だが確実に心の中心を捕えてくるかのような感動と、高揚感。
忘れようと努めても、到底忘れられるものでは無かった。
自分の心境の変化を、他人事のようにぼんやりと理解する。
だが、今この瞬間も己の奥で燻るこの感覚は……決して他人事などでは無いのだ。
騎士棟の途中まで来たところで、シュリと別れる。
「ジーク、顔色悪ぃぞ。あんまり根詰めてぶっ倒れねえようにな」
「ご心配には及びません」
別れ際に言われた言葉に素っ気の無い返答をすると、シュリはやれやれと言わんばかりに溜息を吐いた。
昔は、時折こうして年上であるかのような配慮や言動を見せる彼に腹を立て衝突したものだが、今となっては気に掛かるようなことでも無い。
それでも思わず対応が悪くなってしまったのは……恐らくは、ここのところ彼を嫉視していたからなのだろう。
どのような立場の者とも気さくに話し、幅広い者達のことを気に掛け、面倒を見てしまえる。嫌味無く自然体でそれを実行出来るのは、彼の美点だった。
そうして彼に期待や信頼を寄せるようになる者達の想いに、応えてしまえる。
良い意味で、始末に負えない男だ。
だが私が羨んでいるのは、彼のそういった美点についてでは無い。
「……大丈夫ですよ、本当に無理だと思えば休息は取ります」
一応は言い足してから、私はシュリが向かうであろう方向とは逆へと歩き出した。
ややあって、背中へと感じていた視線が外され、彼も目的の方向へと向かった気配がする。
確かに、ここ数日は通常業務に加え、アコさんの件での報告書と提案書の作成作業に追われる日々であった。
情報収集についてはシュリとエリアス様から積極的な協力を得られたので、大分楽であったが。
報告書というのは、アコさんがどうやってこの国へ、城へ入り、何を行い、どうやって遺物へと辿り着いたのか、その経緯についてであり。
提案書というのは、彼女を王国付きの音楽家として迎え入れ、失われてしまった音楽というものの情報と知識を彼女を中心として復興させていく為の提案であり、遺物を開放することもその内に含まれていた。
国へ、音楽家を迎え入れる。
新しい事を始めるには相応の下準備と体力が必要なものだが、特に、音楽家というのは人々の認識の面に於いて微妙な立ち位置に居る為、何の抵抗もなく受け入れることは困難だろう。
だが、連名者の中に、提案が失敗することを懸念している者など存在しなかった。
何せ彼女の技術を認めさせる為の足掛かりを、掴むことが出来たのだから。
少しずつでも、人々に彼女の演奏を聞いて貰う機会を設けること。
それが、提案を通す為の絶対条件。
今回、我々は国の上層に対しその機会を得たのだ。
彼女の演奏を聴けば。我々が開放を推奨する意図も、彼女が紡ぎ出す得難い感動も、体感すると共に理解もして貰えるだろう。
上層へと広がったその感動は、やがて城内へ。城下へ、世界へと広がっていくのだ。
大袈裟な言い分かも知れないが、開放を得ること然り、遠くない未来にそうなるであろうという確証にも似た想いが、私の中にはある。
そうさせるだけの実力が彼女にはあった。
我々だけが知っていたものが遠い場所へと広がっていくのは寂しくもあるが、独占し留めておくべきものでも無い。
それに、そうなったとしても支えていくことなら出来る。
今後彼女に関わる様々な事象や手続きに対し、筆頭である私が再び奔走することになるであろうことも、予想の範疇であった。
そうなれば、立ち位置的に最も彼女の傍に居られるのは、自分だ。
思い通りに彼女に触れ、引き寄せようとするエリアス様でもなく。
現状最も頼りにされ、打ち解けた態度を示すシュリでもなく。
……自分なのだ。
例え手持ちの業務への上乗せになろうとも、彼女の傍で、彼女の演奏が再び聴けるのだと思えば苦にはならない。
柄にもなくそんなことを考えているうちに、女中の宿舎の前へと辿り着く。
深夜に近い時間帯ではあったが、割と夜型だという彼女であればまだ充分に起きている時間帯だろう。
明日の日程についてを知らせる為だけの短い接触。
そんなことにすら俄かに高揚感を覚えていることに、己のことながら呆れた。
思っている以上に、自覚したばかりのこの感覚の進行は、早いのかも知れない。
小さく、息を吐いてから、私はアコさんに与えられた部屋の扉を叩いた。