【三題噺】忘れないこと。
翔の口癖が好きだった。
「いつか、一緒にドライブしたいね」
それだけが夢だった。
翔は苺のアイスクリームが好き。
だから、おやつにそれが出ると僕をほうっていってしまう。
キラキラしたその瞳が嫌いになれないから、それでもいいけど、本当は、苺のアイスクリームに負けてるみたいでちょっと切ない。
「ただいまっ」
それでも、走って僕の所にが帰ってくる翔が好き。
一緒に遊んでくれる翔が好き。
翔が小学生になった。
黒いランドセルを誇らしげに背負って、僕の前で回ってみせる。
「聞いてよ。ぼく、学校でたくさんの友達が出来たんだ」
そう笑って、翔は友達の家へ遊びに行ってしまった。
もう前のようには、僕と遊んでくれない。
それでも、僕に沢山話しかけてくれる翔が好き。
翔と顔を合わせずに、もう6年が経った。
気づけば、いつの間にか、翔の主語が「ぼく」から「俺」になっていた。
「母さん、俺の携帯どこにあるか分かる?」
「えー、居間にあったでしょ」
「あ、本当だ。あった、あった」
翔はもう僕を忘れてしまった。
苺のアイスクリームはまだ好きだけど、僕のことは忘れてしまった。
まわりにひしめく物はなんだろう。
歯ブラシ。
紙屑。
壊れた傘。
短い鉛筆。
みんな一緒に押し込められた。
そして、久しぶりに見た翔はスーツを着ていた。
翔が僕等を指差して問う。
「母さん、このゴミ袋何ー?」
「ん?あぁ、それ会社に行く途中に捨てて来てくれない?」
「りょーかい、燃えるゴミだよな」
こちらを見た翔と一瞬だけ、目が合った気がした。
気がしただけだった。
翔と僕等は一緒に家を出た。
もう、帰って来れないのが分かった。
久しぶりの外は雨が降っていた。
袋越しに見た翔は、黒い傘を差していて、大人になっていて。
そして、僕等は雨のゴミ捨て場に投げ出された。
小さな衝撃ひとつが、僕と翔のお別れだった。
翔は一度も振り返らなかった。
僕はそんな翔の後ろ姿をずっと見送った。
それさえ見えなくなって、翔はまだ苺のアイスクリームが好きなのかなと思う。
「淋しいですね」
右隣りの壊れた傘が言った。
翔のお気に入りだった黄色の傘。
「悲しいですね」
左隣りの短い鉛筆が言った。
翔に初めて使われた2Bの鉛筆。
「そうだね」
僕はそう返事をした。
翔の一番のお気に入りだった赤いミニカーはそう答えた。
雨が袋の中に染み込んで、僕をなぞる。
翔は黒い傘を差して、入社祝いの万年筆を持って、僕を忘れてしまった。
あの日の翔はもういないの?
何処にもいないの?
苺のアイスクリームは、どうなっただろうか。
それだけが気になった。
「あら。何を買って来たと思えば、苺のアイスクリームじゃない。懐かしいわ」
「なんか急に食べたくなってさ」
「あんた、小さい頃はやたら好きだったじゃない」
「何言ってんの、母さん」
「?」
「俺は今だって好きだよ。忘れたりなんかしてない」
三題噺として書きました。
赤いミニカー、傘、苺のアイスクリーム。