第30話 設備の中
黒い壁は、まだ柔らかい。
船体アームが押し込まれたまま、ゆっくりと呼吸している。
0.02Hz。
五十秒。
理央が言う。
「柔化状態、維持しています」
「周期同期も維持」
充が補足する。
「ノズル二番、出力まだ吸われています」
黒川は頷く。
「つまり」
「こちらが押している間は、開いている」
氷室が窓の外を見ながら言う。
「押すのをやめたら?」
理央が答える。
「閉じる可能性が高いです」
誰も笑わない。
それはつまり、こういうことだ。
中で閉じ込められる可能性。
宇宙ではよくある種類の死に方だ。
棚橋がぽつりと言う。
「ロープ付けます?」
氷室が笑う。
「宇宙で登山か」
黒川は真顔だ。
「冗談じゃない」
少し間。
「安全ライン、つけます」
のどかが言う。
「生体モニタ常時」
理央が言う。
「周期変化監視」
充が言う。
「推進出力維持」
役割が自然に決まる。
それがこのチームだ。
氷室が宇宙服を確認する。
アンカー。
工具。
ライン。
手順通り。
いつもと同じ。
ただ違うのは。
壁の向こうが宇宙じゃないこと。
ハッチが開く。
空気が抜ける。
音が消える。
氷室が外に出る。
足場は船体。
その先に。
黒い壁。
さっきまで硬かった場所が、ゆっくり波打っている。
氷室が近づく。
触る。
宇宙服の手袋が沈む。
「……やわらかい」
通信に声が乗る。
氷室は手を離す。
壁はゆっくり戻る。
壊れていない。
ただ、状態が変わっている。
黒川が言う。
「内部、見えるか」
氷室は少し体を傾ける。
柔らかくなった部分。
暗い。
だが完全な闇ではない。
奥の方に、かすかな光。
氷室が言う。
「……空間あります」
理央が息を止める。
「壁厚、最低20メートル以上です」
「内部空洞?」
「はい」
棚橋が言う。
「殻だ」
誰も否定しない。
氷室がさらに体を近づける。
ヘッドライトが内部を照らす。
最初は何も見えない。
黒い。
だが。
少し奥。
線がある。
曲線。
規則的。
氷室が言う。
「……配管みたいなのあります」
理央がすぐ反応する。
「配管?」
「いや」
氷室は少し考える。
「流路かもしれない」
さらに奥。
リング状の構造。
壁に埋まっている。
回転しているわけではない。
だが。
周期的に光る。
0.02Hz。
五十秒。
充が言う。
「周期一致」
理央が小さく言う。
「機械です」
静かに。
だがはっきり。
氷室が内部を見回す。
巨大な空間。
壁の内側。
曲がった構造。
螺旋。
円環。
流路。
星の穴と同じ幾何学。
氷室が言う。
「黒川さん」
「はい」
「これ」
少し間。
「設備です」
黒川は短く答える。
「そうでしょうね」
宇宙の片隅。
人類の船。
七人のクルー。
その目の前にあるのは。
惑星でも。
遺跡でもない。
巨大文明の設備の内部。
何の設備かは分からない。
何をしている装置かも分からない。
だが。
一つだけ分かる。
氷室が言う。
「壊れてるかもしれません」
黒川が答える。
「なら」
「見に行くしかない」
柔らかい壁の向こう。
巨大構造体の内部へ。
氷室が、ゆっくり体を入れる。
黒い材料が、静かに波打つ。
五十秒。
呼吸。
その先にあるのは。
誰も知らない文明の、
保全現場だった。




