第25話 減速は音がしない
「逆噴射、入ります」
航田の声は小さい。
だが船内に響く。
電気推進は爆発しない。
轟音もない。
ただ、計器の数字がゆっくり動くだけだ。
出力配分が変わる。
推進系へ、電力が多めに回る。
充が炉のログを見る。
「出力、5%上げます」
「冷却は」
黒川が聞く。
「余裕、あります」
“余裕”。
その言葉は便利だ。
だが宇宙では、余裕は薄い。
減速は、加速より神経を使う。
間違えれば、通り過ぎる。
もっと間違えれば、落ちる。
三日前に決めた方向。
“重い”と感じた先。
そこに、何かがある。
理央が言う。
「重力偏差、増加。0.0006」
倍だ。
誤差では済まなくなってきた。
航田は操縦桿に触れる。
ほんのわずか、修正。
「自動補正、強めます」
「やりすぎるな」
黒川が言う。
「分かってます」
分かっている。
分かっているが、怖い。
数字が揃い始めるときが一番怖い。
バラバラなら偶然だ。
揃い始めると、意味が生まれる。
窓の外。
星の密度が、ほんの少しだけ変わる。
奥行きが歪む。
航田はそれを見る。
言葉にはしない。
“重い”。
あの感覚は、間違っていなかった。
棚橋が小さく言う。
「減速って、こんな静かなんですね」
氷室が答える。
「現場は静かな方が怖い」
外壁点検の経験が滲む声。
静かな異常は、気づきにくい。
気づいたときには遅い。
理央が新しいログを開く。
「反射、はっきりしました」
全員が見る。
前方に、暗い影。
光を吸うような形。
天体サイズではない。
だが、星でもない。
「人工……?」
誰も断定しない。
航田が言う。
「減速、もう少し」
充が炉出力をさらに上げる。
7%。
冷却水温、上昇。
「長くは持ちません」
「分かってます」
そのとき。
理央の声が、わずかに変わる。
「……同期」
「何が」
黒川が聞く。
「0.02Hz」
船内が一瞬、静まる。
保管庫の周期。
オシナオスンの周期。
「外部重力偏差、同じ周期で揺れています」
航田は画面を見る。
確かに。
微小だが、揺れている。
“重い”の正体は。
ただの質量ではない。
揺れている。
呼吸するように。
50秒。
ゆっくり。
一定。
充が呟く。
「炉出力と位相、近いです」
黒川が言う。
「供給、維持」
増やさない。
減らさない。
余計なことはしない。
今は。
減速は続く。
推進剤が、わずかに減る。
速度が、ゆっくり落ちる。
影が、大きくなる。
氷室が低く言う。
「止まれますか」
航田は答えない。
計算している。
距離。
相対速度。
揺れの周期。
“重い”方向は正しかった。
だが。
それは歓迎か、罠か。
まだ分からない。
船は静かに、速度を落とす。
誰も叫ばない。
誰も走らない。
ただ数字だけが、ゆっくり変わる。
宇宙は、音がない。
だから。
緊張は、内側で鳴る。
影まで、あと数時間。
止まれるか。
それとも。
落ちるか。
静かなまま、答えに近づいていく。




