第28話 繋ぎ目がない
船は、まだ揺れている。
0.02Hz。
五十秒。
構造体の呼吸と、同じ周期。
窓の外には、黒い壁がある。
どこまでも続く。
滑らかで、光を返さない。
さっきまで外から見えていた多面体の輪郭は、どこにもない。
理央が言う。
「外部地形、再走査」
声は平坦だが、速い。
「視界内の面積、再計算します」
黒川は窓の外を見たまま答える。
「やってください」
充はまだ推進ログを見ている。
ノズル二番、推力低下35%。
損傷ログなし。
衝突ログなし。
なのに落ちている。
壊れた、というより。
何かが抜かれているように見える。
だが今は、それ以上に目の前の壁の方が異様だった。
氷室が外部カメラを拡大する。
削れた装甲プレートの先。
黒い面。
微細な傷はある。
だが。
継ぎ目がない。
「……ボルトないな」
誰にともなく言う。
「溶接跡もない」
黒川が続ける。
棚橋が窓の外を見上げる。
「パネル境界もないですね」
理央がスキャン結果を出す。
「局所材質、均一です」
「均一?」
航田が聞く。
「層構造も確認できません」
理央は言う。
「少なくとも、この範囲は一体です」
氷室が低く言う。
「これ、どうやって組んだんですか」
誰も答えない。
答えられない。
人間の構造物は、必ずどこかで分ける。
ボルト。
溶接。
リベット。
フランジ。
巨大になればなるほど、分けないと運べないし、直せない。
だが目の前の壁には、その痕跡がない。
黒川がぽつりと言う。
「じゃあ壊れたら直せないな」
棚橋が反射的に言う。
「……部品交換、できない構造?」
その一言で、全員が少しだけ黙る。
航田が小さく笑う。
「テスラみたいですね」
氷室が鼻で笑う。
「ギガキャストの比じゃないだろ、これ」
棚橋は真顔だ。
「いや、ほんとに。車ならまだ分かるんですよ」
黒い壁を指さす。
「これ壊れたら、総とっかえですか」
充が言う。
「総とっかえできる文明なら、するかもしれません」
「それ、修理じゃないですよ」
棚橋が言う。
氷室が肩をすくめる。
「恒星一個ぶん回せる文明なら、
壊れたら作り直す方が早いんじゃないか」
「在庫の概念、ないんだな」
棚橋が小さく言う。
黒川が答える。
「あるかもしれない」
全員が見る。
黒川は窓の外を指す。
「ここ全部が、在庫かもしれない」
誰も笑わなかった。
冗談に聞こえないからだ。
理央が観測ウィンドウを切り替える。
表面反射率。
熱分布。
局所重力偏差。
全部、奇妙に安定している。
「人工構造の可能性が高いです」
理央が言う。
「根拠は」
黒川。
「形状が滑らかすぎること。
局所材質が均一なこと。
そして」
少し間。
「0.02Hzで周期制御されていること」
航田が窓の外を見たまま言う。
「自然物、こんなふうに待たない」
主語はない。
だが意味は分かる。
待っていた。
あの揺れは、乱流じゃなかった。
入れるための流れだった。
少なくとも、そう見えた。
氷室が外壁カメラをさらに寄せる。
黒い面。
微細な擦過痕。
その周辺。
「……ここだけ違う」
理央が拡大する。
わずかな曲率差。
線というほど明確ではない。
だが、完全な連続面でもない。
「継ぎ目か」
黒川が言う。
氷室は首を振る。
「継ぎ目なら、もっと分かる」
「じゃあ何ですか」
棚橋が聞く。
氷室は少し考える。
「境界」
「何の」
「分からん」
正直だった。
「でも、完全な一体じゃない」
その一言は大きかった。
一体構造に見える。
だが、本当に完全一体なら、機械ではない。
ただの塊だ。
もしこれが機械なら。
必ずどこかに、役割の違う場所がある。
境界がある。
黒川が言う。
「機械なら、触る場所がある」
理央が顔を上げる。
「触る場所」
「点検口でも、接続部でも、交換部でもいい」
黒川は黒い壁を見つめる。
「人間の機械ならそうです」
充が言う。
「でもこれは人間の機械じゃない」
「ええ」
黒川は頷く。
「だから、“人間に分かる点検口”とは限りません」
沈黙。
それでも。
機械なら、何かしらのアクセス方法がある。
そうでなければ、造る意味が薄い。
いや。
そもそも何のために造ったのか。
そこから分からない。
棚橋がぽつりと言う。
「何のためなんですかね、これ」
誰もすぐには答えない。
航田が言う。
「重い」
全員が見る。
航田は続ける。
「中継かもしれないし。
計算してるのかもしれないし。
エネルギー通してるのかもしれない」
少し間。
「でも、少なくとも動いてる」
理央が言う。
「停止した遺跡ではない」
氷室が低く言う。
「じゃあ、現役か」
現役。
その言葉で、少しだけ空気が冷える。
壊れた遺跡ならまだいい。
だが、これが今も動いている設備なら。
彼らは何に入ってしまったのか。
黒川が言う。
「分からないなら、まず壊れてるか見る」
全員がそちらを見る。
黒川は黒い壁から目を離さない。
「推進ノズル二番が落ちている。
出力を吸われている可能性がある」
短く区切る。
「つまり、故障した部位の近くに来た可能性があります」
理央が小さく息を呑む。
オシナオスン。
円筒穴。
螺旋。
周期。
全部が一本につながりかける。
棚橋が言う。
「俺ら、探索じゃなくて」
少し迷う。
「保全現場に迷い込んだんですかね」
氷室が鼻で笑う。
「宇宙規模の設備保全か」
「給料、見合ってないですね」
充が小さく言う。
誰も反論しない。
のどかが全員のログを確認している。
心拍、わずかに上昇。
だが、同期はまだ軽い。
「緊張は上がってます」
のどかが言う。
「正常範囲です」
黒川が頷く。
「正常でいてください」
理央が観測を続ける。
「局所的に、周期変化の強い場所があります」
「どこです」
「船体擦過痕の延長線上です」
氷室が低く言う。
「当たりですか」
黒川は言う。
「まだ分かりません」
短い。
「でも、当たりかもしれない」
その言い方で十分だった。
希望とも恐怖ともつかない感情が、全員の中に少しだけ生まれる。
窓の外の黒い壁は、まだ静かだ。
滑らかで。
継ぎ目がなくて。
50秒ごとに呼吸している。
人間の工場ではあり得ない。
だが、機械に見える。
機械なら、どこかに必ずある。
触る場所。
点検する場所。
開く場所。
黒川が言う。
「次は」
全員が見る。
「点検口を探します」
誰も返事をしない。
必要がないからだ。
もう、やることは決まっている。
彼らは今、
知らない文明の保全現場の前に立っている。




