「君を愛することはない。心は自由だ」
「シルヴィー・ル・ミュラー。俺は確かにこのミュラー侯爵家に婿に入ったかもしれないが、だからといって君を愛することはない。心は自由だという事を伝えておこう」
初夜の為に薄暗くなった部屋で、入った途端男は告げた。
シルヴィーの夫であるギルベルト・ロートランド子爵子息改めギルベルト・ル・ミュラーでありミュラー伯爵家の婿だ。
煽情的なナイトウェアを着てベッドに腰掛けるシルヴィーを前に、そんな恥知らずな事を告げるギルベルトに対して、シルヴィーはなんだかリラックスしたような無表情だった。
シルヴィーはコクン……と頷いて見せる。
「「君を愛することはない」なんて良かったですわね、お嬢様」
部屋の隅の暗がりに控えていた侍女が、手に持っていたガウンをシルヴィーにかける。
侍女もホッとしたような顔をしていた。
「では、後は契約通りに進めさせて頂きますわね」
「なっ、どういうことだ!」
「契約書をお読みくださいませ」
ギルベルトは『契約通りに』を繰り返す侍女に扉の方に押されて部屋から出される。
あっという間に夫婦の寝室の前に一人取り残されたギルベルトは、しばらく、
「どういうことだ!」とか「聞いていないぞ!」
とか喚いていたが、割り当てられた自分の部屋にトボトボと帰っていった。
シルヴィーは貴族家次期当主としては大事な任務である初夜を相手の都合でキャンセルされたが、特にダメージは受けていなかった。
むしろ計画通りだった。
『初夜なんて面倒くさいことはやってられない』、シルヴィーはそう考えていた。
シルヴィーは何を隠そう、極度の面倒くさがり屋だった。
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しかし、シルヴィーも何も伯爵家次期当主にして、体が弱い母の唯一の子供として生まれた時から面倒くさがり屋だったわけではない。
「あはは! 母上! 私、こんなに早く走れるようになりました!」
5歳くらいまでは、活発な子だった。
光魔法の魔力を生まれながらに多大に備え、漲る身体能力を持て余していた。
最近、大きな魔石鉱山を発見して子供の為に広げた庭を、小さいシルヴィーが笑顔で駆け回る。
そんなシルヴィーが、侍女や微笑ましく我が子を見守る母の前で盛大に転んだ。
「あっ…………!!」
更にまずいことに、シルヴィーがケガをしないようにと一面に敷き詰められた芝生の上に倒れたのではなく、足をもつれさせて花壇のレンガの角に顔面を打ち付けた。
「いたっ…………いたーい!! 痛い痛い痛い!!」
目の端を斜めに盛大に切り、即座に大量の血が流れる。
シルヴィーは今まで経験した事のない痛さで喚くばかりだった。
顔が、今まで指の端を切った何倍も痛く熱く、すぐに誰かに何かどうにかして欲しい気持ちだった。
シルヴィーは顔を抑えながらゴロゴロと転がって痛さをやり過ごそうとする。
青くなった侍女と母が、急いでシルヴィーに駆け寄る。
すぐさまシルヴィーは屋敷に運び込まれて、待機しているお抱えの医師に顔を傷が残らないように縫合してもらった後、傷にハイポーションがかけられ、ハイポーションをたっぷりと飲まされた。
少し顔面の骨にヒビも入っていたが、ハイポーションで問題なく治った。
その処置でシルヴィー痛くはなくなったけれども、ショックで倒れて寝込んだ。
寝込むのは、ハイポーションや魔法で、ケガや病気を急速に直した患者に良くあることだ。
シルヴィーは痛くはないものの、顔面にもどかしさや苦しさを感じながら、三日三晩横になった。
その間、ミュラー伯爵家のたった一人の子を、遅れて仕事先から帰ってきた父も含めて屋敷中で甘やかしながら見守った。
「かわいそうにかわいそうに、花壇はもう無くしたからね。早く良くなってくれ」
シルヴィーと同じく光魔法の使い手である父はそう言って、何度も何度も念入りにシルヴィーの顔に光魔法をかけて絶対に顔に傷が残らないように調整した。
ちなみに体が弱い母は、シルヴィーのケガの処置中にショックで倒れて寝込んでいる。
シルヴィーよりも長く一週間ぐらい寝込んだ。
ケガのショックから回復すると、シルヴィーは大人しい子になっていた。
光魔法で強化される身体能力は、適当な光魔法の発動にて発散させることにして、走り回ったり剣をふるったりという体を動かす事はしなくなっていた。
それもそのはず、シルヴィーが体を大きく動かそうとすると、今度は絶対にケガをさせまいと、侍女や母がひきつった顔で自分を見守るのである。
もちろん、侍女や母はシルヴィーの行動を制限するようなことは言わない。
しかし、ずっと必死な顔で自分を見つめ続けられるのである。
もう、シルヴィーが走っても母は笑ってくれなかった。
幸い、代々ミュラー家が受け継いでいる光魔法は身体能力に関することは比較的万能だ。
体をあまり動かさなくても筋力を保つことができたし、体を病気もなく健康に保つこともできる。
そんなわけで、シルヴィーは次第に時期伯爵家当主として必要なこと以外は体も動かさなかった。
何かあったときの為には自分で治癒できるように光魔法を磨いて、それ以外は人にやってもらうことを覚えた。
貴族だからおかしくはないが、歯を磨くのも体を洗うのも侍女、着替えるのも侍女、読みたい本を取るのも侍女、カーテンを開けるのも侍女で、一日椅子から動かない時もあった。
ちなみに生理現象は光魔法の『浄化』を唱えると解消できる。
「んー、快適。動きたくなーい。面倒くさい」
そして、そんなことが自然と口をついて出るほどに、小さいころの転倒したときの記憶は薄れた。
シルヴィーは体を動かさないことは自分の望みだと思い込む。
父に光魔法をかけ続けられて弱い体を持ち直して元気になった母は、そんなシルヴィーを、
「そんなに面倒くさがりで仕方のない子ね」
と微笑ましく見守るのだった。
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そうして、シルヴィーは面倒くさがり屋ながらも光魔法のおかげで健康に成長していった。
面倒くさいながらも最低限の社交はこなし、最低限貴族学校に通った。
…………が、16歳になったころある問題が限界に達した。
のらりくらりと先送りしていた問題を、もう先送りできなくなったのだ。
「あなた、貴族として結婚して子供を産まないといけないのよ」
「分かってます」
「分かってないわ、もう同年代の問題のない優良な子息たちがほとんど残ってない」
「分かってます」
ある日の朝食で、いつもにこやかだった母が厳しい顔でシルヴィーに告げた。
父は伯爵の威厳も忘れてオロオロしながらシルヴィーと自分の妻を見た。
シルヴィーは面倒くさいながらも、自分の母の気迫に、ここは答えなければいけないと思い、
「むしろ、同年代の問題のある子息でいいのです。恋愛も結婚も面倒くさい。難があり、実家から持て余されているような子息ならなお良い。拗らせていて、真面目に初夜なんてやりそうにない子息を選びます」
「どういう事なの?!」
シルヴィーの『初夜』という言葉が朝食のさわやかな朝に響いた。
侍女にわずかな身振りで口を拭かせ、ボソボソという最低限の声で侍女に口述筆記をさせる。
そして出来上がった大まかに言うと、朝食の席でシルヴィーが言ったまんまだった、
『難ありの貴族令息募集。持参金無しで婿入り。婚約期間、交流一切なし。結婚後は伯爵家へ』
という条件でミュラー伯爵家から、婿入りの募集が出された。
そうして、その募集に応じてそれなりにいる実家から持て余されている貴族家の次男三男等が募集に来ると、更なる条件を確認された。
しかし、難ありの子息達はその条件はよく聞いておらず、話は難航する。
最終的に選ばれたのが自分の実家からたたき出されるように差し出されたロートランド子爵家三男のギルベルト・ロートランドだった。
17歳になっても婿入りの支度もしておらず、文官や軍へと入るために学ぶわけでもない。
貴族に似つかわしくなく、飽くまで教養の分野であるピアノの腕を延々と磨いている自由人ギルベルト。
「人は生まれながらに自由だ!」
と主張し、しかし自分で何も生計の術を磨くことない立派な難ありの子息だった。
若干女嫌いの気もあったが、
「ピアノを続けていいし、女に触れなくていいと聞いた」
と、自分に都合の良いところだけを聞いて、シルヴィー・ル・ミュラー伯爵令嬢との契約書と婚約誓約書と婚姻誓約書に、話し合いの席で自分の名前を殴り書きする、という本当に立派な難あり子息だった。
対してシルヴィーは満足そうにコクン……と頷くだけだった。難あり子息と喋ることも面倒くさかったのだ。
本当に婚約期間中は一切顔を合わせることはなかった。
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はてさてその後、終始仏頂面で婚約式と結婚式をすませたギルベルトは、初夜はしないにしろ形だけは済ませようと用意された寝室という場で、無事にシルヴィーへ、
「君を愛することはない」(前後略)
と告げた。
契約書は読んでいないことが伺えるギルベルトだったがシルヴィーたちの予想通りの行動はとっていた。
安心したシルヴィー達は計画を進めたのである。
その日の夜、ポロンポロンと夜遅くまでずっとピアノを弾いていたギルベルトを、就寝したタイミングでミュラー家お抱えの医師が全身麻酔をかけた。
ギルベルトの下の方にメスを入れたのである。
待ち構えていたシルヴィーが光魔法で、命の片割れを回収し、自分の体内に移した。
光魔法は、命に関係し体を強化や活性化や治癒する魔法が多い。
シルヴィーは今までやったことのない光魔法を発動し、今までにない動きをするのは面倒くさかったが、どうしても貴族の務めを果たさないとならない。
月の物の周期も強引に操って、無事に子供を宿すことに成功する。
この光魔法の子作り絶対確定の秘儀こそが、ミュラー家の長年の繁栄の秘訣である。
だからこそ、シルヴィーの父は自分の妻がいくら治癒をしたとしても妊娠のショックにも子作りのショックにも耐えられないかもしれないと、シルヴィーのみを作って終わりにしたのだけれど。
シルヴィーは面倒くさがり屋だが、一応貴族なので子供は2人以上は作るつもりだった。
妊娠途中、腹の膨らんだシルヴィーを見たギルベルトが、
「不貞だ! いくら愛することはないと言っても関係の裏切りだ!」
と叫ぶ一幕もあった。
…………が、ミュラー家とは無関係の王宮の鑑定魔術師を呼んで、ギルベルトの目の前でシルヴィーの腹を鑑定した。
「シルヴィー・ル・ミュラー様に宿っているのは、ギルベルト・ル・ミュラー様との子でございますな」
王宮魔術師だけあって、どこか気取ったように告げた。
そんなシルヴィーは、めんどくさいながらも流石に説明しないといけないと思い、ギルベルトに大真面目な顔で、
「契約通り光魔法です」
と、呆然とするギルベルトに告げた。
もちろん説明されていたはずのギルベルトは、再度、シルヴィーの侍女に詳しく説明された。
『光魔法でシルヴィーはギルベルトとの子を宿したこと。ギルベルトには特に夫としても父親としての機能も求めない事。ギルベルトはピアノでも弾いていればいい事』
契約書にも書いてあるそれらを再度ギルベルトは説明されると、
「…………君も子も自由だという事か」
と呟くと口を真一文字に引き結んで、ドアを乱暴に閉めて出て行った。
しかし、それからピアノ室に行って聞こえてきたのは、穏やかなゆっくりした曲だった。
それからギルベルトは、子が生まれるまで何を思ったか、ゆっくりした優しい曲を弾き続けた。
そして時々は、何か楽譜に向かって書いていて、もちろんギルベルトの動向はミュラー家の使用人を通じて知っている。
やがて、ギルベルトは単純な子守歌のようでいてどこか懐かしさのある美しい曲を完成させ、それを王族に献上した。
ちょうど、特にシルヴィーと同時期に出産予定の王太子妃が気に入って、ギルベルトつまりミュラー家に結構な褒美が支払われた。
その褒美をギルベルトは珍しくシルヴィーと摂った朝食の席で、
「自由に使えばいい」
とだけ告げ、シルヴィーはコクン……と頷いた。
「ありがとう」
とさすがにシルヴィーはお礼を告げた。
そんなことがあったからと言ってその後特に夫婦関係が劇的に改善するわけでもなく、相変わらず、ギルベルトは一人でポロンポロンとピアノを弾き続けた。
でも、シルヴィーはその音を聞くと少し妊娠中の気持ち悪さが安らぐような気がして、侍女に部屋のドアを開けさせて聞きやすいようにしていた。
それからシルヴィーとギルベルトの夫婦はそこまで交流を持つこともなく、シルヴィーは秋晴れの涼しい日にお気に入りの侍女や使用人、お抱えの医者に見守られながら女の子を出産した。
光魔法で30分の短時間の出産だった。
だが、魔法を使っても体へのショックは防げない。
子供を待機していた乳母に預け、ぐったりするシルヴィーの耳に、開けた窓からギルベルトのピアノの音が響いた。
ギルベルトは、誰かに聞いて子供が生まれたことを知ったのだろう。
何をどう思ったのか、ギルベルトはシルヴィーが妊娠する前に弾いていたような難解でテンポの速い曲を弾いていた。
もう子が生まれたから、好きな曲を弾いても良いと思ったのだろうか。
シルヴィーの子は、生まれたばかりということもあって、固く目を瞑って元気に泣いている。
そんな家族に、シルヴィーは小さく笑ってから眠りについた。
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シルヴィーは光魔法の作用と元々の体の丈夫さもあって、子育ては乳母に任せながら産後すぐに執務を行った。
シルヴィーの両親も、シルヴィーの結婚と同時に別の屋敷に移っていたが、色々と手伝いに来てくれている。
そんな日々で、相変わらずギルベルトは好きな曲をピアノで弾いてばかりいたが、シルヴィーは下手に仕事を手伝われるより、よっぽど良いと思った。
シルヴィーが仕事で疲れた時、ギルベルトが自由に弾いているピアノが聞こえると癒されるのだ。
それと、ギルベルトは自由人だったが、王族に献上した曲を弾きに来いと王宮に招待されると、仏頂面をしながらも王宮で開かれるパーティーや茶会に弾きに行った。
その際にはもちろん、面倒くさがりなシルヴィーも一緒に連れていかれる。
同時期に子を産んだ王太子妃と親しくなるきっかけとなった。
さすがのシルヴィーも、王太子妃を前にして面倒くさいとは言っていられず、積極的に交流したからだ。
王太子妃の産んだ子は元気な男の子で、やがてシルヴィーの子と仲良くなっていった。
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そして……………………………………、
「母上! 母上! 私、こんなに早く走れるようになりました! 母上! 私と競争しましょう!」
シルヴィーは屋敷の庭で、娘に言われて娘を追いかけた。
いつもは面倒くさいと思うのに、子供に言われると走ってみようと思った。
屋敷の庭は極力貴族として最低限恥ずかしくない程度の花壇しかない。
しかもぶつかってケガをするような角がないように、全ての物が丸みを帯びて絶妙に配置されていた。
娘を追いかけるために走ると、シルヴィーは妙な爽快感を覚えた。
風が自分の周りを駆け抜ける。
……体を動かすのが楽しい。
シルヴィーは既視感を覚えた。
『あはは! 母上! 私、こんなに早く走れるようになりました!』
『…………私は本当は体を動かすのが好きだった……』
「あっ!」
「危ないっ!」
芝生の上で転びそうになる娘に、シルヴィーは追いつき飛びつくと、親子ともども芝生の上に転がった。
「ふふっ、母上。草だらけですわ!」
シルヴィーの目の前には、娘の笑顔があり、娘は何もケガしていなかったし、自分もケガしていなかった。
「大丈夫かっ!!」
そこにギルベルトが飛び込んできた。
いつも仏頂面ですました顔をしているのに、息を切らして必死な顔をしている。
シルヴィーの娘は、もちろんギルベルトにも似た顔で笑った。
「大丈夫ですわ、心配してくれてありがとう。父上」
読んで下さってありがとうございました。
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