だるいの極み
新しい作品ですー!ぜひ読んでみてください!
私-春奈-の人生の目標は——いかに一歩も動かずに生きていくかである。
買い物はネット通販。
講義はオンデマンド。
食事は冷凍食品。
外へ出る理由があるなら、まずその理由を消す努力をする。
そんな私にとって今日は最高の日だった。
大学は全休。外は雲ひとつない快晴。つまり、絶好の引きこもり日和である。
ヨレヨレのジャージ姿のままベッドへ転がり、ポテトチップスを片手にスマホを開く。
「……ん? 何これ。」
ホーム画面の最後のページ。見覚えのないアイコンがポツンとひとつ、鎮座していた。
漆黒の背景に、ネオンブルーで描かれた目玉のようなデザイン。アプリ名は『異世界ザッピング Ver.0.01』。
アプリなんてインストールした覚えはない。容量不足で新しいゲームすら入れていないのに、なぜかそこにある。
消去しようと長押ししてみるが、「このアプリは削除できません」という不気味なシステム警告が出るだけだった。
「気味悪……勝手にアップデートでも入った?」
都市伝説のウイルスか、質の悪いプロモーションか。
普通なら怖くなってスマホを放り投げるか、初期化を検討するレベルだ。
でも今日の私は、絶望的に暇だった。暇というのは、人間から正常な警戒心を奪っていく。
「まあ、壊れたら保証で買い替えればいいし。」
半ばヤケクソでアイコンをタップする。
画面が一瞬真っ黒になり、スマホのスピーカーから「ザー……」という古いテレビのようなノイズが流れた。
次の瞬間。
パッ。
「……は?」
私は思わず体を起こした。
スマホの画面に映し出されたのは、映画の宣伝でもCGでもない。
息をのむほどリアルな、巨大な石造りの厨房だった。
何十人もの料理人が走り回り、巨大な鍋からは白い湯気が立ち上る。天井近くには魔石らしき物体が淡い光を放ち、壁には見たこともない巨大な獣の肉が丸ごと吊るされている。
画質は異常だった。
4K? 8K? そんな次元じゃない。画面の奥の空気感や、立ち上る油煙の匂いすら漂ってきそうな生々しさだ。
画面の右上には、機械的なフォントで謎のテキストが浮かんでいる。
【CH.04】
【グランベル王国】
【王宮調理場】
「……最近のスマホって、画面を鏡みたいに見せる立体映像技術でもついたの?」
半信半疑で画面をスワイプしてみようか迷っていると、一人の大男が目に入った。
身長二メートルはありそうな筋骨隆々の男。立派な口ひげを蓄え、丸太のように太い腕で巨大な鉄板を片手で軽々と振っている。どう見ても王宮料理長だ。
しかし。
「……うわ。」
私は思わず顔をしかめた。
「焦げてる。」
豪快に焼いている巨大な肉は、表面がすでに真っ黒。
燃え盛る薪の火の上に肉を直置きし、炙るというより焼却に近い作業をこなしている。
ゴオオオオッ!! という凄まじい炎の音がスマホのスピーカーから響き渡り、肉汁はすべて炎に落ちて黒い煙へと変わっていく。
「強火で焼けば美味いと思ってるタイプか……もったいない。」
見ているだけで胃が痛くなってきた。
私はポテチを一枚口へ放り込み、画面の端にあったマイクアイコンを指でタップして、冗談半分で呟いた。
『ねえ料理長。その肉、そのまま焼いたら靴底になるよ。』
——その瞬間だった。
画面の向こう、厨房全体の時間がピタリと止まった。
料理人全員が動きを止める。包丁を持った者も、鍋を運んでいた者も、誰もが硬直してゆっくりと天井を見上げた。
数秒の沈黙。
「だ、誰だぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
王宮料理長の絶叫がスピーカーを突き破らんばかりに響き渡る。
ガシャン!! と包丁を両手で構え、顔を真っ赤にして暴れ始めた。
「姿を現せぇぇぇぇ!! 暗殺者か!! 魔族の呪いか!! 天井裏に潜んでいるのか!?」
「ひぃっ、神の祟りだーっ!」「フライパンを盾にしろ!」と混乱に陥る厨房。
(……え。)
私は固まった。
(スマホのスピーカーに向かって喋っただけなのに……聞こえてる。これ、マジでリアルタイムで繋がってる。)
世界を揺るがす超常現象のはずだった。
だが、ジャージ姿でベッドに転がる私の頭に最初に浮かんだ感想は——
(……うわ、めんどくさ。)
ここで「ごめんなさい間違いです」と切るのも怠い。私はベッドの上でごろりと寝返りを打ち、欠伸混じりにマイクへ言った。
『刺客じゃないよ。ただの暇人。あ、ちなみに私に名前は春奈ね』
「た、ただの暇人が空から直接脳内に語りかけるものかぁぁぁ!!」
『まあ細かいことはいいから。その肉ね、砂糖を揉み込んで、お酒を少しかけてから弱火で焼きなよ。』
料理長は一瞬絶句し、次の瞬間、血管を浮き出させて大怒号をあげた。
「馬鹿を申すな!! 砂糖は貴族様が嗜む超高級品だぞ!? 肉へ塗るなど狂気の沙汰! ワシは王宮料理長バルド!! 四十年間、この国最高の料理人として生きてきた男だ! 正体も分からぬ声など信じられるかぁぁ!!」
『ふーん。じゃあ好きにすれば?』
ポテチを一枚。パリッ。
『今日、王子様の祝宴なんでしょ? その靴底みたいな炭の塊を出してクビになっても、私には関係ないし。』
「なにっ……!? な、なぜ祝宴のことを……!?」
バルド料理長の顔から一瞬で血の気が引いた。
画面の隅に【王子殿下の祝宴開始まで あと一時間】という木札が掲げられているのを、私はただ指摘しただけだ。
『見えてるから。』
「…………。」
バルドはダラダラと滝のような汗を流しながら、誰もいない天井を凝視した。厨房中の料理人たちも息を飲んで料理長を見つめている。
長い沈黙の末。
「……やる。」
「料理長!?」
「全ての責任は……ワシが取る!!」
覚悟を決めたバルドは、震える手で超高級品である砂糖の壺へと手を伸ばしたのだっ
「ほ、本当に……やるのですか、料理長……!?」
料理長バルドが震える手で高級な砂糖の壺を抱え上げた瞬間、厨房中の視線が一挙に集まった。副料理長が顔を青くして追いすがる。
「砂糖ですよ!? 一袋で平民が一年暮らせるほどの超高級品です! 失敗すれば王宮どころか、王家への冒涜ですよ!」
「どうかお考え直しを! 正体不明の声など……!」
別の料理人も慌てて引き止めようとしたが、バルドは固く口を結んだまま、真っ黒に焦げかけた肉を見つめていた。
四十年間。
料理だけを信じて生きてきた。
誰よりも腕を磨き、誰よりも苦労を重ねて、ようやくこの王宮料理長まで上り詰めた自負がある。
だからこそ——分かる。
(あの声には、一切の迷いがなかった……)
長年料理と向き合ってきたバルドには理解できた。
天井から響くあの声は、ただの悪ふざけや知識のひけらかしではない。「当たり前のこと」をただ淡々と口にしている者の声だった。
「……やる。」
低く、重い声で告げる。
「料理長!?」
「全責任はワシが負う。……文句はあるか!」
静まり返る厨房で、バルドは肉へ砂糖を振りかけた。
さらさらと、白い結晶が赤い肉の表面を覆っていく。
「……こんなにも使うのか。」
厨房のあちこちから、悲鳴にも似た溜め息が漏れた。財宝を火に投げ込んでいるような錯覚に、誰もが顔を歪める。
続いて、透明な酒を少量。
肉全体へ丁寧にもみ込んでいく。
『もっと遠慮なく。ちゃんともみ込まないと意味ないよ』
「は、はいっ!」
さっきまで威厳たっぷりだった王宮料理長が、まるで新米見習いのように背筋を伸ばして返事をした。
『あと火。強い強い。薪を減らして』
「こ、これでどうでしょう!」
『まだ強い。炭になっちゃうよ』
「これでは!」
『まだまだ。……うん、そのくらいの『弱火』でじっくり』
「はぁぁぁぁ……」
火加減ひとつでここまで細かく絞り上げられたのは、バルドの人生で一度もなかった。汗だくになりながら薪を押し引きし、ようやく「神の許し」を得た火力を保つ。
一方、その頃。
「……」
私はベッドに寝転がったまま、ポテチを口に運んでいた。
(この世界、コンロのダイヤルがないから火加減伝えるの地味にめんどくさいな)
そんなことを考えながら、新しい袋を開ける。
ぱりん。
缶コーラを一口。
ごくごく。
『焼けるまで十分くらいかな』
「じゅ、十分……!? そんな短時間で硬い魔獣の肉が変わるものなのですか!?」
『んー、まあ長く焼いてもいいけど。私、アニメの録画観たいから急いでほしいかな』
画面の向こうでは、数十人の料理人たちが息を止めて肉を見守っている。
画面のこちらでは、私はスマホの画面上部をスワイプして時計を確認していた。
(深夜アニメの録画開始まであと二十分か。まあ間に合うな)
世界の食文化がひっくり返る歴史的瞬間よりも、私にとっては録画の開始時間の方が遥かに重要だった。
やがて十分ほど経つと、厨房に奇跡が起きた。
肉の表面に、見たこともない滑らかな焼き色が浮かび上がってくる。
黒く焦げ落ちるだけだった今までとは全く違う。肉汁がじんわりと表面に浮き出し、パチパチと黄金色の泡を弾けさせていた。
「……美しすぎる……」
誰かがぽつりと漏らした。
薪の弾ける音と、香ばしい肉の匂いだけが厨房を満たしていく。
バルドは震える手で大皿に肉を移すと、恐る恐るナイフを当てた。
スッ——。
「……なっ!?」
刃が吸い込まれるように入っていく。
今までなら体重をかけて引き切らなければならなかった硬い魔獣の肉が、まるで熟した果実に刃を入れるかのように滑らかに切れていった。
「う、嘘だろ……」
「刃が……引っかかりもしない……!」
切り分けられた断面から、澄んだ肉汁がじわっとあふれ出す。
濃厚で甘やかな香りが一瞬で厨房中に広がり、料理人たちの喉がゴクリと鳴った。
バルドは極上の一切れをフォークで掬い、口へ運ぶ。
ゆっくりと噛み締める。
「………………」
言葉を失った。
肉が、口の中でほどけるように崩れていく。
噛むたびに溢れ出す強烈な旨味。砂糖がもたらした奇跡的な柔らかさと優しい甘み。酒によって臭みが消え去り、肉本来のポテンシャルが爆発していた。
バルドの目から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「……四十年。」
かすれた声が漏れた。
「ワシは……四十年間……何を焼いていたのだ……!」
その悲痛で、かつ歓喜に満ちた一言に、厨房中の料理人たちが息を呑んだ。
目の前でこれまでの常識が音を立てて崩壊し、新しい「料理」という概念が爆発した瞬間だった。
一方その頃、私はというと。
「……あ、ポテチなくなった。」
世界を裏から変革した当の本人は、空になったポテチの袋を底まで覗き込み、心底残念そうに呟いていた。
読んでいただきありがとうございます!
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