第23話 それいるの?
「交換時期です」
充が淡々と言う。
居住区奥、循環系ユニットの前。
小型の流量制御バルブ。
定期交換サイクル、到達。
摩耗率は17%。
設計上の交換基準は20%。
「まだいけますよね?」
棚橋が即座に言う。
黒川は計測ログを見る。
「規定では交換」
充は工具を手に取る。
「安全側に倒します」
棚橋が口を挟む。
「安全側って、まだ全然減ってないじゃないですか」
「数値上は余裕あります」
理央が補足する。
「でも想定は想定です」
棚橋はバルブを見つめる。
「これ、捨てます?」
「廃棄リストへ」
充が答える。
棚橋の眉がわずかに動く。
宇宙船の物資庫は限られている。
重量は燃料。
体積は命。
“余分”は敵。
それは理屈だ。
棚橋も分かっている。
だが。
「まだ使えるのに」
口に出る。
黒川は言う。
「保管コストは?」
「重量0.8キロ」
「場所は?」
「小ケース一つ」
充が言う。
「それが百個あったら?」
棚橋は黙る。
でも言う。
「百個あったら安心です」
航田が小さく笑う。
「安心の総量、増えますね」
「笑い事じゃないですよ」
棚橋は真顔だ。
棚橋は昔の倉庫を思い出す。
“在庫圧縮”。
“回転率向上”。
“滞留品ゼロ”。
棚の奥に追いやられた箱。
誰も触らない部品。
「それ、いるの?」
何度も言われた。
ある日。
ラインが止まった。
代替品が届かない。
仕様変更で、旧型部品が必要になった。
在庫ゼロ。
倉庫の隅に、一本だけ残っていた。
棚橋が捨てずに置いていたやつ。
役に立った。
誰も褒めなかった。
でも。
止まらなかった。
それだけで、よかった。
「黒川さん」
棚橋が言う。
「このバルブ、保管枠に入れていいですか」
黒川は少し考える。
「理由は」
「規定は20%。今17%。想定内。だけど」
棚橋は続ける。
「次の星、何あるか分からない」
充が言う。
「何もないかもしれない」
「何かあるかもしれない」
棚橋は即答する。
理央が静かに言う。
「在庫は確率の話ですね」
「え?」
「使う確率と、持つコスト」
航田が補足する。
「未来の不確実性を、物で埋める」
棚橋は頷く。
「そうです」
充が言う。
「電力も同じです。余裕は欲しい。でも増やせない」
黒川はバルブを手に取る。
軽い。
確かに、まだ使える。
宇宙は、次に何を出してくるか分からない。
だが。
重量は増える。
積み上がれば、確実に効く。
黒川は言う。
「保管一個まで」
棚橋の顔が少し緩む。
「一個?」
「同種は一個。理由をログに残す」
棚橋は即答する。
「残します」
充が小さく言う。
「増やさないでくださいね」
「増やしません」
棚橋はバルブを丁寧にケースへ入れる。
ラベルを貼る。
“予備・未摩耗17%”。
丁寧すぎる字。
作業が終わる。
交換完了。
循環系正常。
異常なし。
棚橋は物資庫の扉を閉める。
小さな箱が一つ増えた。
宇宙船の総重量は、わずかに増えた。
誤差だ。
でも、確実だ。
航田が言う。
「それ、使う日来ますかね」
棚橋は少し考える。
「来ないかもしれない」
「じゃあ」
「でも、来たとき困らない」
黒川が言う。
「それが在庫です」
宇宙は、予測できない。
文明の痕跡。
同期する振動。
押すと変わる石。
全部、想定外だった。
想定外は、来る。
そのとき。
手元に何があるか。
棚橋は物資庫をもう一度確認する。
「それいるの?」
と聞かれた物が、並んでいる。
彼にとっては。
全部、いる。
船は静かに進む。
重量、わずかに増。
不確実性、わずかに減。
どちらが正しいかは、まだ分からない。




